とりあえずまだ生きてますよん。しぶといのだ。
先月、特定疾患医療受給者証の更新手続に合わせて、年一回の検査をやってきました。心臓エコーとか。
各数値とも問題なしですが、心臓を真ん中で左右に分けている筋肉が若干厚くなってるらしい。
といっても、まあ様子をみてましょ、程度のようです。
しかしまあ、線維化してダラ~ンとなったり厚くなったり...
いやいや、動いてくれるだけありがたい。それも薬物のみで。
に、しても!
この暑さはどーにかならんの...ならんよなぁ。
薬の副作用?で、疲れやすいのはもともとなんですが、暑いとそれが顕著に出る感じがします。
今は内勤なので助かってますが...
まあ病気のコトは置いといて、暑い中出撃していく営業担当の同僚たちに頭が下がる毎日です。
・・・昨日成立したとのニュースをみました。
悪名高い(?)、障害者自立支援法の改正です。
改正に過ぎないのに名前を変えるのは何ゆえ? とイヤラシイ突っこみをしたくなりますがそれはおいといて。
その改正点がびっきぃに関係があるから書いているのであります。
それは、「難病(特定疾患)患者」も法律の対象にする。ということ。
となると、今の「特定疾患医療受給者証」の扱いはどうなるのかな?
将来は、この改正法の枠内での医療補助、ということに変わるのでしょうか?
と、素朴なギモンを感じたので書いてみた次第。
このブログを読んでくれている特定疾患の方にご連絡と言いますか、「この法律に関係するようになりましたよー。」ということであります。
それ以上はこの法律について論評できる立場ではありませんので書きません。
それはともかく、特定疾患のみなさま。
もうすぐ「特定疾患医療受給者証」の更新書類が届きますよ~。
(神戸市は6月22日に一斉発送とのこと。事情あって区役所に確認しました)。
締め切りは9月ですよ~。
忘れたら大変ですよ~。
・・・大変だったんだから。。。 って去年も書いた気が(苦笑)。
いやあ(何が?)。
別に調子が悪かったわけではないんですが。
むしろ5月の連休明けからかなり調子が良いです。あ、メンタルの方ね。
心臓の方は先日年に一回の検査をやりました。
心エコー、心電図、レントゲン、血液などなど。すべて問題なし。
中性脂肪も肝機能も血糖値も問題なし、とのこと。
ただBMI、じゃなくてBNP値(*)は測定に時間が掛かるので次回に持ち越し。医師は、「まあ問題ないでしょう」とのこと。
*心臓に負担が掛かって異常が起きている時に分泌されるホルモンのこと
んで、メンタルの方なんですが。
5月の連休中、久しぶりに大きな気づきがありました。
「こだわらない」ってことです。
まあ、その手の本なんかを読んでいれば「こだわりを捨てましょう」なんてことは、イヤと言うほど書いてあるものなんですが。特に仏教系の思想書には多いですね。
というか、それがお釈迦様の教えの根本の一つなんだろうな、とも思います。
で、その意味と自分の状態とがリンクしてわかった、というような状態です。
ずっと、「もう、何もこだわりなんか無い。」と思ってました。
「もう、どうでもいいし」とも思ってました。
でも、「どうでもいいし」で、気分が楽になるのかといえば、全く逆。余計に滅入ってくる。
そんなことを繰り返しているときに出会ったのが「こだわりを捨てる~仏教が教えるウツ脱却の秘法~」という、非常に怪しげなタイトル(笑)の本です
著者は、小林信源さんという天台のお坊さん。
この本で著者が解説しているのは、摩訶止観の「十乗観法」をベースにした、回復といきいきと生きるための指針です。
実は「十乗観法」自体が、禅の哲学的修行中に陥りやすい「魔事境(うつ的状態)」からの脱出マニュアルなんだそうです。
で、そのポイントは「自分に対するこだわり」「自分が自分の心にこだわりすぎること」が問題の原因だと、、、、と、私は読み取ったのですが(苦笑)。
んで、そうなるとどうなるかといえば、「(そもそもの原因・きっかけは関係なく)不安であることが不安」「憂鬱であることが憂鬱」という悪循環に陥っていく(魔事境)、ということなのです。
うーん。かなり文章のロジックが飛躍してるけど…まあいいや(苦笑)。
で、それを自分にあてはめてみて、「まさにそのとおりやん。原因もなく”憂鬱であることが憂鬱”たしかにそう。」と思ったのです。もちろん、そういう場合ばかりではないけど。
それで、まず安心しました。
「何百年も前から、”そのスジ(?)”では”対策本”が作られるほどポピュラーな病気、というか状態なんだ。」って。
次に気づきました。
「どうでもええわ」というのは、こだわりを捨てているのではないこと。「あきらめ」ですらないこと
。
むしろ、「もっと上手く生きて行きたかった。」という強烈な、自分へのこだわりの裏返しに過ぎんやん。って。
そしてそれは済んだ事。もうどうしようもないこと(だから無意識にこだわってしまうんでしょうけど)。
それに気づいて、「今を生きなさい」という多くの賢者の教えが少しわかりました。
それをベースにすると、「憂鬱であることが憂鬱」というような、自分の心のループに堕ちることはなくなりました。。。。上手く書けない。
とにかく私としては、意味不明の憂鬱感に振り回される、ということはずいぶんとなくなってきました。
ということです。はい。
あ、今回書いた内容は、「こだわりを捨てる~仏教が教えるウツ脱却の秘法~」のほんの一部です。あしからず。
ついでに補足しますと、現在うつの極期にある方には不向きかと思います。厳しい、と感じてしまうかもしれません。
おすすめしたいのは、ある程度うつを克服してきたけど何かもう一歩すっきりしない、という方、「その手の本」をたくさん読んできたんだけど・・・という方です。
それと、今健康な方。いつまでも健康な心を維持するためにもおすすめです。
あ、著者はお坊さんで文章家ではありません。アマゾンで検索する限り出版されたのはこの一冊のみです。よって、文章が少々わかりにくいところもあります。
ついでに、もう絶版のようで、入手するには古本か電子書籍ということになります。
た~だ。本との相性は人それぞれ。「つまらん」と言われても責任はもてませーん(逃げ)。
大阪からイノシシ村に帰る途中、鉄板のブルースを聴いています。
深いなぁ。
たぶんシラフで聴くより魂に響いてる気がするんですが。
ブルースを演れるにはまだまだ人生経験が足りんと痛感しつつ、イノシシ村(神戸市北区と言うヒトも居る)の寒さに凍えるびっきぃなのでありました。
つーか、テンホールズでなぜに結露で音が出ない? ということは、バルブの貼り付くクロマチックはお呼びじゃないよーで。
ダイアトニックに生きますかね~♪
なら複音に走るかなぁ。
クルマ話も久しぶりです。
愛車ヴィヴィオ・ビストロのタイヤを交換してきました。
まあ、155/70-12というサイズなもので、選択肢はほとんどありません。
各タイヤメーカーが1品種ラインアップしてる程度なのでフツーの定番タイヤになります。
んで。
某カー用品店で価格・工賃のリサーチをしてから、近所にあるD社のタイヤショップに行ってみました。
ま、結局そこで購入・交換したんですが思った以上にサービスが良うございました。
そもそもタイヤショップに行ってみた理由は、やっぱり取り付け作業の精度みたいなところを期待していたわけです。
すると。
「100km走ったら一度来てください。ホイールとなじませるために高めの空気圧にしてあるのでそれの調整と、ホイールナットの増し締め、その他のチェックをしますので。」とのこと。
さらに、日付を記入できるシートを渡されて、「空気圧点検に来てもらった日を書いていきますね。3回ごとに粗品もあります。」とのこと。
んー、いいじゃないですか。安心安心。
それにいつも給油のついでに空気圧みてましたからね。へたすると3ヶ月近くみないこともあったわけで(苦笑)。
空気圧だけをチェックしに来いと言ってくれるお店はありがたいです。ま、それがマーケティングの一環だったとしてもね。
自分で安物の空気圧計で測るのはなんか不安だし(笑)。
それとお店の雰囲気や店員さんの応対が、まんまカーディーラー風。気分良し、です。
で、当然タイヤのコトは詳しいわけでして。
それでカー用品店と同等かむしろ少し安いくらいの費用ですからねー(他のサイズやシリーズは知らない)。
いやあ良い買い物でした。
で、タイヤそのもののインプレなど…、ってそんな難しいコトびっきぃにはわかりません。
まだ「皮むき(慣らし)」すら終わってないし。
とりあえず、
「あー、やっぱ新しいタイヤはエエなぁ。」
だけなのでした。
オカリナを始める時、検討したハーモニカ。
これまでやってきたギターや鍵盤楽器ではなく、メロディ(主旋律)をソロで演奏できる楽器をやってみたい、というのがそもそも、
ホントはテナーサックスをやってみたかったけど、病気の心臓ではあまり肺に無理はかけれんなと、結局オカリナに落ち着いたわけだったのですが。
最近オカリナはずいぶんと吹けるようになってきて、それはそれで面白いんですが。
オカリナって何か単調になってしまう傾向があるんです。
「キレイな音を創る」という深~いテーマをひたすら追求するというか。
アンサンブルとかをやれば、また違う面白さもあるんでしょうけど。
んで。
オカリナはオカリナで楽しむとして、他に「遊べる」楽器ないかな、と思った時思い出したのがハーモニカ。
10holes、通称「ブルース・ハープ」と呼ばれるハーモニカです。
うん、いいんじゃない。1本3~4千円(ネットなら2千円台も)だし(笑)。
ただし、いってみればブルース(的)演奏に特化?されたハーモニカなので、これでメロディを吹けるものかいな、とは思いつつとりあえず1本。
その後ハーモニカのことをいろいろ知っていくうちに、現在の愛器はホーナーのスペシャル20、キーはLow-Dというところに落ち着きました。
かつ、2番吸音のリードをファイリング(削る)して、ハ長調で言えばソ~ド~高いド~ラまでの全音階(半音は出ないーベンドすれば別)を演奏できるように改造。
よーするに、通常のハープの約1オクターブ下でメロディを吹けるようにしたと。
キーがD(レ)なのは、通常の10holesのラインナップの中で一番低いキーだから(というだけ)。
やっぱり低音が好きなのです。
と、偉そうに講釈してますが。
まだまだ、入門曲の定番である「聖者の行進」をつっかえながら吹いている状態なのでした(苦笑)。
…あ、「聖者の行進」に2番吸音のファイリングは必要ねえじゃん、というツッコミはしないでね。
必要な曲も練習してるんで…。。。
それはともかく。
そのうち半音を出せるクロマチックハーモニカが欲しくなるんでしょーか。。。
投稿がストップする前からのハナシなのですが。
相変わらずオカリナ吹いています。
が。
新しい相棒を入手してしまいました。
ポポロというメーカー(工房)の「コンチェルト」というモデルです。
キーは、アルトCとアルトG。
業界(?)では、最近評判が急上昇のモデルです。
某大型楽器店にて試奏させてもらってアルトC購入。
んで、低音好きなもので悩んだ挙句アルトG購入。あぁ、買っちゃった状態(苦笑)。
まあそれはそれとして。
うん、確かにイイ。すばらしい。って何がどのよーに?
えーと。。。なんとなく…(苦笑)。
と、感覚的には説明のしようがないのがオカリナなんで、それ以外のことを書きますと。
ピッチ(音程)が正確。ピッチを合わせるのに必要な息圧の変化が一定…という言い方で良いのかなあ。
仕上げ(表面ね)が丁寧できれい。
音穴もきれいに空けられている。
持ったときのバランスがいいのと穴の位置も良い場所にある。ってそれは自分との相性かな…。
ま、抽象的にいうと、良い意味で工業製品(工場で規格どおりに生産しているという意味)みたい。
オカリナは全て手作りですから。
と、べた褒めですが。
欠点は一つだけあります。
吹口が唇にくっつくこと。水分を吸ってくっつくようです。
でも大したことではないし、作者のサイトには対策?も書いてあって、リップクリームをうすーく塗る(唇でも吹口でも)と問題なくなります。
びっきぃは吹口に塗ってます、というか付けてます。
ホントにちょっとだけ付けて指で広げてます。足りないかな?ぐらいで十分。
そのうち塗らなくてもくっつかなくなってきました。
音色や吹奏感は個人差が大きいのですが、びっきぃの感覚では「まさにオカリナの、ど真ん中ストレート」という感じでしょうか。…参考にならねー。
と、気に入ってしまったのでケース自作。つーかホームセンターで安いアルミケース(980円也、笑)とスポンジゴム類を買ってきて、ACとAGを固定して入れられるようにしました。
うん、こちらも良い出来。たぶんナイト・フィオレットのケースより丈夫と思われます(ホントかね)。
でも、オカリナ自体よりケース(の内側のスポンジ加工)の方が、いかにも“手作り”っぽいなあ(苦笑)。
ご無沙汰しております。
2ヶ月半ぶりの投稿ですねー。
で、何してたかと言いますと。
…「もんもん」としてました(爆)。
あいかわらず、まったく。
で、今どーなのと言いますと。
いやあ、何だかようやく、ホントにようやくアタマん中の霧が晴れた感じ。
生きる気合が入ってきた感じでもありますねー。
ほんとメンタルの復活は波があるなあ。
つーか健康でも波はあるんでしょうけど。。。
それにびっきぃの場合、今は「うつ病」というよりも、その後遺症?というような状況なんですね。
仕事が出来るまでは回復しているんですが、その他もろもろの出来事も合わさって「もう何もかもヤダ」状態で、生きてるコト自体が苦しいという、いわば思考の異常とでも言えばよいのでしょうか。
で。
ここ1年ほどは、凹んでは回復の繰り返し。
ただし毎回、凹む前よりも一段よくなるというか、一皮むけるというかそういう回復を繰り返してきました。
で、今回。
また凹みから回復して一段上がった感じなのですが、どうも昔の元気なころの感覚に手が届いた、という状態、のよーな。
あ、この感覚だよ。生きてるって感覚(何だそりゃ)です。
ま、もちろんこのまま安定して…なんて思っちゃいません。
まーた何かで凹んでは、今度はアタマぐらいまで登って、また凹んでは腰ぐらいまで…となるんでしょうけど。
とりあえず、昔の水準?が見えてきた、思い出してきた、という状況です。
血液検査、レントゲン、心電図、および心臓エコー検査です。
んで、今月の診察で測定に時間の掛かる血中BNPという値の結果を教えてもらいました。
その他の検査結果は検査日に異常なしと聞いておりました。
で、今回のBNPという心室に負担が掛かると出てくる物質の量も全く問題なし。おそらくフツーのヒトより数値は良いみたい(笑)。
つーか、「お薬、毎日忘れずに飲んでいるようですね。」という医師の指摘どおりです。
何はともあれ良うございました。はい。
ただ、つまんなかったのは今回の心臓エコー検査。
いつもモニターに映る自分の心臓の反射影を見て、面白がって(いや、神秘を感じて?)いるのですが(笑)。
今回、技師曰く「ハイ、壁の方を向いて横になってください。」
「へ? んじゃモニター見えないじゃん…」
まあ技師さんの手首の動きというか角度を考えたらその向きの方がやりやすい、んでしょうねえ。
でもツマランかった(コドモだ…笑)。
というわけで、特定疾患医療受給者証の更新用診断書を作ってもらい、手続きしてまいりました。
昨年も書きましたが、更新手続きの締切は9月末ですよー。受給者の皆様、お気をつけ下さいませ。
という自己ツッコミはおいといて、真面目なお話です。
「あるがまま」の意味がわかったというよりは、「今の自分のあるがまま」が、ようやくココロに受け入れられた、という感じでもあります。
具体的には心筋症であることが根本。
少し前思ったように、受け入れられたつもりだったけれど全然そうではなかったことに気づき、ようやく病気と正面から向かい合うことができてきて、受け入れられたような感じがしていたけれど、それはアタマ(思考)のレベルだったのかな。
今回はココロに収まってきたという感覚。
なので、これまでは何かあるとすぐ心筋症であること(それもネガティブ面ばかり)に感情がリンクして「もうどうでもええわ、うんざり」というようなネガティブな気分がおこり、それを認知の切り替えで処理してきたわけですが。
だが、今はネガティブな気分があまり起こらなくなってきている。
そもそもを考えると、ここ10年程の間に、ネガティブなスキーマ(中核信念=認知の傾向の根本)が形成されてしまっていたようです。それに気づいているようでいなかった。
ま、それは仕方が無いわ。いろいろあったし。
今は、その内側から新しいスキーマが現れて、脱皮しつつあるような感覚。
だから、「元に戻った」というだけでなく「別のものになった」感じもします。
ただ、まだ脱皮中。ときどき古いスキーマが顔を出し、憂鬱になることはあります。
でもそれは仕方が無い。こういう変化に時間が掛かることは数え切れない程経験してよく判ってるから。
とにかく、その気分に振り回されないこと。一方抑圧はしないこと。
正面から見つめていれば自然に収まっていく。収まらん時はとっとと寝る(笑)。瞑想をする。まあ、そういう時は瞑想に入りにくいだろーけどね。形だけでもやってみる。
10年近くかけて、沈みきったトコロからようやく浮上したら、まったく別の世界だったという感覚を感じています。
というかその世界(観)は自分のココロが創り上げているんだよね。
とにかく焦らないこと。ココロの変化は急に起こるけど、根付くには時間が掛かるからね(私の場合ですが)。
お盆の頃にかけて、ドン底状態にありました。間違いなく復帰以来最悪。
何もかも嫌、というかうんざり。完全にココロが“折れた”ような感じでした。
が。
お盆があけるなり、なんだか好調だよ。(いや、お盆は関係ないんでしょーけど。)
んで、その状態が続いています。さらに安定してきています。
で、これはちょっと分析?しておこうと思いましたので書いてみます。
***
「あるがまま」ってのがようやく判ってきました…よーな気が。どっちだ(笑)。
というのは、ここ何年間もずっとココロに留めていたことなんです。
「あるがまま」とか「ありのまま」とか。
そもそもは中村天風師の本(講演録)でこの言葉(あるがままに生きる)を見た時、言葉の意味はまったくわからないのに妙に安心感を感じたコトなんです。
(過去記事みてみたら‘06年の12月以来、足掛け4年か。笑)
で「あるがまま」って何?って漠然と、でもず~っとココロにあったんです。
それが何となく理解できて来た。ココロに根付いてきた。それにつれて毎日がラクになってきた、という状態です。
んで、「“あるがまま”って何?」なんですが。
びっきぃの文章力では説明できません(苦笑)。
ただ復職支援センターで認知療法を学ぶ中で、自分なりに思っていた(いる)ことは、
「出来事は出来事に過ぎない。それの善悪を評価したり、なんらかの感情を生んでいるのは自分に他ならない。」って。
ついでに、「出来事に反応するのではなく、できるだけ客観的に観察して、そこから何を学べるかが勝負?でしょ。」って。
この「客観的な観察」が一番感覚的に近いかなあ。それがココロに根付いてきたと。
出来事(人生に起こるありとあらゆること)に対して一切の評価をせず、こころの“反応”で生まれた感情が静まるのを待って(抑圧ではない→重要)、ただ見る。
だから、「あるがまま」。
…あかん。やっぱり説明できんわ(苦笑)。
ただ補足しますと、それがココロに根付いて来たきっかけは「ブッダの哲学(いわゆる初期仏教)」に手を出した(笑)ことでした。
一切皆苦、諸行無常を大前提として、いかにすれば幸せを感じる生き方ができるか、という思想。ってそんな簡単にまとめられるものではありませんが(苦笑)。
で、蛇のお話(怒りなどのネガティブ感情)やら中道、無我の概念やらに触れているうちに、以前から思っていた「出来事は出来事に過ぎない。」がココロの中にしっくりと来た感じなのです。ってブッダの教え自体は難しくてわかりませんが(苦笑)。まあ今はいいや。
とにかく「出来事は出来事に過ぎない」が、ようやく信念化してきた、という感じなのかなぁ。
あと、ここしばらく瞑想を真剣にやっています。いわゆるヨーガ系の瞑想です。
真剣に「何も考えない」状態にトリップ(笑)します。
具体的には、呼吸に意識を集中することで他のことを考えないようにする、という感じでしょうか。
ココロや体に振り回されない「ありのままの自分」を作り出すというか。
天風師が「真我」っておっしゃっている状況だと思うんですが。ブッダの言う「無我」もこれなのかなぁ???
そんなこんなで、気が付けば「認知の切り替え」が楽に、さらにはあまり頼らなくて済むようになってきている気がします。
心理学的にも説明は付きそうなんですけどね。信念(中核信念=スキーマ)の傾向が、認知の歪みの根本なわけですから、信念が「積極化(絶対的積極化)」すれば、ココロの反応である自動思考も積極化していくわけです。
あ、「絶対的積極」と「相対的積極」の概念は中村天風師の教えです。
興味のある方は自分で調べてね。書き出したらきりがないし、マチガイを書きかねない(苦笑)。
み~んな「ありのまま」。出来事も人も「ありのまま」。
ということで、ありのままにまとまりなく。。。(笑)
先々週に続いて、いつもの公園で吹いて来ました。
が。
あれ? えーと。うーん。
音がヘン(苦笑)。
いや、先々週と特に変らないんですけど、今回は「ヘン」であることに気づいた、というか。
まあ単にブランクの分、きっちりヘタになっていることが聞き分けられるようになったとでも言えば良いのでしょーか(苦笑)。ははは。
息圧が安定しないのでピッチ(音程)がゆれるゆれる(笑)。
ちゃんと基礎練習しないといけないねー。
で、まあそれはそんなもんということで。
今回、今まで経験したことの無い現象が起こったのであります。
高音域を吹いている時です。
何か聞こえる。でも耳から聞こえている感じじゃない。あの骨伝導イヤホンのような感覚。
で、ハモってるわけじゃないけど、吹いている実音と平行している…オクターブ上という感じでもないよーな、そのよーな。
いわゆる「倍音」っぽい。ってあんまり倍音のコトよく判ってないんですが(苦笑)。
ただ、あんまり気持ちのよい音の感覚ではありませんでした。
頭蓋骨の中を反響しているような感じなのですが、何か音割れしているような。。。
あ、もちろん「歯」がオカリナに接触していたわけじゃないですよ。
なんなんだろーなー。息が強すぎたのか、それとも良いコトなのか?
とりあえず、次回はちゃんとチューナー持って行って、息圧チェックしよっと。
…って、オカリナ吹きなら毎回持って行けよ(苦笑)。
ポールの長さを少し短くしてみました。
115cmだったのを110cmに変更。
なんで? と聞かれれば、「何かしんどいから。」(笑)
それと、ゆっくりだらだら「ノルディック散歩」をするには短めの方が歩きやすそうだったから(苦笑)。
ホントは115cmがイイ(標準な)んですけどね。びっきぃの体格(身長及び手足の長さ)では。
これは最初の体験会の時にコーチが合わせてくれた長さ。
でも、どーもこの長さでは「息切れ」が出そうな負荷になってしまいます。
歩くスピードが速くなってしまうような、よくわかりませんが。
普通のヒトならこれでちょうどなんだろーなー、とは思います。
でも、びっきぃの場合、「息切れ」は循環器内科のドクターストップですからね。
んで、110cm。
うん、ラク。のんびりゆっくり歩けます。
それと、以前は上腕三頭筋(力こぶのウラ)だけがすぐだるくなりましたが(本来そういうもののよーな気もしますが)、短くしたら上半身全体に同じ程度に負荷がかかっている感覚になりました。
5cmでかなり違うものなんですねー。ってスキーのコト思えば当たり前のよーな気も。
まあしばらく110cmでやって、物足りなくなったら伸ばしましょう。
ということで、ノルディック・ウォーキングのポールは、長さ調整のできる伸縮タイプがイイですよ、絶対。特に初めて買うポールはそー思います。はい。
まーたヘロヘロと明石は大蔵海岸に行ってました。
現地到着11:30(笑)。
釣るより海が見たい、という感じでシラサエビ(エサ)用のミニクーラーは無し。
お手軽にサンマの切り身で、いつも通り足下にぽちゃん。
ありゃ、喰ってこないぞ。今日もハズレ?かい?と思っていたら。
込み潮(西流れ)が激流(大阪湾に溜まってた台風の雨水と思われる)になって、収まった後。とろりんと西流れになってた約一時間。
喰うわ喰うわ、まさに入れ喰い。
で、とろりん流れが止まった(その後引き潮=東流れになります)とたん。
喰いもピタリとストップ。
お~、まさに「時合い」だわ。
でも、ガシラ釣っててこんなにはっきり時合いを感じたのは初めて。
普段は(季節によるけど)、竿出してる間ぽつぽつと飽きない程度?に釣れるコトが多いんですが。
エサがサンマだからなのか何なのか。
まあ、これが普通っちゃ普通なんでしょうけど、根魚でもやっぱりそうなんだって思った1日でした。