教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

作者でも殴る壁が必要らしい

2012-09-11 00:00:35 | オタネタ全般
『ソードアート・オンライン』作者による第10話の実況解説まとめ
http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-11742.html

> このへんからしばらく実況不能です 原作者といえども壁を殴らねばならぬ時はある...っ



作者でも壁を殴りたくなるのか・・・。
なんとも奇妙な話である。

ちなみに我輩はそんな風には思うことはない。

自作の小説やノベマスの原稿を書いているときは完全に主人公の野郎に同化しきってしまっている。
主人公が女の場合は、女のまま同化することもあるし、裏でサポートしている男の側という第二主人公の側に同化していることもある。
たとえ主人公がロリコンや巨乳スキーという我輩とは異なる趣向であっても、それは必ず同化した後に綴られる。

なので、後でうpしたものを見返して壁を殴りたくなるなんてことには…なったことがない。



むしろ自分が書いた作を見ながら壁を殴りたくなるというのは如何なる状況なのだろうか?

ひょっとすると・・・
神が降りてきた瞬間に感性の赴くまま自動的に中身が完成するという書きかたではなく、
プログラミングしている状況と同じように理路整然と実体を設計していくという書きかたになるとしたら・・・

ならば自分が書いた作を見ながら壁を殴りたくなる状況は発生しうる…ような気もする。

もしその域に達したならば、どう書けばそれなりに需要があってそれなりに商売として成り立つものが出来上がるかをマニュアル化可能なレベルで解析してしまっているのではないかと思うのだが、そこからは世界はどう見えるんだろうね・・・。

ときどき、長年マンガ家をやっている人の作品で、客観的にはいつものクォリティーを堅持してはいるものの、作者自身が楽しんで描いているように見えない、主観的には魂のこもっているように感じられない作品もみかけるのだが、
そこまで単に理路整然と実体を設計していくだけで作ってしまうと、それはそれで自分が書いた作を見ながら壁を殴りたくなる状況は発生しないだろうしさ。