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土浦散策・ツェッペリン伯号展示館

2018年09月09日 | 生活
喫茶蔵横の「土浦ツェッペリン伯号展示館」。

模型+パネル+昔の記事。 濃い。



~というか、どんだけデカイんだ、ツェッペリン伯号!

大きい=単純に「凄い」。畏敬の念しか湧かない。



大和といい、大きなものは人を引き寄せるよ...。

そもそも何でこんな大きな飛行船が土浦に飛んできたか
調べたら…



まず1920年(大正9年)霞ヶ浦海軍航空隊が設置されて
いるんですね。

そんで巨大飛行船の格納庫が設置されてたんですね。



日本は第一次世界大戦では、英・仏・米国側におり、
“戦勝国”として、ドイツから戦勝品の大型飛行船用
格納庫を霞ヶ浦に移築していたという話。



ただし、ドイツ人捕虜の扱いは手厚かったという事で
日独間の感情は悪くなかった模様。

そして1929(昭和4)年、ドイツのツェッペリン伯号
(LZ127)が世界一周の途中に飛来。

その着船に件の格納庫が利用されたとの事。
アジアで霞ヶ浦が唯一の場所だったそうだ。



その巨大さは評判となり、4日間の駐留期間で茨城県内
および東京都から約30万人もの見学者が押し寄せたという。

「君はツェッペリンを見たか?」

大正時代から昭和へと霞ケ浦航空隊の歴史は続き、今は
予科練平和記念館や慰霊碑が残っているそうです。



土浦セントラルシネマズの社長さん、霞ヶ浦航空隊や
予科練のことも話されていましたね。

ツェッペリン飛来記念の碑もあったらしいが、縮小され
現在は自衛隊の敷地内にひっそり佇んでいるとの事。

行きたかったけど、意外と遠いし諦めました。



飛行船の父ツェッペリン伯爵は言うまでもなく貴族です。

後の子孫は英国のハードロックバンドに「野蛮な音を出す
連中が名乗るのは許さない!」と怒っておられたとか。



ツェッペリン号の飛来写真(1929年)、資料写真。

実物の縮小模型「GRAF ZEPPELIN LZ 127」も吊るされて
おります。乗員となった日本人の写真もあります。

ツェッペリン末裔の方々が記念碑を来訪され、うやうやしい
出迎えを受けられる写真もあります。



さらに1931年(昭和6年)にはリンドバーグ夫妻が世界一周の
途中に霞ヶ浦を訪れていて、これまたビックリ。

こちらの写真も展示されており、この地の航空基地としての
印象を深めてくれてますね。



土浦は「飛行船の町」としての再興を目指し「ツェッペリン
クラブ」プロジェクトを勧め、LZ127より小規模とはいえ充分な
大きさのツェッペリンNT飛来イベントを2005年に実現。

「NZでこれだけの大きさならLZ127はどれ程の衝撃だった事か」



そのきっかけになった20分の1のツェッペリンLZ127模型は亀城
プラザで展示されている。

全長約12メートルの模型は、ドイツから設計図を取り寄せて
精巧に作られたもの。



お披露目でそれを見た当時の日本飛行船社の関係者から、同社の
ツェッペリン社最新の飛行船「ツェッペリンNT」を土浦へ…と
いう話が持ち掛けられ、ツェッペリン倶楽部はドイツまで出向く
事になったそうです。



定期回航の話も出たそうだが、バブル崩壊で断念。
しかし、ロマンある素晴らしい計画だったと思いますよ…。

喫茶室「蔵」のレトロな空間と合わせ、大変有意義な時間を過ごす
事が出来ました。



ツェッペリンLZ127飛来時、土浦側が乗員に振舞ったというカレー。
(当時はレンコンは使っていなかったろうが)それを名物として
メニューに加えた喫茶店「蔵」。

ぜひまた訪れたいと思いました。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2023-09-30 22:04:24
飛行船が着陸したのは阿見町です。土浦市には降りた事はありません。
土浦上空を… (ある@ブログ主)
2023-10-02 12:23:58
飛んで、飛行船が着陸したのが霞ヶ浦海軍航空隊。
住所は茨城県稲敷郡阿見町という事ですね。
言葉が足りず、失礼いたしました。

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