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「ゆりかご」 三宅哲雄

2011-02-20 12:50:51 | 三宅哲雄

Dsc02558

(2006年子供の造形教室・夏期合宿-清里-)

生活空間の選択 -どこで生きていきますか…-                           三宅哲雄 

 「このままだと5年生存率は25%です」とサラットと話す医者の言葉は私にとってはリアルな社会で生きているという現実を強烈に知らされた時でした。私は「早期に発見していただき、有難うございます」と返答すると「早期ではありません。むしろ末期に近いです。早急に転移の有無を検査し治療方法を決めないと…」と私が置かれている状況の説明と今後の検査そして治療方法等の詳細な説明を受け病院を後にしました。

ゆりかご

 「ゆらり、ゆらり」と海に浮かび小さな波に身をまかせる。鳥の鳴き声や木の葉のせせらぎを聴きながら風に揺れる鳥の巣のような「すみか」に寝転がっていた日々を今でも身体が忘れることはない。温泉の町・別府で中学三年の一学期まで生まれ育った私は勉学とは無縁で朝から陽が沈むまで日曜日や放課後は野山で遊び過ごしました。

 早朝4時、ねむけまなこで新聞販売店に走り、新聞を配達順に仕分けをし、各戸へ配達をする。小学生の子供にはずっしりと重たい新聞の束を丸めて肩から担ぎ走る。田舎は都会と異なり配達する家と家の距離は離れ、歩いて配達すると学校の始業に間に合わないので走る。学校では給食を楽しみに居眠り、好きな教科は図工そして給食と昼休みの遊び。新聞配達のアルバイトで僅かな金銭を得るが育ち盛りの少年期、常に空腹で、海や川での水遊びは魚釣りか素潜りで魚を突き、その場で焼いて食べる。野山の遊びも同様で自然の果実(柿、栗、アケビ、グミなど)を収穫し、食することで空腹を満たしていた。勿論、チャンバラや棲みか作りに伴う刀や弓などの道具づくりも大切な遊びで、その合間には松の木の頂上を切り作った鳥の巣のような棲みかに寝転がり心地よい風と陽の光を浴びながら、うつら、うつら、と昼寝をすることが至福の時でした。 

 生物は自らの意思で生を得たり、生を得る時空を選択することは出来ない。私は幼少期は祖母に育てられ、一般的な父母に養育されることもなかった。これも自分で選択したわけでない。 敗戦が決定的となった昭和20年3月、空襲をほとんど受けず海と山の狭間で町の至る所から温泉が湧く温暖な地に生まれ、ほとんど野山に放し飼いに近い状況で中学三年の一学期まで育った。小学六年の京都修学旅行や盆の法事で竹田へのSLの旅を除けば半径数キロの行動範囲内で四季の変化を素直に表現する自然環境と遠慮がちに作られた人工構築物そこで生息している多様な動植物、そして人々との関係を無意識ながら自らのこととして生きることを学習しました。大人として生きていく身体の生成と、それを動かす心の育成は温室では育むことが出来ない生命力や治癒力そして創造力を形成してくれたという思いを最近になって実感することになりました。 

 術後の検診で「どうして、そんなに元気なのですか!」「同様の病気で手術をした患者さんと比較して、術後の検査結果と症状は驚くほど差があり、あまり症状の良くない患者さんに話は出来ないです」と主治医は呆れたように話しました。妻や子供も「本当にお父さんは、悪運が強いんだから!」と話しますが自分の身体が如何なる物かは今だ知りません。しかし筋肉リュウリュウのスポーツ選手と大きく異なる身体ながら相当頑丈に作られているのを改めて教えられました。 (つづく)