・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

並ぶ

2018年09月30日 | つぶやきの壺焼

インドネシアでは、方々の島で地震が続発しています。

ロンボク島___7月29日 M6.4
ロンボク島____8月  5日 M5.9
スラウェシ島__9月28日 M7.5

ロンボク島は、バリ島の東隣、スラウェシ島はその北北東、東京から青森北端ぐらいの距離のところにあります。

新聞にあったこの写真は、"島外避難を待つため砂浜に並ぶ観光客ら"とされていますが、もしここに津波が来たらと思うとゾッとします。

奇妙なのは、群衆のこの状態を"並ぶ"と表現していることです。
幅の広い並び方だと言ってしまえばそのとおりですが、この写真説明が、最初に日本語で書かれたものであれば、砂浜に"押し寄せた"、あるいは"詰めかけた"とされていたところです。

暴れる様子もなく変な旗も持っていないので、これはやはりおとなしく並んでいる自由多列縦隊なのでしょう。

行列で騒ぎを起こすのは、並ぶことを知らない人たちです。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


落下防止

2018年09月29日 | つぶやきの壺焼

人が高いところから落ちないように作られた手すりも囲いも、材料、工法、環境によって寿命に長短ができます。
人が落ちなくても、構造物の部品がはずれて、いつ落ちてくるかわからないのでは、手すりや囲いのある場所の下は、いつでもどこでも危険地帯ということになります。
こうなっては、もう建物の際や橋の下は歩けません。

鉄道駅の職員通路に設けた落下防止の鉄板がはずれて落ちた事故がありました。
(注)このニュース記事は、なぜか新聞社のサイトへのリンクができなくなっています。
下の人や物に当たらなくても、これは重大事故です。

3ヶ月前に点検したそうですが、壊れるはずがない、落ちるはずがないという目で見ていれば、欠陥は発見できません。その場所を通過するだけで点検終了、異状なしとなるでしょう。

作られてから50年も経てば、どこかが傷んでいるはずという見方で、点検周期や点検方法を変えていかなければなりません。
古いものが壊れた原因など克明に調べても、報告書作成用にしかならず、あまり意味はなさそうです。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


鰹節

2018年09月28日 | つぶやきの壺焼

この写真を見ると、むかし、祖父と叔父が鰹節づくりを試していたのを思い出します。
焙乾やかびつけの環境に程遠い台所製法で、上手くいくはずもなく、形にはなっても、削る手伝いをさせられたときの手触りは、ぼろぼろと欠けやすく、何ともみじめなものでした。

それでも、いま近所で売られている袋入りの削り節のような生臭さはなかったようです。

どんな味だったかと問われても、味は文字でも数式でも表現できません。
無理に書こうとすれば、それは悪魔の表現になってしまいます。
ものの味は、文学にも情報記録にもなじまないものです。
A I ? できるならどうぞ。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


会見ごっこ

2018年09月27日 | つぶやきの壺焼

相撲部屋の親方が引退届を出したと記者会見、追いかけるように退職届でなく引退届では受理できないとまた記者会見、何が問題なのかは想像がついても、無根扱いにされようとしている事実と、あるはずのない決まりごとが、本当はどうなのかさっぱりわかりません。

なぜそれがはっきり伝えられないのか、そのわけは、伝えさせないほうが都合がよいからとしか考えられません。
もやもやを晴らさずにおけば、あおぐ団扇がいつまでも役立ちます。

すぐ結論が出て皆が理解し合えたのでは、何度も会見をしたり記事を繰り返し載せたりすることができなくなりますから。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


遊んでいなさい

2018年09月26日 | つぶやきの壺焼

「勉強しなさい」という言葉は、誰のためにあるのでしょうか。

たぶんお母さんのためにあるのだと思います。
「勉強しなさい」と言っておけば、言わないよりは気が休まります。
子供にとっては聞きたくない言葉ですから耳に入りません。
耳に入らない言葉は、言った人にしか作用しないので、ひとりごとと同じことになります。

「これで遊んでなさい」と言えば、子供ははっきり受け取ります。
それでお勉強に誘い込む方法もあるようです。

親の威厳と子供の学力と、どちらをだいじにするかで採否が決まります。
もちろん、学力があっても、それが悪行用では困りますが、それは「勉強しなさい」とは別のこと、親の威厳はそのあたりで生きてくるのでしょう。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


実験好みショー好み

2018年09月25日 | つぶやきの壺焼

この写真は野外劇場の観客席です。

演じられていたのは、核爆発です。

広島、長崎の実験の後、何度も続けられた核実験は、やがて鑑賞の対象ともなり、キノコ雲が絶景の主役になっていた時期がありました。

世紀の大悪行で実験材料にされた日本人が、世界に向けて引け目を感じなければならないことは、何一つありません。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


コメント芸人

2018年09月24日 | つぶやきの壺焼

毎日のニュースやできごと情報などを幅広く紹介する、ワイドショーと呼ばれるTV番組があります。
コメンテーターと称する人を何人も並べ、ワイド感を上げる舞台様式が通常の形になっています。

コメンテーターは、元来解説や論評をする役柄のはずなのですが、解説能力のない人気者というだけの人には脚本が必要になります。
番組によっては、コメンテーター役の全員にあらかじめ注文をつけておいて、脚本どおりに話をさせることもあるでしょう。
そうなると、舞台に並んで座る人は本来のコメンテーターではなく、話をする芸人、コメント芸人ということになります。

脚本がまともに作られたものであれば、それもありかもしれません。
もし、脚本が虚偽の情報や国益に反する偏った情報をばらまくようなものであったり、伝えられなければならないことが故意に伏されていたりした場合には、コメント芸人は偽報か愚報の協力者になり下がります。

ワイドショーで名が売れただけのコメント芸人が、国会議員や地方の首長になった場合には、国の不幸、地方の不幸はまぬかれません。
求めに応じて何を言い、何を仕出かすかわからないからです。

何年に一度かはやってくるだいじな選挙の機会には、コメント芸人への投票はやめておいたほうが、お互いの身のためと言えるでしょう。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


当世代放送

2018年09月23日 | つぶやきの壺焼

駅の方角から救急車のサイレン、続いてパトカーのサイレン、どこかで事件か事故が起きたようです。
このあと役所から緊急放送がなければ、どこで何が起きたかを気にすることもなく、平穏な状態に戻ります。

緊急放送は、町の随所にスピーカーが置かれ、そこから聞こえてきますが、なかなかはっきりは聞き取れません。

緊急なことに限らず、誰にでも必要なこと、役立つことが、明瞭に自然に知らされるような放送システムが出来上がっていると、どこの町にも全体に明るい空気があふれてくるものと思います。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


早わざ

2018年09月22日 | つぶやきの壺焼

復旧に4週間はかかるかなと思っていた関西空港が、17日間で通常運行できるようになりました。

この早わざは、復旧工事に当たられた方々の意気込みと努力のおかげ、知らされない偉業です。
ご苦労様でした。

何かとケチをつけたがる新聞の記事には、これがあたりまえのことのように報じられ、まったく記事にもしない社もあります。
記者という職業の人たちは、ふだん酷使されているからかどうかはわかりませんが、喜びと感謝の気持ちを湧き立たせてはならないという、ふしん(不信・不審・不振)教で洗脳されてしまっているのでしょうか。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


安全な場所

2018年09月20日 | つぶやきの壺焼

町で最も安全な場所と思ってよいはずの交番で、殺傷事件が起きました。
交番には、狂った人が凶器を持ってやってくることもあったのです。

落とし物を届けに来たという狂言だったのか、会話中に狂い出したのか、当事者が二人ともいなくなって、もう一人が別の部屋にいたのでは、作り話しか残りません。

誰もいないことの多い近所の交番に不安を感じてもいましたが、警官が二人いてこうなったのでは、交番が危険な場所であるような、冗談を超えた曲解悪評のたねにもされかねません。

交通係のお手伝いで路上に身を潜めて立つより、だいじなことがありそうにも思います。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


違っていますが:31 臭い雨

2018年09月19日 | つぶやきの壺焼

雨は屋根のない駐車場の車や、建物の外壁を洗い流してくれる、町に住む人にもありがたいものです。
それが、山の姿を変えてしまうような、敵役にまわることも、なぜか多くなってきました。

一昨日の午後、緊急放送で「光化学スモッグ注意報」が出ました。
「・・・・が発表されました」のちに「発表中の・・・・」という、奇妙な現代語のあの手の放送です。
家人は「空気が臭い」と言っていました。

その夜、眼が覚めると雨、その雨が臭いのです。
Sox系のにおいの元を、雨がどこから運んできたのでしょうか。
そのにおいの元は、いったい何なのでしょう。

知ってどうするというつぶやきも聞こえてきそうですが、光化学スモッグとひとくくりにして気をつけろだけでは、季節はずれの注意報がどういう意味をもっているのか見当がつきません。

こういう場合に行政の補完をするのが報道機関の役割だと思うのですが、知らせない報道という、リバーシブル・タイプの嫌な性格が濃くなってきている現況をみると、水を吸い上げる雨という奇天烈な妄想さえ掻き立てられます。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


違っていますが:30 育て過ぎ

2018年09月18日 | つぶやきの壺焼

A I が人類を差配するようになる時期が、いつかは来るという予想は、妄想に終わりそうにはありません。

頭のよすぎた科学狂が作ってしまったばっかりに、顔の色の違う人種を実験材にした大量殺戮に及んだ原子エネルギーの利用を、賛成とか反対とかではあまりにも大まか過ぎるくくりかたと言えるでしょう。
そのことを世論形成に利用して、政経産学それぞれの利益追求が優先されるという愚挙が続いています。

科学の弱点は、ある方向、ある部分に狙いがつけられると、研究がすべて「善」であるとされるところにあります。
A I も原子力と同様に、すべてが「善」であり、推進方向のみが研究の道であるかのような大誤解の空気が出来上がっています。
そこにまた「総合性」がすべて「善」であるという妄念がからみあうと、言うことをきかせようと作った A I が、作ったものの言うことをきかなければならない A I になっていきます。

いい子いい子で育てた子が、大罪人になってしまった例は数限りなくあります。
総合を望むあまりに、カネ蔓に縁の薄い、部分・限界制御の研究をなおざりにしてはなりません。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


違っていますが:29 かこつけ

2018年09月17日 | つぶやきの壺焼

相撲実況のTV画面に時の人大坂なおみ選手の顔が映りました。
隣の二人の同伴者がどういう方なのか、おそらくご本人の了解がないから知らせられないと、NHKも新聞社も言うでしょう。

さらっと知らせておけばよいことや誰もが知りたくなりそうなことを知らせない、それなら観戦に来たことをわざわざTVカメラで写したり新聞に載せたりすることもないと思います。

おれたちには何でも知らせたり知らせなかったりすることが、自由にできるのだという、示威行為のようにも受け取れます。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


違っていますが:28 誤謝罪

2018年09月16日 | つぶやきの壺焼

悪いことをしてなくてもむやみに謝って見せ、自分の罪の意識を軽くしていく日本人の謝罪癖は、外国からいわれのないことで言いがかりをつけられる原因になっています。

外国から難癖をつけられないためには、原因をなくせばよいのです。
法治を好む日本人向きの方法があります。
それは対外謝罪禁止法の制定です。

外国には謝らない日本にしていきましょう。
過去にうっかり謝ってしまったことは、法の施行と同時に謝罪取消宣言を発表、それで相手の国が本当は日本をどう思っているかがすぐわかります。
反対や抗議があっても一切構わず、脅されず恐れずだまされないようにすればよいのです。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村