足摺旅日記

足摺岬・・・デジャビューの旅 
エネルギー充填80%




足摺岬 温故知新 椿祭りはいかがですか

2020-02-02 03:33:00 | 足摺岬 椿

足摺岬 灯台と宿舎

 この写真はわたしが足摺岬を初めて訪れた頃で1970年かその前・・・アポロ11号が月面着陸したころでしょうか。この時からわたしの足摺岬への旅は始まりました。まだ道は舗装されておらず中村駅から今でいうところの岬巡りのバスといえばよいでしょうか。わたしにとってもちろん地域の人の交通手段で今よりは格段に便数が多かったと思います。

足摺岬 潮の満干手水鉢から

おそらく昔もその名前だったか失念しましたがそこには救世軍の立て札があって「悩み事などなどの文言と連絡先が書かれていました。」その当時は遊歩道は今より海側、言い換えれば、崖に近く設置されていました。今ではいかれた方は分かると思いますが遊歩道の柵を乗り越えないとこのような画像は取れないのではないかと思います。にぎやかでしたです。当時はいわゆる「カニ族」と呼ばれる大きなリュックを担いで後ろから見るとカニの甲羅みたいに見えましたです。もちろん各地のユースホステルやちょっと豪華に国民宿舎に泊まって夏休みを過ごしていたように思います。その後、わたしは足摺岬で一番先にエレベーターを付けたホテルなどに宿泊することになりました。その当時の国民宿舎は今の足摺園地となっています。で、余談ですが土佐清水市議会だよりではある議員が市側に足摺岬展望台の新設予定を質問していましたが2~3年後には前向きに検討するというような・・・ないような・・・もう4~5年前から駐車場と展望台の対策は話題になっていましたと思います。この写真は当時のマミヤ6で撮影したのではないかと思います。

今の正確には昨年の2月の画像です

前述したように岸壁に近づいて撮影していますので画角が少し異なっていますがそれなりの変化は感じられるのではないでしょうか。岬にあった足摺岬観測所並びに宿舎は昭和40年後半に取り壊されました。その後足摺岬無線方位信号所が残されましたが現在GPSの発達からその施設も取り壊されています。

閑話休題

足摺椿まつり

今時、足摺岬の旅情を印象深くしてくれるもの・・・椿でしょうか。椿も毎年大きな期待をもって訪れますがそこは自然が相手ですからいつもいつも最善とは限りません。でもそれなりにその目をもって見ると風情があるものだと思います。

岬の展望台から

この間、いわゆる爆弾低気圧情報で足摺岬にあるライブカメラというのでしょうか。展望台にありますでしょうあれです。管轄はNKHが管理してつまり足摺岬のいつもの画像はNHKの主に天気予報の画像に使用されています。で、ありましたですね。いつもは足摺岬灯台を映してズームアップそして岩礁に砕ける波しぶきなどを映しますがこの前はこの藪椿を映していました。なんと!結構咲いているではありませんか。やはり暖冬の影響でしょうか。今日の足摺椿祭りは期待できます。

これは昨年の画像です。

 昨年は花遍路ジョン万宇ウォークという各コースね分かれたウォーキングの催しと重なっていました。

今年は「足摺岬市営駐車場」が会場となっています。ご注意ください

SSD38を見るまで結構というな

 どこかで聞き及んだ文言です。SSD38の方々メンバーが少し少なくなったような気もしますが以前は高知市内などイベントが重複することもあったようで分散したのかもしれません。

画像の撮影許可はとっています。

夢の一文字

足摺椿まつり恒例の「夢の一文字」応募されましたか。昨年は選ばれた方が都合で来ることができませんでしたがわたしはこのイベント好きですね。

詳しくは土佐清水観光協会のホームページを参照してくださいませ。

いいんですね土佐清水高校書道部による揮毫

 高校生活をエンジョイしてくださいませ。思い出せばわたしは東京に受験しに行ったときは湯島天神の近くの宿で当然相部屋。真ん中に衝立があるだけであとは火鉢が一つでしたですね。変な方向に行ってしまいました。

足摺岬 温故知新 いいかな!

つづく