ふらんす座への招待

俳句をあそぼう

俳風三麗花

2011-05-26 21:54:55 | aki
烈さんから本をお借りしました。
タイトルは『俳風三麗花』…三田完という、知らない作家さんの本です。
…が、面白い・
三人の20代の女性の身の回りに起こる出来事が月に一回開かれる句会を中心に語られるというもの。
句会主催の五十路男性が『ウソやん(笑)』ってくらいモテたりするわけなんですが(笑)

なんで、こんなに素敵な文を書く人なのに、私は知らなかったんだろう?
と、三田完調査開始
『長谷川知水』という俳号も持たれ、現代俳句協会の会員であり、俳紙『水明』の同人でもあるので、作中の俳句がステキなもの揃いであることに納得
この本自体、第137回直木賞候補に上がっていたようです。
その中で気になったのはその時の選考委員に北方謙三氏がいて『句会、俳句を精読してしまったので、読むのに苦労した。』ってコメントしてるところ。
前に烈さんにお借りした角川句会の本にも登場していた北方さん(笑)
面倒くさそうにコメントしてるけど、俳句一句一句丁寧に読んだんだろぉなぁ0 って想像してほのぼのしました
ほんと載ってる俳句が面白くって作者一人が俳句を詠む登場人物何人もの人格を使い分けたと思うと、凄0 い
その中でも特に気に入った、モテ男暮愁先生の句をひとつ。

包丁でサア泥を吐け蜆桶

私がちょっと茶目っ気のあるこの句が気に入っただけで、作中渋0 い作品が沢山登場します
気になる方は書店へ走るか烈さんに借りてくださいね(笑)

以上、アキ今回、読書感想文っぽくなってしまいました(笑)
烈さんありがとうございました0 面白かったです

文責・アキ



来月の句会は5日(日)、午後4時からです。




出合い

2011-05-17 21:25:46 | たかし
 布引の雄瀧から展望台へ登る道をほんの少し行くと、左手に小高い所があって役の小角(えんのおづね)を祀る社がある。その社の扉がこわれたので 新しく作り直してほしいいという依頼があり、寸法をとりに行った時、高さ80㎝巾50㎝位の自然石に俳句が刻まれているのを見つけた。

「涼しさや嶋へかたふく夕日かげ」  布引坊 

この句碑について坂井華渓の「囁西兵庫俳諧史」には次のように説明している。
熊内の人、布引坊栄滝のもので、天明 寛政頃(1781~1800)に建てられたのであろうと思われる。夏の太陽が淡路島の方へ傾いて、老松から落ちる風の涼しさを詠んだもので 天明期の面影が充分であると解説された銘盤に記されていた。
こんな所で思いがけない出合いがあって、俳句に関わるよろこびを味合う事が出来たのがうれしくて書いてみました。

追記、神戸市が平成19年に印刷した 歌碑の道マップによると番外句碑を含めて60基あります。

          文責・たかし

句会レポート

2011-05-12 21:54:41 | ふらんす座
  5月8日(日)
    
    参加者ーたかし、喜哉、ジロー、還水
        烈、千代乃、アキ、白水
        芭忠(通信参加)

 7日が立夏にあたり、その次の日ということで、みなさん夏向きに感情を整えて句を作ってくださいました。暦どおり2、3日前から暑くなり、表を見れば半袖で歩いているひとがちらほらいます。
一年で一番緑が美しい季節。  私たちは句を作るとき、幼い日を憶い出して作ったりするのですが、たいがいの子供にとって夏の開放感は特別なもの。退屈な授業が終わり、教室を飛び出すときのような心のはずみを、そのままのかたちで詠めたらいい句ができるだろうなと思ったりします
この日は当季雑詠に加えて、席題として「母の日」「新茶」の2つをたかしさんよりいただき、即座に作ることとなりました。久しぶりに即興の妙が見れそうです。


  葱坊主賑やかにゐて静かなり        (たかし)
  頭足類八腕目の脱走術           (たかし)
  昨日今日心ひもじき桐の花         (たかし)
  滝風に姫卯木咲く高曇り          (たかし)
  矢車の昭和からから回りけり        (喜哉)
  日の底に新茶眠れる早霞かな        (喜哉)
  くれよんの白使いきる聖五月        (喜哉)
  トンネルを抜けだしぬけの立夏かな     (喜哉)
  縁談を即決したる新茶かな         (ジロー)
  歩を止めて聞きしエチュード蔦若葉     (ジロー)
  分解のカメラがしんと夏はじめ       (ジロー)
  鍵盤は緑映して無音なり          (還水)
  追いてくる影の濃くなり夏隣        (烈)
  びんびんにシーツ張らせて夏に入る     (烈)
  少しの間横になりたき薄暑かな       (烈)
  この町に子のいるあかし鯉幟        (烈)
  耕すを見守る墓や畑に向く         (千代乃)
  霾日純行列車を待つホーム         (アキ)
  球根を配る教室息ひそめ          (アキ)
  葉の裏に染め残したるさくらんぼ      (白水)
  目を合わせ牡丹の息吹き甘い歌       (芭忠)
  

 「矢車の昭和からから回りけり」   喜哉

 キャンディーズのメンバーだった田中好子さんが亡くなったのは、ついこの間のことです。メディアはトップで取り上げ、告別式のもようはテレビ放映されました。キャンディーズが解散したのは昭和のいちばん良かったころのこと。  しかし、同じ時代を共有する者としての悼みはありますが、いささか騒ぎすぎの感がありました。懐かしがるのもいいが、私たちは現実に人と会い、物と会う。今を生きるのにいそがしい。  メディアというのは今だに昭和という時代を生きているとしか思えない。
矢車は鯉幟の先端につける車輪のようなものです。風によく回り軽快な音を立てる。幟を下ろしても矢車は残っていて音を立てる。そういう状態ではないだろうか。作者は半ば懐かしがり、半ば揶揄的に見ている。そこに昭和を言い当てたところに手柄があり、実感がこもっていて秀逸。

 「葉の裏に染め残したるさくらんぼ」    白水

近くのさる事務所にはお届け物が多く、おすそ分けに山形の高価な桜桃をいただいたことがある。大粒のもので、真紅に近い色に艶があり美しかった。食べてみればもちろん美味、二度と会えないような美人を拝したときのような興奮を覚えたように記憶しています。
陽の恵みを受けて可憐に色づいてゆくさくらんぼ。ふと見ると、たわわに実をつけた葉裏に陽が染め残した実がひとつある。俳人の目と心はそこら辺の美人には目もくれず、葉裏に隠れているそのひとつをいとおしく思う、あるいは自らを重ねる。  非常に俳句的な一品。 
  
    

烈のつぶやき その③

2011-05-05 21:28:46 | 
   文責・河田烈

「神無月にかこまれて」 
平成23年4月
陽水の歌は大学生の頃、拓郎・ユーミン(荒井夕実・松任谷夕実)の歌より熱中して、聴いていた。
 曲名でいうと「断絶」「限りない欲望」「夜のバス」「神無月にかこまれて」「紙飛行機」「小春おばさん」「夕立」「ロンドン急行」「青空、ひとりきり」たちであろうか。曲によりリピート回数に差はあるものの、何度もしつこく聴いていた。傍からみると「何回同じ曲聞くの?」という感じであるが、もう一回、もう一回の繰り返しで、数時間があっという間に経ち、翌日もまた、聴いてしまうという具合である。こういう聴き方をしたのは、高校生の頃の南沙織(昭和46年・「17才」でデビュー)のレコード以来である。ちなみに、シンシア(南沙織)とユーミンが同年齢ということに、気づいたのは、つい最近のこと。へぇー、そうだったのか、である。

 さて、標題の「神無月にかこまれて」という曲。
歌詞にある「列についてゆけないものに また来る春があるかどうかは 誰も知らない ただひたすらの風まかせ」という件に、当時のわが身の思いを重ねながら、他の曲同様、この1曲だけを60分テープに目一杯録音して、繰り返し聴いていた。この曲が、声質やメロディの魅力ともあいまって、景色の描写とそこから膨らむイメージの世界に、思う存分浸り切るためのBGMになっていった。「君が好きだ 抱きしめたい」というような直接的なメッセージでなく、風景描写に何かを託しているような曲だからこそ、飽きずに聴けたのかもしれない。
 そして、この曲に季語が散りばめられていることに気づくのは、俳句を始めてからという、私自身、驚きの遅蒔きぶりなのであるが、50歳を過ぎてからかつてのマイブームを、俳句モードで振り返りながら、春の夜、ひとり悦に入っている。次回は、このモードから少し離れて、高校時代の憧れ、シンシアについて、記してみたい。「懐かしい」という快感に浸りたいと思うのは、老化現象の始まりなのかもしれないが。

 なお、陽水自身は俳句を作らないらしいが、作詞のときに父親が残した「季寄せ」の頁をめくることがあったという。(『月刊 俳句界 06年9月号』 連載 佐高信の甘口でコンニチハ! ) 



  今月の句会は8日(日)、午後4時からです。

城崎にて

2011-05-01 22:08:22 | 荒岩張
     文責・荒岩張 

勤務先の旅行で城崎温泉に行った時の話。かれこれ16年前、阪神淡路大震災のあった頃である。
城崎温泉郷には、「外湯めぐり」というシステムがあり、旅館の外にある浴場をめぐることができる。
この外湯めぐりをしていた時、私を含む悪ガキ4人組は、町のはずれにストリップ小屋が2軒あるのを確認し、「ゼッタイ、行こうぜ!」と決めていた。

夕食も終わり、他の社員が「古今東西、魚の名前!」「えーとクジラ!」とかアホな事をやっているのを尻目に私達4人は夕方に見つけておいたストリップ小屋のうちの1軒、「炎(ほのお)」を訪れた。

料金2000円を支払い中に入ると、薄暗い12畳くらいの病院の待合室みたいな部屋がある。どうやら観客席のようだ。
そのつきあたりには3畳くらいのステージがある。

しばらくして、左上方の壁にあるのぞき窓から、入場券を売っていたおばさんが顔を出した。客の入りを確かめているのだろう。
さらに数分が経過し、舞台上にスポットが当たった。幕は降りたまま、出囃子もなし。
客の一人が「マッテマシター!」と叫んだ時、なんと受付のおばちゃんがキモノを着て現れ、「さっきからうるさいなあ、あんたわ!はよ帰り。何も無いで。何回見てもいっしょや。」というではないか。どうやら営業から裏方、出演まで一人で全てをこなしているようである。

お色気たっぷりの展開を期待していた我々は、道頓堀松竹角座のようなノリに心地よいショックを受けた。
それから約15分間、客(複数)と踊り子のおばちゃんとの掛け合い漫才が続き、場内は大爆笑の渦。ヒーヒー笑わせて頂いて、「そろそろ終わりかな?」と思った頃に、「アレやってー、アレ!」と最前列の客。
何がはじまるのかと思っていると、おばちゃん、着物のスソをひょいとめくってインモーの先っぽを見せ、「はいよ、“ケノサキ温泉”」。

私達は思わず、ひっくり返りそうになった。
そんなアットホームなショーが入替えなしで、深夜まで気が済むまで堪能できるのだ。

湯の町の伝統というのは案外、こういう所にあるのかもしれない。