ピース・ダイアリー

競わないで、奪わないで、争わないで。
分けあって、話しあって、助けあって。
この世が、そのようであったらいい、と。

声をあげて

2006年10月31日 11時23分08秒 | 日記
 国会では、教育基本法改正法案審議入り、ということですか。それには反対と、「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」が、おとといの新聞に大きな意見広告を載せました。3人のかたが、次のような、コメントを。

 大田 堯さん(教育学者)は、「子どもが、身と心とで紡ぎだすアートとしての教育を。手厚い条件整備こそ政府の責任です。愛する心などへの立ち入りはご遠慮を」と。

 早乙女勝元(作家)さんは、「『右向け右!』の時代を忘れてはなりません。そのあとは、東京大空襲の『炎の夜』でした。いつか来た道を、後世代にくり返すまじ、の思いです」と。
                            
 辻井 喬さん(作家)は、「教育基本法の『改正』は時間をかけてわが国を軍事国家に仕立て、憲法『改正』する等の一連の、国民を不幸に陥れる計画の一貫です。どんなことがあっても反対しなければなりません」と。

 11月12日(日)には、東京・日比谷野外音楽堂で、全国集会が。国家は、まず子どもに目をつける、教育に手をつける、そういうものかもしれません。こちらも、しかと目をこらし、「否」と手をあげ声をあげないと。では。また。

手をあげて

2006年10月30日 07時48分32秒 | 日記
 読み手は、おなじような話題ばかりつづいては、飽きるかもしれません。けれども、ということになります。けさの、日刊紙の社会面をめくって、また「部活」「いじめ」「自殺」の記事なのです。

 岐阜県の、中2の女子生徒が、「本当に迷惑ばかりかけてしまったね。これでお荷物が減るからね」と書かれたメモを残して、と。母親には「クラブ活動(バスケットボール)の最中に『うざい』などと言われたり、下手だからボールを遠くに投げられたり、いじわるをされる」と話していたといいます。

「生徒は23日、学校の始業前にバスケットの部活動の朝練習に参加し」とありますから、それがこのまえ書いた「朝練」というものですか。これは、他校と試合でもあって、それに勝つには朝早く部員を登校させ、下手だぞなどとののしらせて、鍛えあげるということですか。それが下手だと、ほかの生徒にはお荷物になり、迷惑をかけるということに。

 そんな、部活などというものは、やめておきなさい。もういちど、くりかえしておきます。多感な、傷つきやすい思春期の子どもに、競わせないで争わせないで、と。

若さのパワーやエネルギー、それは口にできるものを歩いて探すこと、手を動かしてつくりだすこと、ときには山野を走りまわり、空のひろがりに手をあげて「おーい」と声をあげること、この世に生きてあることのよろこびをこそ。では、お元気で。 

生徒は兵士か

2006年10月28日 12時16分22秒 | 日記
 きのうのY紙の社会面に、「教師訪問直後 自殺未遂」「奄美 不登校の中1、登校迫られ」とありました。その女子生徒は「部活動を巡って顧問の女性教師(25)から全部員の前でしっ責された」「その後、退部し、2学期から学校に行かなくなった」といいます。

 そのあと、男性教師(37)が「女子生徒が一人で在宅中に突然、訪問し」「自宅に上がり込み、生徒がかぶっていた布団を引きはがして、『学校に行くのか、行かないのか』などと迫り、その直後、生徒が首つり自殺を図っていた」というものです。

 学校で、部活というのは、勝った負けたと競わせるところか。勝つグループもあれば、負けるグループもある。そこで、先生は、負けるのはけしからんと、おとなしい子や体力のない子を叱責するわけか。

 親も同意して、家で休んでいると、先生はむりやり学校へつれもどそうと迫りにくるのか。これでは、学校は戦場で生徒は兵士か、ということになります。わたしが子どもだったとき、あの戦時下の学校と、そっくりです。

 きのう、良心的登校拒否などと書きましたが、その戦時にも「良心的兵役拒否」をできるのです。いつか、そのような話、書くことにしますね。では、また。

電話してこい

2006年10月27日 16時02分51秒 | 日記
 地元の小さな新聞に、エッセイを連載していて、きょう来月分の原稿をわたすことになっていました。が、リポーターのかたから、「取材に手間どっていて、来週おうかがいします」という電話です。

 そのなかに、あの自殺した中学生のことにふれ、そのあとに次のように書いた部分がありました。

「死にたくなるような学校なら、不登校にしたほうがいいし、それは良心的登校拒否といわれている」「だいたい、おとなが子どもに、なにか教えるのに代価をもとめるのはおかしい。だから、この小屋にくれば、ぼくがお相手をしてあげるが、月謝なんか不要だ」

「といっても、このびりおじさんも、不登校だった。無学歴で無職歴だから、勉強のほうは自信がないが、おだやかな秋の日には遠出のウォーキングなんかどうだ。ちょっとおしゃれなバッグでも肩にかけ、水筒とおべんとうのつつみをしのばせて」

「そこの土手を西へいって、矢場川がその土手の下を流れる、そのあたりまで。もうちょっと足をのばして足利までか、それとも東へ歩いて渡良瀬遊水地か」「おーい、いじめられて不登校の子がいたら、この小屋まで電話してこい」

 ところが、けさの中央紙には・・・このつづきは、またあした。みなさん、お元気で。 

つつき順

2006年10月26日 12時52分23秒 | 日記
 軒下の、ひさしの下に、小さな小屋をつくって、ニワトリを1羽飼っています。わたしは、わたしの住まいにも、小屋と名づけていますが。1年ほどまえから産みはじめて、このごろ産卵は3日に1個くらいです。

 ずっとまえに、そのおなじ広さのところに、3羽も4羽もとじこめていたことがあります。すると、どうやら、むつまじく同居できる密度をこえてしまったようで、つつきあいをはじめるのです。

 あとになって、ある雑誌に、そのことが書かれてありました。強いものが、つぎに強いものをつつく。すると、そいつは、そのつぎのものを。それをペッキング・オーダー、つまり「つつき順」という、と。

 教室が、きゅうくつなところといい、それで弱いものいじめがおこるのではないか。この列島は人口密度が高い、都市は田舎よりも、この丸い地表も狭くなりましたね。では、また、お元気で。

地位かお金か

2006年10月25日 06時35分49秒 | 日記
 20年もまえのこと、小学校のときのクラスメートのSという男が、お役所で教育次長をやっていました。そのころ、こんな話をして、自慢していました。

 市内の、ある荒れた中学校に、教育長らと訪問した。すると、教室で生徒は上着をつけていたのに、先生はワイシャツ姿で教壇に立っていた。生徒も着てるんだから、先生もちゃんと上着を、と意見してきたよというのです。

 きいて、あきれる、というのはこういうことです。暑いときには、先生も生徒も涼しいかっこうで授業したらいい。教育委員会の面々には、そんなこともわからないで、なにかと管理したがるわけか。男子も女子も、学校がそんなきゅうくつな居場所では、たまったものではありません。

 そのSは、それから数年後、市長選のとき公選法違反で逮捕されました。投票を依頼され、5万円を受け取った、と。略式命令で、30万円の罰金。それが、教育次長のなれのはてで、50名のクラスメートで、そんな新聞沙汰になったのは彼だけなのです。

 地位がほしいか、お金がほしいか。だれもがそうなのか、それがおとなの世界か。では、また。

ピースフルな

2006年10月24日 15時06分26秒 | 日記
 10年ほどまえに、不登校の親たちの会があるというので、でかけていきました。助言者のかたと、母親と、順に話をしていきました。おしまいに、わたしも、ということに。

 そのわたしが話しはじめると、退職した女性教師のかたが、どこかから本をひっぱりだして読みはじめたのです。こちらの話などききたくないと、そっぽをむくように、ということになります。

 そのあと、あるグループの集まりにでて、その先生のことを告げますと、そこでまたおどろきました。ひとりのおばさんが、わたしの知りあいがきて、その先生と話したいことがあり、これから自宅をたずねたいのだ、と。そちらから、もどってきて、どうでしたかときくと、こう話してくれたというのです。

 あの先生のクラスの子は、みんな不登校になるんじゃありませんか、と。つまり、初対面で、このような先生は子どもに好かれないだろうと、ぴんと気づいたというわけです。

 そのような先生が、本を何冊も書かれたり、教育雑誌にも書いて、あちこちで講演されたりと。それで、わたしには、信用できないのです。熱心な、えらい先生とみられている、そのような世評が。教室は、子どもにとってピースフルな居場所でないと、そうでないと。このような憎まれ口、もうしばらく、つづけさせてください。では、お元気で。

戦中派は

2006年10月23日 12時19分32秒 | 日記
 ここからは、山も遠く森林も近くにありませんから、紅葉の美しさを見ることなどできません。イチョウの葉が黄になって散るのは、まだ1か月もさきのことです。

 このまえ、この町が、特製のカレンダーを毎戸に配布しました。市内の小学校の写真に、ことばをつけた、カラーできれいなものでした。たしか、11月は美園小学校で、それには「燃え上がれ美園」とありました。

 校名が、美しい園だからか、11番目にあたり11月だからか。春に、草や木が「萌えあがれ」ならわかりますが、燃えあがったあとは灰になるだけなのに。先生がたの、このセンスはなんだ、と腹だたしくなりました。

 教育は、子どもをそそのかすものか、学校は火をつけるところか。このあいだも、この町の教育長は、義務教育は国家戦略としてある、と議会で発言していました。70年もまえには、忠勇無双の兵士として、それを育成するところ、と。わたしは、あのとき15歳の志願兵、海軍航空隊の少年兵でした。

 そしてまた、たとえば、子どもの作文集とか、教師の書いた実践記録とか、とてもわたしには信用できません。子どもを、その気にさせて、わたしがこうしたからこうなったと、えらそうにいい満足しているようで。なんだか、もう、この戦中派は腹ばかりたてていますね。まあ、ではまた、お元気で。

3時間も

2006年10月21日 08時48分17秒 | 日記
 8月9日、学校は夏休みで、そして「長崎の日」でした。すぐそこのお寺では、平和を祈念して鐘を鳴らしましたが、本堂で中学生になにか話してくれないかといいます。

 おとなにまじって、10名ほどの生徒がいましたが、部活を休んできているというのです。たしかに、その夏休みでも、校庭のわきをとおるとよく見えました。暑いさなかに、野球だかテニスだか、たぶん体育館でもバスケットなど。

 塾教師の宮松宏至さんが、8年前に投書した新聞の切抜きが、ここにあります。運動部員は、授業前の「朝練」が1時間、放課後に2時間、そして土・日曜日も祝日も、「そして夏休みにも部活のために登校するとしたら、行き過ぎではないだろうか」と。

 そこで、塾にきても疲れて寝てしまう子もいて、宮松さんは「今、子供たちに必要なのは、もっと心の大切さを学ぶ時間である」「私には子供たちが心の奥では、時間的なゆとりを求めているように思えてならない」とむすんでいます。

 先生がたは、なにを考えておられるのか、ね。このまえ、ある中学をたずねたら、校長室のとなりの廊下にガラス張りの棚があり、他校との試合で勝ったかカップやら盾やら、えらそうに飾ってありました。では、また。 

わいわいと

2006年10月20日 08時08分47秒 | 日記
 格差社会といい、日々の暮らしに難儀のある家庭で、子どもは進学もできないようです。『下流社会』を書かれた三浦 展さんが、Y紙のインタビューで次のように。

「塾に行くお金もない人ほど、いい教育を受けさせるべきだ。中には、九九もろくにできず、平仮名さえ書けない高校生がいるらしい」
「教育格差が是正されないと、格差が親子間で受け継がれ、固定化、再生産される」

 おとなが子どもに、なにか教えるのに、代価をもとめるというのはおかしい。年金で不自由のない高齢者、とりわけ教職を退かれたかたなど、自宅を開放して無料の補習塾など、どうですか。

 ところで、デンマークの学校は、いま秋休みだといいます。新学期から2か月して、もう九日間のお休み。それからクリスマス休暇、春休み、イースター休暇、夏休みと。

 このまえ、ノルウェーの友人宅で、朝食をとっていたら、おもての通りを小さい子どもたちが帰ってくるのです。「あれっ、先生が欠勤で、授業がないのか。子どもたち、わいわいと、たのしそうだな」とトール。これも、ほほえましいことで。では、また。

男の子の怪我

2006年10月19日 16時22分42秒 | 日記
 学習塾では、テストの点数を壁に貼りだしたりして、いろいろと競わせているようです。好ましい人格を身につける、ほんとうの勉強とは、そのようなものではないはずですが。

 いや、50年もまえに、市街地のはずれに部屋を借りて、わたしも塾をやっていました。ひとりひとりの子どもに、問題をつくっておいて、その紙片をくばります。国語と算数だけでしたが、帰ったあと採点して、翌日それを返してやります。

 ひとりの男の子は、その点が低かったりすると、わっと消しゴムでひっかいて、その紙を破ってしまったり。いつも、泣き面をして、そうするのです。あるとき、月曜日でしたが、ひたいに包帯を巻いてきました。

 日曜日に、子ども会のハイキングにでかけ、転んで怪我をしたというのですが、こういうことです。母親も、学校での点数に、叱ってばかりいたようで。そのようなストレスから解放されて、その遠足の原っぱで、はしゃぎまわった。追いかけっこでもしたか、走りまわって、つまずいて。

 それから、しばらくして、わたしはその学習塾をやめました。なんとも、らくな仕事でしたが、苦い思いだけがのこりましたね。では、また、お元気で。 

秋の歩道で

2006年10月18日 15時14分36秒 | 日記
 いま26度で、この部屋は夏日の暑さ。予報では、あしたはもっと上昇するようで、「引き続き高気圧に覆われ」、からりとした秋晴れです。

 あの北欧のノルウェーで、これは7月ころの最高気温で、8月のなかばをすぎたらもう秋の気配です。そのころ、歩行者天国になったオスロの通りを歩いていたら、おもしろい場面にでくわしました。歩道に、若い男女がこしをおろして、まあ。

 近くに大学があって、その8月から新学期ですから、入学したばかりの学生たちが高校の教科書をならべていたのです。マスターしたテキストなんか、もういらないから、みんな売りはらってしまおうと。しばらく見ていましたが、売れはしません。けれども、いかにも若者らしい、もう子どもではないという通過儀礼でもあるか、ほほえましい光景で。

 学校が、きゅうくつなところになっていないか、と書きました。そのようなところで、どのようなメンタリティーを、子どもは身につけるのか。競って、奪いあって、という。争い好きな、という、それではこまりますね。では、また。

在るだけで

2006年10月17日 11時21分59秒 | 日記
 きのうの、あの中学生の自殺という、いたましい事件。教師も生徒といっしょにいじめていて、それが「自殺につながった」と学校側も謝罪、と新聞にでていました。1年のときの担任、ということでしたが。

 その子の、学生服の上着のポケットには、「お母さんお父さん こんなだめ息子でごめん 今までありがとう。いじめられて、もういきていけない」と書かれたものが。「遺言 お金はすべて学校に寄付します。うざい奴等はとりつきます。さよなら いじめが原因です。いたって本気です。さようなら」とも。

 そこにいることが辛かったら、きゅうくつなところだったら、そこにはいかないでいい。だめ息子でも、だめ娘でもない、だれもがこの世に在るだけでいい。と、なんどでも、くりかえしたくなります。この小屋にきなさい、わたしといっしょに勉強しよう、いっしょに散歩にでもでかけよう。

 降水確率ゼロという、きょうも、おだやかな秋晴れです。みなさん、お元気で。 

シェルター

2006年10月16日 11時56分56秒 | 日記
 けさの日刊紙の社会面に、小学生と中学生と、二つの自殺についてのニュースがでていました。ふっと、ノルウェーの町のこと、思いだしました。そちらで、地盤は岩ですから、町のなかにその岩を大きく掘ってシェルターができていたのです。

 あの戦時に、そちらの国は、ドイツ軍に占領されていました。戦後に、いつか爆撃でもされることがあったらと、そのためにつくられた防空壕なのです。友人は、ときどきそこにでかけていきますが、道路のわきに厚い扉がついています。

 それをあけて歩いていくと、まあ、いろんなものがあって。温泉プールがあってサウナも、体操教室などに使われる部屋があってヘヤ・カットだけの床屋さんも出張しています。チェスなどもできる、テーブルと椅子をおいた部屋も。これはシェルターというより、高齢者のための、ヘルス・センターです。

 いじめられて学校へいけない、不登校でもいい、そのような子どもたちにシェルターがあるといい。そういえば、ここの近所にも「子ども安全の家」と記された旗を立てている家があります。下校時に、だれかに追いかけられたりしたら、ここにかけこみなさいと、道路わきに小さい緑色の旗が。

 また、「防犯パトロール実施中」とある幟(のぼり)も、あちこちに。なんという時代か、と嘆きたくもなりますが、ね。では、また、お元気で。

地球村

2006年10月14日 07時56分09秒 | 日記
 世界平和アピール七人委員会の、その現委員のひとりに、池田香代子さんがおられます。ほら、5年まえにベストセラーの、絵本のような『世界がもし100人の村だったら』をつくられた。そのとおり、100人の地球村だったら、たとえば次のようになるようです。

「57人のアジア人 21人のヨーロッパ人 14人の南北アメリカ人 8人のアフリカ人がいます」「6人が全世界の富を所有し、その6人ともアメリカ国籍」「50人は栄養失調に苦しみ 1人が瀕死の状態にあり 1人はいま、生まれようとしています」

「もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火をみるよりあきらかです」

 このまえ、名古屋にでかけたとき、たしか工房地球号というお店がありました。地球号といわれたころがあり、このごろはこの地表に目をやって、地球村です。では、お元気で、来週まで。