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小泉劇場国会で民社党永田がこける

2006-02-28 11:44:04 | 生活・教育・文化・社会
 堀江メールを武器に、功名のチャンスとばかり小泉自民党に挑んだ永田氏だった。ところがその武器たるやまがい物で、返り血を浴びるどころか自爆をするはめになってしまったのだった。

 この件は16日から始まったが、1週間以上武器(メール)の真贋をめぐってメディアが多くの時間を使った。事が始まった時は官邸に激震が走ったそうだが、翌日地検特捜部が異例の「捜査にはそれは含まれていない」と談話を出し、自供していないホリエモンの弁護団にも「それはない」といわせた。さすが自民党は、政府権力である。

 わたしが武部幹事長の記者会見のことを、22日(水)党首討論の前にコラムに書いたが、永田氏の追及が始まった直後の激震が走っていた時の記者会見であった。武部幹事長がうろたえた感じをかもし出していたのは、そういった状況下であったことが分かった。

 贋作メールのために、永田氏軽薄さにとどまらず、その後真実があるかのように吹聴してきた民主党そのもののが、政党としての信頼を大きく失うことになった。政党幹部の政治的稚拙さに、野党第1党の民主党がこの程度で、日本の政治は大丈夫かなという思いもよぎる。

 贋作メールの騒動で、小泉型政治下で起きている重大なほころび(耐震偽造、暴政施設庁の庁挙げての談合、ライブドア、BSEの4点セット、他にもイラク撤退などもある)が問題になるはずの国会が、何もできなかったばかりか事が稚拙のため、威信を大きく失うことになった。自民党にしてみれば、押し寄せてくる嵐が吹く前に自爆によって消滅したようなものだ。嵐の消滅だけでなく、問題が解明されないまま、そのものが清算されたような流れになってしまった。

 もともと永田氏の失態は、すばやく民主党が対応すれば、国会運営上の問題として処理されていくものだ。ところが何も不正をしていない民主党が、今や国民にきびしい目が向けられる展開になった。
 これも小泉劇場型国会のワンシーであり、小泉と自民党は役者としての力を備えているが、その劇場で功名をあせった永田氏が役者として軽薄すぎたのであった。永田氏はもうこの種の国会での発言が任せられないばかりか、議員としての資質が問われるだろう。
 
ホイエモンと自民党

 贋作メールであるが、内容のホリエモンと自民党の関係は、応援した候補者がその後失態を演じたにとどまらない、本来は重大事である。ライブドアは事件を知るにつけ、IT企業ではなく企業買収会社であり、それも53億もの粉飾決算を象徴的に、大きな企業犯罪のうえに成り立っていたのである。そこに至ったのは、株式分割に象徴的なように、この間の小泉・竹中改革の規制緩和を利用したのであった。
 「時価総額世界一」などとう砂上の楼閣に、22万人とも言われる株主をはじめ、多くの人を惑わした詐欺的行為である。それに日本の最高権力である自民党幹事長、総裁、竹中がお墨付きさえ与えてしまっていたのである。これは一企業の大型犯罪にとどまらない、小泉劇場型政治の重大問題なのである。

 ホリエモンは、広島カープ買収に武部氏を介して、ナベツネ、奥田日本経団連会長に仲介を依頼したとのことだ。こんな厚顔で荒唐無稽ことをやり、自己財産数百億を持っているとも言われている人間を、いまだに若手実業家という幻想を抱いている人もいる。
 田原総一郎のように、1度持ち上げてしまったので、眼力のなさをらけだしたくないのでいまだに、若手起業家の芽を摘むなといっている。ホリエモンは、近鉄球団買収で世間に売り込み、選手会の2リーグセ制維持の支えになった局面もあったが、わたしはそのころブログをある期間読んで、怪しさを感じたのだった。
 振り返るとホリエモンを相手にした人は、失礼ながら守旧派の象徴のような人で、ホリエモンを引き立て幻想を振りまく役を演じさせられたのではないだろうか。プロ野球の際のナベツネ、ニッポン放送買収の際の日枝、選挙の際の亀井静香である。
 若い人は、これらの人が年輪を重ねてその世界の重鎮であるということには、関心を持てないのである。これらの人を持ち上げるわけではないが、ビジアルを消費していく多くの人には、人間の深さまで立ち入って見る教養がかけているのかもしれない。

*ホリエモンについては、05-8-20「ホリエモンは、選挙をも儲けの手段にする」、06-1-17「毎度お騒がせのホリエモン、今度は・・・」とコラムに書いている。

*14:50ぐらいから始まった、永田氏の謝罪会見を見た。メールを真性と認めるに至らなかったといいつつ、いまだにそれにすがって抜け出していない。政治家であれば武部氏と二男に謝罪をすることでけりをつけるだろうとおもったが、そうはしなかった。ホリエモンと自民党・武部氏との疑念があるのであれば謝罪をしつつ、水面下で調査をすればよいだろうに。
 何回も頭を深々と下げても、だれに対して何を謝罪しているか分からないものだった。この謝罪が、永田氏が新たに攻撃される火種をつくったようなものだ。武部氏は、ホリエモンを持ち上げた映像が何回もテレビ映し出されているうっぷんがたまでいるはずだ。それを払いのけて、自己の心のバランスをとる材料を提供したようなものだ。こんなレベルの政治はみっともない。永田氏の正義と実直さではなく、世間知らずのおボチャマぶりだけが印象に残ってしまった。

5歳は成長の節目として大きい

2006-02-27 09:51:38 | 子どもからの発見
 海は11月生まれなので、その誕生日の日をかなり前から楽しみにしていた。幼稚園での誕生会のあった日は、紙で先生が作ったカードをもらって、それを宝物のように大事にし、書いていることを読んでもらっていた。
 家庭での誕生会も、はっきり自分が主人公のように取り仕切りをしたがった。歌を自分の合図で開始させたり、ケーキのろうそくを消すタイミングなど「まだ、まだ」といったりする具合である。
 この年齢は大きくなることへの期待は大きいものがあることはわかっていたが、想像以上である。日々知識を吸収し、まわりのことにも関心がむくなど、自分でも大きくなっていることを実感できているのかもしれない。

 保育の世界では、年中組の子どもが、誕生会を成長と結びつけて喜べる、と言われている。同じクラスの子どもに対して、5歳を過ぎると「5さいにいばるきか」と、自分の大きさと優位性を表現することも見られるほどである。

 5歳を節目にした成長で際立つことは、海の場合は、社会的な知識を得て仕組みや関係性で物事がある、ということが際立って分かっていく。たとえば曜日、時間といったことで物事が進んでいくということ。幼稚園の休みの日、テレビ放送の曜日、明日あさっての行動予定といったことが分かり、それでことが進んでいく感覚が身につきつつある。何時になったら幼稚園に行く、ということを気にしながらそれまで活動する、といったことになってきている。
 友達の交流しながら、それから知らない知識を仕入れてくる。とくに小学生の兄のいる子どもが、おそらく得意げにやったり吹聴することを仕入れてきては、家庭で披露する。ことによっては本人が意味分からずやっているが、大人があわてることをしだすこともある。
 自分でやりたがる自立的行動が多くなり、主体的で好奇心も旺盛になる。親、園そして周りの大人の価値判断の影響を受けて、規範意識が蓄積していく大事な時期である。

ペットボトルのキャップ集め

2006-02-26 10:47:18 | 子どもからの発見
★ キャップ集め
 海は、最近ペットボトルのキャップの、デザインの異なるものを集めている。すでに15ぐらいになっているのを見たら、改めて様々あるものだと感心した。協力を求められたので、普段見過ごしていたがわたしも注意してみることにした。ピカチュウやテレビドラマものでなくほっとした。わたしもこの種の蒐集は好きなほうである。
 どうやらお兄さんのいる幼稚園の友だちの影響らしい。小学生でもはやっているのかな。
 ちなみにこの種の蒐集は、子ども大人問わず男性が多い。

 *参考までに、蒐集のことを春日武彦(精神科医)が『奇妙な情熱にかられて』(集英社新書)に著している。

★ 兄の真似をする妹
 妹の蕗は、3歳半頃から兄(その頃5歳)と対等に行動しようとすることが多くなった。言葉の発達に象徴的のように、様々なことが背伸びをしながらも理解できるようになっている。
 兄の真似をするし、モノでも対等に与えられないと不満をあらわにする。兄を見よう見まねをしながら、いつの間にか覚えたりできるようになっている。女の子は、一般的に幼児期の物事の獲得のつまずきは少ないということを、実感することが多い。
 ハサミは兄よりはやく使えるようになり、今では巧みである。兄のキャップ集めに対して、鳥の羽と動物のカード(テレホンカードなどの使い古したもの)を集めている。野鳥を見ては「チュン、チュン」といい、「かわいい」と言う。キャラクターや動物を見ては「かわいい」という言葉を連発する。

春がやってきた

2006-02-25 23:38:43 | 身辺のこと・自然
 朝は5時40頃から東の空が白みかかって、6時ごろには薄い茜色になるようになった。
 イヌフグリが花をいっぱいつけて、このところオドリコソウも花をつけた。今週の暖かさが春を一気に呼んだ感じである。

 わが家の庭に野鳥の立ち寄りが増えた。メジロがすっかり常連になったが、ヒヨドリも来るようになった。めずらしくシジュウカラも姿を現した。今週からパンのミミを手に入れて、それをやるようになったことが影響しているのだろう。キジバトがパンをついばんでいると、ヒヨドリがそれを追い返しす場面が見られる。ヒヨドリは攻撃的で、パンを好むことが分かった。
 池のサカナたちはまだ姿を見せないが、モのようなものが増えてきたので、気温が上昇しているからだろう。もうすぐメダカなど姿を現し、泳ぐのが見られるだろう。

 駅のコンコースは、季節ごとに巨大な飾りを提供しているが、人工の満開のサクラの木と鮮やかな薄黄色の菜の花が出来上がっていた。人工的空間に、春を演出しているのだ。

 わたしは、めずらしく月曜日から風邪のような症状である。1カ月ほどの無理がたたったのか。ところが体調不良でごろごろしても仕事の際は、なぜかしゃきっとするのだ。これまで仕事は長年休むことはない。
 火曜日の夜は、寒気でふるえがきたが約束を果たそうと思って出かけた。気が張っていても体調不良はいなめず、頭もぐじゃぐりゃで、われながら聞いている人に迷惑かけたと思い、自己嫌悪に陥ったのだった。
今日のテニススクールも休んだ。

 NHK衛星第2での「フォークソング全集」を、21:00から2時間じっくりみた。わたしはこの種の歌もよく知らないが、ギターの弾き語りのためにいくらか覚えたので、めずらしく集中して堪能したのだった。これだけの大型番組はあまりないだろうな。また、ギターを再開したくなった。

ようやくオリンピックに輝き

2006-02-24 10:43:25 | テニス・他のスポーツ
 フィギュアは欧米では人気のスポーツで、その勝者は多くの人に賞賛される。出場3人枠を得ている日本も、欧米に互してトップ水準であることは間違いない。
 今朝は、早めの朝食時にライブだったので、相当の人がテレビを見たのではないだろうか。視聴率は50%を超えたかもしれない、など推測している。わたしも5:20頃からの安藤から見てしまった。
 荒川が金メダルを獲得した。競技もさることながら、その後のインタビューでも何回も同じ事を聞かれているだろうに、常に冷静に安定した対応に、さすがその道を究めた人の風格さえ感じられた。
 この種の種目はとくにメンタル面が重要なので、メンタルトレーニングの成果なのかもしれない。さらにそれを超えた審査員だけでなく会場の人をも魅せる総合的力を備えている、という域なのかもしれない。
 荒川は、すでに20年ぐらい競技生活を続けてきている。この種目の頂点に至るということは、大変なことなのだと改めて考えさせられた。まったく成果のない日本選手にあって唯一のメダルであり、いっそう注目度が高まっている。
 フイギュアは、スケートにたとえれば500メートルの瞬時のスピードと5000メートルの持久力が必要とされる過酷なようだ。しかも体操とバレーの両方の種目の表現力も要求されている、すごい種目であることが理解できた。

 選手層の厚さから結果が出たという意味で、川柳(?)をひとつ。
 すぐれ(村主)技 
 メダルしとめた
 荒川に
 金の輝き
 みんな安堵(安藤)す

*フイギュアの視聴率は、NHKテレビで荒川選手の表彰式時に43・1%(ビデ オリサーチ、関東地区)だった。-朝日新聞2月27日(月)夕刊-



文字を自分で書き始めるようになる

2006-02-23 14:05:26 | 子どもからの発見
 海は、かるたの文字を見て、書けそうな文字を選んでサインペンで書き出した。かるたは、絵で最初の音を覚えている。最初の音とは、かるたの文字ということだ。
 語頭の音に着目できるのが5歳過ぎからであり、わたしがこれまで考えていたよりちょっと早めである。これは音に着目できる、言葉遊びのかるたを使った影響だと思われる。
 いくつかの言葉からある音を抽出(音韻抽出)すできるのが、6歳ぐらい(年長組)なので、それが可能になるのを正確に観察しようと思っている。
 音韻抽出の前に語頭の音に着目できる活動をていねいにやることが大事なことがわかった。日本語とくにかな文字表記につながる、言葉と音韻の関係を子どもが意識できるためである。活動とは、その内容を盛り込んだ言葉遊びの絵本やかるたや唱え言葉を覚えるといったものである。

 今では「さ」のつく言葉というと、いくつかの言葉を言えるようになってきた。すべて音に対して、その音の言葉探しをすることはやっていないが、これはすぐ言える語彙が見つけられないといったこともあり、難しいかもしれない。
 ところで文字を書くこともよそうより早くやっている。これも友達関係の影響が強い。最初に「ひ」を書いたときは、年長の子どもからの手紙が契機だった。今書き始めたのは、先日のバレンタインデイのチョコレートをもらったとき、手紙がそえられていたからではないかと思われる。
 書いた文字は、 つ う こ り い と し ひ さ た だった。自分で書けそうな文字を選んで、その音を発しながら書いたのだった。選んだ文字の基準がなんとなく分かる感じがする。

*かるたでお薦めのもの
 ことばのえほん あいうえお・かるた (五味太郎作 絵本館発行 1000円+税)
 <例>つながり つばめの つなわたり
    りんりん りすの りんごばん
    とうさん とかげ とんかち とんとん
 

武部幹事長の記者会見は、動揺を隠せないものと見たが

2006-02-22 10:18:23 | 生活・教育・文化・社会
 ホリエモンから武部幹事長の二男への300万献金(二男を経由して武部氏にわたった場合 贈賄など性質によって呼称が決まる二男への提供だけだと脱税になる)が、今日の午後からの国会の党首討論内容しだいでは、民主、自民の両党は相当ダメージを受けることになる。
 民主党の永田議員は、メールをものに問題提起したが、第2弾、3弾の詰めの追及ができないまま、メールの真贋問題になった。

 わたしはこれらのことに対して、全面的に展開できるほど系統的に追っていない。しかし今後の展開を暗示しているのではないか、とわたしが思うことを記しておくことにする。
 国会での追及のあった後の、武部幹事長の記者会見である。武部幹事長の会見を、ノンバーバル(非言語的言語)から見ての推論である。
 内容は文書を用意していて、その語調なども含めて疑惑を強く否定するものだった。ところがテレビでの1、2分と思われる映像を見ると、内容と語調が確信を持って強く否定するのとはそぐわないもの、声の弱さや顔の上げ下げなど心の動揺さえかもし出しているようにわたしには見えた。しかも最後には水を飲んだ。その飲むしぐさも含めて緊張をほくして、その場に適応しようという動作である。
 
 もっとも武部幹事長は、討論番組で自分の言葉で言うときは、強圧的、攻撃的で品のない言い方をする。しかし自分の言葉でなく、用意されたものでの記者会見は、おうおうにしてトーンが落ちる傾向にある。
 今回の問題は、武部氏とホリエモンとの何らかの金銭問題、あるいは二男との金銭問題がある可能性があると、わたしは推測した。仮にホリエモンとの関係がない場合でも、二男には当人の個人だけではすまない闇の問題があるのではないか、と考えたのだが。国会議員は典型的な公人なので、問題の性質によっては家族であってもプライバシーではすまないだろう、と思ったのだ。

メダルに手が届きませんでした

2006-02-21 05:42:41 | テニス・他のスポーツ
 NHKは公共放送の責務と考えてか、連日オリンピック放送を全面的にしています。ライブは、放送権契約をしている放送局がするので、分散されています。

 後1週間を残す後半になりました。これまで連日「メダルに手が届きませんでした」を繰り返しています。わたしはメダルの可能性を、女子フィギュアぐらいではないかと思っているので、その言葉が耳障りに聞こえます。憤慨しているわけではなく、オリンピック好きの日本ですから、メダルで感動がないので物語を作って放送しなければならなく、事情は苦しいと思っています。こんな見方は、われながらへそ曲がりだ、と自覚しています。

 このところまったく実績がなくとも選考され、しかも失格になった原田をも感動物語にしたてているようです。わたしは原田がオリンピックに選考された自体が、おかしいと思っていました。この間の力の衰えはほっきりしているし、若い選手に体験させたほうが、ジャンプ競技の将来のためにいいのです。しかし原田は、5回目の出場というニュース性と過去の物語をもっているので、話題性があるからかな、とわたしはとらえています。
 ジャンプと複合は、すでに日本は上位をキープできないのです。
 ジャンプは、かつてスキー板の浮力を利用できる小さな体の日本人が有利でした。ある時期、スキー板の先端を開き後尾をつけるV字飛行をつくり、日本が圧勝していたことがありました。その技術が世界に広がりました。
 浮力の利用ということで、ヨーロッパ選手では、体重の減量を取り入れる選手が出てきたのです。そこで身長に対して板の長さを決めるルールを作り、さらに体重も加味するようなルールにしました。
 このルール改正から以来、日本選手はシーズン転戦するWカップの実績は思わしくないのです。それなのに、過去のメダルの実績を引っ張り出して、期待を過剰に放送しています。多くの人がそんな状況が分からず、ジャンプは強いと思ってしまっているのではないでしょうか。おそらくジャンプのトレーニング内容を変化させなければならないのに、それに立ち向かえていないのではないかと考えています。

 複合はキングオブスキーといわれるぐらい、異質な2種目で勝利することを称えられます。それも荻原が圧倒的強かった頃は、日本は前半のジャンプで引き離し、その貯金で苦手とする距離を逃げ切って勝利していました。ところがジャンプの評価の比率が下がったことと、ジャンプ自体のルール変更も加わりました。これに日本は対応できるすべを、今のところ見出せないでいます。
 われながらちょっと大きなことを言い過ぎている、と自覚しています。

 女子モーグルの上村愛子は、エアのスリーディーにすべてをかけていました。この技は、女子では世界最初にしたという話題づくりと歴史にも残ります。上村はそれをすることが、よい結果につながるという取り組みをしたのでしょう。
 モーグルはスピード、ターン(こぶの滑り方)、エアが総合される競技です。エアとターンの採点と、スピードの絶対値が問われる不思議な競技です。エアのスリーディーだけでは結果につながりませんでした。

 スノーボードは、ハーフパイプのオリンピックレベルの競技場が日本にはない状態です。それなのに期待報道をしましたが、結果は競技環境を正直に反映しました。W杯での日本選手の成績がよかったのは、一流選手がアメリカである賞金のかかった大会に出ていたからです。

 フィギュアはテレビ時代にあった競技ですから、注目度が高くなっています。日本は3人出場枠を確保できるぐらい、レベルは高いものがあります。シーズン問わず練習でき、早教育が可能です。全国的に子どもを集めて才能あるものを選んで育てるシステムをつくっているので、今後とも世界の上位をキープするでしょう。

 競技が高度になればなるほど、日常生活とかけ離れた特別な環境を選べる特別な人によっておこなわれることになります。個人競技スポーツの宿命でしょうか。


久保ひさびさのゴール

2006-02-20 16:44:55 | サッカー
 18日(土)日本-フィンランドは、日本が2-0で勝利した。格下(FIFAランキング46位)ということもあるが、長身選手が多くヨーロッパチームには楽に勝てるわけではない。
 後半フィンランドがいくぶん疲れを見せたのと、日本がグランダーのパスがよく通るようになった。後半まもなく久保がシュートを決めた。
 久保はコンデションさへよくなれば、日本で一番頼れるFWだと思っている。高さがあるし身体能力も高くプレー範囲も広い。まだ本調子ではなさそうだが、この日はもう一人のFWの巻の献身的なプレーとの相乗効果で、アメリカ戦と違って久保のシュートが何本か見られた。

 オランダ(エールディビジ)のヘラクレスの平山相太の、再放送だが今日の昼に試合を見た。現地時間19日14:30からの25節、ホームにデンハーグを迎えてである。
 これまでチーム最高の得点が8点だけあって、ボディコンタクトの強いプレーをよくやっていた。プレー範囲が広くワントップでありながら、劣勢の時ハーフウエイラインより下がってプレーをしていた。それから寒いので、黒のアンダーシャツを着ていた。惜しいシュートもあったが、63分で退いた。
 解説が羽中田だった。かつて高校サッカー(韮崎高)で期待されながら、けがでその後車椅子生活になった。スペインに行きコーチを学んで、スペインサッカーが詳しい。

保育園訪問で聞いたこと

2006-02-19 22:38:04 | 子ども・子育て・保育
 ラジオのNHKFMは、12:15から、いつもの「日曜喫茶室」ではなく、たまにやる特集クラッシックで「ザ・モーツァルト」を、23:00まで続ける。それを聞きながら、机に向かっている。リクエストにそってモーツァルトを聞くのもいいものだ。何人かのゲストの話も興味津々だが、仕事をしながらでは音楽だけになる。(ここで中断して他の仕事をする)
 今終了にさしかかって、リクエストのベスト3を発表した。3位トルコ行進曲(ピアノ)、2位アベベルムコルプ(合唱)、1位アイネクライネナハトムジーク(弦楽)だった。これらの曲は、モーツァルトと意識せずとも学校や日常生活になじんでいるものだ。

■バレンタインデイ
 先日保育園を訪ねたときのことである。4歳児の女の子がわたしの耳元に来て、
「わたしもうちょこあげるひときめてるの」
「うーん、チョコレートを友達に上げるの」
 ニコニコわたしに話しかけたので、それ以上話を展開しなかったが、バレンタインデイが5歳の子どもに浸透しているのにいささか驚いた。大人が考えるような理解はしていないのだが、男女の性別をようやく分かりかけた時期である。バレンタインデイが、それをはっきり理解する機会になっているのかもしれない。
 バレンタインデイの浸透してきた経過を知っているだけに、今やや幼い子どものものになっているとは、改めて文化というのはつくられ内容を変化させて引きつながれていくものだと、考えたのだった。
 もらう側の男の子は、当の子どもより親が喜ぶかもしれない、といったことを思ったのだった。

■窓は窓らしく
 保育室の壁面や窓に、キャラクターの壁面の貼り絵(壁面装飾)で飾っている保育園が多い。ミッフィー、アンパンマン、ノンタン、さてはディズニーもある。さすがにピカチュウやマジレンジャーはない。
 ある保育園では窓に飾りがなかった。園長先生が「窓は窓らしく」ということだった。わたしは窓が、外とのつながりを無意識に子どもにさせる装置であると改めて思った。当たり前のことなのだが、なるほどと思った。そういえばキャラクターの壁面の貼り絵は、なかった。
 ある大都市の保育園では、キャラクターモノを保育園に入れないようにしている、ということを思い出したのだった。