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『手法』について/前川義春《穿孔》   藤井 匡

2017-05-07 11:28:11 | 藤井 匡
◆《穿孔Ⅰ》花崗岩/750×250×100cm/2003年

2004年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 32号に掲載した記事を改めて下記します。

『手法』について/前川義春《穿孔》   藤井 匡


 前川義春は、自らの彫刻が成立する要件として、〈彫刻が自然の影響をうけつつ、状態として風景と一体化し、長い時間をかけて完成に向かうこと〉と〈作家の石に対する行為は自然と同化してしまわずあくまで一線を画したうえで痕跡を残しつづけられるものであること〉(註 1)を挙げている。

 この二点は共に、彫刻の制作自体に関することではなく、彫刻の長期的な野外展示に関する事柄である。つまり、作者の意識する彫刻の成立は、彫刻の制作とはズレをもっている。彫刻とは永遠=不変の存在ではなく、作者の手を離れる制作終了時点と風化による消失時点との間で、変化していく現象だと考えられているのである。ここでは、彫刻の制作は、その成立全体の一部を占めるに過ぎないものに相対化されている。

 前川義春が使用する石は、人間の目には、耐候性に優れた素材に映る。しかし、それは膨大な時間をかけて生成/崩壊の運動を続けており、正確には、人間とは時間の尺度が異なるものである。その際、石は人間には感じられない微細な出来事を集積し、差異を蓄積していく。作者の彫刻観は、他の素材にはない、こうした石の特性から引き出される。

 ただし、順番として、先に人間と石との差異が概念として掴まれ、後に概念に対応する素材が選択されたと考えるべきではない。前川義春はキャリアの最初期から石による――それも野外展示が適当な大型の――彫刻を継続的に制作してきた。石という素材と一対一で対応する作者の彫刻観こそが、石を扱う過程の中で深化されたものである。

 作者にとっての石は、時間を超越して在り続ける存在ではない。同時に、変化を繋ぎ合わせることで時間の流れを捉える、通時的な視点(歴史)を導くものでもない。それは、時間を一定の幅として把握する、共時的な視点を提供するものである。前川義春の制作方法は、この認識から演繹されている。
                   ◆         
 《穿孔》は、直方体に近い原石を横方向からコアドリルで半ばまで刳り抜き、外側四方向から矢割りして切り離した作品である。こうして分割されたパーツは、近い距離に、切り離した順序で並べられる。ここでは、石を彫り刻む作業は行われないため、原石のほとんど全てが作品に用いられる。つまり、原石から離れた形態が創出されるのではなく、同一存在の、異なった状態として提示されるのである。

 穿孔と矢割りの二つの作業から、彫刻は「原石のままの表面」「コアドリルで切られた表面」「矢割りされた表面」の三種類の表面を有することになる。この内、題名にも付けられた穿孔作業による表面は、原石の表面や矢割りされた表面と性格を異にする。

 コアドリルは石を円筒形に、文字通り、機械的に切断する機械である。したがって、基本的にはどの石のどの部分であれ、規格に応じた一定の表面が出現する。ここでは、作者と素材との関係は、主体とその延長という一方向的なものとなり、予想通りの表面(想像物のコピー)を現前させることが可能となる。

 だが、矢割りされた表面では、事情が異なってくる。割れ方を予想して矢の位置や本数が決定されるものの、それは素材に内在する石圧や石目などの摂理に依存するからである。この石の摂理は、外側から見ても完全には把握できないため、作者がどのように予測しようとも、結局は割ってみないと分からないものとなる。表面は石を割る行為と同時に発生するもので、事前の想定が現実として再現されるという思考を許さない。

 このように、穿孔と矢割りとがもたらす表面は対照的な性格をもつが、作者の主題は矢割りの表面にあると考えられる。彫刻の表面を統制しようとする態度と、作品の経年変化を許容する冒頭の要件とは、相容れないものである。実際、前川義春の以前の作品は主に矢割りの表面によって成立しており、矢割りと対比的に見せる以外には、幾何学的なカットや研磨などの機械的な表面は避けられてきた。《穿孔》では、矢割りの表面を前景化するために、コアドリルでの作業が重ねられるのである。
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 こうした表面を対比的に意識させる構成は、その表面をより詳細に見分けようとする動機を誘発する。その結果、穿孔と矢割りとの差異に留まらず、視覚効果では同一のはずの、矢割りと原石との差異に目を向けさせることになる。

 《穿孔》で使用される、直方体を基調とする原石の表面は、自然に生じたものではない。作者の手に届く以前に、石材業者の手で、利用・運搬しやすい大きさ・かたちに割られたものである。その方法と作者による矢割りとは、技術的に全く同じである。

 同様の方法によって割られた表面は、当然、同様の相貌を現す。両者の関係への着目は、「割ったのは誰か」ということに意味を見出すのを困難にする。石を割る行為は、制作という言葉が内包する作者=主体の存在を危うくするのである。冒頭の二つの要件は、実は、この主体を巡る問題と繋がっている。

 〈彫刻が自然の影響をうけつつ、状態として風景と一体化し、長い時間をかけて完成に向かう〉とは、制作主体とは別のものから何かが加算/減算された状態を、完成と見なすことである。ただ、それは制作主体の外側に由来する以上、いつ・どこに・なにが加算/減算されるかは作者にとっては(誰にとっても)不明である。したがって、作者自身は作品の完成を決定できない。作者の思惟と石の存在とは断絶しており、作品に対する作者の特権性は剥奪されるのである。

 しかしながら、他方で〈作家の石に対する行為は自然と同化してしまわずあくまで一線を画したうえで痕跡を残しつづけられるものである〉ことも要求される。作者と素材との接点が消失するならば、路傍の石と彫刻との違いはなくなり、完成という意味自体が失効してしまう。そのために、制作主体を完全に放棄することはできないのである。

 前川義春の設定した、相反する二つの要件は、完成の意味を宙吊りにするものである。作者の素材への関与は、始まりから終わりへと直線的に向かう歴史とは別種の時間概念を導く。ここでは、終わり=目的が見えない以上、現前する石の変容の蓄積を見続け、受容するしかない。石の変容の方が、作者の変容を引き起こすのである。
                   ◆         
 作者は、自らの行為に関して〈できうる限りシンプルな形態、行為の中で彫刻を成立させたい〉(註 2)と言う。《穿孔》では、穿孔・分割・配置の三つに限定されるが、それは、シンプルな(ミニマルな)彫刻を制作したいという意味ではない。行為を最小限にまで還元することから、作者・作品・制作といった彫刻の制度を支える基礎を問うことを表明しているのである。

 冒頭の要件では、制作と自然とは対比的に扱われている。しかし、この自然はあくまで主体の外部に位置しており、主体が語ることのできないものに属する。ただ、この問題を主体側から語る時には、そうした言葉を用いるより他はない。仮に、作品をテクストと呼び代えるならば、主体の拘束を離れて語ることは可能である。しかし、そのときには、この問題を生み出した、主体を問題とする主体も同時に消えることになる。

 前川義春は1985年から1991年までドイツに滞在し、ヨーロッパを中心に活動を行っていた。自然科学を生み出した西洋では、「God as the Great Architect」(註 3)という合理的な自然観をもち、彫刻もこの思想の延長に展開してきた。ここでは、世界を創造した神と彫刻を制作する彫刻家との間には、並行関係が形成されている。この場所では、制作主体は自明なものとして保証されるのである。

 他方、作者が生まれ育ち、現在の活動の中心となっている日本の自然観は、そうした原理性をもたず、自ら成る事実として位置づけられる。さらに、この自然は、人為と自然という対立をも排除していくように機能する。(註 4)この場所では、西洋とは逆に、主体そのものを確立することが困難である。

 前川義春の問題設定は、この二つの場所の落差から生まれてきたものと思われる。洋風一辺倒になることも、日本に回帰することも、自らが抱える矛盾から逃避することでしかない。彫刻は「つくること」と「つくらないこと」とに分離したまま留め置かれる。ここでは、矛盾を頭の中で解消するのではなく、その中を生きることが選ばれているのである。


註 1 作家コメント『第9回八王子彫刻シンポジウム』図録 1993年
  2 作家コメント『東条アートドキュメント '95』図録 1995年
  3 柄谷行人「暗喩としての建築」『暗喩としての建築』講談社 1983年(初出1981年)
  4 柄谷行人「批評とポストモダン」『批評とポストモダン』福武書店 1985年(初出1984年)



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