絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

歌人、翻訳家としてのもりひさしさん

2018-12-27 16:55:40 | 絵本と児童文学
 今年も、ぼくがこれまでの暮らしでメディア等で親しんでいた多くの方が亡くなりました。その中の一人に、もりひさしさんがいます。もりひさしさんといっても知る人は少ないでしょうが、絵本『はらぺこあおむし』(偕成社 76年発行)の訳者です。この絵本は、350万部の発行され、半世紀近くたった今も再販を続けています。日本人の多くの人が手に取ってなじんでいる絵本です。作者のエリック・カールの絵本を、今日まで日本に知らしめた初期の作品です。

 もりひさしはぺんネームであり、森久保仙太郎さんとは親しく話すことがありました。
 氏の作った

 明るい朝です みどりです
 みどりの〇〇学園に きょうもはじめの鐘が鳴る
 ・・・・
 ・・・・
 リリンとペダルをふんでくる

 という歌は、子どもたち誰もが歌っていました。50年前後に作ったであろう歌は、おしゃれなものでした。ぼくが身近な人だったときはすでに絵本の著書があり、『はらぺこあおむし』を訳し、絵本『つきがみていたはなし』の著書があったのですが、それを意識できたのは後々になってからでした。

 改めてもりひさしさんを偲ぶ機会を与えてくれたのは、詩人であり、翻訳家でもあるアーサー・ビィナードさんでした。ラジオの文化放送の平日17時30分過ぎから「午後の三枚おろし」という5分ぐらいの番組で、アーサー・ビィナードさんが先週1週間にわたって歌人、絵本作家、翻訳家として氏の業績を紹介しました。
 ぼくの知らないことばかりで、改めてもりひさしさんについて考えたのでした。アーサーさんはご自身の詩人、絵本作家、翻訳家の立場から、もりひさしさんの向き合っていました。

 毎回氏の歌集から歌を紹介しました。その歌は兵士体験に向き合いながら戦後の心の軌跡、平和をについて歌いあげていました。たんたんと歯切れ良い歌は、氏の明るさやさしさといったものを十分に感じ取ることができました。
 101歳ですから兵士体験があるのでした。それが当然なのですが、氏と出会っていたのが50歳ぐらいだったのですが、とてもその年齢とは思えなく若々しかったのでした。
 兵士体験では房総半島(千葉県)で本土決戦にそなえた隊にいたものでした。かつて湘南海岸(神奈川県)で本土決戦に備えての兵士体験者から聴いたことがあります。兵器もろくになく息を止めて潜る等過酷なものだったと。その前提としては死を恐れないというものでした。その体験者から聴いていただけに、もりしさしさんの歌から想像に難くありませんでした。ぼくの知らなかった森久保仙太郎さんでした。

 ラジオ放送では、昨年放送されたインタビュー盛り込まれていました。世田谷美術館でエリック・カールを迎えての展覧会の会場のようでした。歯切れよく明るい声で語っていました。もともとアナウンサーのような歯切れ良き話し方でしたが、それと大方変わらないものだったので、これも驚きました。むしろ『はらぺこあおむし』の翻訳エピソードだったこともあってか、確信に満ちた力強い話しぶりでした。

 さて、『はらぺこあおむし』のタイトルが、編集者は、「はらぺこ」ではなく「おなかのすいた」という表記にする意見だったとのことでした。当時の編集者の意見は理解できます。「はらぺこ」という普段着のことばではなく「おなかのすいた」の方が日本語として標準的で良い言葉ということでしょう。絵本はまだかしこまった「こくご」的な性格を期待された子どもの文化材でした。
 ついでに触れておくと戦後いち早く本格的な子ども向けの絵本を出版した岩波書店の『ちいさなおうち』は、出版当初は翻訳本でありながらも文章が縦書きでした。横書き絵本が出版されたのは60年代からでした。その理由は国語が横書きになることはあり得ない、という考えです。(この部分は後程資料に当たって補足します)

 ところでエリッック・カールは、ドイツ系のアメリカ人であることもあって、英語とドイツ語で出版するとのことです。その際ドイツ語は、英語の表現より説明的文章になるため、2倍ぐらい長いものになるとのことです。それぞれの言語と文化の違いからでしょう。
 日本語は音が少なくオノマトペ(擬態語、擬音語)が多い、等の特徴があります。音韻が重要であり、説明的でない「はらぺこ」が絵本の内容をも表現されています。何よりも受け手である子どもの言葉であることが重要なことです。

 もりひさしさんは、わかやまけんの「こぐまちゃんシリーズ」の制作にもかかわっており、ガブリエルバンサン等の翻訳やほかにも多くの翻訳をしています。絵本の翻訳は外国語の専門性というよりは、訳されたものを子どもに届けるための橋渡しです。内容、絵、テーマ性等をを総合的にとらえることが重要なのでしょう。子どもに届けるために作品の後押しするという意味では、制作にもかかわっているようでもあります。
 

 森久保仙太郎さんは、人生後半は大学教員でした。その時講演をお願いし、いくつかの言葉を交わしたことを思い出したのでした。明るく爽やかで優しいおしゃれな紳士の先生でした。

 

どうなる大阪国際児童文学館

2008-06-17 13:37:57 | 絵本と児童文学
 大阪府は5兆円の赤字財政再建策の一つとして、橋下知事が6月5日に事業見直しを発表した。現在万博公園にある大阪府立国際児童文学館を、東大阪市の府立中央図書館に併合する案が示された。財団法人大阪国際児童文学館がなくなるので、現在のような資料収集と研究機能を備えた児童文学館は事実上廃止ということだ。
 7日(土)の朝の日本テレビ系の報道番組(読売テレビ制作)では、橋下知事が「研究機能は要らない」とし、優先順位は高い印象を持った。橋下知事はテレビを最大限利用し自らの方針を逐次流しているとのこと。そして府民の支持を高く保っているそうだ。
 橋下知事の方針は、7月からの議会にかけられ、正式に決定の運びとなる。

 大阪国際児童文学館は、鳥越コレクションを母体に大阪府が誘致して始まって28年をへた。児童文学を学問として確立していく役割は、これからも大きいと思われる。財政再建事情は理解できるが、文化、学問は実利的ではないが人々に教養の種をまくことであり、公益性が高い事業である。
 大阪国際児童文学館を育てる会では、存続署名への取り組みを終え、議会への存続要請はがき運動を展開に移った。橋本知事の支持率は高いが、育てる会によれば、議会の全会派が閉鎖案に反対、万博公園に現行どおり継続という立場、ということである。
 橋下与党である自民、公明が、はたして議会に先んじてテレビ等での府民への方針浸透を図ることに対して、自党の主張に沿った議会の民主主義を貫けるか、今後の成り行きを注視することにする。

やっぱり、あさのあつこの人気上昇

2005-07-22 10:49:14 | 絵本と児童文学
 昨日(21日)のおはよう日本(NHKニュース)の特集は、マンガ、児童文学などの分野の人が、小説を書き評判がよいということだった。
 あさのあつこが、少年を登場させながらもヤングアダルトに限定しない新作『福音の少年』(05年7月15日角川書店発行、1470円)を発売し、好評とのこと。発売サイン会に、サインを求める長蛇の列が映し出されていた。
 『バッテリー』の3巻までの文庫(角川)が、150万部を超えたそうだ。買い求めた人の半数が30歳以上である。文庫は大人向けに漢字を増やす等、手を加えたのも当たった一因だろう。
 また創作児童文学を中心に出版している理論社が、ヤングアダルト向けのものを大人も手に取れるよう表紙の装丁を変えたりして再版に取り組んでいるようであった。
 絵本が子どもに限定した文化財ではなく、年齢が取り払われ絵本という表現方法の本になりつつあることからしても、年齢の枠組みは溶解していくだろう。
 また、ある専門のジャンルの表現者が、そこで培われた力を他のメディアで作品をつくるということも、今後増えていくだろう。
 わたしは夏休みになったら、あさのあつこの作品のいくつかを読んでみようと考えている。

「ぐりこのえほん」が手に入った

2005-07-20 15:30:30 | 絵本と児童文学
 グリコのおまけ付きキャラメルのおまけが、絵本になったことを新聞の小さい記事で見てから、手に入れたいと思って捜し求めていた。とはいってもマニアックに追い続けるほどではなく、週1回ほど行くスーパーにおまけつきキャラメルを置いてたので、その場所にいつも足を運んでいた。おまけが絵本になったという新聞報道頃から、おまけ付きキャラメルが消えてしまった。
 以前のおまけは、木製のおもちゃだった。終わってみれば30個ぐらいたまっている。機会あるごとにあっちこっちに手放したので、かなり買ったことになる。
 先日念願の「ぐりこのえほん」があった。待ちこがれていたので、いきなり陳列されている半数以上買ってしまった。そして違う絵本でありますように、という思いをこめて時々あけている。目下4個開けたが、ダブりはない。
 最初は『かくれんぼどうぶつえん』(11番目)、次は『ぼくどこだ!』(12番目)で、その次は『りんごさがしめいろ』(13番目)、そして今日開いたのは『かちかちやま』(8番目)である。全16冊なので、ほどなく全部揃うだろう。
 絵本の体裁は、8×8.5サイズ、見返しから始まって13ページである。2005年2月22日発行で、奥付に絵の制作者名が記されている。ミニ絵本であるが、ハードカバーであり、製本など含めて本格的なものである。ちなみに中国製である。中国の技術水準がこうして高くなっていくんだ、とも考えた。
 ところで肝心のキャラメルは、以前より個数が減って5個である。絵本のおまけにキャラメルという感じになったが、138円なので致し方ない。

 ところでグリコのおまけつきキャラメルは、小学生のときは消費を2,3倍楽しむことができた。キャラメルという甘いものにありつけることと、おまけへの期待だった。
 それに「ひとつぶで300メートル」というキャチコピーに刺激されて、口に含んでは走り出したときもあった。「おいしくてつよくなる」とあったので、弱かったわたしは強くなる願望も込めて食べた。
 母親に「走れるようにならないし、強くもならない」と尋ねたら、「食べるだけではならない」といった言葉が返ってきたような記憶がよみがえってきた。キャッチコピーをまじめに信じたのだった。また、誰もがお菓子に日常にありつけない時代だったこともあり、「おまけより、キャラメルの多いほうがいいよ」ということもいわれた気がしている。

 グリコのおまけつきキャラメルの歴史は、古いのだ。1912年(大正11年)からというから、日本の子ども向け大衆お菓子とともにあった。わたしの手元には03年1月発行された『グリコのおまけ型録』(八重洲出版、3000円)がある。
 おまけの80年史として5000点の写真が収録されている。時代を反映させあるいは先取りするおまけの企画は、子どもの大衆文化史としての価値もあるのだ。
 グリコがおまけに絵本を採用したということは、絵本が子どもの文化にとってトレンディーだということなのでもある。

再び『ちびくろ・さんぼ』のこと

2005-04-30 06:58:41 | 絵本と児童文学
 『ちびくろ・さんぼ』が売れている。ネット販売のamazonで、25(月)にトップでした。今日は8位と、その健闘ぶりは驚きです。それは絵本ではめずらいしこどであり、もし新刊だとすればまれな事例のはずです。
 17年ぶりの復刊ということは、その年月は長く本来は世間から忘れ去られるぐらいのはずです。しかし多くに人の中に生き続けていたのです。復刊を待ち望んでいた人がいたわけだから、差別本として絶版にしたことに無理があったのかもしれません。
 怖いはずのトラを、さんぼが機知でくぐりぬけてケーキにして心ゆくまで食べてしまうという、良質の明るいおもしろさがあります。子どもの冒険心と達成感を満たしてくれます。しかも次々のトラとの出会いが、繰り返しの表現技法なので子どもに満足感とを与えます。

 ところで『ちびくろ・さんぼ』の絶版問題を論じたの本を紹介することにします。
■杉尾敏明・棚橋美代子著『焼かれた「ちびくろサンボ」-人種差別と表現・教育の自由』 92 年11月発行 青木書店 
■径書房編集部著『ちびくろサンボ絶版を考える』 90年8月発行 径書房
■灘本晶久著『ちびくろサンボよすこやかによみがえれ』 99年6月発行 径書房
■ジョン・G・ラッセル著『日本人の黒人観-問題はちびくろサンボだけではない』 91年発行 新評論
■市川伸一編『ちびくろさんぽの出版は是か非か』 北大路書房



今、あさのあつこが注目されている

2005-04-24 21:15:20 | 絵本と児童文学
[242] 今、あさのあつこが注目されている (2005年04月24日 (日) 21時15分)

 今、児童文学作家あさのあつこが注目されている。書店では『バッテリー』の3巻までの文庫本(角川書店発行)が平積みになっている。出版社の広告を目にしていないが、そのうち3桁ぐらいの数字が出るのではないか、とわたしは予想している。『バッテリー』は、96年に出版され(教育画劇発行)、その後巻を増やし1月発行の第6巻を持って完結した。それを機にメディアに注目され出した。これからもっと大衆的注目も、増すこと間違いなしである。
 『バッテリー』は、出版されてから完結するまでの9年間で、地味な児童文学界にあって、しかも紙芝居出版を主としていたマイナーな出版社である教育画劇なのに、関心が高い。大手出版社の販売手法をとらないのに、である。
 実際は、角川書店による03年12月1巻目の文庫本化以降、注目度が高まったが。『バッテリー』の人気は、メディアミックス時代だけにNHKラジオで放送され、月刊のマンガ雑誌である『Asuka』(角川書店)でも連載中である。早晩アニメにもなるだろうと、わたしは予想している。
 恋愛小説(小説、ドラマなど)が百花繚乱の文学界にあって、およそ縁遠い中学1年生の野球少年をめぐる物語である。それに多くの人が共感していることに、わたしは関心を持っている。児童文学でいうヤングアダルトを対象としたものなのだが、読者は子どもだけではなく、20台から中学生を抱えている親にも読まれているのではないか、と推測している。その要因のひとつに、文庫本化したものは表現を若干変えるのと漢字を多く使って、対象をヤングアダルトと限定していないこともある。

 ところで『バッテリー』の内容についてふれねばなるまい。舞台は作家の出身地である岡山県である。少年野球時代から注目されていた、天才ピッチャー原田巧が父親の転勤を機に祖父の下へ引越しをする。その春休み、キャッチャーの永倉豪との出会いから始まる。2人はバッテリーを組むことになる。彼らが新田東中になった1年間の野球部の活動を中心に、家族、学校で繰り広げられる。
 物語はリアリズムであり、随所に出てくる風景、厚みのある人物像とその心理、人の関係性など描かれており、その筆致は巧みである。自然描写と状況表現は、その場をイメージできるようであり、しかも物語のドラマティクな展開に織り成すことで、人物の心理や場の空気や時間の経過などを間接的に表現する効果を生み出し、読者に心地よさをもたらしている。人物像はそれぞれの厚みがあり、時折気持ちを詳細に描き、それが中学生の心理をよく表現している。登場人物の個性(キャラクターといってもいい)の色合いが、展開のなかで関係性を対立や補完が織り成し、物語をいっそうおもしろくさせている。あさのあつこは、この人間の関係性をテーマにしている、といってよいのではないだろうか。
 1巻目が巻番号ないことで分かるように、当初から長編を構想してはいなかった。それが2年後の98年に2巻、00年に3巻と続くことになる。2巻以降は、学校の部活を中心に教師、生徒、そして事件などドラマティックに展開していく。

 物語を成功させている要素に、野球を素材にしていることがある。野球が国民的スポーツで読者に内容が了解されやすいのと、役割分業というスポーツ文化の特徴から、人間個人を鮮明に描きやすいという側面がある。しかもその上に人間の関係性が必要であり、タイトルでもあるバッテリーがそれを如実に表している。
 野球といえば、マンガとアニメで『巨人の星』が一時代をつくり、そのスポ根ものの対抗軸に友情をテーマにした『キャップテン』(ちばてつお)があった。『バッテリー』は児童文学であるから、それらと同列にすべきではないが、野球というスポーツ文化をどうとらえているか、という点を比較すると面白と思ったものだ。
 『バッテリー』は人間の深い部分と、リアリズムに徹した上で底流にあるメッセージ性は良質で、生き方の提案も読み取ることができる。ただこれとて少年マンガでいわれている「努力、友情、勝利」という視点で切り取ってアニメにしうるだろう。ただしあさのあつこは、努力が報われるとしていないし、慰めあう友情でもなく、勝利への道を描いているわけではない。しかしそれにも耐えうる良質のおもしろさの物語であり、野球という素材のなせる業でもある。
 次に地方の町を舞台にしていることも見逃せない。随所に表現されている自然のこともあるが、人間関係あるいは物語の舞台をおおよそ読者が把握できる、といったことも上げられる。これは『ズッコケ3人組』が、地方の町を舞台にして成功しているのと類似している。都市を舞台にすると、場面が点と点のつながりとなり、人間に付随しない風景が描きにくいのである。
 さらにあさのあつこの文章にふれることにする。センテンスが短いのが特徴である。シムプルで飾りがない。省略によるリズムのよさ、間のおき方などが、場の空気を読み取れるようである。子どもが心地よくどんどん読み進むだろう文章である。

 さて、作家あさのあつこについてふれることにする。わたしは3月13日(日)のNHKBS2の「週刊ブックレビュー」の特集出演したのを見た。とくに女性の作家にありがちな、世間との波長が違うライフスタリルをしているわけではない。3人の子どもを育てた普通の母親でもある、生活のにおいを感じさせる誠実な人のように見えた。もっとも児童文学者は、浮世離れしていては創作ができないものなのだ。わたしには、作風と人柄が一致した誠実な市井の暮らしをしている人に思えた。
 1954年生まれで、子育てに手がかからなくなってから書くようになったという。91年の『ほたる館物語』でデビューし、今日まで44冊を出版しているので、児童文学作家としては多いほうといってよい。後藤竜二の同人誌『季節風』への執筆がきっかけだとう。後藤竜二より一回り若いが世代であるが、時代の制約を受けながらなおも生きる活力を持った子どもたちを、子どもの立場に立ちながらリアリズム手法で書き上げていく共通点を持っている。
 また作家として影響を受けているのは、藤沢周平と辺見庸とのことだ。いずれもわたしも関心のある作家である。藤沢周平は、平易は表現で自然描写にすぐれおり、市井の人を繊細に描く。あさのあつこの文章は、藤沢周平の影響を受けているかもしれない。辺見庸は骨太で鋭い社会派でありながら、一気に読ませるいい文章を書き、ノンフィクションが多い。
 そういえば辺見は、この1年ぐらいメディアに登場していないようだ。病気療養といった記事をどこかで読んだような気がする。わたしは、辺見の発言がなくなっているのを寂しく思っている一人である。
 あさのあつこは、今後もヤングアダルト向けのものを書いていくとしているが、別冊文芸春秋に「ありふれた風景画」を連載開始する。またこれまでの作品を、7本ほど漫画化されて雑誌に連載されているという。

参考資料 HP作家の読書道  HPあさのあつこ著『バッテリー』ファンサイト・白玉
       雑誌『子どもと読書』5・6月号(親子読書地域文庫全国連絡会 編集発行) 
       特集あさのあつこの作品世界



『ちびくろ・さんぼ』の復刊

2005-04-21 19:38:25 | 絵本と児童文学
[240] 『ちびくろ・さんぼ』の復刊 (2005年04月21日 (木) 19時38分)

 先日書店に行ったら、その店の特別販売扱いの場所であるカウンターのそばに、なつかしい赤い表紙の『ちびくろ・さんぼ』が平積みされていた。もっともゆきわたっている岩波書店で出版されていたものが、17年ぶりに復刻されたのである。製本も同じで、岩波の絵本のその2(岡部冬彦絵)を省いて、原作のみにしている。わたしには岩波版より、表紙の光沢が強く仕上げている印象を持った。
 この絵本は、アメリカ南部の黒人に多い人種をモデルにしており、その絵が尊厳して描いたとはいいがたいとし、しかもサンボという名前が黒人蔑称ともとれる(実際は多くの子どもの愛称になっている)黒人差別を助長するとして話題になった絵本である。多くの人に読まれ親しまれていて、当時も活発に流通していたのに、1988年に岩波書店はあっさりと絶版にした。それとともに当時おそらく10社を超えると推定される出版されてていた『ちびくろ・さんぼ』が一斉に絶版になった。
 そのこともあってこの絵本は、書店からも図書館からも姿を消したのである。図書館では廃棄したというよりは、書庫に保存し申し出があった場合閲覧に応えるという扱いをしたところが多い。わたしは絶版後のまもなく、古書店で書き込みありだったものを3000円で手に入れて、喜んだものだった。
 当時は絶版反対論が多く、その立場の評論本が複数出版された。もともとこの絵本は、トラが登場することでも分かるように、インドを舞台にした本である。イギリスの植民地だったので、今から100年ぐらい前に、インドに在住していたイギリス人のバンナーマンがわが子のために作った絵本である。
 問題になった本は、その原作をアメリカ人によって絵が描かれ、1927年にニューヨークで出版されたものである。アメリカではこの本も多くの人にゆきわたり、60年代までの黒人との社会的分離政策をとっていた時代にも、黒人社会でも良書として多くの子どもにゆきわたっていたのだった。
 今回瑞雲舎(ずいうんしゃ)によって発行されたのは、岩波書店版であった

『ちびくろ・さんぼ』 ヘレン・バンナーマンぶん フランク・ドビアスえ 光吉夏弥やく 05年4月15日発行  瑞雲舎 1050円

である。この本のおもしろさからすると、そうとうゆきわたるのは間違いないだろう。4月19日(火)の朝日新聞によると、15日発行の初版4万で、すぐに1万増刷とのことだ。絵本が初版で1万以上つくるのは珍しいぐらい、多い部数であるからその関心の高さと多くの人が待ち望んでいたとみてよいであろう。
 瑞雲舎は過去にも、シナという言葉が中国人の蔑称とされて福音舘書店が絶版にした『シナの五にんきょうだい』を発行したことがある。
『シナの五にんきょうだい』クレール・H・ビショップぶん クルト・ヴィーゼえ かわもとさぶろうやく1995年10月発行 瑞雲舎発行 1938年ニューヨーク

 ここで私の手元にある他の『ちぶくろ・さんぼ』の絵本を、紹介する。詳細な作品分析や評論は、別な機会にゆずることにする。

■『ちびくろ・さんぼ』 ヘレン・バンナーマンぶん フランク・ドビアスえ 光吉夏弥やく1953年12月発行 岩波書店 1927年ニューヨーク

■『ブラック・サンボくん』 ヘレン・バナマンぶん 坂西明子え 山本まつよやく 1989年8月発行 子ども文庫の会
*『ちびくろ・さんぼ』絶版に反対の立場から、原作に近い形で制作したものである。

■『おしゃれなサムとバターになったトラ』 ジュリアス・レスターぶん ジェリー・ピンクニー さくまゆみこやく 1997年11月発行 ブルース・インターアクションズ発行 1996年アメリカ 
*アメリカ版『ちびくろ・さんぼ』に対して、サムという名前にし、知恵をもってトラを負かした黒人の子ども、というメッセージで作られた絵本である。とくに絵が誇り高い黒人像を描き出している。

■『チビクロさんぽ』 へれん・ばなまんげんさく 森まりもほんやく(かいさく)1997年10月発行 北大路書店
*絶版を惜しみ、さんぼをチビクロという犬にしてストーリのおもしろさを生かそうとしたものである。

■『トラのバターのパンケーキ』 ヘレン・バンナーマンさく フレッド・マルチェリーノえ 1996年アメリカ
1998年10月発行 評論社発行 
*アメリカ南部の黒人というイメージの絵ではなく、インド人を描き名前もババジくんとした。

■『ちびくろさんぼのおはなし』 へれん・ばなーまんさく・え なだもとまさひさやく1999年5月発行 径書房 
*『ちびくろ・さんぼ』絶版は、優れた文化を無残にも放り投げるもの、として反対を展開していた径(こみち)書房が原作出版100年記念として発行した原作である。



『ズッコケ三人組』シリーズの終刊

2004-12-19 12:12:11 | 絵本と児童文学
[200] 『ズッコケ三人組』シリーズの終刊 (2004年12月19日 (日) 12時12分)

 きょうの『朝日新聞』の<ひと>欄には、「ズッコケ三人組シリーズ50巻を完結させた児童文学作家」というタイトルで、那須正幹(まさもと)が紹介されている。そして広告欄には出版社であるポプラ社が、50巻シリーズの最終刊である『ズッコケ三人組の卒業式』を掲載している。
 この報道は、すでに11月30日付の『読売新聞』にされた。また、11月上旬発行の『日本児童文学』(日本児童文学者協会編集・発行)には、本人によるエッセイ「ズッコケ時代の終焉」として、終刊の言葉を書いている。
 シリーズ50巻という連続性と2100万冊というロングセラーは、児童文学界ではまれなことであり、児童文学歴史に刻まれることになろう。その終刊は、時代の転換をも意味しているようにも思える。
 シリーズの執筆は72年に学習雑誌への連載からで、それを78年2月に出版をしたところから始まり、30年近く子どもたちに支持され続けて継続執筆したことになる。
 ズッコケというタイトルを掲げていることから、ユーモアと逸脱も含んだ子どもの活動力や冒険心を書き綴った。しかも3人の異なるキャラクターの行動は、子どもが誰かに共感し得て、継続して読める要素を兼ね備えていた。
 執筆開始時代は、日本が豊かさを手に入れつつあり、将来に曇りを感じなかった。大人は子どもを信頼し、その活動力に大いに期待のまなざしを注いでいたのである。時代の変化を取り込みながら三人組が展開するおもしろさ、エンターテーメント性が子どもたちに受け入れられたのだろう。

 さて、『日本児童文学に』に、自身が作品を連続させながら子どもの反響の変化を書いているので、それを要約しながら子どもの変化を見ることにしよう。

 三作目の『ズッコケ㊙大作戦』頃から読者が増えた。読者であ る子どもからは、三人組に共感の反応が多く、70年代後半か ら80年代までは三人組も「どこへでもいる普通の子ども」だ った。
 90年代になって変化した。「三人組は、私たちのやれないこ とをしてくれるから楽しい」になった。三人組は普通の子ども でなく、ミドリ市花山町は架空空間になってしまった。
 今は、三人組のような友だちがほしい、あんな友だち関係をつ くりたい、になった。現在の子どもたちが人間関係で苦労して いることが浮き彫りになっている。
 また、三人組の人気が、最初のころは元気物なハチベエの人気 があったが、ここ10年はモーちゃんだ。のんびりした性格が、子どもたちに安心感を与えているかも知れない。癒し系のキャラクターが子どものニーズになっている。

 このような自分の作品を通しての子どもの定点観察から、社会環境の変容からくる子どもの変化は、興味深いものがある。わたしの仕事からすると、学生の変化にも通じるものがあるからである。
 また、30年近くにわたってシリーズが続いた理由の一部に、防府市(山口県)で書き続けたことと子どものファンレターに返事を書いたというがあると、私は思っている。地方の小都市の方が生活の形があるので、それに時代の変化情報を加味してストーリーメーキンのイメージがしやすい。ファンレターは、モニターとして重要なのである。
 さあ、今から最終刊の『ズッコケ』を買いに行くことにする。




『いない いない ばあ』の作品郡を読み解く-その1

2004-10-11 11:41:12 | 絵本と児童文学
185] 『いない いない ばあ』の作品群を読み解く-その1 (2004年10月11日 (月) 11時41分)

大人へ愛着が芽生える

 生後5カ月頃から、親のような特定の大人に愛着(アタッチメント)をもてるようになります。その頃から10カ月頃まで愛着を持てる人を識別できるようになるため、知らない人を受け入れないということがおきます。それが人見知り、といわれていることです。子どもは恐怖から逃れ安心できること、つまり自分を守ることは生命を維持するため備わっているように思われます。したがって人見知りするということは、特定の人に愛着をもてていることであり、情緒の安定とコミュニケーション能力の土台形成にとって大事な行為でもあります。
 このようなコミュニケーション力の萌芽の時期の子どもが「いない いない ばあ」と、親しい人に働きかけられることによって、目の前の人の顔が手で隠されていなくなる不安な気持ちと、まもなく顔を確認できる満足の気持ちが行き交い、特定の人との関係をつくる体験となります。子どもが愛着を持っている大人が、それをやることによって関係が深まり、絆をつくるにつながるといっても過言ではないでしょう。
 また「いない いない ばあ」は、日本だけでなくおよそ世界中の子育てで、6ヵ月前後からおこなわれることでもあります。それはコミュニケーション発達の側面以外に、ワーキングメモリーといって、この年齢では数秒間の記憶ができるようになるため、それを楽しむ行為でもあるとのことです。

「いない いない ばあ」遊びの意味

 ところで「いない いない ばあ」の遊びは、どのような意味があるのでしょうか。この遊びは、子どもに向かい合って「いない いない」といって顔を手で覆って消えるかのように思える、あるいは顔をなにかで覆うか物陰に隠れるのです。この遊びの初期には不安や驚きの感情がわきあがるが、次の瞬間出会えることは安心しわくわくの喜びの感情になります。遊びを繰り返しているうちに、出会える喜びがあるために顔が見えなくなることは、次に出会える期待になっていくのです。
 かりに「いない いない」で顔が隠れたまま現れないとしたら、子どもはどうなるでしょう。実際やってはいけないことだが、子どもは不安と恐怖の感情を持ち、何回か繰り返すとしたら大人を当てにしなくなることでしょう。感情的にもつれるし、コミュニケーション力が萎えてしまいます。
 「いない いない ばあ」は、この年齢の子どもにとって、そのやり取りで安心の心を育て、間やタイミングの心地よさを体験し、大人と子どもの絆をつくりコミュニケーショ力をも育てるのです。  子どもからすれば、見て確認した顔が一瞬消えてまた出会うのは記憶を確かめられるのと再度の出会いを確かめられた安心してつながっているのです。
 また、この「いない いない ばあ」が、1歳半ば頃になると子どもが自分から大人に向かってやりだす場合があります。よくあることでは、カーテンに子どもが隠れて「いないない」といい、大人が「いなくなった」とか「どこへいったのかな」などと対応すると、子どもは得意になって驚かそうとして「ばあ」とカーテンから姿を現します。じつは大人から見ればカーテンに隠れているということが分かるのですが、自分がカーテンで覆うために暗くなったりするので、子どもにとっては大掛かりな行為だと思われます。
 さて「いない いない ばあ」がこのような意味があるのですが、それをさまざまな人が絵本として作品にしています。この「いない いない ばあ」という素材は、絵本の制作技法としてもっとも使われる繰り返しが含んでいます。素材が同じでも、当然のことながら作家によって作品は異なります。
 ここでは「いない いない ばあ」遊びの意味を作家がどのようにとらえているか、ストリー展開に盛り込まれる繰り返しをどのように使っているかを、個々の作品にあたってみるのも興味がそそられます。そのことが子どもにどのようなメッセージを伝えることになるか、という観点で作品を比較検討してみることにします。
 
■『いない いない ばあ』 松谷みよ子ぶん 瀬川康男え(童心社 67年4月発行)

 発行当時は、わずかしか出版されていなかった赤ちゃん(0歳)を対象にした絵本の、さきがけとなった「松谷みよ子あかちゃんの本」のシリーズの1冊です。
 最初の見開きのページは、右ページに
「いない いない ばあ/にゃあにゃが ほらはら/いない いない・・・・・・・・・」
と語りの文章があり左画面いっぱいにねこが手で顔を隠しています。次の見開きは右ページにねこの笑顔が描かれており、左ページに大きな文字で「ばあ」となります。
 このように見開きを絵と言葉組み合わせ、しかも絵と文字のページを違えているのは、「いない いない」で次のページを開くと「いない いない」の絵の紙と表裏をなして「ばあ」となるので、連続性が表現されています。そのためにページをめくることに、間を託しているのです。しかも絵が白に描かれ文字は淡い緑色にしているのは、このような効果を意図した表現技法です。
 ねこの次は、くまが同じように書かれています。ところが次のねずみは左ページの下の方に小さく籠に入って顔を隠しています。右ページの語りは
「いない いない ばあ/こんどは だれだろう/いない いない・・・・・・・・」
として、次の見開きは大きな文字で「ばあ」で、ねずみが籠の上にたちおどけているようにも見えます。繰り返にストリー性をもたせるために、起承転結の転であろう変化をもたせています。次のきつねは黄色と赤も使って、あかるく高揚感をつくっています。
 最後は見開きの中央に
「こんどは/のんちゃんが/いない いない/ばあ」
と語りを入れて右ページに顔を強調した赤ちゃんが顔を手で隠し、左ページはにこにこ顔ののんちゃんが「ばあ」をして終了となります。
 瀬川康男の絵は、やわらかく温かみのあるもので、「いない いない ばあ」の根源的な意味を子どもに届けるのにふさわしいものです。この本を手にすると、子どもに大人の息使いを感じさせながら安心の言葉と心を届けることができるでしょう。

■『いない いない ばあ のえほん』 安野光雅(童話屋 87年5月発行)

 左側の表紙は、端正で柔らかな、しかも完成度の高い絵で女性が手で顔を覆って、「いない いない」をしています。裏表紙は「ばあ」の絵で、しかもタイトルもあります。表紙から開始していることと、裏表紙からすすんでもよいのです。しかも、まったく文字がないので、すべて受け手にゆだねられている絵本なのです。
 奥付が右にあることから左からすすむとして、最初のページは「いない いない」と顔を覆う手がその形に切られてあるのでそれを開くとうさぎが静かに穏やかに静止しています。次の見開きの左ページがいぬで、右ページがねこで中央に顔を覆う手が両面に描かれています。次のページがらいおんととら、という具合に進みあかちゃんやぴえろやさんたくろーすも登場します。
 この絵本は、「いない いない ばあ」というシムプルなコミュニケーション遊びを、言葉を添えずに手に取る親子が望むように扱うよう委ねているのです。そういった扱いが可能なような、子どもにおもねない絵と装丁に仕上げられています。きっとしっとりとしたていねいな大人と子どものやり取りになるのではないか、と想像できます。
 おもちゃでいうと積み木は、制作者がシムプルに提示したものを遊び手によって制作者の意図を超えて創造的に遊びが展開するよう期待します。この本を手にした親子は積み木で遊ぶように、「いない いない ばあ」からどのような想像の世界がつくられるか、楽しみでもあります。

絵本の扉を開く-その3

2004-10-10 20:18:30 | 絵本と児童文学
[184] 絵本の扉を開く-その3 (2004年10月10日 (日) 20時18分)

始めは、絵本を記憶にとどめることから

②読み聞かせのし合をする

 作品の内容を味わうには、絵本を自分で見るだけでは客観的に深く理解するのは困難です。とかく大人は、すばやく絵本の文字を読んでしますからです。よほど絵本をたくさん読みこなしている人でなければ、読むだけでは自分の理解だけにとどめてしまいます。
 絵本は、絵と音声を伴った言葉、つまり語りが同時に味わうことが生命と言ってもよいものです。ですから文字を読めても、他人から読んでもらうことが重要です。
 そのために大人どうしで読み聞かせをし合う機会をつくるようにしたいものです。読み聞かせをしてもらうと、自分で読むとは違ったことに気づき、絵本を対象化してみることができます。絵と言葉の兼ね合いは、制作技法はどうなっているか、テーマ性読み取る、子どもはどのように味わうだろう、といったことへも思いをはせることができ、大いに役立ちます。
 改めて強調しておきたいのは、読み聞かせは文字の読めない人(子ども)への代読ではない、ということです。文字を読めるか読めないにかかわらず、絵本を深く味わいあるいは読み解くために読み聞かせをしてもらうことは必要なことなのです。また何歳であっても読み聞かせをしてもらうことは心地よいことはいうまでもありません。絵本は語りというコミュニケーションと同時にあるものだからです。
 絵本にふれる経験が多くなり、好き嫌いを中心にしなくとも絵本に接近ができるぐらいだと、ひとりで絵本を読み解くことも可能です。その場合、絵から読み解いていくこともやって見ましょう。絵自体で物語を語っている絵本の多いことにも、気づくことでしょう。