・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

蛇蛇例遊:6 ごえん

2019年12月31日 | つぶやきの壺焼

旅で訪れた神社仏閣では、特別のところでなければ、そこでのお祈りは「ご縁がありますように」となります。

お雑煮の季節、特別のことでなく、とにかく誤嚥には気を付けましょう。
搗いた餅でなく、1枚ずつ包んであるような便利な餅には、餅の味も香りもないのに、粘りだけはしっかりというものもあって、特に注意が必要です。
のどを通るとき、ちょっと違うなと感じることも誤嚥のもとになりますから。

みなさま、できるだけゆったりした気持ちで、好いお年をお迎えください。

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蛇蛇例遊:5 クレーマー

2019年12月30日 | つぶやきの壺焼

クレーマークレーマーという映画がありました。
クレーマーさん夫婦の離婚裁判の話ですが、いまではクレーマーと聞くと、むやみにクレームをつける人と聞こえます。

除夜の鐘がうるさいという文句をきいて、さっさとやめてしまったお寺があります。
苦渋の選択と言いながら、やめ際がさっぱりし過ぎていて、まるで苦情を待っていたかのようにも勘繰られます。
では、うるさいと言わせたのは誰なのでしょうか。

あの鐘の音をうるさいという人もクレーマー、言わせる人もクレーマー、これこそクレーマークレーマーではないかとふと思いました。

除夜の鐘では知恩院のあの荘厳な音が好きだと一昨日も書きましたが、NHKの放送で何年か前からそれが聴けなくなり、続いていたのがいつまでだったか尋ねてみようと電話したら、「知恩院」を知らないご婦人がふれあいセンターの受付にいらしたのには驚きました。
二度言ってもわからず、三度目は字の説明です。
「知識の知、恩人の恩」まではよかったのですが、病院の院とは言いにくく、「お寺の院」と言ったらまたそこで渋滞。
こんなことを書いているやつがれも、クレーマーなのでしょうか。

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蛇蛇例遊:4 フリオ

2019年12月29日 | つぶやきの壺焼

フリオの歌声は、ゆっくり聴くと優しく聞こえます。

尾を振る犬は可愛く見えます。
すぐに咬みつく犬には見えません。

人間はむやみに尾を振ってはいけません。
危ないのは、組織機構の代表が尾を振る素振りを見せてくるときです。
組織機構の代表が、国の代表のような顔をして尾を振る素振りを見せてきたときは、危なさがまた重なります。
そんな相手に、こちらから尾を振っていると、とんでもないヤバい結果を招きます。
フリオの歌声も、ヤベー ヤベーと聞こえてきます。

そんなことを考えていたら、しっぽには尻尾よりも振尾という字を当てることもできそうだと思いつきました。

振尾はどうあってもそのときだけのこと、決して未来永劫に続くものではありません。


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蛇蛇例遊:3 おにしめ

2019年12月28日 | つぶやきの壺焼

お煮しめの時季がきました。

暮になぜ挙ってお煮しめを作るのか、それには呼び名の呼びかけが効いているようです。
年の締め、おにしめ、の活躍時季はひと月あまり先ですが、いまはちょうど締めの時期です。

しめにもいろいろありますが、締め方もお国柄で異なります。
お国柄だけでなく、締められる人の肩書によっても違いがありそうです。
要職にかかわった人には、どうやら締め方が緩いようです。
悪事を働いた人を逮捕するには、現行犯逮捕でなければ逮捕状が必要ですが、その逮捕状の扱いが締め方とかかわりがあることに気づきました。

逮捕には、容疑者へのこらしめと、人びとへのみせしめという二つの意味があるでしょう。
つまり、お二しめです。
こらしめは、つらい思いをさせて懲りさせること、みせしめは、こんな肩書を持った人でも悪いことをすればこういう目にあうぞという、どちらにも教育効果があるはずです。
ただ、証拠隠滅のおそれがないという理由だけで逮捕をやめさせるのは、機械論理偏重のように思うのですが、いかがでしょうか。

おや、三つめもありました、いましめ、これは世の中全体に必要なことです。
その必要度を三次元グラフで表すと、千代田区永田町あたりにピークが見られます。
締まらない人たちのおかげで、暮にきて困りごとがまた増えました。

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蛇蛇例遊:2 かんよう

2019年12月27日 | つぶやきの壺焼

年の暮が近づき、除夜の鐘を聴けるときが間もなくやってきます。
処々方々の鐘のなかで、いちばん好きなのは知恩院の鐘です。
低い落ち着いたあの鐘こそ、除夜にふさわしい音を聴かせてくれます。

あの鐘の音を聴いていると、百八つの煩悩を取り除くというより、静かにゆったり年を越す意味では、徐夜の鐘と書きたい心地になります。

NHKの放送で何年か続いていた知恩院からの中継は、いつの年からかなくなり、いまではほかの寺院の鐘に変わっています。

除夜の鐘がうるさいと文句を言う人のいることがSNSで話題になっています。
響きの悪い軽い鐘なら、叩き方によってはうるさいと思われることもあるでしょう。
そこで寛容の気持ちが生まれるかどうか、それには住職のお人柄や近隣とのお付き合いがかかわっているかもしれません。

国どうしのことにもなれば、何かにつけて争いを誘うような行為を続けさせ、罪もない人の殺害や監禁を平然と行わせるような国家の代表に、外交上の儀礼とはいえ寛容の態度を見せることが、未来に良い結果をもたらすとは言えないでしょう。
こちらは寛容でも、あちらから見れば緩容で、相変わらずゆるゆる、話は簡単と思われていることでしょう。
そのような外交姿勢をもって、摩擦低減方式だけを慣用していれば、次世紀には必ず領海領地を乗っ取られ、国民を苦痛の鍋底で焦げ付かせる恐れが十分にあることを、政治家を名乗る人に忘れずにいてもらうことが肝要なのです。

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蛇蛇例遊:1 しんちゅう

2019年12月26日 | つぶやきの壺焼

新シリーズの始めに標題の読み方から。
こんな熟語はありません、「だじゃれあそび」のつもりです。

獅子身中の虫ということわざがあります。

この虫がうようよと蠢いて、その保虫政党が腹を食い破られようと、格別苦にはなりませんが、国が食い散らされたのでは大いに困ります。

いま最も危ない虫は、N町O町界隈に巣食う親中の虫です。

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俗人の楽しみ:31 含み

2019年12月25日 | つぶやきの壺焼

「XXを極めて重視する」という表現には、いろいろな意味が含まれています。

含みを持った言葉は、言ったほうと聞いたほうでは、位相が0~180度の間で変化します。

こんなことも起こりえます。
「こう言ったではないか」「そういうつもりで言ったのではない」

自分だけに都合のよい解釈を、憶測と言います。

憶測をGoogleで翻訳してもらったら、こうなりました。

憶測(日)⇒speculation(英)・・・なるほど、確実な事実なし
憶測(日)⇒投机(中・簡体) ・・・文字からは意味不明、なんだか物騒
憶測(日)⇒投機(中・繁体) ・・・やはりそうか、いちばちの匂い
憶測(中)⇒リコール(日)    ・・・おやおや、どうなるのか

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俗人の楽しみ:30 いい顔 

2019年12月24日 | つぶやきの壺焼

車選びに興味のあったころの思い出です。
整備屋さんの嫌う難しさはあっても、乗り心地は抜群の車を作る会社がありました。
販売店に行ってみたところ、そこのおじさんは話をするのも面倒というような難しい顔をしています。
早々に引き上げてからは、その社のカタログを見る気にもなりませんでした。
営業の仕事には、いい顔がいちばんものを言います。

国どうしの付き合い、外交にも、いい顔がものを言います。
ただし、国交の場合は、互いにかわすいい顔も、その時のものでしかありません。
国の代表が変わったあとに、いま見ているいい顔がどうなるかは全く想像できないことです。
誠意を尽くしておけばという期待が、どれほどあてにならないものであるかは、いま南のほうの隣国と、北のほうの隣国が、どういう顔をしているかを比べて見ればたちどころにわかるでしょう。

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俗人の楽しみ:29 線引き

2019年12月23日 | つぶやきの壺焼

まっすぐで美しい良質な住まいづくりを設計信条としている建築家が栃木におられます。
まっすぐな線は確かに心地よいものです。
建物の外壁の角の線でも、屋上から見下ろしたとき、くねくね曲がって見えると、建築屋さんの腕を疑いたくなります。

材木の墨付けも、墨つぼでなくレーザー墨出し器が使われるようになったと、その栃木の建築家のブログで知りました。

国境にもまっすぐな線を地図で見かけますが、あの線だけはまっすぐなほうが曰くを含んでいそうで、あまり心地よくありません。

海には見える線を引けません。
XX水域という面が国際協議で決められても、線の見えない人たちがそれをよいことに、水域侵犯を常習化することもあります。
それを黙って許す日本人は、自分たちがお人好しと思っていても、あちらからはたぶん間抜けの弱腰と見ているに違いありません。

バカなことをしでかして、メディアに記事ダネを提供し要職から放り出される人も、線の見えない人なのでしょう。

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俗人の楽しみ:28 時間稼ぎ

2019年12月22日 | つぶやきの壺焼

話をこじらせて面倒にする手は、時間を引っぱりたいときにも使われると昨日書きましたが、引っぱるには、その話が自分の手の内になければなりません。
自分の持ち時間のときにだけあてはまるなら、相手が持っている時間を取り上げて引き延ばす場合には何というのでしょうか。

時間稼ぎという、ややこしい言葉があります。
自分の行動をやったように見せかける時間稼ぎと、相手の行動を妨げる時間稼ぎがあって、前者の場合は"しない"時間で、後者の場合は"させない"ためにその間に何か"する"時間なのです。

国の大事を審議させないための時間稼ぎで邪魔をしておいて、内閣の業績評価を落とし支持率を下げるという、まことにくだらない戦法が大手を振ってまかり通っています。

議院運営委員会という機関は、25人も集まっていったい何を相談しているのでしょうか。

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俗人の楽しみ:27 こじらせ

2019年12月21日 | つぶやきの壺焼

話をとかく面倒にしたがる人がいます。
一昨日書いた質問にもその習癖が現れます。
一つの話で、それが話にならないことでも、時間を引っぱりたいとき、ほかの人に口を挟ませたくないとき、話を面倒にするとその望みがかないます。

話を面倒にする方法はさまざまです。
①文脈をずらせて疑問を持たせる
②不可解から了解という普通の頭の働きを逆の方向にむけさせる
③状態、状況、その場の空気の理由を解析し始める
④見せたくないもの聞かせたくないことを隠し、見たくないものを見せ聞きたくないことを聞かせる
①と②は政治屋、③は心理学者がよく使い、④は放送、新聞で常用される手です。

④は地上波放送、大手新聞が使う最も悪質な手段で、話をこじらせるだけでなく、虚言虚報を織り交ぜることも平然と行われます。
こういうこじれ話を避ける方法が一つあります。
見ないこと、聞かないこと、読まないことです。

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俗人の楽しみ:26 テスト

2019年12月20日 | つぶやきの壺焼

テストの好きな人は、たぶんゲーム好きでしょう。
ゲームのなかでも、正解があって答えが合っていればOKという、あてものゲームが好まれるだろうと思います。

テストは教育の場で使う道具のようなものですが、この道具の利点は、採点しやすいことに尽きます。
多くの人は数字に騙されやすいので、数字になりやすいテストが便利に使われます。

教育の場には、正解病が蔓延しています。
正解は、何かにつけて便利だからです。
ものごとに正解があるのは、ごく一部の限られた範囲であるのに、テストで正解を当て、当たりの割合が高ければ成績優秀と判定されます。
学生生徒の人格能力のある部分だけが評価される仕組みが、便利第一で定着してしまっています。

教育の仕事を労働だと思い込ませられてきた人が、労働ならまずは効率と、採点ロボットのような方法に慣れてしまったのでしょう。

テストは試験、試されることは生物にとって迷惑なことなのです。

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俗人の楽しみ:25 質問

2019年12月19日 | つぶやきの壺焼

質問には2~3とおりの目的があります。

①知りたいことがあって、それを問い質す
②ただしゃべりたい欲求を満たす
③意欲のあるところを見せる、あるいは見せかける

①が本来の質問ですが、それが繰り広げられる場の公共性に比例するかのように、①よりも②、さらに③と利用頻度が増していきます。
②や③では、質問のために組み入れられた時間が、質問以外のことにただ消費されます。
なぜそうなるのか、考えてみたら、②や③を多用する人は、時間の使い方に自分とおおやけの区別ができない人なのだということに気づきました。
そんな人を国会議員にしておくのは、国の大損です。

税は、増やすことより使い方に関心を寄せなければなりません。

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俗人の楽しみ:24 詮索

2019年12月18日 | つぶやきの壺焼

何か詮索を始めると、時間はどんどん過ぎていきます。
時間の経つのが早いのは、我を忘れているからです。

ものごとの詮索は、それから何かが得られて好い結果をもたらすものと、時間つぶしに終わるものとのふたとおりに分かれます。

時間つぶしの詮索は、一種の病になることもあります。
詮索症は、歪曲した好奇心によって突然発生することもあり、伝染性の強いものもあります。
詮索症は脳の病で、思想を共にする集団、あるいは建前上思想があるかのように装っている集団に強い伝染性が現れ、集団詮索症になります。

集団詮索症は、罹病者を奇妙な行動に駆り立てます。
数人の小集団で、他人の事務所に押しかけ、事務用品を見せろと言ってみたり、その性能実験を行ってみたり、常識では考えられない奇行に走らせます。

病なら仕方がないとも言えますが、問題は、そんな奇行にも仕事という名目がつき、本業以外に所定の報酬が支払われるという制度です。
それを改めようとする気運が感じられないこともまた問題です。
奇行を繰り返し、肝心な本業には目もくれられない時間は、矢のように過ぎていきます。

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俗人の楽しみ:23 流れ

2019年12月17日 | つぶやきの壺焼

流れに乗れば、ことは何かとうまく運べます。
流れに乗りそこなうと、あとでしまったと思います。

組織の運営も、目的達成のために流れに乗ることは必要です。
ところが、流れに乗って得られるラクチン気分が、組織運営の目的を忘れさせてしまうことがあります。
その大典型が言論の自由で、ことの当否正否はさておいても、声が届きさえすれば話が通るという、国連のいまの動きにも現れています。

気候変動対策に関する国連の COP25(国連気候変動枠組条約第25回締約国会議)で、温暖化対策の強化について全会一致で合意したと報じられました。

地球温暖化は、100年間で0.74℃上昇というデータをもとに、長期的上昇傾向にあることが「疑う余地がない」と決めつけてしまい、自然要因だけでは現在の気温の上昇は説明できないから、新しい技術によって温度の上昇を阻止しようという流れが作られ、環境を破壊しながら環境を保全しようという、奇妙なビジネスを誕生させました。
新ビジネスには資金が必要なので、その資金集めが温暖化対策の強化という作られた流れに乗って行われようとしているとみられます。
エネルギーを使い放題の国にはカネが集まり、エネルギーを使わない国、減らそうと努力している国はカネを吸い取られるという、カネの動きもそんな流れになっているように見えます。

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