ピース・ダイアリー

競わないで、奪わないで、争わないで。
分けあって、話しあって、助けあって。
この世が、そのようであったらいい、と。

ぼとんと軟着陸

2012年05月26日 16時42分38秒 | 日記
 あの北欧の、北極圏あたりでは、冬季はマイナス10度か20度か。水道も電気もついていない、そのあたり、フィンランドのラップランド。トイレは、家屋の外にあって、ドアのついた小屋が。それをあけると、台があって、それにぼっかりと穴が。

 そこに、おしりをのせて、大をぽとりっと、ね。穴の下には、草が積んであって、軟着陸です。そこに、いっぱいたまったら、裏がわの下部についた蓋をはずして、草をかきだしてかたづけます。けれども、そのあたり、雪はどのくらい積もりますか。

 春がくるまで、たいへんですね、先住民のラップ人と呼ばれる人たち。水は、井戸から汲みあげますが、それは凍ったりしませんよね。でも、やはり、そのような生家の里から離れたりはしないのです。

日本人と似ていて、黒い髪をし、小柄な容姿ですが。お店は遠く、食材のストックなど、どうされているのか、わたしが立ち寄ったのは、夏の7月でしたが。
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水洗の発想は

2012年05月19日 08時40分01秒 | 日記
 いまから48年もまえのこと、「旅に出よう」と、フィンランドからヨーロッパをあちこちとひとまわり。北極圏の、白夜の、遅くまで明るい7月、移動はヒッチハイクで。

 停まってくれる車がないと、どうするか、森のなかで寝袋にくるまって、眠らないといけません。そのときも、そのとおり、ちょろちょろと流れる小川のほとりで、寝袋です。

 翌朝、目をさますと、いつもパンと牛乳くらいでしたのに、つまり便秘などしないで、便意です。川のなかにでている石に片足をのせ、もう片足は岸に。そのようにまたいで、下着をさげて、ぼとり、ぼとりっと。
 
 そのあと、水をすくって、おしりをきれいに。ついでに、顔を洗って、よく澄んだその水をごくりと飲んで。ははあ、と納得しましたね、これが水洗トイレのはじまりか、と。お元気で。
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手でつかんで

2012年05月16日 07時55分35秒 | 日記
 これは、いけません、1か月半もお留守にしてしまって。いろいろとありまして、どうぞ、ブックマークから「そよ風がドアを」を。

 あの渡良瀬川、そこで魚類を釣りあげても、再放流するようにといわれています。放射能で汚れていますから、家に持ちかえったりしないで、ということです。むかしは、このあたりの堀で釣ったり網ですくったりして、それを煮て食べたものですが。あかちゃんのおむつを洗ったり、そのうんちをサカナが食べて、それをまたヒトが食べて、ね。

 銅山の鉱毒も、石油製品の化学物質も、セシウムとやらの放射性物質も。考えてみれば、わたしたちが、利便性か快適さか、それを欲しがって。わたしは、トリ (まだヒヨコですが、3羽の) の、それとヒトの、その糞尿を手でつかんで菜園の土にもどし、その肥えたところに蒔いたり植えたりしています。はい、また書くことにします、よろしく。
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野へ出よう、旅に出よう

2012年04月02日 08時28分05秒 | 日記
 このまえ、「ほどほどに足りて」と書きましたが、校歌に「河畔にうるわし大島は」とあった、と。その川というのは、渡良瀬川で、足尾銅山鉱毒事件で知られています。地下の銅鉱から、その地下資源とかいうものを掘りあげ、それは電気をとおす電線にも使われ、こんどの原発事故にもつながり、鉱毒も放射能も地表を荒らして、もうとりかえしがつきません。

 いま、砂漠といわれるところは、10万年もまえには、どのようになっていたのか。中東のそちらからは、石油がでて、こちらの国まで運んで。アメリカの西部にも砂漠があり、その地下からは石炭も石油も、ウランも採掘して、ね。この世の、土も水も、大気も汚して荒らして、いいことはありません。それを文明というのか、わたしは「文明の愚かさ、野生の賢さ」などと。

 地下にあるものは、そのままに、ということ。K・I・I・T・G (キープ・イット・イン・ザ・グラウンド)といい、地下にあるものは、掘ったりしないで、そのままにということ。わたしは、むこうの国をあちこち歩いて、このことばに出会いました、20年もまえに。

 そうでした、「書を捨てよ、野へ出よう」などとも書きましたが、それは小さい子ともたちに。若い人たちには、「旅に出よう」ということにしましょうか、フクシマへ支援活動に、それもいい。山へ、野へ、海のむこうへ。いま、春休みですか、そよ風の季節です。だれもが、お元気で。ブックマークから、「そよ風がドアも」も、よろしく。
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きりもなく欲しがって

2012年03月30日 08時54分50秒 | 日記
 映画『ALWAYS 三丁目の夕日 '64』を、むこうの町の映画館まで観にいこうと思っていたのですが、きょうまで、それも夜の部だけになってしまい、これはミスでした。1964年といえば、その年の10月に東京オリンピックで、わたしはまったく興味がありませんで、7月にヨーロッパへひとり旅にでかけてしまいました。

 そのようなこと、思いだしたのですが、最初にたずねたのがフィンランド、いろいろとおもしろい出会いが。その国に、最初の原発がつくられたのは71年だったようで、それは40年で稼動停止になるようで、一昨年ということに。さきごろ、たしか『100,000年後の安全』というドキュメンタリー映画が公開されたようです。地下500メートルまで岩石の地盤をを掘りさげ、そこに核廃棄物を埋める、そのような工事中の施設の模様を撮ったもののようでした。

 つまり、廃炉にしたあとも、その放射性物質を100,000年ものあいだ閉じこめておかないと安全を保障できない、ということで。それで、原発は「トイレのないマンション」といわれたりしているわけ。いや、いや、こちらの国でも、40年たったから廃炉にといっていた、その寸前に大震災で福島第一の事故、すべてはあと何万年もつづくことになるようで、ね。物やお金、さらに電気エネルギーか、きりもなく欲しがって、オール電化などと。
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ほどほどに足りて

2012年03月08日 17時08分05秒 | 日記
 きょうは、朝から晩まで、曇ってて。晴れれば、いつものように、徒歩か自転車ででかけるのですが。どうやら、わたしは、なつかしい風景を目にしたいようで、それでひとまわりということのようで、あらためてそのような心の動きを気づきました。

 むかしの小学校の校歌に、「河畔にうるわし大島は」とあり、そのうるわしい景色に、自然に、もういちど出会いたいものだ、と。それが、消えてしまったかのようで、遠くへ去ってしまったかのようで。

 いや、モラリティーを失った戦後のわたしたちが追いやってしまったのかもしれません、ね。どうして、オーバーに食べてメタボを病んで、こんどはダイエットだ、などと。必要以上に口にして、コマーシャリズムに誘われ、「腹八分目に医者いらず」なんて、そのようなことば、この国にありませんでしたか。なにごとも、ほどほどに、それで満足。あしたのお天気、どうでしょうね、どなたもお元気で。
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倫理失って絶望的か

2012年03月06日 14時54分50秒 | 日記
 このあいだの金曜日の新聞に、いまの中国の事情を伝える記事あり。著名芸術家で、人権保護運動に取りくみ、当局の監視下にあるアイウェイウェイ氏と、単独インタビュー、そして。

「氏は、現代の中国社会について『実用主義にのみ走り、自由な発言、思考が奪われ、倫理さえも失った絶望的な状態』と痛烈に批判した」

 共産党独裁の言論規制下といい、その国での大胆な言動といい、実用主義というのは経済成長とかいうものか。2500年も前の、孔子、老子、荘子の、その末裔たちは、ということになります。

 その国から輸入のポットを使っていますが、安価だから買いもとめたのですが、内面がステンレスで、すぐに冷めてしまうのです。国産のは、ガラスで、こちらはいいのです。これでは、安物買いの銭失い、ですね。やい、へんなもの、売りこむな。やれ、やれ。
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小さな暮らしでよろしい

2012年03月04日 16時15分30秒 | 日記
 さきごろ、東海教育研究所から、『小さな暮らしのすすめ』が出版されました。四六版・並製・272ページ・1680円ですが、帯には「大震災後の『新しい生き方』!」とあります。

 そのなかに、わたしの「森の中の一本の木のように生きる」と「早寝早起き、『半農半読』の小屋暮らし」の、エッセイ2編が収められています。月刊『望星』誌上に載ったものでしたが、それをこちらに再録というもの、この書名「小さな暮らしのすすめ」で検索しますと、目次などごらんいただけます、よろしく。
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正直で誠実な

2012年03月02日 16時23分17秒 | 日記
 2月27日の、新聞の、「映画」欄から。グルジア出身のオタール・イオセリアーニ監督が、『汽車はふたたび故郷へ』を撮り、公開中。「自分らしく生きようとする人間が直面するさまざまな困難を、独特のユーモアをもって軽やかに描く、という作品らしく、次のように語っていると。

「撮りたかったのは、少数派である頑固者に名誉を与える映画」

「不幸なことに地球上の多くの人々は従順。従順であるというのは、多数派に対して服従するということです。でも、私は、そんな中でも、正直で誠実な存在がいることを示したかった」

「金もうけや豪華な生活がしたいなどといったことに依存していたら、それは奴隷状態」

 そうでした、いま、わたしは「みどりの里から」という1冊を編もうかなどと、ね。里とは、故郷のこと。わたしには、いま老いの日々を過ごすここが、この田舎の、この小屋が里で、故郷で。いや、だれもが、里が里であったところまで、そのような時代までもどるべきではないのか、3.11以後を生きることになる、わたしたちは。
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親愛の情と雄々しさ

2012年02月27日 14時48分50秒 | 日記
 この2月7日、第7回東北サミットが開かれ、そこで作家の玄侑宗久さんが特別講演をされて、その要旨が新聞に載っていました。福島県在住で、僧侶もなさっていますが、次のように。

「東日本大震災が起きた時、日本人は冷静に対処し、お互いを助け合った。それを見て、世界が日本人、東北人を称賛した」

「東北地方は縄文時代、狩猟採集文化の中心地だった。集団で生活する力があり、殺人事件もなかった。東北の人々は人間関係が濃い。縁側から近所の家にあがって、お茶を飲み、親愛の情を示す文化がある。こういう文化は煩わしい一面もあるが、いざという時のセーフティーネット(安全網)になる」

「だが、この国が高度経済成長の中で進んできた方向は、そういう文化を煩わしいものとして排除することだった。社会は核家族化し、『孤食』や『無縁社会』という言葉がはやった。しかし、震災を経て、日本人が進んできた方向が『違う』ということが確認された」

「東北地方は経済発展の面で中央都市より遅れているものの、親愛の情や(厳しい自然を生き抜く)雄々しさが残っている。『絆』や雄々しさこそ震災後、世界から称賛された東北の底力だ」

 いかがですか、なるほどと、うなずけますが、わたしには。そして、このあたりもそうだった、と。いろいろと、昔のことを思いだしました。お元気で。
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生き方を変えないと

2012年02月25日 09時41分59秒 | 日記
 この1月8日の、Y紙の「特別面」に、高野山真言宗総本山・金剛峰寺の松長有慶・座主と、天台宗の半田孝淳・座主の対談が紹介されていました。半田さんは94歳、松長さんは82歳で、わたしと同年齢です。あの大震災を経験されて、次のように。

「山(高野山)にこもり、一人でも多く助かってほしいと祈り続け、未曾有の災難を受けた日本人がこれからどうしたら良いのか考えていました。社会の仕組み、人間の生き方を変えないといけない。それには、人間の心の持ち方を変えないといけない」

「私は1945年の終戦を勤労動員された軍需工場で迎えました。16歳でした。自分より少し年齢が上だった多くの人が戦地で戦い、死んでいった。その犠牲の下に日本人は経済発展を手に入れてきたと言えましょう」

「しかしこれからは、生活水準を低下させてでも、人間の利益だけを考えず、地球全体を考えねばならない。今こそ自然と一緒に生きる<共生>という平安仏教(天台宗と真言宗)に共通する考え方を生かす時代ではないかと思うのです」

 この対談記事のタイトルに「魂宿る自然と生きる」とあり、また「物心一如 物と心は一つで、ぞれぞれ命を持つ 石ころにも神仏を見るのが日本人」と、いかがですか。きょうは雨天、みなさん、お元気で。
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春が来ました

2012年02月24日 13時42分44秒 | 日記
 このまえ、19日、もうハウス栽培のイチゴ、その出荷期は過ぎたかと書きました。ところが、歩いて、ひとまわりして、むこうの畑のハウスをのぞいてみましたら、葉がいっぱい茂っていて、白い実が。いや、赤い実も、なるほど。

 お庭の露地で、赤い実を摘めるころ、それをのぞいたらいつでもお店では売れるということ。農家も、稼げる、ということ。ここでも、これから蒔いたり、植えたり、「春が来た」ですね。お元気で。
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まずテレビ

2012年02月20日 13時49分44秒 | 日記
 さっき、30分ほど、ソーンターリング(ぶらぶら歩き・漫歩)でひとまわり。すると、すぐそこなのですが、空き家になっていた土地・家屋があり、不動屋さんの広告には、土地と家屋で1900万円と出ていました。その屋根の上に、新しいアンテナが立っていましたので、そちらへまわってみました。

 ここの、わが住まい・小屋は、ノー・カー、ノー・テレビなのですが。あれは地デジとかいうものですか、それを見られるテレビ、そのアンテナ。まだ、庭など、家屋のまわりも、除草剤で枯らしたあとの草ぼうぼうですが、そこに住まうことになったら、まずテレビ。

 いや、新聞をとっていない家でも、ぴかぴかのアンテナだけは。それにまた、なんとも古びた家があって、ここはもうだれも借りたりはしないだろう、なにかあったらつぶれてしまいそうで。そのようなお宅にも、アンテナが、という。いや、ここはノー・テレビですが、5年まえからパソコンがあって、このとおりインターネットなど。どう、考えたものでしょうね、お元気で。
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代価を

2012年02月19日 08時23分47秒 | 日記
 もう、ハウス栽培のイチゴ、その出荷期は過ぎましたか。このまえ、1月2日でしたが、農家の友人から1パックをいただきました。それに、むこうの町はずれには、ビニールでおおった台にそのパックを並べて、そばに空き箱があって、無人販売所。そのわきに、お金を入れないで持っていくのは万引きですよ、と書いた張り紙がありました。

 それは、代価を払う、ということ。サイモン・ウイゼンタールの書かれたものに、生きてきたことに価値があるなら、その代価を支払ってから、他界へ旅立ちたい、とありました。また、どなたでしたか、死は生への代価である、と。

 あの世へ、食い逃げは、いけない。そちらの旅には、身軽であるほうがいい。できることなら、この世へ、なにかを遺して。無芸大食ではなく、有芸小食を生きて、その身につけた芸の、技の、それによる作品といえるものを。「うたかたのあとなきものを人の世になに求めてか生きんとすらむ」と、これは藤村の歌でしたね。お元気で。
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このさき何年か

2012年02月18日 15時01分24秒 | 日記
 どなたかの訃報を目にすると、いつも、おのれの年齢(とし)を考えてしまいます、82歳ですが。

 2月10日には、献水ばあちゃんと呼ばれた宇根利枝さんが、93歳で。広島で被爆し、水を求めて亡くなられた、たくさんの人たち。広島にある、120か所の慰霊碑に、ここ50年ものあいだ、お水を献げつづけてきたといいます。

 女優の三崎千枝子さんは、13日、90歳で。また、おなじく女優の淡島千景さんは、12日、87歳で。映画か、テレビで、観ていますね、わたしも。いまは、ノー・テレビの小屋暮らしですが。このさき何年か、そのあいだ、どう生きたものか、なにをできるかと、ね。みなさん、お元気で。
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