作家で、キリスト教徒の曽野綾子さんは、新約聖書から次のようなことばを。
目が手に向かって
「お前は要らない」
とは言えず、
また、頭が足に向かって
「お前たちは要らない」
とも言えません。
それどころか、
体の中でほかよりも
弱く見える部分が、
かえって必要なのです。
作家で、住職の瀬戸内寂聴さんは、法句経のことばから、次のように。
「一切の形成
されたものは
苦しみである」
(一切皆苦)と明らかな
知慧をもって
観るときに、
ひとは苦しみから
遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかに
なる道である。
目が手に向かって
「お前は要らない」
とは言えず、
また、頭が足に向かって
「お前たちは要らない」
とも言えません。
それどころか、
体の中でほかよりも
弱く見える部分が、
かえって必要なのです。
作家で、住職の瀬戸内寂聴さんは、法句経のことばから、次のように。
「一切の形成
されたものは
苦しみである」
(一切皆苦)と明らかな
知慧をもって
観るときに、
ひとは苦しみから
遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかに
なる道である。
持てる人も、持たない人も。
病気の人も健康と言われる人も。
子どもも大人も年寄りも。
みんなみんな、どう足掻いても、本来は苦の人生。
でも、ちょっと心を対極に立てて見れば、アララ? 眩しいほどの陽の光。