ピース・ダイアリー

競わないで、奪わないで、争わないで。
分けあって、話しあって、助けあって。
この世が、そのようであったらいい、と。

心の飢えは

2009年11月30日 10時00分36秒 | 日記
 10月11日に、『マザー・テレサ』という映画を観にいくと書きましたが、北海道の新得町で農場を経営されている高嶋 望さんは、そのマザーと会いお話をうかがったことがあるといいます。

 10年あまりまえ、「まだバブルが弾ける前、日本が非常に豊かで教育が行き届いて安全で、世界中からうらやましがられているような状況の中で」と、これは、『湧』(発行/地湧社)11・12月号から。

「世界中を見てきて、日本の子どもたちの心がいちばん飢えていますよ。あなたはその子どもたちのために働いているのでしょう」

 そのあとに、「マザーはそう言われた」と、そして「経済の豊かさと心の豊かさに、日本はものすごいギャップがあるわけです」というのです。いまも、そのとおりか、飢えは満たされないままか、心の。コメント、いつも、ありがとうございます。

幸せになれる国を

2009年11月28日 10時48分43秒 | 日記
 あの本ですが、「秘境のユートピア『キルギシア』では・・・」という、帯の裏に次のような内容紹介が。

「1日に3時間以上働く人はいない。残りの時間は自分自身のために使う」
「政治家はボランティア」
「学校は『人生の谷』と呼ばれ、勉強がなく学びがある」
「18歳を迎えると1軒の家が贈られる」
「刑務所はなく、警察官もいない。武器の墓場がある」
「誰かと愛し合いたいと思ったら、みんなにそれがわかるように、胸に小さな青い花を飾る」
「各家庭に菜園があり、お年寄りが耕す」
「お年よりは『人生のマイストロ』と呼ばれる」

 マイストロとは、大家とか、巨匠という意味ですね。「そんな国を創ってみよう」とあります、いかがですか。

恋をしますか

2009年11月26日 10時01分44秒 | 日記
 これは、おもしろい。「イタリアでベストセラーの未来社会モデル、おとなの寓話」という、『1日3時間しか働かない国』(マガジンハウス)があり、シルヴァーノ・アゴスティ作・野村雅夫訳です。

 その国「キルギシアではどの家族も菜園を持っていて、だいたいはお年寄りがそれを耕すんですよ。そのおかげでここでは年中新鮮な野菜が手に入るんです」ということに。

「お年寄りたちは日中の作業を終えた後、夜の水やりまでの二時間ばかりの休憩の間、そこで(ダンスフロアで)踊るようになったんだ。そしたらさ、やっぱりみんな恋しちゃうんだね。八十歳の女の人が何やらぶつぶつ文句を言っている思ったら、男は若い女に目がないんだから・・・なによ、七十歳の女に色目つかっちゃって・・・、だとさ」

 なるほど、80歳のわたしが恋をするなんて、ことになったらユートピアですね。いいお天気、でかけたくなりました、どこかへ。

われ孤老なり

2009年11月24日 14時52分47秒 | 日記
 左の「プロフィール」に、「70代のシニア」としていたところ、きょうから「80代のシニア」と書きかえました。隔月刊誌『さすが&されど』にエッセイを連載していますが、さっき届いた11・12月号の、その「風樹小屋だより(27)」のはじめに。

「これは、満でいうのか数え年でいうのか、80歳のことを傘寿というようです。この11月24日が、わたしの誕生日で、満で80歳になります」
「喜寿(77)が、このあいだだったような、ここにもそのようなこと書いた気がしますが、あっというまに3年が過ぎたわけで。そして、あっというまに卒寿(90歳)か、そんな年まで息をしていられるか」

 バースデーなどといっても、だれもたずねてはきませんから、まあ、哀しき80歳で。どうでも、よろしい、わたしはひとりでここに在るのです。

花のいのちは

2009年11月22日 09時26分37秒 | 日記
 旧制の第一高等学校、それがいまの東京大学教養学部ですが、戦前に歌われたその一高寮歌は。

 ああ玉杯に花受けて
 緑酒に月の影宿し
 治安の夢に耽りたる
 栄華の巷低く見て
 向ケ岡にそそりたつ
 五寮の健児意気高し

 ところで、わたしが通った近くの小学校の校歌は、「白雪高き芙蓉峰・・・」というもので、フヨウホウとは富士山のこと。そして、曲は、この一高の寮歌のもので、つまり替え歌でした。

 日曜日、お天気、よくありません。あさって、24日は、わたしの誕生日。どうやら、無事に80歳で、「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」でしたが。

オリオンの三つ星

2009年11月20日 15時48分28秒 | 日記
 けさ、4時ころ起きだして、おもてにでるときれいな星空でした。南をむいて、目の上にオリオン星座、すぐうしろに北斗七星。次のような、(旧制)大阪高等学校の、寮歌を思いだしました。

 カンラン咲いて海青き
 アテネの街に春の色
 七丘の森秋更けて
 ローマの古都に月高し
 歴史は径れどオリオンの
 三つ星いまだ光あり

 カンランは海浜に茂る常緑高木、七丘(ななきゅう)は古代ローマの七つの丘のこと、径れどは「ふれど」と読みます。このごろの若者たちは、学生寮などで、どのような歌を歌っているか。

82歳の落語家さん

2009年11月14日 10時19分31秒 | 日記
 20代なら「この若さで」といわれ、80代ですと「ここまで老いても」と。新聞に、サプリメントを扱う会社の、大きな広告がでていて、「毎朝50分のウォーキングが日課」とある写真も。

「名司会者として、一世を風靡した落語家、桂小金冶さんは、現在82歳。人生の年輪を重ねた小金冶さんのお話は、含蓄の中に感動、そして涙と笑いがちりばめられていると好評で、日本中から講演の依頼が絶えません。それに応えようと、北海道から九州まで元気いっぱいに飛び回っているのです」

 ここにテレビがあったころ、アフターヌーンショウとかいう番組があって、それの司会をされていましたね。いま、82歳で、この列島を歩きまわっているという、まあ、うらやましいこと。

96歳で往生

2009年11月12日 12時13分23秒 | 日記
 この10日、戦後を代表する名優という森繁久弥さんが、老衰で、96歳で亡くなられました。出演された映画に「駅前シリーズ」があり、その6作目の『駅前茶釜』は、この町でロケがあったのでは。

 1963年の公開ですが、森繁さんは古道具屋に扮して。モデルになった、分福茶釜の茂林寺は、この町にあるのです。
 
 NHKテレビののドラマ『大往生』に出演したとき、何歳だったか、「私も83歳ですよ。脳髄神経がどうかなったんでしょうかね。今年は何もしないで、じーっとしているだけ。存在価値がないんじゃないかと言われそうですが、それでいいんですよ」と語っていたと、13年まえのことです。

 なるほど、女優の黒柳徹子さんはまた、「大好きだった近所のちょっとエッチなおじちゃんがいなくなったよう。本当に悲しく、がっかりしています」と。お天気、この何日か、ぐずついてますね。

これからのことを

2009年11月08日 12時52分45秒 | 日記
 あの本、住井すゑさんの『わが生涯』のあとがきに、聞き手の増田れい子さんが、母は「傷心のひと」でしたと書かれていました。「三本の桜の巨木に包まれた十二畳の書斎に寝起きする母は、ときおり牛久沼に向いたサンルームの椅子に身をゆだねて、物思いにふけっている」と。

「母が思うのは、多分『差別』を克服したときの人間社会、平等社会の『夢』、そして、その『夢』に到達するために必要な理論の構築であろう」「大いなる『夢』に生きた母は、とてつもない茨の道を歩いたが、歩いてしまえばその道も足のうらにはやわらかかったのかもしれない」

 そして、その「傷心のひと」は「常に多忙である。老いや死についてあれこれ思うことはまるでないようである。童女のようにひたすら『これから』に希望を抱いているようなのだ」とも。

 さっきは、しばらくロハ台にかけて、おせんべいなど口にしていましたが、ふっと涙ぐむことも。この80歳、苦しきことのみ多かりき、であったような。いや、これからは、これからのことを思うようにしたいもの、ですね。

90歳を生きて

2009年11月05日 15時08分48秒 | 日記
 住井すゑさんは、『橋のない川』などで知られますが、『八十歳の宣言』(人文書院)を書かれています。ここにはありませんが、そのころの雑誌の広告には「時は生命、時間は全ての人間に平等であり、地球上の火、水、土の調和を保つことが宇宙の法則であるという視点から、故なき差別を徹底排撃した反骨の人が改めて人類平等を説く」とあります。

 90歳のときには、『九十歳の人間宣言』(岩波ブックレット)を、そしてここにひろげているのは『わが生涯・・・生きて愛して闘って』(岩波書店)ですが、娘の増田れい子さんを聞き手に語り伝えたもの。帯に、「いま、九十三歳」「人間みな平等・まなざしはいつも現在から未来へ」とあります。12年まえに、95歳で亡くなられています。読書週間、あなたは、どのような本を。

お年寄りさんのホーム

2009年11月03日 13時29分36秒 | 日記
 もうひとりの、知り合いのおばさんも80歳ですが、このあいだ「マイホーム○○○」という施設にさそわれました。NPO法人で、デイサービスセンターとでもいうのか、ときどきそこにでかけるようで。

 2、30人の高齢者のかたがきていて、お世話される職員がいて、椅子にかけたままの体操をさせたり、早口言葉、など。昼には食事がでて、疲れたかたは横になれるようにベッドも。トイレはもちろんですが、もしかしたら、お風呂場もあったか。

 ところが、みな認知症を病んでおられる、利用者はそのようなかたなのです。電話すると、車で迎えにきてくれて、1日1000円の利用料とか。家族と同居はしていても、お役所で、要介護認定とでもいうものを診断してもらって、か。

 よくわかりませんが、知り合いはひとり暮らしでも、近くに息子の家族も、何人か孫もいます。わたしは、できるだけ、そのようなところの世話にはならないで、話し相手がほしかったら近所のばあさんたちと、といっておきました。

 ただ、そこにでかけて、ほかのかたにいろいろと話しかけたり、手をかけてあげたり、ボランティアのような満足を感じたくて、かもしれません、それはそれでよろしいのです。

まだまだ達者で

2009年11月01日 08時20分45秒 | 日記
 1週間ぶりですが、きょうから11月です。3日が文化の日、たしか9日まで読書週間で、23日が勤労感謝の日、そして24日がわたしのバースデーで80歳になります。

 きのう、知り合いのおばさんに電話しましたら、やはり12月に80歳といい、白内障を病んでますが、ということでした。医師は手術をといっていましたが、そのままにしてますと、そして毎朝散歩してます、と。

 自転車には乗っているようで、いつもスーパーになどいくのは夕方になるので、白いものを着てますよ。うしろからくる車や、自転車のかたに、よく見えて気をつけてくれるように、などと話していました。

 さあ、わたしは、どうか。まだまだ、元気で達者のようで、ね。どうぞ、ブックマークから、他のブログなど。