教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

自由とは…

2014-10-24 20:29:55 | オタネタ全般
世の中には、自由のない半奴隷的な身分におとしめられている元貴族の主人公が自由を勝ちとるために何かと戦う…みたいなアニメはけっこうある。
何とは言わんけどさ。

そこで主人公が勝ちとる自由とは、普遍的な意味での自由である。
ほとんどの場合、その元の状態が不自由だったことについて議論の余地は無い。

ところでだ。
そういうアニメを見ていると、ふと思うことがある。

我々にとって自由とはいったい何なのか?



一般論でいうと、我々はそこそこ自由である。
職業選択の自由があり、選挙権もある。

しかし。
わたしには不自由な過去がたしかにあった。



当blogでときどき出てくるかの中学校時代。

髪は、男は坊主必須で、指でつまめるほど伸びていると鉄拳制裁。
女はおかっぱかショートカットのどちらかしか認められず、肩にかかるよりも伸びていると教員にハサミでめちゃくちゃに切られる。

通学用自転車は、ハンドルの形状、塗装の色、変速ギヤの段数、ホイールの径、ありとあらゆるものが学校指定のものでなければならない。
これは靴その他あらゆることについて共通。

・・・などなど。
いくらでも書けるがこのへんにしておく。

これ本当に日本なのか?…と、今あらためて見直してもそう思うくらいだ。
もし現在なら毎月のように逮捕者が現れる。



これは不自由だ。
わたしは自分の手の骨が折れるほど誰かを殴りつけるくらい荒れていた。
人生最大のストレス期だった気がする。

これと同じような境遇として、旦那が大嫌いだが、旦那のかせぎは良いのに自分はただの専業主婦で、離婚すると生きていけないから大嫌いなのに離婚したくない、そういう奥さんもそれに近いものがある。
これも不自由極まりない。

ではどうやったら自由を手に入れることができるのか?

それはだな。
自分で自由を手に入れるだけの能力が必要なんだということが答えだと気がついた。



極端に不自由を感じてストレスをため込むなら、そこから出ていけばいい。
ただしそこから出ていくには、出ていってもやっていけるだけの実力が自分になければならない。

さっきの中学の話でいえば、わたしは家出して中学生時分に一人で生きていく人生を選択するか、そこで荒れながらもガマンするかの2択しかなかった。

今は違う。
隣の住人が気に入らなかったら引っ越せばいい。
会社の同僚が気に入らなかったら転職すればいい。
わたしは自由だ。

なぜそれができるかといえば、引っ越しや転職を自分で完遂できる程度には経済的その他の能力がそなわった、ようするに社会生活的な意味で大人になったということだ。

さっきの奥さんの話でいえば、離婚しても生きていけるだけの収入があれば離婚するという選択を即決できる。



自由とは、生まれてくれば自然に与えられて当然のものかのように思われるが、そうではない。

自由を謳歌できるためには少しばかりの力が必要になる。

自由とは、不自由を発生させる原因を排除して勝ち取るものであり、当然に与えられるものではない。

アニメの主人公が苦しみもがき、血を流しながら戦って勝ち取った自由のように。