ピース・ダイアリー

競わないで、奪わないで、争わないで。
分けあって、話しあって、助けあって。
この世が、そのようであったらいい、と。

蒔いたわけでもないのに

2012年05月29日 08時55分06秒 | 日記
 そうです、思いだしました。この春先、菜園のすみにトマトの苗を見つけて、ひさしの下の土に植えたのです。2センチほどの小さいもので、苗というより芽か、もうそれが30センチくらいに。いま、支柱にはスイカズラの蔓が巻きついていますから、その上までのびてきたら、ポリ袋から切りとったやわらかい紐でくくりつけます。

 毎年、2本か3本は見つけるのですが、いくら小さいものでも、これはトマトだとわかるような、ね。けれども、どうして、種を蒔いたわけでもないのに。前年に、腐ったものを埋めたからか、実をとったあとの、茎や葉を埋めたからか。いや、腐らせたことなどありませんし、未熟な実がついていたとしても、それは種も未熟で発芽するはずがありません。

 あまり、気にしていませんでしたが、排便のことなどここに書いてきて、なるほど、と。わたしは、口から生食して、飲みこんだ。歯のあいだをすりぬけて、飲みこんだものが、胃酸にも負けないで、肛門からおもてへでて、そのまま土に。

 このまえは、冬でしたが、鳥がひさしの下の、いまブドウの蔓を這わせている細い竹ざおに止まって、糞を。つぶしてみると、ナンテンの種がくるまっていました、なるほど。皮が赤い色になると、鳥には見つけやすい。果肉を消化して、そのあと肥料つきの種が、空飛ぶ野鳥のおなかに乗って遠くまで運ばれる。はい、達者で、ね。

ぼとんと軟着陸

2012年05月26日 16時42分38秒 | 日記
 あの北欧の、北極圏あたりでは、冬季はマイナス10度か20度か。水道も電気もついていない、そのあたり、フィンランドのラップランド。トイレは、家屋の外にあって、ドアのついた小屋が。それをあけると、台があって、それにぼっかりと穴が。

 そこに、おしりをのせて、大をぽとりっと、ね。穴の下には、草が積んであって、軟着陸です。そこに、いっぱいたまったら、裏がわの下部についた蓋をはずして、草をかきだしてかたづけます。けれども、そのあたり、雪はどのくらい積もりますか。

 春がくるまで、たいへんですね、先住民のラップ人と呼ばれる人たち。水は、井戸から汲みあげますが、それは凍ったりしませんよね。でも、やはり、そのような生家の里から離れたりはしないのです。

日本人と似ていて、黒い髪をし、小柄な容姿ですが。お店は遠く、食材のストックなど、どうされているのか、わたしが立ち寄ったのは、夏の7月でしたが。

水洗の発想は

2012年05月19日 08時40分01秒 | 日記
 いまから48年もまえのこと、「旅に出よう」と、フィンランドからヨーロッパをあちこちとひとまわり。北極圏の、白夜の、遅くまで明るい7月、移動はヒッチハイクで。

 停まってくれる車がないと、どうするか、森のなかで寝袋にくるまって、眠らないといけません。そのときも、そのとおり、ちょろちょろと流れる小川のほとりで、寝袋です。

 翌朝、目をさますと、いつもパンと牛乳くらいでしたのに、つまり便秘などしないで、便意です。川のなかにでている石に片足をのせ、もう片足は岸に。そのようにまたいで、下着をさげて、ぼとり、ぼとりっと。
 
 そのあと、水をすくって、おしりをきれいに。ついでに、顔を洗って、よく澄んだその水をごくりと飲んで。ははあ、と納得しましたね、これが水洗トイレのはじまりか、と。お元気で。

手でつかんで

2012年05月16日 07時55分35秒 | 日記
 これは、いけません、1か月半もお留守にしてしまって。いろいろとありまして、どうぞ、ブックマークから「そよ風がドアを」を。

 あの渡良瀬川、そこで魚類を釣りあげても、再放流するようにといわれています。放射能で汚れていますから、家に持ちかえったりしないで、ということです。むかしは、このあたりの堀で釣ったり網ですくったりして、それを煮て食べたものですが。あかちゃんのおむつを洗ったり、そのうんちをサカナが食べて、それをまたヒトが食べて、ね。

 銅山の鉱毒も、石油製品の化学物質も、セシウムとやらの放射性物質も。考えてみれば、わたしたちが、利便性か快適さか、それを欲しがって。わたしは、トリ (まだヒヨコですが、3羽の) の、それとヒトの、その糞尿を手でつかんで菜園の土にもどし、その肥えたところに蒔いたり植えたりしています。はい、また書くことにします、よろしく。