コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

お礼参りツアー 2019晩夏 その5

2019-10-10 09:53:50 | お礼参り

 

山口県をぐるりと北上して長門市に入り、仙崎港にむかいます
ここは仕事で何度か訪れてますが、キレイな道の駅ができてました

金子みすずの街

長門、仙崎にはいろいろご縁があります

20代後半、浄土真宗に出会い「信心」ということをご縁のあった方々から導いていただき、自らの体験を通じて味わったとき、ネットというものが動き出して家にいながらいろんな方と意見を交わすことができる時代になりました

連れ合いを通じて知り合った僧侶の方々とも、寝る間を惜しんで言葉を交わしたものです
というか、深夜だったら定額でネットができた…って時代ですね(笑)

「浄土真宗」という共通言語のはずが、求道中心で個人として語るものと、教団というものを背負って「お寺」として語るもの
同じ言葉を使っても「似て非なるモノ」でかみ合いません
その根底には「私が正しい、打ち負かしたい」という心があるのですが

そういう関わりの中で、お一人だけ違う視点を持った方がおられました
今の私なら、それはカウンセリング・マインドなんだろうなと思うのですが。その方だけは「受け入れる」態度でいらっしゃった

その方がご自身のホームぺージで紹介されてたのがその方の地元、長門であり仙崎であり金子みすずさんでした

今回、その方のお寺もお参りしたかったのですが、仙崎に着いたのも道の駅のお店が閉まるような時間でしたから

で、車を道の駅にとめて、歩いて「仙崎駅」から「みすずロード」を歩きます
ここはお店や、普通の家の軒先に「金子みすず」の詩が掲げてあります

 「遊ぼう」っていうと

 「遊ぼう」っていう。

 「馬鹿」っていうと

 「馬鹿」っていう。

 「もう遊ばない」っていうと

 「もう遊ばない」っていう。

  そして、あとで

  さみしくなって、

 「ごめんね」っていうと

 「ごめんね」っていう。

  こだまでしょうか、

  いいえ、誰でも。



私は彼女を、

仏様の視点で命を見つめた人

と思っています



  朝焼け小焼けだ
  大漁だ

  大羽鰮(いわし)の
  大漁だ


  浜は祭りのようだけど

  海の底では何万の
  鰮(いわし)のとむらい
  するだろう

何度も、いろんなところで見聞きしてる詩でも
この地に立って目にすると深い思いに浸れます

青梅島まで足を延ばしたかったのですが、遅くなったので港から青梅島を眺めて、この地を後にして広島まで移動しました

 


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