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ファイティング原田氏に旭日小綬章

2016年11月08日 | ボクシング
政府は3日付で16年秋の叙勲受章者を発表。

西川きよし師匠、サッカー日本代表を率いたオシム元
監督らと共にボクシング界からも受章者が生まれた。

日本人初の世界2階級制覇を達成した、ファイティング
原田こと原田政彦・日本プロボクシング協会終身名誉会長
(73)が旭日小綬章を受章。

現役時代の活躍のみならず、慰問活動などの社会貢献も
評価され、原田氏は取材記者に満面の笑みを見せたとか。



元プロボクサーの叙勲は日本初の世界王者として「戦後
日本に希望を与えた」偉大な存在=故白井義男先生に次ぐ
2人目となる。

現在は横浜市内に構えたジムで、「こんなに記者に囲まれる
のは久しぶりだね」と素直に喜んだ原田氏。

日テレの解説者からも退き(小林弘さんとのコンビが懐しい)、
2010年に日本プロボクシング協会会長を退任してからは、
選手の指導に専念。

余り表舞台に立つ事もなくなり、05年に脳内出血で倒れて
1カ月入院された事もあったが、退院10日後にはゴルフの
コンペに参加するなど脅威の生命力は健在だった。

「日本を鼓舞した人だから」と芸能人が音頭を取っての
快気祝いパーティーには感激しきりだったそうだ。

今も元気な原田氏は「スポーツ界でも受章が難しい最高の栄誉。
一生懸命やってきたことが評価されたのかな」とコメントした
との事。

今後の事を聞かれると「3階級制覇王者を育てたい。自分は
成し遂げる事は出来なかったから」と語った原田氏。
バリバリのボクシング人ですねぇ。

実際に育てたのはトーアファイティングジムが都内にあった頃、
今里光男という日本バンタム級王者1人なんですけどね。

この今里さんが面白い選手で、左をダラリと下げたスタイルから
ジャブを飛ばし強打を振るうという見事な個性派。
よくぞ、ああいう選手を育ててくれたと思いますよ。

今里vs磯上修一、大山悦、田口誠、西村貴晴、島袋忠、
高橋直人…印象深い試合が目白押しでした。

今里さんがボディで倒されたときには「それが残念」…と、
いかにも原田さんらしいコメントを残してくれたものです。



正直「一生懸命」や「努力」が苦手な私からすると、その
前向きさ・真っ直ぐさが苦手だったりした原田氏だが。

勝っても負けても相手を素直に称える姿にウソは無く。

「キングピッチには出迎えた空港でシカトされカチンと来た。
試合で滅多打ちして気持ちよかった」とか、素直すぎて呆気に
とられるコメントも多い人です。

「減量すれば『なにくそ』って気持ちになれる」とか、80
年代を過ぎて語るなど、スポーツ科学に逆行するコメントも
多かったしなぁ。

ただ、故・笹崎会長の事を「オヤジ」と呼び、「オヤジのジム
じゃなかったら世界王者になれなったろうなぁ」と感謝する姿は
素晴らしく。(他でよく聞く引退間際の確執とか無いもんねぇ)

今回の受章も心から喜んでいる姿が目に浮かぶんですよ…。

今や日本のジムも大橋秀行会長らに世代交代している印象が
ありますが、またセコンドで活躍する原田さんの姿も見て
みたいですねぇ。

【原田政彦(はらだ・まさひこ)=ファイティング原田】
1943年(昭18)4月5日生。
東京都世田谷区出身の73歳。

笹崎ジムから60年2月にプロデビュー。
新人王戦で後の世界王者対決を制し、海老原博幸に判定勝ち。
62年10月、19歳6カ月でポーン・キングピッチ(タイ)を
11回でKOし、世界フライ級王座獲得。

タイでの再戦に敗れ、階級を上げたバンタム級でも敗北を喫するも、
65年5月には当時無敗・無敵と言われた世界バンタム級王者エデル
・ジョフレ(ブラジル)に2-1で判定勝ちし、日本人初の2階級
制覇に成功。



ライオネル・ローズとの防衛戦で判定負けしFe級に転向。
三階級制覇にも挑んだが豪州での不運な判定で野望ならず。
東京での再戦にKOで敗れ、70年に現役を引退。
通算63戦56勝(23KO)7敗。
米国の名誉の殿堂入りも果たしている。

「ラッシュの原田」「絶対に下がらなかった」などという
高度成長時代に使われた美辞麗句より、ゴムまりのような
ボディワークやフットワークやクリンチなど試合運びの
上手さ・ズルさを再評価すべき選手だと思います。


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