足摺岬を訪れる時、どうしても見ておきたい催し物がありました。というのも足摺岬の今は少し”色気”が足らないのです。とわたしは思います。
色というのは色で,その色ではなくカタカナで書くと”カラー”ということになるのでしょうか。
ここは土佐清水市天神町「天神バックストリート」と呼ばれる所だそうです。
天神バックストリート
第九回となるそうです。クリスマスイルミネーション(1月3日)まで。地元の人に聞くと23日が歩行者天国(歩天)だったそうで出店や催し物があって賑やかっだったそうです。
そう言われても都合がつかないわたしですがそぞろ気になり三里に灸をすえるなり・・・と言えば奥の細道。
えいやっとばかりに夜の土佐清水市天神町「天神バックストリート」を訪ねて見ました。
でしょうか何となくそんな感じです。500メートルの道沿い60軒の家庭で独自のイルミネーションを施し天神バックストリートを飾ります。と、土佐清水市の公式ホームページにありました。
いつもイルミネーションを見るにつけ準備するのは大変なことだろうと思います。我が家のクリスマスイルミネーションを片付けるのも大変でしたから。
わたしはわたしの旅は足摺岬が何と言っても中心です。が、やはり足摺岬の夜は真っ暗です。
新しく街路灯が二つつきましたが足摺亜熱帯自然植物園前の街路灯は消えたままです。大晦日は金剛福寺へ参詣する人が多いと思うのですが白山神社と金剛福寺の中間にあたる所に街路灯があればいいなといつも思います。ものすごく脱線したので再びクリスマスイルミネーションに戻って。
愚痴ついでに、折角のクリスマスイルミネーションなのに駐車場の案内が土佐清水市のホームページに記載されていません。地元の人を観察していると病院の駐車場や銀行などの駐車場にスイスイと駐車していましたが。・・・わたしにはとてもそんな勇気がありません。
何と土佐清水市役所の駐車場が午後9時30分まで解放されているではありませんか。やっと人に教えてもらいました。駐車場を探すのに苦労したわたしでした。少しアナウンスしていただければありがたい。そうすれば喫茶店でゆったりとした時を過ごせたのにと少し残念。
いいんですね。イルミネーションにはカップルが似合います。
大都会に見られテレビによく登場するような圧倒するディスプレイではありませんでしたがとても温かさがあってすこぶる良かったです。・・・当日は今年で一番の寒さを記録した日でした。
やっぱり、若いカップルの幸せそうな仕草を見るととても健康に良い感じです。という歳になってしまったわたしですが・・・
どうなんでしょうね結婚って。
このモウモウさんのイルミネーションをバックに懸念写真を撮るカップルやグループが多く見られました。・・・字誤りでもちろん記念写真です。
・・・どうなんでしょうね。・・・
多分あのカップルは結婚するんだろうなあーと思い・・・暫しウエディングイルミネーションに見入っていました。
・・・結婚を契機にした格言が思い浮かびましたがどう考えてみてもどうなんでしょう。・・・
あのカップルに贈ろう・・・
結婚っていいですよ。
わたしの郷土高松のイルミネーションの一部です。今年はわたしの気持ちがそうさせるのかいつものガラスドームのイルミネーションはいま一つの感じでした。
何というか、イルミネーション単独には費用が掛っているように思えましたが何か無機的で暖かさに乏しいというか・・・
多分このイルミネーションを管理している人の心の反映かも知れません。とわたしは感じました。それに比べ土佐清水市のイルミネーションは各々の家庭で趣向を凝らしていて何より人を迎えるという暖かい気持ちが伝わってきました。もちろん詳細は分かりませんがとても個人でできるのだろうかと思えるものもあり企画構成をまとめるマネージメント機関があるようにも思えました。がわたしの郷土高松のそれはわたしにとっていかにもイベント会社任せで商店街の人を迎える気持ちが感じられませんでした。もちろんこれはわたし自身の思いです。
で、全体がどうなっているかというと・・・
郷土の誇り、高松三越前のガラスドームのイルミネーションです。わたしには無機的であまり暖かさを感じることができませんでした。
工事現場ではないのですが・・・いたずらをする人もいるのでしょうか。画面には映っていませんがもちろん防犯カメラ作動中の表示がクリスマスイルミネーションに添えられています。
今頃になってハッピーメリークリスマスという画像をアップするわたしの昼行燈さにも似てわたしには少し物足りなさを感じました。どうなんでしょう、周りにはルイビトンやコーチといった有名ブランドが軒を連ねていますが・・・
天神バックストリートの家庭のイルミネーションです。もちろん商売を生業としている家と居住を主体としているイルミネーションには明らかに開きがあるようにも思えましたがやはり人を迎える暖かさを感じることができました。
これだけのイルミネーションは個人の満足だけではなく人をもてなすという気持ちがないと人に訴えかけるものが伝わってこないのだと思いました。
天神バックストリートを散策して何より驚いたのが若いカップルやグループがイルミネーションを楽しんでいることでした。
なんかいいんですよね。
時節柄、今年のノーベル賞の日本人受賞者の研究テーマは・・・
クロスカップリング
暖かい土佐清水天神バックストリートのイルミネーション・・・
若い人にお勧めです。
ミシュラン観光ガイド日本によれば「足摺岬」と「足摺岬からの眺望」が★2つだということです。
ミシュラン観光ガイドについては人それぞれでいろいろな思いや考えがあると思います。もちろんこれがすべてではありませんが一つの指標として一般の観光客の指標となっているのだと思います。
画像は足摺岬にある岬の展望台からの光景です。
足摺岬の岬の展望台から見た眺望です。展望台に上がってきて感嘆の声をあげる人、黙って沖を見つめる人、次行こうという人、写真を撮る人、写真を撮ってと言う人、さまざまな人に出会います。
冬の今頃の足摺岬は少し閑散とした感じですがそれはどこの観光地も時期的に必然的なことだと思います。ただ、わたしにとって今回はある意味印象的な光景を目にすることになりました。
いつも足摺岬を訪れていていつかはこういう状況になるのではないかと思っていたことが現実のものとなりました。
おそらく展望台が出来たのは昭和30年代だと思います。岬の展望台は第二次世界大戦の軍事施設を利用したものではないでしょうか。
岬の展望台の柵にも画像のような注意を促すテープが巻かれていました。
足摺岬の第一次観光ブームは田宮虎彦作小説「足摺岬」がおそらく昭和27年に発表され、時を経ず映画化されてからではないでしょうか。折しも日本は映画ブームでたちまち日本全国に足摺岬という地名が知れ渡りました。
人は列をなし宿泊施設も急増で建てられた物もあり中にはいかがなものかという施設もあったようです。
わたしが昭和40年代から訪れている中でいくつかはその姿を消して今の足摺温泉郷という形態になってきました。だからその当時の施設で宿泊した思い出が悪いということではなく常に足摺岬を訪れてよかったという思い出しか残っていません。・・・多少いろいろありますが。・・・
施設は近年、見違えるように充実してきた半面自、自然景観は国立公園ということからいろいろな制約を受け補修や改修が思うようにならないという話を聞くことがありました。
足摺岬の眺望と言えば一つは先ほどの岬の展望台からのものが代表的です。
もう一つは、足摺岬の天狗の鼻から見た眺望だと思います。
四国を代表する景観として、最も知られたものの一つではないでしょうか。
景観に対してアメニティーという視点から考えて見ると、もう数年前から鉄筋が露出してモルタルにも経年変化が認められるようになりました。
汐の満干手水鉢や根笹の近くにある展望所も同様に経年変化が目立つようになっています。台風の通り道に当たる足摺岬では特に塩害が著しいのだと思います。
もちろん順次新しい柵や遊歩道、新しい試みの案内板などに更新にされています。
足摺岬は新しい年を迎えようとしています。年末から年始にかけてそれは新年を足摺岬で迎えようとする観光客で賑わいを見せることでしょう。
足摺岬の展望台や遊歩道のあちこちに危険を知らせるテープが張り巡らされている光景を目にするにつけ、今回足摺岬を訪れてみて安全にかかわるものからもう少しスピードアップして改修して欲しいという願いを強く持つ旅になりました。
クリスマスリース
「いいでしょうクリスマスリース。」
「どこでもありそうなクリスマスリースですね。」
「そんなことありません。わたしにとってとても心を癒してくれます。」
「そんなものですかね。」
「ところでここはどこですか。」
「今は教えない。」
「分かりますよ。タイトルにあるじゃないですか。」
「朝なんだ。」
「そう、朝です。」
「夕方といっても分からないですね。」
「足摺岬を訪れた人ならすぐ分かります。」
「そうなんだ。」
「今日は足摺岬の話題はありません。わたしの郷土紹介。」
「足摺岬、ごつごつとした海岸と岬に立つ足摺岬灯台。いいでしょう。」
「足摺岬と足摺岬灯台が好きなんだ。」
「そう、」
「どうして。」
「癒されるから。」
「そう、」
「足摺岬灯台です。」
「それ位わかりますよ。」
「外壁がタイル張りからモルタルに変更されました。」
「そうなんだ。」
「カーボンファイバーで補強されているの知っていいますか。」
「そんなこと知って癒されますか。」
「まあ、いいじゃないですから。他で食う虫も好き好きですから。」
「なんか今日も足摺岬の話題じゃないですか。」
「・・・今日はちょっと違います。」
「男木島灯台です。」
「癒されるでしょう。わたしの郷土の誇りです。」
「誇りなんだ。」
「わたしの心を癒してくれるものはわたしにとってすべて誇りです。」
「そうなんだ。」
「癒されるんだ。」
「カモメがいいでしょう。」
「そうですか。」
「男木島って何と読むかわかりますか。」
「よくある質問ですね。人によっては「とても良い質問です。」と言われますよ。」
「それってありきたりな質問だということですか。」
「どうしてそうひねくれた物の考え方をするのですか。」
「いいじゃないですか。」
「この灯台って映画の舞台になったのですよ。」
「そうなんだ。」
「喜びも悲しみも幾歳月」
「知っています。」
「知っていますよ。」
「でもね、高松ってあまり良いシチュエーションじゃないんですよ。」
「で、どうして。」
「映画見てないんだ。」
「・・・だって古い映画ででしょう。」
「田中裕子が主役だったとか。」
「それ、多分二十四の瞳だと思いますよ。」
「二十四の瞳は小豆島」
「小豆島ってどう読むか知ってます。」
「今日は男木島の魂からメリークリスでしょう。」
「そう、そう。」
「いいでしょう砂浜。」
「いいですね。」
「家族や恋人達が時を過ごす砂浜です。」
「どうやって遊ぶのですか。」
「砂浜をかけっこしたり文字を書いたり。」
「寄せては引いて引いては寄せる波と遊ぶのもいいですよ。」
「でも、潮流が早いから絶対遊泳禁止。」
「そうなんだ。」
「足摺岬の海岸とはずいぶん違うんだ。」
「そう、それがまたいいんですね。」
「灯台だって趣きがあるでしょう。歴史的なレンガ造りの灯台です。」
「灯台のそばに資料館があって・・・いいんですよ。」
「ビデオもあります。これがとても風情があっていいんです。」
「そうなんだ。」
「何回も見ました。見終わったら次の人のために巻き戻して下さいね。」
「わかった。」
「奥さんが息子のけがを夫に知らせるために駆けだしてきた砂浜です。」
「そうなんだ。」
「で、夫は何をしていたのですか。」
「釣り。」
「喜びも悲しみも幾年月の最大のシチュエーションです。」
「それって地元だからそう思うのですよ多分。」
「いいじゃないですか。悲しみの大部分が高松にあるんですよ、他にもあるけど。」
「高松ってこの映画では多分一番の悲しみの思い出になっているですよ。」
「息子さんが高松で刺されて亡くなってしまうのです。」
「それって、・・・」
「話題変えましょうよ。」
「男木島の夕暮れっていいなあ。」
「わたしはこの場所の夕暮れが好きです。」
「好きなんだ。」
「この場所でなくても男木島は夕日のビューポイントに枚挙に暇がありません。」
「そうですか。」
「灯台も点燈していますよ。暗くなりますよ。」
「いいんです。」
「港への帰り道は暗いんでしょう。」
「でもいいじゃないですか。本当に波の音が気持ち良いのです。」
「そんなものですかね。」
「そう、」
男木島灯台
「夕暮れ、灯台は燈光、沖を通過する船いいんですね。」
「また、喜びも悲しみも幾歳月の場面が思い出されます。」
「映画ってリメイクされていますよね。二十四の瞳もそうでしょう。」
「そう、」
「わたしは木下恵介監督1957年10月1日公開された高峰秀子、佐田啓二主演のものが一番好き。」
「現在にも通じる家族問題も静かに描かれていると思うのです。」
「そうなんだ。」
「そろそろ男木島の魂からメリークリスマスの話にしましょよ。」
「だめ、」
「ずーっと見ていても飽きることはありません。」
「でも、男木島発の最終フェリーに間にありませんよ。」
「でもね・・・もう少し待っていたら巨大船が通過しそうなんだけど。」
「フェリーも瀬戸内国際芸術祭の関係で便数と発着時間が変更になったのですよ。」
「12月26日までですけど。」
「それを過ぎるとどうなるのですか。」
「元通り。」
「こんな時間までのんびりしていられません。」
「巨大船が運河を通航するように男木島灯台の前を通り過ぎて行きます。」
「いいんだ。」
「海面が船の灯火で明るく輝きます。」
「どこかで見た画像ですね。」
「テレビのコマーシャルでは時々見かけます。」
「もう急がないとフェリーの最終便に遅れますよ。」
「出た出たクリスマスリース」
「ところでクリスマスリースって。」
「ちゃんと知ってて下さいね。広辞苑によると・・・”蔓などを輪形に編み、ひいらぎの葉や松かさなどをつけたクリスマスの飾り。ドアや壁などにかける。”」
「何だ引用じゃないですか。」
「で、ドアでもないしどこの壁ですか。」
「それは・・・ジャーン。」
「何ですか。鬼ケ島ってありますね。」
「ひょっとしてフェリーですか。」
「どう見てもスペース バトルシップ ヤマトには見えませんけど。」
「見ましたヤマト。」
「オブコース」
「カタカナ英語で言わないで下さいよ。」
「クリスマスリースもいいけどわたしはもみの木とソックスのイルミネーションがいいんです。」
「ジャーン、雌雄島海運のフェリーめおんです。」
「質問、雌雄島海運ってどう読むのですか。」
「まあ、しゆうとは読めるけど島、島は”しま”かな”じま”かな。」
「案外、裏をかいてメス・オス・トウ海運だったりして。」
「そんなこと言ったら次フェリーに載せてくれないかもしれませんよ。」
「ほんとに、愚問だと思います。船内アナウンスでちゃんとありますから聞いて下さいね。」
「・・・」
「いいでしょう。」
「どこがいいんですか。」
「走れメロスではないのですか。」
「どうしてそう情緒を台無しにする質問をするのですか。」
「”めおん”の船名の由来を知っていますか。」
「その前にめおんとめおん2があってそれぞれ全長33メートルと34メートル位エンジン出力は800馬力と1300馬力だったかな最大船速は10ノットから12ノット位かなあ・・・忘れちゃった。」
「クリスマスリースを付けて航行するめおん、いいんでしょう。」
「まあ、人それぞれですから。」
「正月は松飾りですか。」
「・・・」
「郷土の誇り、景勝屋島とめおんです。」
「ところでめおんの由来を教えて下さいよ。」
「それはね、雌雄島海運がフェリーを就航するにあたり船名を公募したのですよ。」
「それで、」
「雌雄島海運は高松と女木島と男木島を結ぶフェリーで男木島小学校の男児生徒が名付け親みたいですよ。」
「で、めおんって。」
「女木島と男木島がヒントです。」
「女と男ですか。」
足摺岬を旅する時、わたしは夕日を見るだけに訪れる場所があります。
ここは足摺岬の松尾地区、臼碆という場所です。
黒潮接岸地としてよく観光ガイドブックやパンフレットに記載されています。
春の大潮の時など海が川のように流れその様子から臼碆という名称の由来にもなっています。
わたしは何となくこの場所が好きです。磯釣りを楽しむ釣り人にとっては絶好のポイントが点在している場所でもあります。
足摺岬のパワースポットといえば足摺巨石文化の象徴としての唐人駄場が有名です。
わたしは高所恐怖症ですから唐人駄場の巨石の上からではとても撮影できません。パワーを感じるより先に恐怖を感じてしまいます。
画面の鳥居は臼碆にある臼碆竜宮神社のものです。
画像は過去のものを使用しています。現在の竜宮神社は鳥居の両脇に幟の枠が立っています。
幸いこの日はわたしの願い通り海に沈む落陽になりました。ただ、画像で見られるように典型的な夕日のハンターが追い求めるダルマ夕日ではありません。
寒さもさらに厳しくなり気温、海水温など諸条件が整うと面長いダルマ夕日となります。
太陽は海に海容するように沈んで行きました。
わたしはへこんだ時、この臼碆の落日から明日への力をもらっています。わたしのパワースポットといっても過言ではありません。
それは、太陽がわたしの疲れを海容してくれるかのようです。
臼碆の落陽を見てみませんか。
お勧めします。
・・・夕日を見れなかった時、重い足取りで階段を上って行くことになります。・・・
臼碆竜宮神社沖に沈む夕日です。拙い演奏ではありますがお聞きいただければ幸いです。