わが家で唯一原爆の目撃者は食材開発部長(おふくろ)です。
70年前の今日、当時15歳だったおふくろは、
長崎に原爆が投下された瞬間を目撃しています。
戦時中、燃料としてのマツヤニ採取が当時の中学生の日課で、
その日も近所の同級生仲間十数人で近くのへ採取に行っていた。
お昼前の11時2分、ピカッと閃光が走り、
しばらくしてからドドーンと低い音が聞こえて
思わず長崎方向を見るとモクモクと黒い雲が立ちのぼって
俗に言うキノコ雲が見えたそうです。
その後、キノコ雲は風に流され空一面に広がり、
あの暑かった夏空が一瞬のうちに黒雲に覆われてしまい、
焼け焦げた臭いが漂ったそうです。
当時の中学生達、キノコ雲を見て何を思ったか
アメリカ軍がパラシュートで降りて攻め込んできていると勘違いして
全員が急ぎ足で家に戻ったらしい。
幸いなことにおふくろはアメリカ軍に攻め込まれず、
被爆することもなく今があるんですね。
3年前に他界した親父は特攻に志願したものの、
奈良で教育訓練中に終戦を迎え運良く帰還しています。
亡き父によく言われていたこと。
「戦争があと一年続いていたらこの世にはいなかったしお前もいなかった。」
「今を大事にしろ。」 と。
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70年前の今日、当時15歳だったおふくろは、
長崎に原爆が投下された瞬間を目撃しています。
戦時中、燃料としてのマツヤニ採取が当時の中学生の日課で、
その日も近所の同級生仲間十数人で近くのへ採取に行っていた。
お昼前の11時2分、ピカッと閃光が走り、
しばらくしてからドドーンと低い音が聞こえて
思わず長崎方向を見るとモクモクと黒い雲が立ちのぼって
俗に言うキノコ雲が見えたそうです。
その後、キノコ雲は風に流され空一面に広がり、
あの暑かった夏空が一瞬のうちに黒雲に覆われてしまい、
焼け焦げた臭いが漂ったそうです。
当時の中学生達、キノコ雲を見て何を思ったか
アメリカ軍がパラシュートで降りて攻め込んできていると勘違いして
全員が急ぎ足で家に戻ったらしい。
幸いなことにおふくろはアメリカ軍に攻め込まれず、
被爆することもなく今があるんですね。
3年前に他界した親父は特攻に志願したものの、
奈良で教育訓練中に終戦を迎え運良く帰還しています。
亡き父によく言われていたこと。
「戦争があと一年続いていたらこの世にはいなかったしお前もいなかった。」
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