コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

身体に起こっていることを言語化する

2020-09-08 13:55:16 | 発達障がい支援
前々回、内面のことを言語化することを推奨したこともあるので、もう少し身体に起こったことを書いてみます
特にワーカホリックの方は気にかけてみてください

法座やワークショップに参加していたころ、よく手をさすっているのを見られた方が多いと思います
最初に身体に現れたのは、四肢の冷たさ
夏場でも指先は冷たく、足に至ってはひざから下が氷のように冷たく紫色でした
もちろん、実際は氷点下なんてありえませんが、体感的に普通の体温の個所に比べてかなりの冷たさです
おかげで、夏に暑いときに寝ていると、子どもらがくっついてきてアイスノン代わりにしていたほどです
同時に、ケガが治らないというものがあります
その頃の仕事上、台車や荷物がよくスネに当たります
当たったところは紫斑だったり出血だったりするのですが、そのまま跡が消えません
この状態を5年は放ったらかしにしてたでしょうか

また、汗のかき方がかわりました
汗をかくのは胸の心臓のあたりだけです
暑いときや辛い物食べたときの汗は額にもにじむのですが、胸だけ滝のように汗が流れます
調子が悪いと、その汗が甘い香りがします
そういうときはおしっこも甘い香りになります
(おいしいお菓子のような甘い香りならうれしいのですが、それとは違う感じです)

素人考えでも、おしっこが甘いので(なめてみたわけではありませんが)糖尿だろうと推測してました
しかし、ハードな仕事(そのころは自分の会社と夜中にアルバイト)と、空いている時間も前回書いた奉仕作業に充てていたこと、疲れたら甘いものが良いだろうとジュースやチョコを摂取していたこと、など、身体を労わることはしません
時間的にも金銭的にも、医者に行こうと思いませんでした
仕事の支払いなどを優先して、健康保険は後回しで、保険証も無効になっていましたから(自営の方など思い当たるかもしれません)

常識なら、そこまで追い込まれているなら報酬につながらない活動をやめればという判断になるのでしょうが、そこが依存症的に突っ走っているので、引き返せません
褒められることに依存している心理状態なので、非難されるような選択は論外です(盲目的ですね)

きっかけは妹の死
妹も経済的に苦しく、子どもを育てるために無理して働いていました
義弟は単身赴任です
ちょっとした不調で検査に行ったら、そのまま入院、闘病生活を経て半年で治療を断念することになりました
葬儀などで単身赴任から一時的に帰ってきていた義弟もそのすぐ後に脳梗塞を起こしました(彼は同い年です)
一旦回復し、仕事も復帰したのですが、一年後再発しそのまま命を終えました

さすがに不安になったので(ほかにも精神的に追い詰められてましたし)受診することにしました
糖尿は予想通りでしたが、それよりもショックだったのが「血管年齢99歳」というもの
手足が冷たいのは低血圧で血が通っていないんだろうと素人考えしていましたが、血管が硬くなり末しょうまでまで血が通わない
コレステロールで血がどろどろなのも拍車をかけます
血糖値が高いことで、血管をボロボロにする症状もあります
結果、思っていたのとは逆で、相当の高血圧も
たまたま症状が手足なので良かったのですが、これが脳内や心臓で起こっていればやばい状況です

視力の問題(前回書いた、線がまっすぐに見えない)と指先の感覚喪失は、暗かったり狭かったりする場所での、手先の感覚で微妙な調整をする技術職の困難を示します
そこで会社をたたむことを決意
しかし、収入がなければ医者にもかかれないので、再就職先を探します

それまで、PTA活動などには、自分で予定調整できるこれまでの仕事が便利でした(なので転職を渋っていたこともあります)
が、市P連(同時に近Pや日Pもついてくる)を退いたことで、雇われの仕事も選択できました
地元のPTAは、会長なら自分の都合で予定を決められるので(降りられない事情もありましたし)子どもの卒業まで続けましたが

投薬や食事制限での治療を始めましたが、一番の不安は高血圧による負担
それはいわゆるストレスによる突然死のリスクです
そこで、それまで依存を満足させていた様々な活動、それは同時に人間関係などでストレスを与えていましたので、それらから退き、安寧な生活を心がけることにつながります

ここは難しいところで、依存を満足させていることから離れるストレスと、つらい人間関係を続けるストレスとの取捨選択です
バランスよく付き合う方法もあるのですが、そこに「0-100思考」の私のもう一つの特性が邪魔をします
特定の人物とのストレスを排除するため、その関係から一切手を引くという決断です

病気や自分の弱さを公表する気にもなれませんでしたので、その理由は多く語らず、「家族との時間のため」とうことを表に出します
じっさい、身体をケアしていくことは「家族との時間」を少しでも永らえるものでもありますから
(そのせいで、あちこちでいろいろ噂されたりしたようですが)

まぁ、食事や生活の改善と言いながら、仕事の都合や嗜好の関係で徹底はできず、あちこちの弊害は続いて今に至りますが

とりあえず、糖質コントロールのために今まで好きだったビールや日本酒は断念
完全禁酒すると精神的によくないので、糖質の少ない酎ハイやワインに移行します
ジュース類は一切やめ、水かお茶に
あとは無糖のコーヒー・紅茶

野菜などを多くとることで、好きな麺類は猶予…としていましたが、今回そこも問題になってきたので、避けることになるでしょう
ラーメンは汁まで飲み干さないと料理人に失礼
などという変なこだわりがあるので、当面我慢ですね

今後は糖分コントロールと減塩を並行させるという…料理を作ってくれる家族にはハードルの高いものになりそうです

境地的にはいつ死んでも構わないのですが(先日連れ合いと話してて、ここに帰結するのが問題だよねぇ、と)大事に使えば死ぬまで使える身体なので、できるだけ専門家の助言にしたがいましょうか


なんか、「しくじり先生」みたいな投稿になっちゃった


依存症ということについて

2020-09-07 14:54:45 | 発達障がい支援
私は依存傾向があります
薬物依存やアルコール依存のような病的なものではありませんが、例えば収集癖が極度に固執するなどの傾向があります

ただ、固執といっても長期的に及ぶのではなく、その時々にマイブームになるものに捉われるという感じですか

好きなものの一つにプラモデル(いわゆるガンプラですね)がありますが、一度作り出すと、作り終えてもすぐ次の作品に取り掛かってしまう
途切れるのがいやなので、前のを作っている途中に次のものを買って補完しておかないと気が済まない
そのくせ、何かのきっかけでほかのものに気が行くと、何か月でも(作っている途中でも)ほったらかしにして平気だったりします

そのプラモデルに取って代わるのがゲーム
こちらは新しいものをどんどん買うのではなく、同じゲームを何度も何度もクリアしようとします
(いまだにWiiで遊んでます)

最近では、空いてる時間があれば、CDラックにあるCDをパソコンに取り込む作業に狂っていました
まぁ、こちらは前に取り込んでいたパソコンが壊れたので、新しいものにしたことを契機に、また、断捨離のためにCDを整理する意味もあるのですが
これも、やりだしたら固執していました

で、このCD整理をして気が付いたのは、ある時期に集中してCDを買い込んでいるということです
仕事で出張が多かった時期、新幹線を一本遅らせても、駅のそばのCDショップに立ち寄って、欲しいものをあさります
欲しいものがなければ、視聴コーナーでいろいろ聞いて、ふっと気に入ったものを買い込みます
こうなると、音楽を聴くことよりも、「持っていないCDを購入する」ということが目的になり、「買わずにいられない」という依存傾向がみてとれます

いろんなことにバランスよく時間を使えば良いんでしょうが、この固執するというところに「過集中」の傾向が見られます

と、ここまでは趣味的な話でまだよいのですが、ここからが本題です

この固執、依存傾向が、私の人生で大きな波があり、そのことであちこちに迷惑をかけたり、また私自身の身体を蝕むことになっています
この行動に現れる依存のもとは「褒められたい」「頑張っていると認められるとうれしい」という心の動きが根っこにある気がしています

20代のころ浄土真宗に出会いました
そこに依存という感覚はありませんでしたが
最初は今の連れ合いがお寺の娘だったこともあり、親御さんに気に入られることが目的です(褒められたい)
そしてご聴聞・求道するわけですが、自分のためというより周りの目を気にして、「若いのにえらいねぇ」と言われることがモチベーションだったように思います
その一方で、宗教的な邂逅など、依存とは別次元の話もあるのですが、それは別の機会にしましょう(それは損得を超えた世界ですから)

そうして、自分自身の求道から、聞法集団の運営をお手伝いすることになります
宗教的な境地を原点にしていますから、特別に報酬ももらわず、ほぼボランティアで空いている時間を提供します
(金銭的な提供もあります)
僧侶や伝道師の資格を取ることもしないので、職業としては活動しません
でも、問題ではありません
その活動に依存し、周囲から評価されることが本望だったからです

やがて、カウンセリングに触れました
伝道のありかたを、「超越的な存在と人間」としていたところから「人間同士の生身の交流」というところに、時にはクロスオーバーしながら、時には別のものとして取り組みます
ワークショップの開催や、世話役として多少の報酬はいただきましたが、カウンセラーとしての公式資格は習得せず、もちろん職業ではありません
でも問題ないのです
その活動に依存し、関わる方が喜んでくだされば本望ですから

時を同じくして、PTAにかかわります
最初は子どもが通う保育園の保護者会会長
4人もお世話になっていますから、頼まれれば断るすべはありません
結局10年間引き受けました
そこでいろんなお母さん方と交流があったことから、最後の子が卒園した後、小学校のPTAに誘われ、中学・高校と引き受けることになります
これが6年間
もちろん、PTAは無報酬です(時々公的な会議に出席して報酬をいただくこともありましたが)
多くの方は嫌がる活動でしたが、単位PTAから小・中PTA連絡協議会、市のPTA連絡協議会、果ては近畿や日本PTAと関わりが濃くなればなるほど、魅力的な方々と出会い、私の依存度はあがります
楽しいのです

さらには、カウンセリングやPTAの影響で「発達障がい支援
」の活動も始めました
こちらは活動しながらNPO化をすすめ、多少なりとも報酬につながることもありましたが、その立ち上げや活動に関わる時間的拘束や持ち出し費用などを考えると、経済活動とはいえません
PTAにしても、地域の学校のPTA活動だけなら(時間的負担はあれど)経済的に持ち出しということはありませんが、市や近畿など大きな組織になると、会議後の懇親会などで飲食代が発生します
多い時には週に2・3回会議があるときもありましたから
他人に任せられる大きな店や会社を経営してる方には少ない負担でも、個人経営だと時間がとられる分収入減少ですから、毎月どんどんたくわえを吐き出す始末

このように、私の依存感は満足させられたものの、仕事や家庭の時間、収入を削っての活動は弊害を伴います

その一番が、身体の不具合を省みずに、その時々の依存感に浸ったこと
まぁ、経済的な問題もあり、医者を敬遠していたこともあります
妹など、身近な人間を亡くしたことで立ち止まったとき、すでにあちこちガタが来ており、結果、それまでの技術的な仕事もできなくなるほどでした

もちろん、長い人生で考えて、仕事一筋で満足する方がいるように
公益にかかわって満足な私がいます
私が望んでいた、目の前の人に褒めてもらうことが、いろんな場面でできていたのですから(その分、身近な家族らに褒めてもらえませんが)
目の前の喜びに目を奪われて、大事なもの(健康や家族)を失う
形は違えど、薬物やアルコール依存で警告されていることと同じですね

ということで、依存症は恐ろしいというお話でした

内面のことを言葉にする

2020-09-06 10:42:54 | 発達障がい支援

身体に起こっていることを言語化する

これって結構難しいものです

発達障がいの支援をしていたころ、傾聴の手法を教えることで、い発達障がいで困りを抱えている方は、「自分のことをわかってほしい」と思いながら、それが果たせずに戸惑っています

一番大きな問題は、聞き手側が「おそらくこういうことを言いたいんだろう」と慮って、話し手の言葉を最後まで聞かないこと

「一を聞いて十を知る」スキルのある人ほど、陥りやすいです

 

一方で伝える側も、その一をうまく伝えられない

それは、自分に起こっていることが「わかってもらえている」錯覚していることです

 

ここからは私の身体に起こっていることを一例に話します

 

私はもともと普通の「見えかた」をしていました

普通というのは、あくまで自己判断で、ほかの人が世界をどのように見ているかがわかりませんので、確かではありません

でも、自分の見え方を基準にするしかありません

 

そこそこ年齢を重ねてくると、乱視でものが2重3重に見えだしました

そのときは「最近ものが見えにくくなってきたな」という程度の知覚ですが、眼鏡を作ったらはっきりしました

かけているときとかけていない時で違いがあります

 

右が2重、左が3重

眼鏡をかけているときと外しているとき、それぞれの目だけで見ることでその違いが判りました

やがて、病気が進み、右目に異変が起こります

まっすくな線が歪んで見えます

モニターに四角形が映っているはずなのに台形に見えだします

そして、とうとう真ん中のほうが時には黒く、時には白くかすんで、片目だけでは見えているものを認識できません

 

こうなってはじめて、遠近感がうまく取れていないことに気づきます

そういえば、家族と行くUSJなんかの3Dアトラクションが、そんなに特別飛び出してくる感じがなかったのも、すでに両目の差があって本来の遠近感を錯視させる効果がなかったのかもしれません

 

と、つらつら書きましたが、私は元の状態と変わってしまった状態を段階的に経ているので、できなくなっていることを認知しています

 

これが生まれつき機能的に普通と違う人ならどうでしょう

今見えている状態がその人の「普通」であって、ほかの人ができることができなくても、自分の何かがおかしいとは気づけません

遠近っ感がとりづらく、鍵穴にすうっとカギが入れられないとか、少しの段差でけつまづくとか

それをおおくの「普通に見えている」人たちは

あなたはおかしい、どんくさい、いらいらする

などと責めてしまいます

「じつは左右の視力差があって、遠近感が苦手です」

と、自分に起こっていることを認知し、言語化して、他人に受容してもらえれば、少しは関係が変わるのですが

 

で、書き始めの発達障がいに戻りますが、こういうことが目の機能的なことで起こるのではなく、脳の働きによっておこります

言い換えると、機能的なことはメガネなどの補助具で修正できますが、脳の働きは修正できません(厳密にはいろんなホルモンや脳内物質の補助で改善するものもあるようです)

さらに、自分の中で起こっていることで、ほかの人とどう違うか認知できないし、言語化もできずに困ってしまいます

いや、困っていることもわかってもらえません

 

それに加えて、うまく伝えられないことで、聞く相手が途中で自己判断したり、想像で受け止めたりいしてしまう、最後まで話を聞かずに「普通じゃない」とレッテルを張ってしまう

そうされると、ますます閉じてしまうことになります

ここでは見え方を例にとりましたが、ほかにも聞こえ方であったり、行動の癖であったり、考え方の癖などがあります。
自分では普通にしてるのに、多数派の常識を基準に考えられてしまうので、発信することが抑えられてしまいます

 

 

そこで、この文章を目にとめた方、自分の「普通」が必ず

しも相手にとっても「普通」だと思うのではなく。また逆に「異常」だと思うのでもなく、「いろんな普通がある」ということを心にとめてください

また、できるだけ相手が「伝えたいことを伝えたいように」できるよう、傾聴ということを意識してみてください

 

いろいろ困っている方には、傾聴・カウンセリングを学ぶことで、自分の中に起こっていることを言語化する学び・訓練ができることをお知りおきください

 

私自身の体調のこともあって、大きなワークショップなどは開かないようになりましたが、私が学んできたことをお伝えすることはできるかもしれません

積極的には動きませんが。お手伝いできることがあれば


発達障がいを共に考える会 2月

2016-02-14 01:16:45 | 発達障がい支援

さまざまな形で「発達障がい支援」活動を行なっているアズウィッシュですが、今年新しい試みを行ないました。

毎年恒例の「発達障がい特性理解ワーク」ですが、本会場の大阪の様子を京都の会場でも視聴できるように企画しました。

ネット回線の安定はどうだろうか
カクカクした動きにはならないだろうか
音の様子はどうだろうか

数ヶ月前から何度かテストを重ねていざ本番。

途中、電話で確認したらそれが原因でデータ配信に問題が起こったり、講師が動くことで音声の不安定や画面の明るさが変化したりするなど、いくつかの課題は残りましたが、「いきなり大阪に出かけるのは不安」と言う方や、「京都のグループワークが好き」という方にも、「特性理解ワーク」を聞いていいただける機会にできたかと思います。

ネットでの映像配信や、iPadのアプリを利用してリアルタイムで2会場をつないで質疑応答実現など、技術の進歩を感じましたね。

もちろん、講師「新田かなと」のお話は折り紙つき。

いくつかの課題の修正を織り込んで、第2回に挑みます。

次回は3月5日
第一部は「発達障害想像性の障害の実態~会話の苦手が起こる訳」
第二部はグループワークです。

予約受付を開始しましたので、興味の在る方はぜひご参加ください。

予約はこちらから
http://aswish.jpn.org/

この企画ゆえ、新しく参加してくださった方と不思議なご縁が整い、新しい企画も動き出しました。
(近日、お知らせしますね)


今年もいろいろ活動しております

2016-01-21 21:00:42 | 発達障がい支援

相変わらず更新が滞ったまま、気がつけば新しい年を迎えていました。
皆様にお伝えしたいイベントや研修もいっぱいあったのに、惜しいことをしています。
が、ブログ更新よりリアルの対応を…ということで、ご容赦ください。

ブログ更新にゆったりと時間が取れる生活を目指しているのですが。

さて、そうは言え、宣伝はしっかりとする必要があります。
私が関わっているNPO法人アズウィッシュでは、SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)ワークや、グループワークを定期的に行なって、少しでも発達障害の当事者・ご家族・支援者のお役に立てるようにと活動しております。

そのアズウィッシュの活動の中でも重要な「特性理解ワーク」を今年度も行なっています。
それをさらに発展させ、今年はメインの大阪会場の様子をネット回線利用で京都会場でも同時中継し、スピーチ(講義)をお聞きいただくように準備いたしました。

来る2月6日(土)に行います 。
会場は、三条京阪から徒歩5分の「東山いきいき活動センター」
 基礎的な理解を促進する話を聞いた後、京都会場の参加者で「発達障害を共に語る会」としてグループワークを行ないます。

詳細はアズウィッシュのホームページをご覧ください。

お一人でも多くの参加をお待ちしております。

(団体などで告知されたい方は、チラシを用意してますので高橋までお問い合わせください) 


発達障害支援 AsWishの活動

2014-07-03 16:43:12 | 発達障がい支援

私の今の活動の軸になっているもののひとつ
「発達障害支援活動」としてのグループ AsWish

大阪でのワークショップは2年目を迎え、SSTワーク、傾聴ワークとも順調に回を重ねている。

また、秋の法人化に向けての準備もすすみ、申請を終えて次の段階を待っている。

そんな中、先週6月28日に「京都支部発足記念 発達障害を考える会」が行なわれた。
会場一杯の参加者を迎え、当会共同代表の「新田かなと」による発達障害理解のためのレクチャー、当事者をパネラーとしての座談会、そして参加者全員によるグループワークが行なわれた。

終了後も、今回は都合のつかなかった方々からのメッセージを一杯いただいた。

この活動は、遠くは発達障害であることがあろうとなかろうと共に生活できる社会を目指しながら、まずは身近な目の前のひとりひとりが、理解しあい、認め合い、手を携えていける方法を模索する。

その活動のひとつが当事者さんが「今の自分を客観的に認識する」ことから始まる、自己有用感を持つお手伝いにある。
大阪での活動を重ねることで、「SST(ソーシャルスキルトレーニング)ワーク」と「傾聴ワーク」による、安心安全な場所を提供する中での自己理解の促進が有効だと思っている。
そこで、京都でも「傾聴ワーク」をまず開催し、来年度あたりには「SSTワーク」開催準備まで持って行きたい。

もうひとつの軸として、やはり当事者さんの身近な存在である「家族」の理解を深めること。
これは一方的に学ぶ場を与えるだけでは難しいと感じている。
家族もしんどさを抱え、理解したくとも現実に直面し余裕がない状況が横たわっている。
そこでまずは抱えているものを話しあうことで「放し」ホッと一息つける時間を見つけて欲しいと思っている。
それが「家族限定グループワーク」ということになる。

京都支部として秋からの連続ワークにさきがけ、「傾聴ワーク」「グループワーク」がどのようなものか体験していただくプレワークを開催する。
7月18日 と 9月19日
家族ワークは午後3時半から6時
傾聴ワークは午後7時から9時
詳細のリンクは以下から。

家族ワーク

傾聴ワーク

 

本当は予約システムをセッティングしてからお知らせするつもりだったが、日が迫ってきたので告知だけ先に。
私宛にメールくだされば、予約として受け付けますので。 

manu.buddist#gmail.com
(#を@に変えてお送りください) 


近況

2014-06-05 01:51:04 | 発達障がい支援

すっかりブログがご無沙汰になってしまっている。
予想はしていたが、3月から5月にかけてはPTAの引継ぎ時期なので、会議や総会、懇親会が山盛り。
いや、これはただの言い訳だ。

PTAの方は、中学校のPTA会長2年目。
昨年は下・南支部の理事校だったが、これはお役ごめん。
しかし、 京都市中学校PTA連絡協議会では会長を引き受けることに。
打ち合わせ、引継ぎの役員会が続き、新旧拡大理事会にて承認され、先週の中P総会にて新会長として紹介を受けた。

その総会で研修会としてお話をしてくださったのは柴原先生。
私が小学校のPTA会長を引き受け、初めて参加した研修会でも講師をされ、お話を聞かせていただいた。

このブログにも記事を残している。

京都市PTA連絡協議会研修会 いのちの話題



同時に京都市PTA連絡協議会の副会長となり、こちらは今日の市P連研修会にて就任の紹介を受けた。
こちらは京都市副市長 藤田氏のお話を聞かせていただいた。

3年前、自分の学校のPTA会長を引き受け、気がつけば京都市の多くのPTA会長仲間と知り合うこととなり、様々な影響を受けている。
今の立場となって、そういうご縁とお育てを強く感じている。
が、根本は変わっていないし、PTAとしての子どもたちへの関わりはなんら変わっていない。

上の記事を探していた時に、初めて小学校PTA連絡協議会に参加したときの記事も見つけた。

京都市小学校PTA連絡協議会

これは、今の立場となって、改めて読み返すととても大事なことが書いてある。
忘れがちなことを、初参加の人の目線になって省みるためにはとても大事なことだな、と。


ほんとは近況としてもっといろいろ書きたかったけど、PTAのことを振り返るだけで時間を費やしてしまった。
詳細は改めて書くとして告知だけ。
6月28日に、今大事にしている活動のイベントがあります。
ぜひ、ご参加ください。


発達障害支援団体 アズウイッシュ 「発達障害を考える会」
2014.06.28(土)13:30~18:30(開
場 13:15) 
京都商工会議所
地下鉄 烏丸線 丸太町駅 徒歩1分(駅直結のビル) 
http://www.kyo.or.jp/kyoto/img/k_map02.gif
会費 1,200円(スピーチ付き) 
ファシリテーター:高橋・新田(予定)

[スケジュール]・・・注:時間は変更となる場合がございます
13:30 ごあいさつ
13:40 講演「発達障害 学校支援と思春期課題」 
        「自立を望む発達障害者の会 アズウイッシュの目指すもの」 
     講師:新田かなと  (途中 休憩有り)
15:30 休憩 15分
15:45 座談会(パネルディスカッション) (予) 
16:30 休憩 10分
16:40 参加者全員によるグループワーク
18:30 終了  



 


ソーシャル・スキル・トレーニング

2014-01-23 19:24:22 | 発達障がい支援

今年度、新たに参加した「アズウィッシュ 自立を望む発達障害者支援」の活動もひと段落。
最後のイベント、SSTワークも無事終わった。

SST ソーシャル・スキル・トレーニング として、室内でのワークで自分の特性と向き合うこと、肯定される場の体験を重ね、同時に 傾聴ワーク を通じて聞き方・伝え方の学びを行ってきた。
そして最後にフィールドワークとして、課題をこなしながら京都の寺社仏閣を巡るトレーニングが行われた。

どのようなワークだったのかはおいておいて、そこから見えてきた課題について。


地図を見ながら、自分たちのグループがどこを回るかをまず検討する。
神社仏閣で写真を撮れば加点というシステムなので、目的は加点される「お寺などを巡る」ということ。
私がサポートしたグループは、最初の会場からお寺の密集地を目指し、その道中のお寺・神社をチェックしていこうという作戦だ。
ここまでは、目的がハッキリしており、あとはグループメンバー内でうまく役割がこなしていけるかどうか。
途中、「困ってますか?」と声をかけてくれる親切な方々ともコミュニケーションをとりながら、マイペースながらワークをこなしていく。

今回のワークの特色のひとつは、Facebookを活用することで、他チームの状況がほぼリアルタイムでわかることと、途中お題が出されて、そのミッションに参加するかどうかでボーナスポイントがもらえるということ。
その結果「どうやら他チームのほうがポイント状況が良い」「このミッションに参加すると、最初の計画通りに動くよりポイントが高そう」という状況になった。
決断は、バスで移動してミッション先に向かおうというものだった。

ここで、まず「バス停を探す」ということが必要になる。
スマホで情報検索、現在地の確認などのスキルは十分にある。
で、バス停へ向かって移動、大通りに差し掛かり、そこにある地図看板で最終チェック。

私はサポートだけで口は出さない立場だが、その地図には神社仏閣が山ほど記載されていた。
少し回るだけでポイントゲットだ。
なんなら、ミッション目的地までも、歩いていけば数件のポイントがある。

と、このように考えるのはマルチ思考で、同時に複数の事柄を平行に考えて優先を決める。

しかし、彼らの思考は「お寺などを巡る」から「目的のバス停を探す」に摩り替わっている。
そのことが悪いといっているのではなく、タスクをこなす能力は十分にあり、なんら問題はない。
ただ、一度違う要素が入ってくると、最初の思考からは離れてしまいがちだということ。 


もうひとつ現れてきた課題がある。
ワークのためにバス路線図が渡されているので、目的のH寺に行く手段はしっかり調べ上げることが出来る。
しかし、これは京都の特徴だが「循環系統」というのがあり、同じコースを周回しているものがある。
目的地へ行く系統は○○番だと把握しているので間違いないのだが、やってきたバスの正面に書かれている行き先が目的地のもっと手前の「××駅」となっている。
メンバーの判断は「このバスはなんらかの理由で目的地より前までしか行かない」というものだ。
目に飛び込んでくる「××駅行き」という情報をそのまま受け取る。
今回は駅の手前で「○○寺へ行くには、どこで乗り換えれば良いですか?」と運転手に尋ねたので、そのまま乗っていれば目的地に着くことが判り、事なきを得た。
もっとも、この表記の問題は発達障害当事者だけが困るのではなく、土地勘のない観光客や修学旅行生にも誤解を招くかもしれない。


来年度も新しくSSTワーク/傾聴ワークを始めるが、まずは参加者が不得意分野を認識することと、社会・企業が少し工夫することで、各自の能力を活かす術を探って行きたい。
ヒントは十分にあるし、特性理解のエキスパートも心強いパートナーとして存在する。

来年度の活動内容がもう少し固まったら、お知らせします。

この日の様子をブログにされた、サポータ仲間のteruさんの記事もリンクしておきます
http://ameblo.jp/terukluvsoul/entry-11753002380.html


支援活動のために

2014-01-02 18:52:36 | 発達障がい支援

新しい年を迎えました

このブログも相変わらず細々でも続けていこうと思います。
昨年は書き損なっているネタが山ほどあるのですが、いずれご縁があれば振り返ってみます。

今回は、早めに書いておきたいと思っていたことを、正月休みを利用して記しておきます。


昨年から少しずつはじめた発達障害支援の活動ですが、おかげさまで優れた支援者、当事者の皆様とご縁が出来、一緒に研修などをさせていただくことで多くの学びをいただいています。
そのことが、自分の子どもとの接し方に多くのプラスを与えてくれます。

その一方で、「知ってきている」ことからしでかしてしまう失敗がいくつかあります。
昨年の出来事です。

息子は発達障害の特性があり、時々困った行動をします。
特に、「人の話をしっかり聴かない」「自分の思い込みが強く、一度思いこんだら曲げない」という傾向です。
昔はなかなか聞き入れないことにイライラしたものです。

先日、習い事のことで連れ合いも含め年末の日程について話していました。

息子「明日はレッスンがあるから行く」
母「年末やからもうレッスンないよ」
息子「先週、先生がまた来週なって言わはったもん」

レッスンは事前に申し込んで料金を支払う形。
何回分も申し込んでるかは、母が一番知っている
ただ、基礎連、リハ連、ボーカルトレーニングなど、種類は多い。
一番重要なのはリハ連で、これに出ないと公演に出にくくなる。

母「電話して聞いたけど”リハ連”は先週で終わりですって」
息子「でも先生は来週っていわはったから、あるもん」

この時点で、私は「また思い込みから抜け出せなくなっている、いつもの特性が出ている」と判断
こういうときは正面から言うのでなく、ワンステップずつ理解させてやることが大事だ。

私「お母さんはメールで確認してくれはったよな」
息子「うん」
私「○○の人は、レッスンは無いですって言わはったんやな」
息子「先生は来週会うって言わはった」
息子「明日、行って確かめてくる」

あまりにしつこいんで、もうこれは本人が納得するしかないな、と。

私「お父さんもお母さんもついて行けへんで」
息子「自分でバスで行くし大丈夫」

その夜、不安がよぎる。
明日、練習スタジオに行って、誰もいなかったらどういう気持ちになるんだろう。
絶対あるって行った手前、ばつが悪くなるんじゃないだろうか。
幼い頃、息子はショッピング中に迷子になっても動じず、こちらが困っているとも思わず、どんどん自分の好きなところへ行った。
当然、自分は迷子だとは思いもしない。
家に帰りたくないと思ったら、そのまま繁華街をふらふらしかねない。
「明日は仕事の都合つけて、練習スタジオまで一緒に行ってやろう」

翌日、兄が電話して確認してくれた
「今日の基礎レッスンはありますか?」
返事は「ありますよ」

息子が正しかったのだ。
母が電話した時に、先方が「リハ連はなくても基礎連はありますよ」とか言ってくれていたら話は早かったかもしれない。
大人がないと言って、息子はあると言っている
根拠は先生が「また来週」と言ったと言う事だけなので、その先生の勘違いもありえる、ましてや事務局はないと言っているのだ
息子はいつも思い込みが激しく、頑として譲らない

発達障害特性を意識し、先回りしてあれこれ配慮してしまう…
これはとても恐ろしいことだ。
「息子は発達障害だから」という枠付け。

 

支援のためには相手を理解し、特性を理解し、配慮が必要になります。
配慮がないことで、厳しい言葉を浴びせてしまい、コミュニケーションを苦手にし、どんどん追い込んでいく社会…それをなんとかしようとして行っている支援活動。
しかし、そのことに天狗になってしまい、相手のことを信用せず、思い込みで関わってしまうことのなんと恐ろしいことでしょうか。


息子にはあやまりました。
「ほら、自分が正しかったやろ」と鼻高々です
(その態度にイラっときたりしますが 笑)


なかなか一筋縄ではいかず、こちらも失敗ばかりですが、お互いに学びあい育ちあい、支援活動を広げて行きたいなと。
今年はいろいろと実践的に動く年になりそうです。
失敗を糧としながら

 自立を望む発達障害の当事者支援団体 アズウィッシュ