先日 小雨の畑でしたが さつま芋の苗を植えました
五年ぶりでしょうか なつかしい苗の感触でした
そして これは偶然ですが その数88本・・ 縁起のよい数になりました
値段は〆て1350円 一本で15円強のスグレものです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/88/f501c65f2fed71417f0e5867711beffa.jpg)
彼ら さつま芋のすぐれてるのは 値段だけではありません
その強靭さにあります
花の茎をスパっと切ったような苗を 土に刺すだけでいいのです
肥料は 全く必要ありません
いまは このようにヘタッていますが これは世を忍ぶ仮の姿です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_2.gif)
いずれ シャキっと背を伸ばして やがて畑いっぱいに葉っぱと茎で占拠することでしょう
このような性質だからこそ 戦後の東京焼け野原で育ったわけです
彼らは戦後のスーパーマン かぼちゃマン共々 命の恩人でした あらゆる工夫をして食したものです
サイコロのように細かく刻んで 米に交ぜてお釜で炊く
”サイコロ”の周りに ご飯が張り付いていましたね
少ないご飯が さつま芋に謝っていました 「すまん
」
芋を蒸かして 塩をつけていただく
乾燥芋に加工して おやつがわりに"かじる” これは固かったです
そのため 歯が欠けた友人が 何人かいました
芋で歯を欠く いま思えば 実にいもいもしいことです![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_8.gif)
芋羊羹も忘れられません 蒸かした芋をしゃもじで潰しただけのものです
形は 団子のようでした 羊羹というより「芋団子」・・
舟和のヒントにでもなったのでしょうか
葉っぱも 捨てるものはいませんでしたね
味噌汁 塩汁のなかで 堂々主役を張っていましたよ
月島で 練ったさつま芋を ハゼの餌にしたのは かなり食料に余裕がでてからのことでしょう
たいして釣れませんでした なにしろ芋が海中ですぐに溶けてしまいましたから・・
今回は「紅あづま」です 戦後の恩人たちは 水気を多く含んだ軟弱な芋族でしたが 紅さんは旨い
戦後の一時期に 男子一生分のさつま芋を食べた気分のオジさんですが 自分で作ったとなると 話は別です
当時を回顧しながら 懐かしさと 感謝の気持ちでいただきます
もちろん 孫たちには さつま芋にかかわる 戦後の食料事情を語り継ぎながらです
さらに 環境が悪くても 逞しく育っていくさつま芋の一族・・
教育素材には 最適任の”華麗なる芋族”です
♪さつま芋よ 今夜もありがとう~♪![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hakushu.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hakushu.gif)
五年ぶりでしょうか なつかしい苗の感触でした
そして これは偶然ですが その数88本・・ 縁起のよい数になりました
値段は〆て1350円 一本で15円強のスグレものです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/88/f501c65f2fed71417f0e5867711beffa.jpg)
彼ら さつま芋のすぐれてるのは 値段だけではありません
その強靭さにあります
花の茎をスパっと切ったような苗を 土に刺すだけでいいのです
肥料は 全く必要ありません
いまは このようにヘタッていますが これは世を忍ぶ仮の姿です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_2.gif)
いずれ シャキっと背を伸ばして やがて畑いっぱいに葉っぱと茎で占拠することでしょう
このような性質だからこそ 戦後の東京焼け野原で育ったわけです
彼らは戦後のスーパーマン かぼちゃマン共々 命の恩人でした あらゆる工夫をして食したものです
サイコロのように細かく刻んで 米に交ぜてお釜で炊く
”サイコロ”の周りに ご飯が張り付いていましたね
少ないご飯が さつま芋に謝っていました 「すまん
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/dogeza.gif)
芋を蒸かして 塩をつけていただく
乾燥芋に加工して おやつがわりに"かじる” これは固かったです
そのため 歯が欠けた友人が 何人かいました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_6.gif)
芋で歯を欠く いま思えば 実にいもいもしいことです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_8.gif)
芋羊羹も忘れられません 蒸かした芋をしゃもじで潰しただけのものです
形は 団子のようでした 羊羹というより「芋団子」・・
舟和のヒントにでもなったのでしょうか
葉っぱも 捨てるものはいませんでしたね
味噌汁 塩汁のなかで 堂々主役を張っていましたよ
月島で 練ったさつま芋を ハゼの餌にしたのは かなり食料に余裕がでてからのことでしょう
たいして釣れませんでした なにしろ芋が海中ですぐに溶けてしまいましたから・・
今回は「紅あづま」です 戦後の恩人たちは 水気を多く含んだ軟弱な芋族でしたが 紅さんは旨い
戦後の一時期に 男子一生分のさつま芋を食べた気分のオジさんですが 自分で作ったとなると 話は別です
当時を回顧しながら 懐かしさと 感謝の気持ちでいただきます
もちろん 孫たちには さつま芋にかかわる 戦後の食料事情を語り継ぎながらです
さらに 環境が悪くても 逞しく育っていくさつま芋の一族・・
教育素材には 最適任の”華麗なる芋族”です
♪さつま芋よ 今夜もありがとう~♪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hakushu.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hakushu.gif)
箱根の夜をご堪能して来て最高ですね。私も来月8日に箱根で1泊です。
身体も絶好調に戻りましたので、又「チョイワル親父の夢を語る」サミットを開催しましょう。
それまでは、白っぽい、水っぽいさつま芋が定番でしたからね。ホカホカの金時の黄色がまぶしく感じたものです。
焼き芋は高くなりました。
ちょっと手がでません。
お、やはり箱根ですか。
腕も全快、いい温泉旅行になりますね。
サミットも考えなくてはいけませんね。
楽しみにしています。
それは、皆戦後の食糧難時代の思い出です。
学校の運動場の隅が芋畑になったこともありました。
父の勤めていた校区の山へ、父の自転車の荷台に乗って、芋苗差しに付いていって手伝いました。
開墾した土地だったので、父は鍬を使って、汗ビッショリになって畝を作っていました。
私は、石ころを取っては、山の中に投げ込んでいました。
芋は代用食になったり、遠足のお弁当になったり、芋飴を父が作ってくれたり、皆父の思い出に繋がって、
オヤジな私さんのお陰で思いで辿りをしました。
「芋よ、今夜は ありがとう」の巻きです。
anikobeさんもお父さんの自転車の荷台に乗ってのお手伝いでしたか。
私の戦後も、路地裏のさつま芋ではとうてい足らず、母について習志野へ買出しにでかけました。
一貫目をリュックにつめてかついできましたが、重い印象が残っています。
開墾した土地での作業は大変でしたね。
石ころの数も多かったでしょう。
お互いに苦しい体験をしてきましたが、いま思えば親への感謝ですね。
苗を植えながら、当時の想い出をかみ締めていました。
芋よ、ほんとうにありがとうです。
あんなに美味しいのに・・・楽にできるなんて。
優れものですよね。
大学芋・・・食べたくなってきました(笑
オヤジな私さんより高かったですよ(苦笑)
元気だった頃茎も料理の1品でしたが葉は使いませんでしたねぇ。
南瓜はは半分腐ったものを畑の隅に捨てておいたら次の年に採れた思い出があります。
薩摩芋の買出しに行った母の安否を思い、待ちわびる日暮れの心細さ、重いリュックを背負った母の姿を見て安堵したものです。
主人も「芋は一生分食べたからもう食べたくない」と申していました。
薩摩芋の粉で作ったパン(団子のような)は真っ黒ですが甘くて結構美味しかったです。
しかも88本もですかぁ~@@;
すごい数のサツマイモが出来る事でしょう。
我が家は今年は植え付けしませんでした。
人数も少なくなって、いつも食べきれずに処分になってしまってましたから。
食べる分だけ買う事にしました。
でもオヤジさんのを見ると、うううぅ~~!!
血が騒ぎます(~_~;)
その娘は今、畑で美味しいサツマイモの成長を目を細めて見守っています。
もうサツマイモ植えの時期になりましたね!
akiさんは88株も植えられて、大量に収穫したサツマイモをお知り合いに配るのですか?
私は25株植えただけでも余ってしまいます。苦笑
akiさんの畑は何もかも大収穫ですね
一週間ぶりに太陽が顔をだしてくれました。
暖かくなりそうです。
さつま芋は苗を植えるときは楽ですが、茎と葉が伸びてきたときの管理が忙しくなります。
そのままにしておくと、茎から新しい根が生えて養分を分散します。
そのため、茎ごと持ち上げて反転させます。それを3~4回繰り返します。
本郷三丁目の藤村の大学いもが旨いですよ。