ピース・ダイアリー

競わないで、奪わないで、争わないで。
分けあって、話しあって、助けあって。
この世が、そのようであったらいい、と。

「命」の1年

2006年12月31日 10時28分12秒 | 日記
 大晦日といい、年忘れといい、年越しといったり。もう、嫌なことや辛かったことは忘れて、にぎやかにもりあげようという集まりが、年忘れというものですか。年越しといったら、2月の節分のこともそういうようで、そちらは炒り豆など口にし、こちらは年越しそばなど。

 いや、年を越しても忘れてはいけない、この06年はそのような1年ではなかったか。わたしの歳は77で、そのような年齢などは、忘れてしまいたいところですが。

 一つの漢字を選んだら、この年は「命」だったといい、ヒットしたことばは「イナバウアー」だったといいます。スケート選手が、銀盤ともいうらしい氷の上をすいすいとすべりながら、あらわな肢体できれいに舞う。それが、イナバウアーですか、どこの国のことばで、どのような意味か。

 おととい書いた白川 静さんは、娘さんと散歩にでて、イナバウアーといって背伸びしていた。そして、「(荒川静香は)わずか数分間の舞で有名になった。一文字ちがいのぼくは90年研究してもあれほど有名にはなれないな」といわれたそうです。

 きょうの新聞にはまた、「箱根駅伝」というものがでていて、こちらはランニングシャツにパンツで、男性選手の写真です。スケーターも、ランナーも、無理をしなさんな。勝ったの、負けたのって。なによりも「命」をだいじにしなさい、って声をかけたくなりました。では、よいお年を、みなさん。

寝正月かな

2006年12月30日 09時00分28秒 | 日記
 これは、月刊『本の旅人』(角川書店)の1月号に、秦 隆司さんが書かれているもの。まだ邦訳されていない本の紹介ですが、リチャード・ドーキンスの『The God Delusion』です。

 進化生物学者であるドーキンスは、そこで「生物学の本ではなく無神論者の彼が、『神』は存在しないばかりでなく、『神』の教えに従う宗教は人類にとって危険であり有害であると説いたものだ」と。

「これでドーキンスはある種の人々(それも数多くの人間)から痛烈な批判を受けるだろう。死の脅迫を受けるかもしれない。何があっても『神』を信じる。ドーキンスが言うように『信仰』とはそういうものなのだから」

 そして、「宗教の真の弊害のひとつは、理解できなくともそれで満足することが尊いと説いているところだ」ともドーキンスは語っている、といいます。

 そして、きのう、ここに書いたものとおなじような、アメリカン・ブックジャム編集長という秦さんは、次のようにも。

「『神』の名のもとに人々が殺し合いを続けている現在(過去も同じことが繰り返されてきたが)、『神』と宗教がいかに人の行動に関わっているかを考えることは大切だろう」

 では、もうあさってはお元日で、いかがですか。わたしは、寝正月かな、この小屋で。はい、みなさん、お元気で。

真と善とは

2006年12月29日 14時55分25秒 | 日記
 この10月30日に、漢文学者で漢字研究の第一人者といわれた白川 静さんが、96歳で亡くなられました。2004年に発行の雑誌『風の旅人』に「人間の領域」を書かれ、そこには「人々は神のみ名において争い、戦っているが、それは本当の神ではない」とあるようです。

「草木はなぜ、あのように美しい花を着けるのであろうか。鳥や獣たちが、求愛活動のときに示す涙ぐましいまでの美の競演をみても、美の世界は確かにある。しかしそこには、真や善の世界はない。真や善の存在を主張するのは、宗教や道徳の世界である」

「人は美のために戦うことはないが、真と善との名のもとには、大量の殺戮をも辞することはない。彼らにとって、真と善とは戦うための唯一の名目であり、そしてその名のもとに、今もなおその愚かしい戦争を続けている」

「しかし真実は、地下に無量に存する石油を欲し、大量に生産される凶悪な武器を消耗するための、欲望の戦争であるのではないか。美しい語で並べられる理念の世界とは、全く次元の異なる世界ではないか」

 ここでは、神の名によってイラクへ攻めこんだ、その大国を告発しています。それは、ほんとうの神ではない、と。きょうは、快晴ですが、西からの大風です。あなたの地方では、いかがですか、お元気で。

小屋があって

2006年12月28日 09時14分06秒 | 日記
 さっき、検索サイトで調べましたら、静岡市に「ラルシュ・かなの家」があるようで、「知的ハンディの人と共に歩むコミュニティ」と。1964年に、ジャン・バニエがフランスの寒村につくり、おなじような施設がよその国にもひろがって、ラルシュ連盟という横のつながりもできているようです。

 それは、わたしがたずねた、あの「ラルシュ」とはちがうようです。それはどうでも、この世に生を受けたひとりひとりが、どのように在ったらいいか、ということ。

 ハンディのあるかたと、いっしょに暮らして、農作業なども。みんなして、寄って、助けあって、そのように自立した拠り所というものですか、グループホームともいいますか。この町にも、そのような施設のかたが焼かれたパンを商うお店が、商店街の一角にできています。町はずれには、寝起きできる家屋があり、いろいろとお世話しながら、いっしょに仕事をやっておられる農家もあるようです。

 そうです、ごりっぱなマイホームに、そのファミリーだけがぬくぬくと日々をすごせたらいいという、そのような在りかたとはちがいますね。

 けさの新聞には、「おせち料理」とか「おいしいお正月」「歳末食品大市」などとある広告が、もう何枚も折りこまれてきました。そのような豪華さとは縁のない、ホームレスともいう、あたたかな住まいも身寄りもないという人たちもたくさんおられる、そのようなご時世です。さいわいなことに、わたしには、このような小屋があります。みなさん、お元気で。

ラルシュ村

2006年12月27日 12時14分05秒 | 日記
 これは25年まえのこと、西尾 昇さんが、ランザ・デル・ヴァストの『反暴力の手法』(新泉社)を訳されました。その年、ヴァストは来日し、東京での講演をききにいったおぼえがあります。

 たしか、ヴァストはインドでガンジーといっしょに仕事をされていて、スペイン戦争のころフランスにもどります。ヨーロッパに、また戦乱がひろがるか、母国でなにかやらなければ、と。

 そのあと、そのフランス中部の小高い山の上に、「ラルシュ」と名づけたコミューンをつくります。あの大戦下、そこで活動されたはずですが、わたしがたずねたのもその25年まえの8月で、そのときヴァストは急逝されたあとでした。

 そこでは、たくさんの人たちが、農作業もして自給自足の暮らしを。そして、さまざまな運動に、そこからメンバーを派遣していました。たとえば、陸軍の演習場があり、それをこれから拡張する、と。ヒツジを放牧する農家は、それに反対しますが、トラックに何頭ものヒツジをのせて、パリへでかけます。

 そして、その花の町のまんなかにヒツジを放って、「パリの市民よ、あんたたちで飼育してくれ」とアピールしたり。反暴力、つまり軍の暴力に抵抗するには、こちらもそのような非暴力の手法で、と。

 いや、デンマークのコペンハーゲンでしたか、そこには「ノア」という運動のセンターがありました。東西の対立から、核軍拡の動きがあり、反核・反原子力の運動が世界にひろがったころで。そこからもらってきた、「原子力お断り」というステッカーが、どこかにありましたよ。これから、探してみますが、どうぞお元気で。

雨降りで

2006年12月26日 12時06分33秒 | 日記
 きょうは朝から降っていますが、予報には「低気圧が本州南岸を東北東に進む」とあり、かなりの降雨量です。きのうの、教会の名に「はこぶね」とありましたが、ノアの箱船、それはどのようなお話でしたか。

 この世に、ヒトがふえ、悪いことばかりやっている。それを神が怒って、大雨を降らせる。その洪水のなかに、みんな沈んでしまうが、善人のノアだけが神のいいつけにより船をつくって、動物たちと乗りこんで助かる。水がひいてから、ハトを放つと、オリーブの枝をくわえてもどってくる。

 それで、ハトやオリーブは、平和のシンボルになった。わたしは、動物の一つの種としていうとき「ヒト」と書き、おおぜいの庶民をいうとき「人」と、そして「人間」とはめっに書きません。差をつけては、いけませんが、なかなか善人には出会えませんで。

 この時代、ヒトは地表にあふれ、ひとにぎりの人たちだけがなにかを奪いたくて、争いをおこしたり。これでは、末世ですね。ところで、方舟とも書きますが、その箱船のことをフランス語ではラルシュというようです。その話、またあした、ということに。

 この雨、あしたは、止んでくれるかな。コメントをお寄せくださったかた、ありがとうございます。どなたも、お元気で。

良心の声に

2006年12月25日 09時12分14秒 | 日記
 札幌市手稲(ていね)区にある、手稲はこぶね教会のブログ「牧師室から」に、次のようにありました。12月21日のものですが、きょうはクリスマスといい、紹介させていただきます。

 改悪教育基本法に、政府はどうしても「愛国心」を入れたかったようで、それは「我が国の郷土を愛する態度を養う」と表現された。これまでの「個人の尊厳・真理と平和・個性豊かな文化の創造」というキーワードが、「個人の尊厳・真理と正義・公共の精神・伝統を継承し、新しい文化を創造」になって、「平和」がはずされて「正義」に変えられてしまった。

 すると、「愛国心、公共の精神を養い、国のために命を捨てる若者を育てたい」のか、ということになる。そのあとに、「こどもたちの命と平和は国に頼らず、自分たちの力で守っていかなければならないのでしょうか」と書かれておられます。

 国家を超えたものの声に耳をかたむける、というのが宗教の立場というものでしょうか。おのれの良心に耳をかたむける、といってもいいか、それは奪わない、争わない、非暴力とか不服従とかいう態度を支えるものといってもいいか。

 どうぞ、あなたのお考えを、「コメント」に。きょうも、静かな日、お仕事をされるかたは、まだお休みではありませんね。では、お元気で。
 

サンデーなので

2006年12月24日 12時45分34秒 | 日記
 きょうは日曜日なので、お休みにしようかと思いましたが、これまでの流れからはなれて、とりとめのないことなど。「サンデー」としたのは、わたしのエッセイ集に『スマイリングサンデー』があったりするからで、何冊かある著作については検索サイトに「久保田昭三」と入力してお調べください。

 このまえも書いたはずですが、わたしは喜寿の77歳で、北関東の田舎にひとり暮らしです。つつましく、その住まいに「風樹小屋」などと名づけ、まあ月額の生活費は3万円ほど。

 ニートでフリーターで、無学歴で無職歴で、などと書いていますが、地位や履歴や生活の豪華さなど自慢げに話したりするものを好きになれないからです。

 そのような日々に、このパソコンなど不似合いかもしれませんが、マスコミからは得られない情報を探したり、いくつかのブログでこちらからもメッセージを発信する、そのようなことに毎日数時間をかけています。やさしく、おもしろく、俗で雑なことも、とこころがけて。

 年の暮れで、今夜はクリスマス・イヴとか、みなさんはいかがですか。どなたも、無事であることを思いながら、これからもよろしくおつきあいくださいと、お願いしておきます。では、また、あした。お元気で。

残酷不可解

2006年12月23日 08時57分17秒 | 日記
 きのうの話につづけますが、あの大戦下、クラベルはイギリス軍の兵士だったようです。捕虜となって、シンガポールにあった日本軍の収容所に、そこで残酷な扱いを受けたわけか。そのことから、日本という国に興味をもったのかもしれません。

 戦後にアメリカの国籍をとり、そちらで仕事をするようになってから、『SHOGUN』を書きます。これは、このローマ字書きの書名のまま邦訳され、全3巻という長編でTBSブリタニカからでています。

 徳川家康らをモデルに、そのころの血なまぐさい争い、そのなかから将軍にまでのぼりつめる。その戦国のドラマですが、のちに映画化され、テレビでも放送され、原作もベストセラーだったようです。

 主人公は、イギリス人の航海士で、日本にたどりついたあと家康に仕えて、のちにミウラ・アンジンと名乗った男です。ミニコミ『おーJAPAN』の1982年12月号に、ドイツ発の次のようなリポートがありました。

「西ドイツとオーストリアのテレビで同時放映され」「西ドイツでの視聴率は前代未聞の四五%」「この原本はアメリカで七百万部が売りまくられ、三人に一人のアメリカ人は映画化された『ショーグン』を見いているという」

「同映画では『七ツの顔と三ツの心をもつ』残酷不可解な民族として日本人が描かれているにもかかわらず意外と話題にならない。すでに残酷不可解な民族という意見が定着してしまったのだろうか」

 どうなのでしょう、日本人は残酷な民族か、それは日本人だけなのか。争いの場にいたら、だれもが極悪非道になる、というものでしようか。きょうは晴れますね、では、お元気で。

23分間で

2006年12月22日 11時04分45秒 | 日記
 ジェームズ・クラベルは、アメリカへ渡ってから、小さい娘が1年生になりました。その最初の授業のとき、「星条旗に忠誠を誓います」といったことばを暗唱させられてきて、おどろいたといいます。

 そこで、映画『大脱走』のシナリオなどでも知られるクラベルですが、『23分間の奇跡』を書きあげます。原題は「チルドレンズ・ストーリー」で、それを訳したのはあの青島幸男さんでした。集英社から、文庫ででている、子どもにも読める本です。

 戦争に負けた国の、ある小学校に、戦勝国から女性教師が赴任してきます。教室には、まだ国旗がかかげてありましたが、この先生はことばたくみに授業をつづけます。すると、23分後、子どもたちは国旗を外へ投げすててしまうまでになった、という。

 よく知られるドーデの作品は『最後の授業』ですが、こちらは「最初の授業」で、小さい子どもをどのようにもできるという、これはブレーン・ウォッシング、洗脳です。

 教基法改悪など、ここではいろいろと書いてきましたが、これからこの国の学校で、子どもたちはなにをどのように説かれ、教えられ、身につけさせられるのか。きょうは冬至、まもなく冬休みですね。みなさん、お元気で。

温かみのある

2006年12月21日 11時40分45秒 | 日記
 この17日に、個性派女優で随筆家で、童話作家でもあった岸田今日子さんも亡くなられていたようです。76歳といい、やはり、わたしよりも年下のかたでした。

 声優というのでしょうか、「温かみのある声にも人気が」とあり、アニメ『ムーミン』の声も、といいます。Yahooの動画で、アニメの、そこではまだ『楽しいムーミン一家』をやっています。

 さっき、1回分だけ見てみましたが、ムーミンは男の子の声になりきっています。この夏、104回もつづいた、それをみな見ていますが、気がつきませんでしたね。

 わたしには、ファンタジーでもリアルなお話でも、勝ったとか負けたとか、殺したり殺されたり、というドラマを好きになれません。温かみのある、夢のひろがり、そのような世界が好きです。いかがですか、では、お元気で。

悲しい知らせ

2006年12月20日 17時00分20秒 | 日記
 きょうも、また、訃報です。前都知事の青島幸男さんが、けさ亡くなられ、74歳でと伝えられました。脚本家としてデビュー、『スーダラ節』などの作詞、テレビドラマ『意地悪ばあさん』では主役、参議院議員、作家として『人間万事塞翁が丙午』で直木賞などと、まさにマルチ・タレントでした。

 オランダに老人党がつくられ、国会にも議席があると伝えられたのは、何年まえでしたか。わたしは、5年まえに上梓したエッセイ集で、この町に老人党を結党して市議会に議員を送ろうなどと書きました。

 そのあと、作家で精神科医のなだいなださんたちが、バーチャル・パーティー(架空政党)の老人党をつくられました。いま、そちらからは、高齢のかたの意見など満載のメルマガを毎週配信されています。

 わたしが、さきの拙著で党首は意地悪ばあさんがいいと書いたのは、青島さん扮するドラマの「ばあさん」を考えてのことでした。日本老人党の党首は、青島さんか、と。

 いつも、こちらより若いかたの悲しい知らせには、こころがいたみますね。では、ここをお読みのみなさん、風邪など召しませんように。

散骨に

2006年12月19日 11時23分14秒 | 日記
 わたしの誕生日の前日、11月23日ですが、『兎の眼』『太陽の子』などの作品で知られる、児童文学作家の灰谷健次郎さんが亡くなられました。72歳だったようです。

 11月11日には、74歳の宇井 純さんが。ここは、渡良瀬川の沿岸、足尾鉱毒事件の被害地ですが、その事件・田中正造についてのシンポジュウムには、いつもでかけてこられましたが、それは86年に沖縄大学教授に就任されるまえまでだったようです。東大で、公開自主講座など主宰し、そのためそこでは昇進の道を閉ざされていた、と。

 おふたりとも、喜寿という77歳になったわたしより、若い先生でした。10月30日に亡くなられた、戯曲『夕鶴』などで知られる木下順二さんは、92歳という高齢でしたね。

 灰谷さんのばあい、告別式は行わなかったようです。木下さんも、告別式はなく、遺灰を海にまく自然葬とのことです。わたしも、そのような散骨に、と伝えておこうと考えています。では、みなさん、お元気で。

自由こそ

2006年12月18日 13時42分33秒 | 日記
 東京大学・フェリス女学院大学名誉教授の弓削 達さんが、10月14日に亡くなられました。14年まえに、元明治学院大学学長森井 眞さんとの共著で『精神と自由』をだされ、「自由は死もて守るべし」と書かれているようです。

 それは、東京商科大学予科一橋寮の寮歌の、最後の一節。1941年、あの戦時下にこの寮にはいり、学友と肩を組んで毎晩のように歌っていた。まもなく、その学友たちは戦場にひっぱっていかれ、ふたたび帰ってくることはなかった、と。

「しかし彼ら学友の多くの死が、今更のように自由は死によってしか守られない尊いものであることを教えているようだ。彼らの死によって、戦後のわれわれは基本的人権と自由の尊さを教えられた。彼らが死をもってあがなってくれた自由を、われわれもまた死守しなければならない。自由こそ、人間が人間であることの証なのであるから」

 国会で、会期の延長はあしたまでか、この両日に共謀罪の新設など。与党め、許しませんよ、ほんとに。では、みなさん、お元気で。

しっぽをふるな

2006年12月16日 16時14分23秒 | 日記
 改正(改悪)教育基本法と、防衛庁の省昇格関連法は、きのうの参院本会議で可決、成立。「賛成多数で」といい、その自・公両党の多数には、勝てませんでした。衆院での内閣不信任決議案も、参院での文科相の問責決議案も、多数により否決されました。

 会期は延長されていますが、この国会、事実上の閉幕です。みなさん、お疲れでしたか、がっくりですか。父親として母親として、力およばず、小さい子どもたちに申しわけないと、そのような詩をメルマガで伝えられたかたもおられます。

 けれども、安倍政権の支持率は、はじめのころの70%前後から、いま50%前後にまで急落しています。来夏の参院選で、どういうことになるか。まだまだ、これで終わり、ではありません。

 思いだしました、わたしが1年生のときの国語読本(教科書)に、白いイヌの絵に、「コイ コイ シロ コイ」とありました。わが、いとしの子らよ、コイコイと手まねきされても、しっぽなんかふってはいけないよ。では、また、お元気で。