・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

日々一連想:3 無法 待つ

2020年02月29日 | つぶやきの壺焼

行政の活動に緊急を要するとき、役所は、前例があるか、または適法であるかによって動き、前例もなく法に定められてないことを、一斉に実行することはまずないでしょう。

緊急事態基本法という法案が、15年前に準備されながら、制定されずにママ状態になっていました。
このママ状態が、棚上げなのか、お蔵入りなのかはわかりません。
どちらにせよ、立案まで行ったところで、制定施行までいかなければ、そのことについて今は無法状態です。
地球全域の疫病騒ぎのようなときに、法律があればなどとぼやいてみても始まりません。

国会議員にとって、法律はできるのを待つものでなく作ってそれを決めるものです。
簡単に決まる法律だけを作って、何件立案し制定したなどと並べて見せたところで、国民の不自由さが増えていくだけのことです。
国民が待っているのは、安心と喜びを与えてくれるような法律なのです。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


日々一連想:2 人口 人命

2020年02月28日 | つぶやきの壺焼

命の重さは、万人同等と考えたくても、実際はそうではありません。
人がどれほどだいじにされているかによって変わります。

道路が陥没し、早く直さなければ危ないからと、運悪く落ちてしまった人を助け出さずに、コンクリートで埋めてしまうというひどいことが平然と行われる大人口国では、一人ひとりの命がはなはだ軽く扱われています。

人口が増えると人命が軽くなる、それでは少子化対策担当などと特命担当大臣までおいて重大問題とする意図はどういうところにあるのでしょうか。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


日々一連想:1 徒労 炉そば

2020年02月27日 | つぶやきの壺焼

寒い冬には炉のそばで、にしんそばでも食べたい、何気なくそう思いながらGoogle画像を覗いたら、出てくる出てくる、それでもにしんそばは絵づらがあまりよくないので、これは美味そうというのがなかなか見つかりません。

珍しいのが一つ、昆布巻きのそばがありました。
こんな店もあるのかとよく見ると、店の食べものではなく、見事なご自製でした。

にしんそばにとろろを合わせるとどうだろうか、そんなことを思いついているうちに、とろろから徒労へ、連想は飛び回ります。

いま日本では徒労大会の真っ最中、水際で抑えると言われながら武漢製ウイルスが、空からなら飛んで来放題になっています。

こんな状況が目に浮かびます。
水道の蛇口が壊れて水が噴き出し、部屋が水浸しになりそうです。
家ぢゅう総出で水をかき出しますが、水道の元栓が空きっぱなしなので、これでは際限がありません。
旦那は人を集めて処置の相談に夢中、奥さんは腕組みで眺めるだけ、じいさんばあさんに子供たちは外出禁止で、バケツを持たされ奮闘しています。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


酔言池:31 体面と面子

2020年02月26日 | つぶやきの壺焼

熊本に松井文庫という博物館があって、日本の妖怪が数多く展示されています。
その中に、五体面というからだ全体が顔のような化けものがいます。

世界中に病害をまき散らすような大悪事を起こしたあの国では、面子をだいじにすると聞きました。
Google翻訳にかけると、「面子」は日本語では「顔」となります。
面子という言葉から想像する日本語「体面」のあちら訳は「体表」で、日本語に逆翻訳させると「体表面」になります。

日本人は、外面よりも内なる心をだいじにしてきました。
体面も、外から見られることで心が痛むからそれを気にするのです。

日本人は、悪事を働けば体面に傷がつくと考えます。
面子重視の人々は、面の皮が厚ければ優れていると見られるので、自分がすることが悪事かどうかなど気にせず、権力金力を外に向かって示せるかどうかがだいじにされるようなのです。

外国から国賓として招待されることは、その相手が、いつかは覇権のもとにひれ伏すことを考えている国であれば、実現したとき、面子は上々に保たれます。
そんな人が考えているのは、当座友好将来征服であることは、日常の言動からも見え見えです。

世辞を解しない相手にうっかり口が滑ることもあるでしょう。
はじめは些事であったたことが、国体の存亡にかかわる大事にまで尾を引きずることもあります。
思わず知らずの苦渋の種まきをやってしまった実例も、過去に一度だけではありません。
こちらの体面、相手の面子、それだけを気にしているようでは、悲しいことに、どんな美言にも聞く耳を持つ人はどんどん減っていくでしょう。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


酔言池:30 %教

2020年02月25日 | つぶやきの壺焼

数値を示されると、本当らしく見えてしまうという数値信仰を、現代人の多くの人は持っています。

なかでも、%で示された数値に弱いのがその信仰の特徴です。
%のついた数値の並んだ表やグラフを見せられると、たちまちそれを信じてしまいます。
それが、どういう条件のどういう対象のどのくらいの範囲や大きさなのかが示されなくても、気にかけません。

あてずっぽうの返事の寄せ集めでも、集計すれば「世論」という名が付きます。

その気はなくても結果から見れば騙していることになるのに、その手法の毒効に気づかせない%教は、加害者、支援者、被害者が、ともに利用者になれるという、困った性格をもっています。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


酔言池:29 続・うらおもて

2020年02月24日 | つぶやきの壺焼

公正と信義、それを表にかざす民族は、日本人から見れば普通の地球人たちに見えるでしょう。
ところが、公正も信義も、日本人が考えることと、外国人が考えるとが一致するとは限りません。
たとえば、公正とは公平で正しいことと言ってみても、公平が、どんなことにも何もかも同じ状態であって、正しいとは、これが正しいと決めてしまえば、それに外れる者は国外に追放されても命を奪われてもやむを得ないとすることもできます。
そんな集団が国を治めているところも実際にあります。

人命抹殺が統治の手法の一つになっているような国の人々の心を、言葉や態度やお付き合いだけで、常に穏やかなものに変えてやろうという試みが立派なことと思ってみても、そんなことは、数世紀にまたがる寿命とそれを続けられる超能力でも持たない限り成就することはありません。

個人の行為であれば、無駄を承知でということも許されますが、国の存亡にかかわることを、政治権力の座を握ったたかだか数年の間に試してやろうというようなことは、おもてうらどころ話ではなく、決して許されることではありません。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


酔言池:28 うらおもて

2020年02月23日 | つぶやきの壺焼

正直、律義、うらおもてのない人を信用するのは、日本人共通の好ましい心情でした。
前にバカという冠がついても、なお誉め言葉にも使われてきました。

「諸国民の公正と信義に信頼して」というアリガタヤ憲法の言葉は、この心理に結び付けた名文で、70年前の日本人の心に訴えるものがありました。

聖戦のつもりで物量戦に負けてしまったその時の、深く落ち込んだ状況を乗り切るには、世界中のどこの国の人も、公正と信義を重んじ信頼に足る人なのだと思い込まなければならなかったでしょう。

その後何十年かの間に、公正と信義を信頼できる諸国民は、地球上の人類のせいぜい半分ぐらいではないかと、多くの日本人は気付いたはずです。
もし本当に気付かない人がいれば、それは、宗教によって思いを変えてはならなとされている人か、あるいは真性のマヌケかのどちらかでしょう。

公正と信義は、人の表側のことであって、普通に考えれば人間の考えは表半分裏半分、性格の違いとして表側の出てくる時間が長ければ、その人は信頼に足るとみられるのでしょう。
人のうらおもては、時間割の差だったのです。

目の前にある何を見ても、こちらに向いている側とその反対側があります。
もしこちら側だけのものが「ある」と言ったら、その人は、地球の人でないか、言いにくいのですが脳に障害のある人だろうと思のですが、いかがでしょうか。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


酔言池:27 逃げる力

2020年02月22日 | つぶやきの壺焼

逃げるのは弱い行動と、普通は考えます。

逃げるにも力が必要で,日本人にはその力が足りないという説もあります。

この力は、逃げるというよりも、振り切る、振り払う力でしょう。

何かを始めてしまった、決めてしまった、そういう場合にヤメルことは、なかなかできないものです。
ヤメてそしられるのが嫌、何か言われたくない、ただそれだけ、外面との釣り合いのことなので、たいした剛力がいるわけではありません。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


酔言池:26 業績

2020年02月21日 | つぶやきの壺焼

業績とは、①事業・学術研究上の成績。②事業・学術研究などの上でなしとげた仕事。また、そのできばえ。

これは手元にある二つの国語辞典にある業績という言葉の解です。
政治を一種のグループ作業とみて事業であるとするのはやや無理筋の感がある、と言ったとき「そうだ」と思うか「違う」と思うか、みなさんはいかがでしょうか。

「そうだ」という思いは、どういうことなのでしょう。
政治は事業ではないから、業績を問われないものであるという、何とはなしの思いとつながっているのではないか、とふと考えたのです。

人間がすることには、みな締めくくりがあります。
事業・学術研究でなくても、スポーツには勝敗、音楽には最終小節、演劇には幕、噺には落ち、揉めごとには落とし前という締めくくりがあります。
締めくくりのはっきりしないのは政治だけのようです。

試みに、「政治家の」で検索してみましたが、政治家の業績という言葉は見つからず、「政治家の仕事」というキーワードで出てきたのは,政治家の仕事内容、役割としてどういうことをするのかという説明だけでした。

いま国会議員が議員らしい仕事をしないのはなぜなのか、それは業績を問われないからでしょう。
選挙があると多くの人は言いたがりますが、選挙は業績評価ではありません
選挙結果に現れるのは、未来への期待の度合いであって、過去の実績の評価にはなりません。
評価しようにも、そこではもう対象が入れ替わっているのです。

国会議員にしっかり仕事をしてもらうには、選挙で判定というごまかしの言葉に騙されてはいけません。
新しい評価制度を確立しなければ、ただ時間を過ごして地位の継続に専念する蒙昧の輩たちが目を覚ますことはないでしょう。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


酔言池:25 厳戒の限界

2020年02月20日 | つぶやきの壺焼

ウイルスは生きものから生きものに感染します。
病気のもとのウイルスは、そのものが生きものだからです。

感染を防ぐには、生きものの移動と接触行動を止めることが先決です。
口で唱えたり知らせたりする厳戒では、感染経路をふさぐことはできません。

槍や銃を持ったおじさんが怖い顔をして見張っていても、顔パスで出入りする人が一人でもいれば、厳戒の効果は急激にゼロに近づきます。

厳戒態勢は、会議の様子を、出席している人の数より大勢の報道陣を使っていくら報道しても、病気の感染を防ぐことはできません。

ウイルスは、人間の愚かさを横目で見て笑いながら、好き勝手に通り抜けていくでしょう。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


酔言池:24 代悪人

2020年02月19日 | つぶやきの壺焼

大悪人は、目立つように悪事を働きます。
褒めるつもりはありませんが、いさぎよさは感じられます。

同じ発音でも、代悪人という半分商売がかった悪人がいます。
悪人の代わりを務めて何か利得を得る、コスパで動くこすい悪人です。
困ったことに、これが案外多いのです。
分布密度では、お住まいの方には失礼ですが、おそらく千代田区が最高でしょう。

いま海外に目を向けると、あの大悪人のニヤニヤ顔がイヤでも浮かび上がります。
自然発生であれ、意図製造であれ、大不安の病原を世界中にばらまいた国の総元締こそ、人類を敵に回して野望を遂げようとしていた大悪人です。

その大悪人に手を差し伸べるふりをしながら人道人づらを見せている大代悪人が、国の真ん中にいる日本は、いま大きな危機に見舞われています。

やって来てしまったウイルスは、それに負けないように体調を整えながら一人ひとり頑張るしかありません。

あちらでは、国内でもこういうことまでして身を守ろうとしています。

そんなことがわかっていて、まだ国賓招待の準備をやめない人たちを、何と呼べばよいのでしょうか。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


酔言池:23 コロ活

2020年02月18日 | つぶやきの壺焼

ぐずぐずしている間に入って来てしまったコロナウイルス、政府は個人個人には何もしてくれません。
病気は、蔓延が始まれば団体の問題ではなく、個人個人の出来事です。

正しく怖れましょうなどという奇妙なセリフをときどき耳にします。
実演して見せている「目先の批判を怖れる」ことが正しい怖れとでもいうのでしょうか。
怖れに正しいも間違いもありません。

怖れないでいることには、間違いもあるでしょう。
実際に、愚図な政府は、下手なそろばん勘定となまじいの友好仮面で、止めるときに止めそこなった「怖れない間違い」をすでに犯してしまいました。
怖れなければならない状況づくりに手を貸しておいて、正しく怖れましょうはないでしょう。

こういう状況の下では、体調を整えて病気に負けないよう、個人が頑張るしかありません。
仕事で出なければならない人は、特にウイルスとの接触が起こりうる時間が長いので体調維持が大事、そして体調維持には明るい精神環境にしておくことが肝要です。

マネージメントの役割を預かっている人は、とにかく皆さんの気持が明るくなるように気を配りましょう。
太陽のように、明るく、コロナの親分は太陽です。
場の空気を元気にする空元気も、元気のうちです。

コロナのおかげで、じめじめ暗い職場が、カラカラ明るい職場になれば、これはピンチからチャンスをつかんだ見事なコロ活と言えるでしょう。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


酔言池:22 曲がり上手

2020年02月17日 | つぶやきの壺焼

道具は、使う場によって、ピーンとまっすぐのほうが使いやすいときと、多少曲がってくれたほうが使いやすいときがあります。

職と人の適性もさまざま、まっすぐが最適の場合もあれば、そうでない場合もあります。
人にものごとを教え、人を育てる仕事には、上手な曲がり方ができなければ適性とは言えません。

曲げる力が加わればボキボキ折れてしまうような低可塑性の学者さんは、教師には向きません。
ピアニストから古文の教師へという、見事な曲歴をもった予備校の先生もおられます。
受験参考書の使い方にも、受験目的でなく何かを学び、あるいは教えるヒントをつかむ、そんな曲げ方もありそうです。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


酔言池:20 雛大臣

2020年02月15日 | つぶやきの壺焼

雛壇は飾って楽しみ、見て楽しみ、見せて楽しむものです。
お雛様の一人ひとりに何かさせるものではありません。
何もさせないからといって、一人欠けても雛壇の値打ちはなくなります。

内閣は、雛壇とは違います。
大臣が定数どおり雛壇に揃っていればよいというものではありません。
内閣は、大臣の一人ひとりに、国をよりよくしていく仕事をしてもらうための組織です。

任命責任という言葉がときどき聞かれますが、拝命責任という言葉はまだないようです。
責任の大きさから言えば、拝命責任のほうが広く重いと思うのですが、各大臣の自覚の程が知れるようなことがしばしば見られます。
いま大臣のそれぞれが、喫緊の武漢病対策について、何を考え何をなさっているのか伺いたいところです。
まさか、何日何時の会議に出ましたなどと報告するしかない方はいらっしゃらないとは思いますが。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村