コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

花背山の家2013

2013-06-27 23:21:18 | PTA

今年も小学校の「花背山の家」宿泊行事にボランティアで参加してきました。

2011年2012年の様子)

今年は梅雨のど真ん中プラス台風の接近で連日の雨。
イベントのほとんどが室内に振り返られ、楽しみの一つのテント泊も山ヒルの大量発生ということで中止。
まぁ、それも思い出なんでしょうが。

いろいろネタになることもあったのですが、今年は先生の動きについて。
その是非や、評価は私の立場ですべきことじゃないので、あくまで私の感覚の範疇で。

うちの学校は2クラスあるので、二人の担任の先生が同行しています。
(昨年までなら連続宿泊の規定で交代での参加でしたが、今年は最初から最後まで帯同することがOKになったようです)

私がお手伝いした山歩きの帰りのことです。
バスの前よりと後ろよりで二つのクラスが分かれたのですが、担任の先生(の方針?)によって雰囲気が違います。
片方は先生も静かなら、子どもらも静かに座ってます。
もう片方は先生を中心に冗談を言い合ってにぎやかです。

一見、後者の先生の方が子どもらとの距離も近く、よい関係つくりができているように思えました。
しかし、20分ほどのバス移動の様子を見ていると、その輪に入れない子が何人かいたように思えます。
もちろん、座席の関係もあるでしょうし、他の状況なら分け隔てなくしっかり目を配っておられると思います。
そういう意味では、もう一方の先生の方は、すべての生徒に等しく距離をおいているといえる気がしてきました。

いやぁ、子どもの集団を率いるというのは難しいんだなと。


もうひとつ別のエピソードですが、夜のミーティングに男子が参加しに来ません。
どうも、何か問題(?)があって、その話し合いが長引いているとのこと。
まぁ、ちょっとしたいじめのようなことがあって、そのことで先生が怒っているのだろうと。
案の定、遅れてきた男の子の何人かは泣いています。
あぁ、怒られたんだなと。

どうしたのか聞いてみる手もあったのですが、学校の中のことは先生にお任せする方がいいと思っていますので、事情は聞きません。
同行している管理職の先生や二人の担任がちゃんと情報交換されていましたから。

で、宿泊研修が終わって、帰ってきた息子に話を聞くと、思わぬ答えが返ってきました。

「守ってやれなくてごめん、と先生が謝っていた」

もちろん、息子も全部の状況を知っていないでしょうし、記憶している部分の話だけですから真実はわかりません。
でも、私はそのことをうれしく感じています。
泣かせた子を怒る・叱ることは普通に行われていると思います。
しかし、外からそういう圧力で「悪いことをした」と思わすのではなく、先生自身が泣いた子に「ごめん」と謝ることで、泣かせた子らが自分の内側から「悪いことをしてしまった」と気づく。
起こって当然の先生が謝るなんて、相当衝撃的なことだと思います。
しかも、3日間も寝食を共にし、ある意味非日常の関係が出来上がっているときです。

私自身、昨年度の卒業式で「大人として子どもらに謝罪する」ということを、ひとつは謝罪として、ひとつは非があれば謝る見本として、PTA会長としてさせていただきました。
祝辞を掲載した記事
謝ることはカッコ悪いことじゃないと思ってます。

PTA会長を退いたので、昨年までのようにしょっちゅう学校に行くことはないでしょうが、この学年の子らが、このあとどういう風に成長していくのか、楽しみにしたいと思ってます。


25年度の京都市PTA連絡協議会研修会

2013-06-16 23:57:23 | PTA

先週、表題の研修会がありました。
いろいろ所属している中で、市P連はまだ25年度への引継ぎが終わっていません。
という微妙なタイミングですが、PTA会長・PTA役員5年歴任者の表彰や、広報誌コンクール入選校の発表などもあるためこの時期に。
新役員、新会長の紹介も行われました。

第2部の講演会は「佐々木則夫氏」をお迎えしての「佐々木流 人材育成術」というテーマで。
女子サッカーのなでしこJAPANを率いて、国際大会で実績を上げておられる監督のお話は、組織作りという点や、学校でのスポーツ育成の点でとても参考になるものでした。

ポイントの一つは、指導者が1から10まで指示するのではなく、選手自ら考えてプレーさせるということ。
そのために、理解度の高いものをキャプテン(リーダー)にして、そこに大部分を任せる。

最初は8割9割を指示して理解させていたのが、指示は2割あとは選手が考えるという形が出来上がってきたそうです。


これは同時に、体罰や厳しい言葉で指導することがなくても、関係作りがしっかり出来ていれば結果につなげることが出来るということ。
もちろん、そこには監督のお人柄と、確かな育成・戦術のバックボーンがあるからでしょう。
翻れば、その部分に自信のない指導者が、指導力があるように見せかけるために”力で抑える”ことしか手段がなく、結果良好な関係が築けないという事ですね。

私自身は、なんでも自分で動いてしまうタイプですから、後進の育成が苦手で、もともと能力のある方が継いでくださったおかげでぼろが出ずに済んでますが…


こういう素敵なお話を聞かせていただけるから、PTAの役というのはお得な気がします。

いつものことですが、ここに書いているのは高橋がこう聞かせてもらったという部分で、内容に関してはごく一部分でしかありません。
興味のある方は、ぜひ直接佐々木氏のお話に触れてください。 


ミニカン4回目 傾聴の基本で現れる効果

2013-06-09 17:27:37 | ミニカウンセリング

昨日のアップで傾聴の基本から外れたやり取りについて触れたが、「基本重視」で学んでいるミニカン(ミニカウンセリング)研修会ではその効果が現れている。

この研修会では参加者同士がペアを組み、あらかじめ録音しておいた「逐語録音」を起こし、「逐語録」を作成して、研修会の時間でみなで検討する。
この週は、今年度初めてミニカン研修会に参加された方がカウンセラー役として話を聞いたときのものを使用した。

カウンセラーは初めてなので一生懸命基本に即したカウンセリングを行ってくださった。
もちろん、最初から完璧なものは出来ず(というか、完璧なセッションなんて実現可能か?)上手くいく部分、足りない部分などがある。
むしろ、そういう部分をはっきりさせて学び成長していく機会だから、「こうする方が良いんじゃないか?」ということがわかるほうが良い。

そんな中、二つの印象的な場面があった。
逐語の言葉をそのまま外部で使用するのはルール違反なので、似たようなシチュエーションに変えておく。

「最近慣れてきたんで、時間が上手につかえてきて、楽になってきました」
「時間が上手につかえたんですね」
「うん、そうですねぇ…上手に…、あぁ、楽になったんですよ」

これは時間が上手に使えたことを訴えていると大事にしたところ、クラエントもうひとつしっくり来ず、自分の言葉とカウンセラーの繰り返しを受け止めて、「上手につかえた」ことより、そのことで「楽になった」ことの方が訴えたかったことだと気づき、再びその言葉を協調している場面です。
最初から「楽になった」ということを受け止めきれていなくても、カウンセラーの想像や理解ではなく、クライエントの言葉をそのまま繰り返すことで、クライエント自身ももう一度今の自分で振り返って、話題の時点ではなく「今・ここ」の時点での感情に到達できる例ですね。

「なんか、相手の話を誤解して」
「誤解して」
「うーん、誤解というか…自分の思いで決め付けてたんですね」

これは「誤解」というキーワードを繰り返すことで、クライエントがその言葉を自分の耳で聞きなおすことで、より正しい言葉に深めている場面です。
カウンセラーが先走りして、想像して、「(流れから行けば)この言葉のほうがよりしっくり繰るんじゃないか」と思っても、クライエントの言葉をそのまま繰り返すだけで、自らの内省でもって焦点が当たっていく。
そうすると、仮に到達点が同じであっても、与えられた言葉ではなく、自ら湧き出た言葉なので深みが違いますし、このあとの成長の糧になると思います。

もうひとつは大事なキーワードを繰り返すことが出来なくて、クライエントが無意識に何度も何度も繰り返して行く場面。

「なんかお互いに、なんかトラウマに…」
「トラウマに…」
「んーなんかそういうトラウマに過敏になってるというか…過敏になってる関係かなぁ…過敏になってる」

うまいこと、クライエント自身が確信していける過程なんですが、一度「過敏になってる」という言葉を繰り返してあげれれば、「そうなんです」と確信してその続きの話題に入っていけるんですね。


このように、無理にカウンセラーが先回り・想像しなくても、クライエントの言葉をそのまま繰り返すだけで、気づきは深まっていく。
なにも言葉を形で「オウム返し」しているのではなく、そこにはクライエントの「自由に思考を遊ばせる」邪魔をしないという配慮が入っており、逆に言えばカウンセラーの言い換えは邪魔をする場合もあるということ。
そして、その「繰り返し」がはまってなくても、クライエントが自分で内省してより正しく伝える言葉を選ぶし、はまっていれば「そうそうそう!」と話題が進んでいく。
それぞれ最終的に

「楽になったんですね」
「決め付けてたんですね」
「過敏になってるんですね」

と、内省の到達点を繰り返してあげれば良い(それでまだしっくり来なければ、再び自ら言葉を捜す) 

それは、カウンセラーがクライエントを大事にする「受容」そのものであるし、よりよい関係が構築されていく。
カウンセラーがクライエントの気づき・成長を信じている姿。 

もちろん、それはクライエントのペースでの気づきであり、成長であるから、時間がかかる。
逆に言えば、時間を惜しむから早く進めようとカウンセラーの思いが混じった言いかえをしてしまう。
(良かれと思ってはいるんでしょうけど)

まず、基本的な傾聴ができた上で、ケースバイケースの「促進術」が出来るかもしれないが、基本抜きでは怖いことになりそうで、前回のアップとなった気がする。


違う側面で触れるカウンセリング

2013-06-08 16:46:13 | コミュニケーションワーク

この5月から6月は様々な会(主に総会)に参加してる。
また様々な研修会にもご縁があり、素敵な話をいろいろ聞かせていただいている。
そんな中、ある研修会での話題。

2ヶ月連続で受けている研修なので、先月に全体進行のレジュメをいただいている。
その中に多くの時間を費やして学ぶ所になじみの文言が並んでおり、とても楽しみにしていた。

基本原則と心構え
1)「今・ここで」Now and Here の原則
2)受容・積極的関心
3)個別性
4)共感的理解
5)ワーカーの自己一致
6)秘密保持
etc.

技法
1)注目、傾聴
2)受容
3)繰り返し、再陳述
4)質問
5)支持、はげまし
6)言い換え、要約
etc.

まぁ、限られた時間での研修なので、カウンセリングの研修会で深く3原則などを学ぶほどの話は出ないだろうとは思って
いた。
もちろん、これらの語句の意味として基本的な説明はしていただけた。

しかし、当日配布された資料の技法例には以下のようなものが並んでいた

1)傾聴 - 「ええ」「うんうん」「そうですか」「それで」など、動作、表情、態度など非言語的な表現にも注意する。
相手を偏見のない態度で理解しようとすることが基本。

2)受容 - 本人に対する○○の感情を、とりあえず評価や審判的態度を抜きにして自分なりに理解しようとする態度であ
る。
例「昨日、残業で遅くなっちゃったんです、最近残業続きで疲れてしまいます」に対して
 ○「そう、大変そうだね。だけどがんばっているね。この仕事はだいぶ続いているよね。やりがいを感じているのかな?

 ×「そう、だけど来訪をかかしちゃ駄目だぞ!」

3)繰り返し - 本人が重要な意味を込めて述べていると思われる言葉を繰り返す。特に感情がこもっていると思われる言
葉は見逃さないようにする。相手は、自分の言うことをきちんと聞いてくれているいう実感を持つことが出来る(言葉よりも
感情に焦点を)
例「父親は飲んだくれて遅く帰ってくるし、たまに家にいれば母親と喧嘩してるし…、まったく…だから…、自分には、親
父の方がなんだか悪い気もするけど、だって…、でもやっぱ原因を作ってるいるのは母親なのかな、わかんないですね」
 「そう…、父親は飲んだくれで、夫婦げんかはするし、君としてはそれが辛いのかな…、それで家に居たくなくなっちゃ
う…のかな」

こんな感じで続いていく。
うーん、こういうのが正解だと教えられた仲間が、こういう型の聞き方になっていくと思うとちょっとしんどい。

まずは「1)傾聴」の説明は、初めての方にはわかりにくいだろうけど、根っこは押さえていると思う。
”相手を理解”というのがポイント。

なのに「2)受容」にて「自分なりに理解」と変わっている。
評価や審判的態度を抜くのだから、自分なりではなく”相手のありようをそのまま”理解することが大事だ。
いや、理解という言葉に無理がある。
受容とはこちらが理解することではなく、相手の「今・ここ」を受け止めることから始まる。
そこを外して”理解”などと言うから、応答例のように言葉を置き換えた上に、こちらの理解を前に出し、それが正しいか
確認するような応答になってしまう。
(×の方が論外なのは当然として)
私ならばこの言葉の受け答えは「そう、残業続きで疲れてるんやね」とだけ。
大変だとも言っていないし、がんばっているとも言ってない、ただ疲れていることを訴えているだけだから。

さらに「3)繰り返し」となると、応答例で繰り返してるのは「飲んだくれ・喧嘩」という出来事だけで、「辛い」「居た
くなくなっちゃう」なんて感情は相手の言葉には出ていない。
「特に感情がこもっていると思われる言葉は見逃さないようにする」という説明だが、文脈から勝手に「こもっていると”
思われる”」というふうに、聞き手の思い(想像)で話を進めようとする。
だから「のかな?」等という風に、想像を確定させようとする動きになっている。
これだと、「辛い」という感情になっていない相手も「辛いのかな?」と、影響を受けた感情が芽生えてしまう恐れもある

私ならば、ここはそのまま「そうか、わかんないんですね」と、相手が使った言葉を返すだけで十分。
相手がここから沈黙に入るようなら、基本はそのまま沈黙を待ち、もし言葉を添えるとしたら「お父さんが悪いと思う、で
も原因はお母さんにある気もする。そこがわからないんですね」と最後の言葉を繰り返してあげるだけで、「そうですね…
」と肯定から続けるか、「いや、やっぱり…」と否定から続けるか、あるいはまったく別の話題に変わっても、そのまま相
手の話したい気持ちに任せて付いていく。


ただ、傾聴を基本にしながらも、この面談には目的があり、そこに向けてのゆるやかな誘導が存在する。
そのあたりを促進するために、結構”探り”や”踏み込み”も活用しようとしているのだろう。
その意図はわかるが、これから学ぼうという方にはやはり傾聴の基本を押さえて欲しいし、そのあとの「傾聴だけではうま
くいかない」体験をしてから、応用的なものを見につける方がいいと思う。
最初から、こちらの思いが介入する応対ばかりしていると、どんどんコントロールが上手くなって、自分のペースで進める
「来談者中心療法」の対極にあるものを見につけてしまいかねない。
一見、その方が目的に向かって早く進む気になるのだが、相手の成長を信じて待つことからは遠ざかっていくだろう。