日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

佐渡日蓮聖人大銅像(佐渡市加茂歌代)

2021-04-01 16:36:33 | 旅行
龍口法難により、日蓮聖人が配流の憂き目に遭った島、佐渡。
当時、佐渡流罪というのは、生きて再び帰ることができない、非常に重い刑罰だったといいます。


周りは法敵ばかりの四面楚歌、そのうえ寒さや空腹と闘わなければならず、それはそれは辛い日々だったと想像できます。

そんな中でもお祖師様は「開目抄」や「観心本尊抄」を著され、またお曼荼羅のご本尊を初めて顕されるなど、現在まで続く宗門の根っこの部分を、ここ佐渡で創りあげたのです。
まさに聖地、聖なる島でしょう。


僕は3年前に佐渡に行き、お祖師様のご霊跡を巡拝しました。

観光地にもなっている有名な宗門寺院から、ガイドにも載っていないレアなご霊跡まで、参拝した地は、既にこのブログで紹介させていただいてます。
・・・が、実は一ケ所だけ、紹介していない所がありました。

「日蓮聖人大銅像」です。

真新しい宗祖の大銅像ですが、
「いったい平成の世になぜ、建立されたのだろう?」
という素朴な疑問を持っていました。
当時、見たままを紹介する事もできましたが、何か軽々に語ってはいけないような気持ちもあり、敢えて寝かせていました。

あれから3年経ち、最近無性に大銅像が気になってきたので、今回アップさせていただきます。


佐渡の玄関口・両津港からレンタカーで北へ10分ほど走ります。
佐渡を一周する県道45号線を山側に折れ、県道81号線に入ると間もなく、

「佐渡日蓮聖人銅像」の看板が見えます。
矢印に従って進むと・・・


ドド~ン!!

お祖師様が屹立していました!
僕の想像をはるかに超える、巨大な祖師像です。


呆気にとられ、見上げている身長176cmの僕と比べると、その巨大さが少しはわかっていただけるかもしれません。

銅像自体の高さは13m、台座も含めると26mもあるそうです。


右手に経巻、左手にお数珠の宗祖像は、各地の宗門寺院でも目にするスタイルですが、このサイズだと印象が段違いです!
脳味噌のシワにまで残像が刻み込まれます!!

これだけの銅像です、建設費だって相当かかったでしょう。
どうして、日蓮聖人の大銅像を建立しようという事になったのだろう・・・?


その答えとなるのが、銅像の傍らに建つ石碑です。
日付は平成十五年六月吉日、福岡県本佛寺の佐野前延上人のお名前で書かれた碑文です。

「建立辞義」となっていました。
「辞義」って単語、知らなかったんですが、調べてみると、①言葉の意味②言葉の筋道、とありました。
建立の理由、経緯ということでしょうか。
この「建立辞義」から、僕の疑問を解決してゆきたいと思います。


今から23年前、全国日蓮宗青年会のお上人方が佐渡に集まり、お題目を唱えながら島内を行脚したことがあったそうです。

声高らかに唱題行脚する青年僧達には、人の心を動かすエネルギーがあったのでしょう、ある地元信徒さんから土地寄進の申し出がありました。

「広宣流布のため、日蓮大聖人のために、活用して頂きたい」


その信徒さんは、塚原根本寺のお檀家さんでした。

(↑画像は根本寺・戒壇塚)
根本寺は日蓮聖人が佐渡に渡ってすぐにとどめ置かれた謫居、三昧堂をルーツとするお寺です。



ちょっと話は脱線しますが、僕が根本寺に参拝した際、ご住職である竹中智英上人にご首題を書いていただきました。
見た目はちょいコワモテですが、お話しするとホントに温和で、例えば中興入道御廟所の清水とか、何代坂など、ガイドブックには載っていないご霊跡の場所やエピソードを、それは丁寧に教えて下さいました。
竹中上人のお人柄のせいでしょうか、根本寺は僕にとって特に、印象が深いお寺なのです!


話を戻しましょう。
寄進された土地を最大限、有効に活用させるためにはどうしたら良いか、青年僧侶達は意見を交わしたそうです。

日々修行し、教学を究めているお上人達でさえ、「広宣流布のため」「日蓮大聖人のため」というのは、果てしない、どえらいテーマだったでしょう。
そして出た結論は、
「日蓮聖人大銅像の建立」
でした。


「建立辞義」には、なぜ日蓮聖人大銅像だったのか、その理由が2点、刻まれていました。

「一般にいう記念碑や宝塔では、日蓮聖人を祖師として頌徳することは不可能である」
「あくまでもそのお姿を、聖地佐渡に顕現すべきである」


ここで僕が頭に思い浮かべたのは、お祖師様が文永9(1272)年2月に塚原三昧堂で書き上げた「開目抄」です。
(↑画像は根本寺本堂の大提灯)
実は昨夏、初めて開目抄を読みました。
僕みたいな素人にとって、その長さもさることながら、難解な言葉ばかりで本当に苦心しました(笑)。
それこそ根本寺のHPにある訳文の力も借りて読み進めてゆくうち、「日蓮」という存在はこの開目抄を境目に、明らかに高い次元に昇華したのだと感じました。


(↑画像は片瀬龍口寺のご霊窟)
人間日蓮は龍ノ口で頸を刎ねられたのだ。
そして日蓮の魂魄(こんぱく)が佐渡に渡り、開目抄を書いたのだ。
今後はお釈迦様の使いとして、世の中を写す鏡といえる法華経を広め、民衆を救うのだ、と。


その上で、有名な三大誓願を記しています。

(↑画像は福岡・日蓮銅像護持教会境内の石碑)

「我、日本の柱とならん、
 我、日本の眼目とならん、
 我、日本の大船とならん」


こんな人物を、いや、こんなどでかい存在を、表現し、讃えるのに、若いお上人方が悩んで悩んで悩み抜いて、行き着いた答えが「大銅像建立」だったと、僕は理解しました。


平成12(2000)年、佐渡銅像建立委員会が発足します。
全国日蓮宗青年会の事業ではなく、福岡本佛寺の佐野前延上人、塚原根本寺の竹中智英上人、札幌妙心寺の若松宏泉上人を中心とした有志で委員会を作り、銅像建立という一つの目標に向かって、日々奔走されたようです。
※札幌妙心寺は、まだ訪問したことがありませんが、いつか参拝してみたいお寺の一つです。



お上人方の熱意により、全国三千名以上からの協力を取りつけ、事業は一気に動き出します。
予定地の周辺地が寄進されたり、隣地の地権者も賛同してくれたようで、結果、非常に広い敷地が確保できたといいます。



大銅像は富山県高岡市の老子製作所が鋳造してくれたようです。
名うての職人集団ではありますが、前代未聞の巨大銅像、製作は大変だったと思います。

(大銅像建立の経過は、根本寺のHPに詳しく記録されています。是非多くの方に見て頂きたいです。)


平成15(2003)年5月13日、全国から実に二千名もの、宗派を越えた人々が参列する中、開眼供養法要が行われました。
長崎の長照寺住職であった故・浅井圓道上人が導師を務めました。
浅井上人は宗門の教育者として、傑出した方だったそうです。

↑台座に嵌め込まれている「開目」の文字は、浅井上人の揮毫です。
ちょうど土地が寄進された頃、浅井上人は、講演でこう語られたそうです。

「佐渡の地は、立教開宗以来培われた日蓮聖人の大いなる思いが溢れだした聖地であり、その魂魄(こんぱく)が留まっている」

聴講していた佐野前延上人は、この言葉をモチベーションとして、事業を推し進めました。


ところで、日蓮聖人大銅像というと、以前参拝させていただいた博多のご尊像を思い出します。

元寇の激戦地だった博多東公園に立つ、高さ10.55mのご尊像です。
列強の挑発に揺れる明治37(1904)年、600年前の元寇の史実を伝えるため、そして他国侵逼難を予言、幕府に諫暁までした宗祖を頌徳するため、建立されました。


大銅像建立運動の中心となったのは、福岡本佛寺第五世の佐野前励日管上人でした。

佐野前励上人は十数年間にわたって、日本全国を布教しながら募金行脚を続け、本当に苦労して衆論、そして宗論を動かし、大銅像建立を成し遂げたのです。


実は博多の大銅像を参拝して以来、僕は佐野前励というお坊さんに興味を惹かれ、伝記「佐野前励上人」(昭和41年発行:原田種夫著)を古書店で購入しちゃいました!
こちらに博多大銅像建立の経緯が詳しく書かれていました。
今回のブログの主旨から脱線しすぎてしまうので内容は割愛しますが、宗門内外に問題山積の時代、気持ちの良いくらいに真っ直ぐな佐野前励上人が蒔いた種が、実は結果的に、今の日蓮宗の基礎となっていると知りました。


奇しくも、博多大銅像建立からちょうど100年後、佐渡に大銅像が建立されたのです。
そして・・・
佐渡大銅像建立運動の中心人物の一人であり、「建立辞義」を書かれた佐野前延上人は、(僕の理解が間違っていなければ)佐野前励上人のひ孫にあたる方だと思われます。
ブログの下調べ中にこの事実を知った時、ホント、鳥肌が立ちました!
なんという宿命、因縁でしょうか。


ちなみに、福岡本佛寺の活動はYouTubeチャンネルで観ることができます。
お上人方、お檀家さんとも、(お世辞抜きに)本当に真摯に仏道修行に向き合っている姿に、感動すら覚えます。

特に、本佛寺第九世の佐野前延上人は、勤行に、法要に、土木工事にと、先頭に立って一日中、走り回っています。
血筋なのでしょうね、とにかくエネルギッシュな「御前様」です!



今、改めて佐渡大銅像の画像を見るとき、建立に奔走された佐野上人や竹中上人、若松上人はじめ多くのお上人、そして彼らに影響を与えた先師、血脈、浄財をひねり出した市井の人々・・・お像の向こうに一人ひとりの姿を感じられるのは、僕が各地のご霊跡を巡拝してきたからでしょうか。
全てがつながり、同じところに帰結してゆくのでしょう。


「魂魄(こんぱく)」とは、人間の「たましい」の事だそうです。
「魂」は精神を、「魄(はく)」は身体を司るなにものか、だと思います。
古来から、人は死ぬと、魂は天に昇り、魄は土に還ると言われてきたようです。

ならば佐渡の空にはお祖師様の魂が宿り、大地にはお祖師様の魄が留まっているのでしょう。


「あくまでもそのお姿を、聖地佐渡に顕現」したかった青年僧達の、思いの集大成としての佐渡日蓮聖人大銅像を、このブログで上手く紹介できたのか、正直、自信はありません。
しかし自分が存命中に初めて開かれた、貴重なご霊跡でもあります。この時代に生きた一信徒が感じたことを、ブログにする意味はあったのだと信じています。


今年は日蓮聖人が開目抄を書かれてから750年の節目です。

南無妙法蓮華経。