絵本と児童文学

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日本の針路の舵をきった06年

2006-12-31 22:33:37 | 生活・教育・文化・社会
 安倍首相に変わり、3カ月の間に橋本税調会長と佐田行革大臣がスキャンダル辞任をした。内容は重大問題でありながら、それを明らかにしないまま、すばやい後任人事で年末に滑り込んで、世論の風当たりをかわすのをもくろんでいるのだろう。
 世論調査では内閣支持率が低下しているが、安倍首相はあいまいさを印象付けながらも、この臨時国会では教育基本法改正、防衛庁の省への変更という日本の進路を大きく変える重要法案はじめ、すべての法案を通した強力内閣なのである。
 タカのつめを隠したかのようにしながら、したたかに大きく舵をきった内閣である。憲法改正の助走になった年でもあった、といっていいだろう。

 テレビでは金曜日の日本テレビ系の「大田総理と秘書田中」の注目度が高いようなので、29日(金)初めて見た。通常より時間を多い2時間半をとっているところをみると、局としても高視聴率のほうなのだろう。その一部を見たら政治バラエティーとしては工夫を凝らしている。爆笑問題の大田が必死にしゃべっているだけ、「たけしのTVタックル」よりましかもしれない。
 「TVタックル」は紅白にぶつけて3時間やるぐらいだから、テレビ朝日系としては高視聴率の番組なのだろう。政治のバラでティー化の先鞭をつけた番組なのだろうが、高齢者が品がなく居丈高に言って異論発言を封じるパターンは、笑えないぐらいへきへきするようになったので、かなり前から見なくなった。
 NHKが28日(木)11時から、初めて「夜どおしナマ解説・どう読む2007年日本と世界」をやった。考える素材提供としてNHKらしい良質のものだった。わたしは深夜に弱いのでビデオで見たのだった。
 
 地上波の政治番組は、多様な政治的立場を許容せず、自民党・政府の政策を軸にしか話が進まないのであまり見るものがなくなった。ケーブルテレビの朝日ニュースターを見ることが多くなった。
 今夜は6時5分からの「ニュースにだまされるな」の再放送を見た。司会が遥洋子でキャスターが金子勝で、ほか4人の研究者と雑誌編集長だった。見る視点が鋭く深く面白かった。これは3カ月に1度なので、せめて1月に1度ぐらいやってほしいぐらいである。毎週土曜日の「愛川欽也のパックインジャーナル」も、欠かさず見るようになった。

ようやく暮の寒さ

2006-12-30 21:50:46 | 身辺のこと・自然
 26日の昼は20度を越える暑さで、その日の夜から27日の早朝にかけては、珍しいぐらいの大雨でした。
 暖かな師走ですが、今朝はわが家の玄関の温度計は、5時で1度、7時で0度と、例年並みの気温になりました。浅い器に入った水は、初めて氷りました。朝焼けは日の出前の、柔らかな明るい赤と水色の空と交じり合った6時半ごろがきれいでした。
 例年のことですが、遅ればせながら年賀状づくりに2、3日費やしました。年に1度のソフトの使用であること、パソコンに詳しくないことなどから、印刷に相当苦労しました。
 寒さのなか、池のポンプの手入れ庭や道路の掃除をし、暮れのため世間並みにガラス拭きなどいつもしない外仕事をしました。

 今年のわが家の庭は、この機に及んでわずかばかりですが芝生が生えたり、鉢に入っているチューリップの芽が出しそうな気配があって、ちょっと戸惑っています。キンカンは、例年より色づくのが早いようです。
 野鳥は、メジロ2羽が常連になって来て、ミカンをついばんでくれています。ヒヨドリが来てはメジロをけん制する様は、生き物の厳しい世界を見る思いです。

 ゴードンさんの正月飾りは、雪だるま、いくつかの白い手袋にそれぞれの絵を描いたもの、毛糸の帽子などたくさん飾り付けました。雪だるまがどれも3段組であるのが、見慣れない面白いものです。

 昨日のサッカー天皇杯準決勝の、札幌対ガ大阪は見ていて力が入りました。もっぱら柳下監督がガ大阪にどう挑むか、という視点で見ました。明らかに札幌が格下ですが、よく戦いました。
 とくに後半はロングフィードのボールを多用しピッチ全体を使ってよく動いたため、ガ大阪は中盤が間延びさせられて、ボールポゼッションができない時間帯がありました。札幌が決定的な枠に飛ぶシュートも何回もありました。
 しかし2点リードされてから、後半9分相川がディフェンスを崩して豪快なシュートを決めたものの追加点を奪えず敗退しました。

 夕方街まで歩いてみたら、寒さが身にしみました。門松をしている家、新年の挨拶の掲示をして正月休みに入っている店もあり、暮れの風景に触れてきました。


食べることの楽しさ

2006-12-29 09:54:34 | 身辺のこと・自然
 食べる量は、若いときより半分ぐらいに減った。とはいっても、いまだに量は多いほうのようだ。この数年間で5キロぐらい増えたので、せめてその分ぐらいはダイエットしなければならないが、食事制限は特別していない。ただし1週間で3キロぐらい上下する。自宅では食事の量を少なくして野菜を多く食べることと、テニスをするからである。
 ある時期からビールを飲まないようにしたら、週1、2回350ミリリットル缶の量になった。ただし年間2、3回の集まりに出るときは量が増える。
 好き嫌いはなく何でも食べるほうだが、今は卵を進んでは食べないぐらいである。肉は好きなのだが30歳代に、そのまま食べ続けたら生活習慣病(当時は成人病)まっしぐらだと思うほど食べていたので、40歳代から一切食べないことにした。それ以来体質が変わったせいか体調がよくなった。
 魚が好きなので肉は食べなくともよい。数年前から時々食べるラーメンの肉ぐらいは食べるようになり、このところは週に100グラムぐらいは食べている。

 食後果物かヨーグルトを食べる。果物は子どもの頃から食べる習慣になっているせいか、季節ごとのものを味わうのが楽しみである。とくにリンゴ、ミカン、スイカをとくに好む。 リンゴは年間通して食べられるが、9月からの収穫で出始めの紅玉、ジョナゴールドなどといった甘酸っぱいものが好きなほうである。
 ミカンは昔11月から出回ったものだが、今は10月からになった。やはり12月から出回るものがおいしい。生協で取り寄せる選別していないものが、日当たりのよい場所と減農薬で生育したもののようで、味が濃くておいしい。
 スイカは5月から9月いっぱい常時食べる。とくにテニスをした後たべるとたまらなくおいしい。よほど暑い日以外は、わずかに冷えるか常温ぐらいのほうが、スイカの味を楽しめておいしいものだ。

 また、ある年齢によって好むものが不思議と変わる。
 数年間夏にメロンを好んで食べて、品種と産地も分かるほどになった。食べごろかどうかも分かる。しかしなぜか、今年からはあまり食べなくなった。ソルダム、プラム、ラフランスなども好むが、いずれも食べごろの見極めが難しい。
 今年は初めて、10月から12月上旬までさまざまな種類の柿を、欠かさず食べた。品種を覚えるほどにいたらなかったが、初期に出回ったもの(たしか岐阜産だった)がとくにおいしく感じた。最後に食べたのは、奈良産の富有柿であった。

 さて暮になると、きょうだいから故郷の食べ物が送られるので、これがたまらなくおいしい。宅配便の普及で、現地と変わらないぐらい味を楽しめる。
 生きたホタテは殻から身を出したものは、日ごろ食べているものより濃密な味である。日本海の荒波のなかで栽培されたものだからではないかと、これまた産地によって味の違いを感じている。
 サケは姿のままなので、包丁で切って冷凍保存して徐々に食べる。年によって味が微妙に違うのである。今年のものは塩が薄く身にしみてよい味がする。去年はたしか油が乗っていたもののようだった。
 さらに今年は特定地域でしか食さないだろう、ニシン漬が送られてきた。子どものころからなじんだ味を楽しめるのは、幸せを感じるときである。これは昔わが家でも作ったことがあるが、関東の気候と大根を干すことが難しくてやめていた。
 こうして暮れから正月にかけては、外での集まりに参加することはないが、食べ物をおいしくいただくので、それに見合う運動をしなければ、体重オーバーという結果になってしまうのである。

人間っていいなの替え歌

2006-12-27 10:28:12 | 子どもからの発見
 ひなまつりの替え歌は昔からいくつか歌い継がれている。これは女の子向けの歌と察して、それを照れる男の子が作った節がある内容である。
 先日海は、人間っていいなの替え歌を仕入れてきた。小学生兄のいる友だちからは、家族だけの生活では思いつかないようなものを持ち込むのである。こうやって子どもの世間に触れていくのだな、と思うのである。

 くまのこみていた かくれんぼ
 ・・・・・
 いいないいな にんげんっていいな
 (その後は以下のようである)

 くさったごはんに きたないおふろ
 こどものかえりをまたない おやじ
 ぼくもかえる おういがないよ
 でんでんでんぐりかえって ほねおれた ぼき

 なかなか傑作である。おやじは仕事で帰りが遅い、という解説付きである。
 替え歌は、その歌をうたいこなしてバリエーションとして作られる。しかもたいがいは、逸脱を見事に表現するものだ。わたしは替え歌のなかでも現代の世相をついているな、と感心したのだった。
 ところでこの替え歌は、全国的に普及しているのだろうか。

クリスマスを垣間見る

2006-12-26 13:43:38 | 身辺のこと・自然
 24日の夕方街へ出たら、普段の日曜日とは違ったにぎわいだった。食料品、家電、薬などの店のレジはどこも並んでいた。本やおもちゃ売り場も見たかったが、そんな余裕はなかった。若者のロックバンド演奏に、大勢の人が立ち止まっていた。
 わたしは25日早朝に家を出た。そのとき木戸口に、黒い大きなビニール袋に何かが入っているものがおかれていた。一瞬怪しさを感じのは、絶え間なく報道される事件が頭を覆っていたせいのようだ。暗闇でそれが何であるかを、確認できないまま、家を後にした。
 
 20日で授業を終えたのだが、その後学生は連日補講をしており、その日もキャンパスで顔見知りの多くの学生に出会った。わたしは会議に出席して家にもどった。

 9時半ごろ駅に降りたら、広い通路ではクリスマスケーキが半額ぐらいで売りさばいていた。コンコースの巨大なクリスマスツリーの撤去作業が始まっていた。2ヵ月近く続いたクリスマス商戦の幕引きでもある。

 早朝に木戸口にあったモノは、1軒置いた隣のゴードンさんからのクリスマスプレゼントだったのだった。時々声を交わす海とふきへ、アメリカのセサミストリートのあるキャラクターの大きなぬいぐるみとメガブロックだった。その日の2日前には、クリスマスの手作りのクッキーをいただいた。
 ゴードンさんの住んでいる家は、1、2年ごとに代わる。これまでの人とは違ってゴードンさんは、細かい心遣いのコミュニケーションをする人である。それに半年もたっていないのに「おはよう」と挨拶を交わすし、訪ねてくるときは「すみません」といってから英語で話し出すのである。
 都市の住宅地であるため、隣近所は名前だけ知っていて挨拶を交わすだけのかかわりである。アメリカ人のゴードンさんとコミュニケーションを、一番楽しむようになった。海とふきが介在しているせいでもあるのだが。

 ところで海とふきへのサンタクロースは、モンスターコレクションワールドとイヌとクマのぬいぐるみであった。子どもが喜ぶ普通のものである。いわゆるポケモンは、そうとう多数の商品があるのだろうが、これまでのものも知らない。コレクションワールドは、まちをつくるため道路、住宅、木などがあり、今後続けようとするとかなりの数のキャラクターを集めることになっていく。
 ちなみにポケモンは、今年合併したタカラトミーの商品である。タカラはリカちゃん人形やチョロキュウが、トミーはプラレールで知られている。おもちゃメーカーは、もともとは零細企業だったが、今はメディアミックスでキャラクターを作り、かつ対象を子どもに限定しないし、グローバル化も含めてしのぎを削る業界になっている。
 今世間で流通しているおもちゃは、子どもの遊びのあり方などとは無関係に、ヒット商品作りに会社の命運をかけているものである。ヨーロッパのとくに北欧のおもちゃが、高額であるが優れている。日本の木を素材にしたおもちゃ制作者のものも優れているが、大掛かりな流通に乗るようになっていないのが残念である。

かぎろい、その後

2006-12-24 17:17:19 | 身辺のこと・自然
 自分の誕生日の当日それを自覚するときはめったにないが、夏至や冬至あるいは季節をともなう行事には敏感なほうだ。
 昔から睡眠が早起き型タイプであり、季節の変化は早朝に現れるため、それを感じながら味わうようにしている。都市の暮らしは自然から遠いので、季節の変化は自分で探さなければ見つけづらいものだ。

 22日は冬至であった。かぼちゃを食べてゆず湯に入る行動しながら、暗さが一番長い日であることを感じる。その日は静かに暮らした方がよいようにさえ、思うのだ。
 早朝は、曇りの日よりも晴れの日のほうが空や気温がその季節を現す。きょうは冬至以降のかぎろいをじっくり観察した。6時10分ぐらいから20分ぐらいまで、家が闇に包まれて屋根が稜線のようになり、それを境に空の赤い色が濃い。しかし12月上旬のそれがあかね色としたら、それより幾分明るいのである。しかもその後東の空の赤色と夜が明けて明るくなるのと、うまく溶け合っていた。だんだん正月に向けて夜明けが輝くようになるのだ。このような日の出直前のそれの変化は、味わい深い。冬至がすんだ後の明るく輝く朝焼けは、かぎろいとはいわないのかもしれないと考えてみた。

 暮れが迫っているというのに、近くの大学にある巨木のイチョウの葉がいまだに落ちきっていない。12月に入って落葉を始めたが、例年のように1週間ぐらいで一気に落ちないのは、夜でも気温が下がらないということだ。例年より1月以上遅れているようで、今のところ暖かな冬である。

浦和薄氷の勝利で準決勝へ

2006-12-23 22:55:23 | サッカー
 全日本サッカー選手権・天皇杯の準々決勝の、磐田対浦和の試合を見た。前半磐田が得点、後半も得点し2-0となったが、後半不調といわれている小野が入り浦和がよくなって3点を入れ(小野が2点)た。磐田が1点を返し同点になり、延長戦も決着がつかずPK戦になった。20人目の磐田の犬塚がはずして浦和の勝利となった。犬塚のキックする際の動作が速い、と解説の早野氏が添えていた。私も失敗するなと予想を立てたら、そのとおりになってしまった。
 磐田は、アジウソン監督に代わり若手選手を起用し、よく戦っていた。PK戦はGKの佐藤が止めたのを、キッカーがける前に動いたと判定されアゲインとなったのが、磐田としてはあきらめきれない思いだろう。フランスW杯の笛を吹いた岡田審判であるが、部分的に厳しく裁定を下すタイプの審判らしい判定だった。磐田は、来年は大幅の選手入れ替えてチームづくりをするのを披露した感じであった。
 浦和は闘利王、ワシントン、アレックスなど主力を欠いたが、選手層が厚いのでチームとしては、なんら問題はなかった。それに浦和のホームでは、圧倒するサポータの後押しを力にして戦えるのも強みである。

 夜は録画であるが、札幌対甲府戦を見た。札幌は甲府よりは選手の力の差はありながらも、運動量がありボールへの寄せが粘り強いし、攻撃には入ったときのスピードが速い。とかくJ2はディフェンシブで負けないサッカーをしがちだが、攻撃的なチームを作っている。柳下監督の3年間のチームづくりが結実したようにも見えたので、退任が惜しまれる。少ないチャンスを確実に得点し、2点を入れた。
 甲府はJ1へ残ったチームだけにチーム力は上だったが、たびたびのシュートも精度を欠き得点できなかった。得点源であるバレーが退団したというから、その手当てをしなければ、J1キープが心配になった。
 札幌はJ1の千葉、新潟、甲府を破り、準決勝をガ大阪と戦うことになる。ガ大阪の攻撃を抑えることができるかが鍵となるだろう。

おもしろいドン小西のファッションチェック

2006-12-18 18:40:05 | 当世世間事情
 『週刊朝日』を手にとってまず見るのは、最後のページの「山藤章二のブラック・アングル」である。これはイラストが秀でて入るだけではなく、世間を独自な切り口でみる、それがたまらなく面白い。くすくす笑ったり、なるほどとうなづいたりして、頭の体操をする思いで見るのである。

 次に見るのは「ドン小西のイケてるファッションチェック」である。これは構成にほかの人の名前があるので、本人が文章を書いていないかも知れないが、ファッションの素材を掘り下げながら人物像や世間の動きまで、短い文章に凝縮されている。あえて独特の話し言葉を使って表現して、味を出している。
 12月22日号は、『国家の品格』で年間ベストセラー1位(200万部以上)になった、藤原正彦を取り上げた。「新語・流行語大賞」の表彰式の、最大級のおめかしをした写真である。
 「この格好のどこに品格が?世のおじさんはマネしないように」とう文章をリードとしている。そして「首から下を手で隠してみてくださいよ。ドテラ着て、スネでもボリボリかいてそんな風貌だろう?」「かたや、顔を隠してみると、デパートの紳士売り場のマネキンみたい」としている。
 そのとおりやってみたら、ふきだしてしまったほど本質を突いているではないか。さらに「たくあんにジャムかけちゃったようなちぐはぐなかっこうの、どこが『品格』なんだって突っ込みたくなるよ。」と続くのだ。そして「ワーストドレッサー賞2006」として、判定不能とした。
 たしかにわずかな財産(毛髪)を有効活用しようと、頭部全面を覆うようなへアースタタイルにしている苦労が分かる。そうとうな値段がしそうな立派なスーツで、身をまとっているちぐはぐさは笑える。しかも品格に引っ掛けるとなおさらである。
 ところで彼の場合、どのように洋服を着ればよいのだろう、とわたしはじっくり考えてみた。カラーはグレーか薄いコンがいいのでなどと、いくつかの案を考えてみたが、普段着慣れないものを着ないということに尽きるようだ。
 12月29日号は、ベストドレッサー賞として新庄剛を上げている。
 ちなみにわたしは、このページを自分のファッションの参考のために見ているわけではない。世間の動向がどこにあるかが、最大の関心事なのである。

 思うに『週刊朝日』は小学高学年から読んでいるほど、長い付き合いである。中高生時代は、丁寧に読んでいた記憶がる。そのころ最大発行部数を誇っていたようである。大学時代は読まなかったぐらいで、ずっと親しんでいる。
 新聞社系週刊誌は、記事にデフォルメがあっても記名があり、信頼ができる。他の週刊誌は広告を見るだけだが、政治のことを正面から批判しているのは、いまや週刊誌だけになっているようだ。
 わたしは『週刊朝日』を世間の動向を知るために、かばんに入れて電車のなかで読みきるようにしているのである。

バルサが勝てなかった

2006-12-17 22:16:37 | サッカー
 去年から模様替えをして始まったクラブW杯は、今年も南米代表のインテルナシオナル(ブラジル)が、ヨールッパ強豪のバルセロナ(スペイン)を破って優勝した。
 クラブでは世界最高の財政規模でスター選手を集めているバルセロナであるが、その華麗なプレーに対して、モチベーションの高いインテルナシオナルが勝利したのだった。
 ブラジルは経済低迷のため、世界中への選手供給国になっている。トッププレーヤーはヨールッパに出る。ブラジルの国内リーグは、その意味では留守を預かっている選手たちによっておこなわれている。
 華麗なプレーをするバルサの選手に対して、無名選手ばかりが挑戦者として勝利にこだわったインテルナシオナルが、バルサの緩慢ともいえるプレーの一瞬の隙をつきカウンターでの1点を守ったのだった。
 たしかにバルサはスター軍団であるが、インテルナシオナルの選手はさすがブラジルだけあってうまいし、挑戦者としての執念を感じた。その意味でわたしはひさしぶりに感動したのだった。Jリーグが終わってからサッカーを見ていなかっただけに、2時間ほどのよい時間を得て満足をしたのだった。

おゆうぎかいを見る

2006-12-16 16:37:11 | 子ども・子育て・保育
 ある私立幼稚園の「クリスマスおゆうぎかい」を見ることができた。これまでわたしは、いくつかの園の事前準備の研究や子どもの指導にかかわったことがあるが、当日は仕事とかち合って見ることができなかったので、よい機会であった。
 保育は地域によって、さらに園によってずいぶん異なるものだが、その園は首都圏の、普通の私立幼稚園だろうととらえていいだろう。普通のというのは、この種の行事にありがちな、園のある種の力を誇示すると思われるような無理な訓練的練習をしたりしていないということだ。
 それに先生方の服装がセーターやカーデガンありで、普段着の普通であった。園によっては、このときとばかりのおめかしの服装をするところもある。
 内容は劇、オペレッタ、合奏であるが、昔ながらの「おゆうぎかい」というのもめずらしい。ほとんどが「はっぴょうかい」というのになっているのに、である。

 さて、オペレッタは10分前後のもので、子どもの気持ちが見ている人に届くようとでもいおうか、大きな声を出していた。おそらく保育者は一般的におこなわれる「元気な声」という働きかけをしたのではないかと、推察された。そのため声による表現というより、子どもは叫び声のようになってしまう。幼児期の、いわゆる歌唱指導をどのようにするかという発想さえないのが現状だろうから、その意味では普通のことと理解した。
 オペレッタは歌と動作を覚えればよいので、途中で途切れたりするいわゆる崩れる事がないので、無難な種目なのだ。それに大勢のこともが一斉に演じることが可能ということを、利点と考えるのだ。
 それにくらべ劇は、子ども相互のせりふのやり取りと必要な演技をしなければならないので、取り組む過程も当日も大変なのだ。それが劇作り活動の、意味でもあるのだが。
 合奏は、鍵盤ハーモニカを中心にマリンバ、トライアングル、カスタネット、太鼓などの編成であった。音楽教室でレッスンを受けている子どももいるせいだろうが、3人ほどがマリンバを見事にこなしていた。

 ところでわたしの立場としては、観客である親のことを観察してしまう。
 「いたいた、真ん中にいたじゃない」
 「一番声が大きかったよ」
といった親の声が耳に入った。
 それに座っていたら、後ろの人が終始おしゃべりをしていた。一人の人が変わって小学生の娘が座ったが、その子との話が始まった。そのうち前の人が代わったら、その人のおしゃべりも始まった。きょうだいだろう小学生たちの行動も、立ったりしゃべったりと舞台に耳を傾けるような抑制的なものが少なく感じた。
 そんなわけでわたしは後半からそこを離れ、後ろの隅のほうで立って見たのだった。そうしたら、マンガを見ている父親、携帯ゲームをしている小学生などもいた。いまどきの普通の状態なのだろうと、今はこんな時代なのだと自分に言い聞かせた。

 ところで司会が、前に座っている子どもに向かって話をしていた。内容も子ども向けであった。そのことが子ども以外の者の集中を弱めているのかもしれない、と思ったのだった。親に公開している行事であるのに。
 ビデオや写真の撮影の制限もしていない。そんなところにも、昔ながらの普通のよき幼稚園という感を強くしたのだった。