24日の晩我が家に泊まった次女は朝他の用事で帰って行った。
25日から27日まで私は秦野に来ている。今回は暇がなくたまっていたブログをここ秦野でやってしまおうと思っていた。
然し何処かに行きたいなと思い近場の戸川公園に梅を見に行った。ここは高低差がありこのところ出歩いてばかりで一寸疲れ気味なので下には降りず上の方からズームで梅を撮影した。
今日は1日家にこもってブログ三昧、たまりにたまっていたものをすっかり書き終えることが出来た。
やはり秦野は寒い。何にも手伝わず座りっぱなしで時には「寒い!」って言いながら勝手なことをやっている自分、呆れるばかりである。今夜帰ります。明日は1カ月余、久し振りのPC教室の日であり楽しみである。
2月24日は三女の誕生日。この日次女が次の日東京で用があるから泊めてと言って来た。次女の発案で三女の誕生会をしようよという事になり、長女と二男も呼んで賑やかにする事に決まった。会は夜7時からだからその前に又3人で何処かに行こうよとの次女の発案で、上野の都美術館で開かれている日本美術院再興100年特別展「世紀の日本画」を見に行くことになった。1887年から今日に至るまでの日本のそうそうたる画家の絵を鑑賞することが出来た。
昼食をした後亀戸天神で行われている梅まつりに行った。満開の梅・まだ蕾の梅・等々紅白・枝垂れ梅綺麗であった。
梅祭りを見終え案外早く3人で我が家に到着。私は誕生会の用意、長女はこの前の大雪でピラカンサ(2年ほど前お隣さんの要望で根元から伐採したが枝が生え出し塀の高さ位まで伸び、今年は花を咲かせてくれるだろうかと楽しみにしていた)が根元からばっさり折れて道を塞いでいたのをすっかり切って除けてくれた。次女は私が次の日秦野へ車で行く予定なのに通りに出るまでの道に雪がまだ融けずに「これじゃ~お母さん出られないよ」と雪掻きを始めてくれた。結構大変で木の仕末を終えた長女も手伝って通れるようにしてくれた。二人とも腰や背中が痛いと今も言っている。申し訳なかったが本当に有難たかった。
そうこうしている内に次男が到着「もっと早く来てくれれば雪掻きしてもらえたのに~」と皆で言った。7時に三女が到着。久し振りに姉妹弟が集って賑やかな誕生会が始まった。
食卓は雑然としているが美味しかったようである。誕生ケーキはこけしやで買ってきたものだが、ひな祭り用にアレンジしたものしかなく頼んでおけばよかったとは思ったが、「のりちゃんは女だしひな祭りも近いしこれでいいよね~」という事になった。52歳になったから大きな蝋燭を5本と小さな蝋燭を2本立てハッピバースデーを歌って和やかに愉しい一夜であった。
昨夜直島から戻ったばかりだったけれど、クリスマスローズ展最終日だったので今年も一人で出掛けた。毎年同じような写真を載せているが実際に見ると年々種類が増えているように感じる。兎に角綺麗だった。
今日は3か所の予定があった。次は東京ドームでのらん展へ、丁度この日の3時から後ひと月に迫ったイスラエル旅行の説明会が飯田橋である。それまで時間があるからお隣水道橋のらん展に行けるわと思って決めた訳だが、クリスマスローズ展を見終え池袋に向かう途中何だか草臥れてきた。一応精神安定剤を飲んで是が非でも行こうと思っていたが、新宿で中央線に乗り換えて少し経った頃どうも体がおかしくなってきた。この時点でもう一錠薬を飲み如何しようかと考えた。このままらん展に行ったら倒れるかもしれない!やめようと思ったのは飯田橋に着く手前だった。そして飯田橋で下車した。下車してまずトイレのある小さなレストランに飛び込みそこで用を足し、昼食にそばを食べた。まだ座っていたいし説明会の時間まで1時間くらいある。其処には居座れないので説明会のある場所の方に進み或る喫茶店に入り一杯のジュースを頼んでちびりちびり飲みながら1時間余休んだお蔭で気分は良くなり、説明会に行くことが出来た。
説明会には30人近い人が集まっていた。夫が亡くなってから5回教会関係で海外旅行に行っているので、知ったお顔が沢山見えて心強く嬉しかった。引率者のS牧師のお話、添乗員の説明など2時間半に亘ってすっかり元気を取り戻した私も共に打ち解けた会であった。
昨夜は帰宅が遅かったしこの日も真っ暗になっていた。一寸無理をし過ぎかな?