絵本と児童文学

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ついに代表選

2010-08-29 18:21:14 | 生活・教育・文化・社会
 民主党の代表選挙は、26日(木)の小沢の立候補表明で、メディアはこの件で大騒ぎになっている。早々とグループの人数を掲げ得票予測をしている。小沢の立候補は、わたしの予想外のことだった。3カ月前に「政治のカネ問題」で鳩山首相とともに引責辞任し、そのことを国会や国民になんら説明をしていない。幹事長辞任でいわゆるみそぎが終わったわけではない。

 しかし辞任した時から代表選を視野に党員サポータを増やしていたという報道があるし、軽井沢の鳩山別荘での集まりでの民主党議員の小沢に対する扱いは、氏の「力」を誇示する演出が施されていた。
 首相を投げ出すように辞任した鳩山を中心とした集まりをもって、影響力の健在を示したのでもあった。さらに「気合だ」と唱和した映像には、政権党の議員の集まりか疑うほどうんざりした。ちなみにわたしは、オリンピックの時叫ぶ「気合だ」に対しても、嫌悪感を持っている。

 もっとも小沢のカネの問題は、東京地検特捜部の捜査では不起訴であり、検察審査会で継続中だ。政治資金規正法違反で秘書3人が逮捕されて係争中であるが、そこで明らかになっていることは、会計処理の誤記載という軽微なことである。この件だけでは、衆院選を前にして東京地検特捜部の政治的色彩の濃い捜査だ、という見方もある。強制捜査をし、1年へても起訴にいたらなかったのだ。
 しかし検察での捜査では立件が難しく、クロではないとしても、小沢の多額の政治資金の出所など疑念が払拭されていない。主として選挙に活動する秘書を多数抱えており、その資金などどのように捻出しているか、関心のあるところである。参院では証人喚問が問われても応じておらず、国会議員として疑念を晴らすことはしていないし、とりもなおさず国民にも説明をしていない。

 小沢の政治手法は、影響下にある人の数を背景にした「力」によることが多く、幹事長をしながら鳩山内閣にも影での力を行使していた。それは民主的道理にそっているとはいいがたい。それに幹事長の立場で党のカネ(主として政党助成金)と選挙を独占し、当選者を自分の影響下に置き「力」を増大させるという政治は、民主主義とは程遠いものだ。

 メディアは代表選に対して連日報道し、相当盛り上げている。とくに今日のテレビでは、民主党代表選の菅支援と小沢支援の討論をいくつかの番組でやっていた。わたしは不愉快なのでさわりだけみるにとどめた。日本の政府のあり方を考えると、政策論争ではなく小沢の権力奪還のようにみえる。
 
 仮に小沢が当選して首相になったら、参院のねじれを解消すべく連立を組む等をするというが、それ以前に証人喚問あるいは政治倫理審査会での参考人招致で暗礁に乗り上げるだろう。政府としては、議会がそんなことに時間を延々と費やす場合ではないだろうに。

処暑はすんでも猛暑

2010-08-26 16:22:45 | 身辺のこと・自然
 例年甲子園野球が終わると処暑(22日)になるので暑い日でも風が涼しくなり、秋の気配を感じさせるものだが、ことしは依然として真夏日(30℃以上)はおろか猛暑日(35℃以上)にもなっている。
 テニスを続けているが、オムニコートなので照り返しの暑さも含めれば35℃を超えているだろう。それなりの対策をしてやっているが、帰宅後はしばらくからだがほてっている感じなので、そのケアを大事にしている。

 まだ当分30℃を越える暑さは続くそうだが、秋の気配もある。早朝涼しさを感じることがあるし、5時台にウォーキングをしていると、5時25分頃から10分ぐらいが日の出の太陽が、大きく柔らかな赤が美しい。その時間が過ぎると日差しの強い夏の太陽になる。ちなみにこの地の今日の、日の出は5時8分、日の入りが18時21分である。
 いくつかの庭にあるサルスベリの花が盛りである。この花は真夏ににあっているのだが、わが家では池の回りに先週からノギクとノハギの花が咲き始め、季節の移ろいを感じさせてくれる。
 それに先週から夕方虫の鳴き声がしたが、1昨日ぐらいから18時半頃から21時ぐらいまでいくつかの虫が競い合うように鳴いている。虫の音を聞き分けることができないが、秋の夜の楽しみである。

資源ごみ

2010-08-22 18:24:04 | 当世世間事情
■資源ごみ

 わたしの住んでいる地域の缶、ダンボール、書籍等のいわゆる資源ごみの回収は、水、金である。水曜日は回収量によって、町会にお金が還元されるので、その日にたくさん出す家が多い。
 先日早朝の5時過ぎにウォーキングをしていたら、シニアの人がごみ置き場を回って缶の回収をしていた。自転車の荷台に、普段は見たことないぐらい缶がてんこ盛りになっていた。それは90前後にベトナムのホーチミン市で、自転車が移動と荷運びが中心だった時に見た風景と同じだった。缶は重量がないので工夫によって相当な量を運べるのだ。
 さてそのシニアの人は70代に見えたが、なかなか手馴れていて現金化して収入として位置づけているのか、と想像してみた。都市での暮らしの厳しさを垣間見た感じだった。
 この行為は不正ではあるが、大都市で暮らす場合独自の収入を得ようとすると、このようなことになるのか、と思ったのだ。数万の市や山間地のように、自家製の野菜を作り近所の人と語らうといったゆっくりした暮らしのできる環境ではないからな。

■草刈

 夏雑草が成長するので、草取りをすることが多い。以前から学校の周辺の草が刈り取られるのではなく、枯れていたのが気になっていた。除草剤は使わないはずなのに、それをまいたかのような状況なのだ。
 雑草を枯らすという処理の仕方をどのようにしているか、なぞが解けた。草刈機と同じような形の機械で地面に向けて火を吹きつけて、雑草を枯らす作業をしているのを見たのだ。雑草が点在している場合は刈る作業より、燃やす方が効率的だからなのだろう。虫も死んでしまうな、などと考えたのだった。

テノール本田武久のCD

2010-08-20 17:39:57 | 音楽
 わたしは高校時代合唱に夢中になっていた。シニアになって声楽への関心がよみがえり、歌曲やオペラのコンサート頻繁に行くようになっている。とくに歌曲、とりわけ日本歌曲の魅力に惹かれCDを昨年から収集して、目下40枚を超えている。
 日本歌曲は、オペラの歌唱と違うことはもちろん、ヨーロッパの歌曲とも違う独自な歌唱法があるということが分かってきた。その独自性と表現の深さを味わい探ることが、目下のわたしの関心事である。
 このコラムで本田武久のリサイタルの様子を2回紹介したが、氏がCDを制作、発売したので紹介する。氏の日本歌曲は、丹精な歌唱と日本歌曲独自の表現の深さを味わうことができ、日ごろ耳にしているものと比べて大いなる発見と感動の至福な時間に浸ることができるのだ。なぜかわたしがCDのブックレットに推薦文を書いている。

■タイトル:そして 今日も うたをうたう ~めぐり逢い~
■演奏:本田武久(テノール)/鳥井俊之(ピアノ)/雁部一浩(ピアノ)
■発売元:T&Kエンタテイメント  
■販売元:コロンビアミュージックエンタテイメント
■価格:¥3000(税込)
 購入は、インターネット(アマゾン・タワーレコードなど)、CDショップにて可能。なお、前記のことが難しい場合は、メールで連絡もらえれば手配してお送りする。

■内容
1.花 (作詞:武島羽衣/作曲:滝廉太郎)
2.浜辺の歌 (作詞:林古渓/作曲:成田為三)
3.初恋 (作詞:石川啄木/作曲:越谷達之助)
4.ゆく春( 作詞:小野芳照/作曲:中田喜直)
5.夏の思い出 (作詞:江間章子/作曲:中田喜直)
6.九十九里浜(作詞:北見志保子/作曲:平井康三郎)
7.くちなし (作詞:高野喜久雄/作曲:高田三郎)
8.落葉松 (作詞:野上彰/作曲:小林秀雄)
9.昨日のしみ (作詞:谷川俊太郎/作曲:武満徹)
10.死んだ男の残したものは(作詞:谷川俊太郎/作曲:武満徹)
11.めぐり逢い (作詞:荒木一郎/作曲:武満徹)
12.八木重吉による五つの歌曲Op.7 (作詞:八木重吉/作曲:雁部一浩)
13.八木重吉による三つの歌曲Op.13 (作詞:八木重吉/作曲:雁部一浩)

オペラ「カルメン」を見る

2010-08-16 15:56:10 | 音楽
 わが市にはシティオペラという団体があり、05年の「こうもり」手始めに毎年1回公演おこない、今年はビゼーの「カルメン」であった。わたしはキャストの違いがあることから、14日15日2回公演の両日を見た。

 若い時見た「カルメン」は、カルメンが大柄な成田絵知子で、存在感のある歌唱と演技が未だに記憶がある。しかしストリーの理解ができずに、オペラを歌う人の声に聞き入ることが中心のようだった。

 今回は、いわゆる日本のトップクラスのキャストではないが、むしろわたしの関心はその人たちがどう歌い演じるかをみるところにある。
 現在ではオペラは、プログラムでストリーを知ることができるだけでなく、歌うごとにテロップが表示されるので、ストリーと歌の表現の心情など詳細が分かる。

 さて、14日は夜の公演で、車で行く。眠くもならず歌唱力などに関心をもち休憩も入れて3時間を聞き入ったのだった。
 「カルメン」は大掛かりな舞台である。合唱が大人20人、子ども21人、バレエダンサー7人で、オーケストラ50人近い編成である。合唱は出番が多くフランス語でもあり、相当な練習をしたと思われる。
 カルメン(メゾソプラノ)、ホセ(テノール)が中心であり、エスカミーリョ(バリトン)、ミカエラ(ソプラノ)も重要である。エスカミーリョがホセと対称的役であり、それにあったキャステイングのように思えた。
 いずれのキャストもオペラ経験があるが、どちらかというと若手でありであり懸命に歌い演じていた印象だった。他の6人のキャストは、経験が足りないせいか、聞かせるという感じでない人もいた。そんなところがわたしの注目するところなのだ。
 入場者が500人くらいで、採算が合わないだろうし、市からの援助が出ているのだろうな、などといったことも頭をめぐる。

 15日は午後の公演で早めに出かけて、オーケストラも見える座席を確保した。ストリーなどが分かるし、メロデーやアリアが耳慣れたものもあり、楽しむことができた。それと同時に、つい歌唱力など前日と比べてしまうのだった。
 第4幕の最終である、ホセの愛を拒絶するカルメンとそれ怒るホセの二重唱は、このオペラの山場であり、その歌にわたしは珍しく感動したのだった。
 いわゆる日本でのトップクラスのキャストではないのだが、なぜ心打たれたかを考えてみた。14日のカルメンとホセも丁寧に歌っていたし、演技も工夫していた。15日のカルメンは、中低音がよく出て存在感があり、ストリーをリードしていた。それがオペラの世界へ没入させてくれたようである。テノールのホセは歌唱力と声で圧倒するわけではないが、声がよく出ていて最後の二重唱のアリアへの思い入れが伝わってきたのだ。そのホセ役は、楽歴では14日人の方が上のようだが、カルメンとのバランスの良し悪しが影響したと思われる。
 その他の役は、若くて声楽家としてのキャリアをアップしようと励んでいる人であるが、その歌唱力と声などがわかった。声楽を専攻しないアマチュアの人が2人出ていた。バリトンは声が心地よく聞えたとはいいがたいが、オーケストラで呼吸を安定させて歌うだけでも大変なことなのに、よくやると感心したのだった。

 声楽の世界は男性の場合は、30歳代でも若手だがステージを中心に仕事が出来る人はまれであり、難しくて厳しい世界ではないか、と考えさせられた。体が楽器だからなにぶんにも才能というが問題になるだろう。オペラを堪能しながら、そんなことに思いをめぐらすのが、わたし流の楽しみ方である。
 「カルメン」は名作であり舞台のスケールが大きいので、今度見る機会があったら演出や合唱団などにも関心が持てそうである。

広島原爆の日65年に思う

2010-08-07 04:59:30 | 生活・教育・文化・社会
 広島原爆の日は、NHKテレビで「平和祈念式」を毎年欠かさず見ている。8時15分の平和の鐘の音ともにおこなう黙祷、そして広島市長の言葉を厳粛な気持ちで耳を傾ける。
 おおよそこの日から終戦の日までのテレビや新聞報道を通して、戦争と平和について集中して考えることも、わたしの夏のすごし方になっている。

 さて、今年は65年という節目であり、国連のパン・ギムン事務総長の出席、アメリカのルース大使の出席という画期的な式典となった。
 オバマ大統領の09年5月のプラハ演説から、核廃絶は日本が発信するだけではなく世界を駆け巡るようになった。それが初めての国連事務総長、アメリカ、イギリス、フランスという核保有国の大使の出席ということにつながったのだろう。
 アメリカにとっては、ルース大使を出席させるということは、一般的には政府の意思と認識されるので、アメリカの国内事情としては簡単な決断ではなかったと思われる。アメリカの保守層(共和党)からしたら、原爆使用を問題視されることは許しがたいことなのである。オバマ大統領の核廃絶の訴えが、アメリカで支持されるわけではないので、次期の大統領選を乗り切るにはデリケートな問題である。
 出席国が増えることによって、海外メディアが報道することが核廃絶への関心が広がることが期待される。しかし報道によると、外国メディアの扱いは小さかったようだ。

 わたしはパン・ギムン事務総長の言葉を放送で聴けることを期待していたが、首相の言葉で平和記念式のライブは打ち切られ、次の番組に移行された。新聞報道によると、広島国際会議場での講演で「グランド・ゼロ(爆心地)からグローバル・ゼロ(核なき世界)」と訴え、核廃絶に向けて包括的核実験条約(CTBT)の2012年の発効や核の先制不使用主義を進めるべきだと、と訴えたという。

 菅首相の言葉は、このところの政治状況からなのか、自ら発している言葉ではないと感じ取られるような慎重な「読み方」だった。
 しかも終了後の記者会見では、日米同盟を意識してのことだろうが「核抑止力は、わが国にとって引き続き必要だ」とした。秋葉市長の平和宣言で「核の傘からの離脱」を訴えたことからしても、被爆国で核保有をしていない国の首相発言として、失望は大きい。
 国連事務総長、ルースアメリカ大使の出席という歴史的平和祈念式であり、核廃絶のうねりを大きくするのを日本政府が率先することを期待するのである。


猛暑は続くよどこまでも

2010-08-04 08:39:16 | 身辺のこと・自然
 東の空が白みかかるのは4時を回ってからになった。夏至の頃から見れば遅くなったものだ。今朝5時40分にウォーキングのために家を出た時は、太陽の光が強く暑いため日陰を選んで歩いた。セミの音が、真夏であることをいっそう実感させるのだった。この地の日の出が4時52分、日の入りが18時43分というから、まだ昼が長い。

 7月17日に梅雨明けしたがそれからというものは、26日の夕方が短時間の強い雨、29日30日が強風に乗った弱い雨で、連日35℃に近い気温である。地面が乾ききったなかでの高温では、テニスをしている者としてコンデションはよくない。さりとて休むとテニスが出来る体に回復するのが容易でないので、熱中症などを視野に入れながら無理せず続けている。
 7日に立秋を過ぎると暑さは続いても、風がわずかにさわやかになる。徐々に早朝が涼くなり、秋へと移行していく。まだ風鈴の音色が心地よいので、後2週間ほどの暑さを辛抱しなければならない。

 さて、狭いわが家の庭だが、暑いなりの風情がある。ヒマワリが7月から次々と咲いている。この花は、ほんとうに暑い太陽に似合っている。フウセンカズラがささやかな白い花を咲かせ、アサガオの白い花は、暑さを避けて早朝を楽しませてくれている。またホオズキがだんだん赤いものが増えている。ヤマユリが先週咲いてしおれかかった。
 7月上旬庭の木の刈り込みを業者の手によっておこなったが、このところ生垣のマキが新しい葉をだしたため、それが時には金色に見える。

 シジミチョウが例年のように飛び交っている。キイアゲハが時々来るが、庭に幼虫がいたのでその蝶かもしれない。カマキリやバッタなどもおり、夜コオロギなどの虫が鳴くようになるのが楽しみである。そのころは夜が長くなり夜空の星が輝き、涼しくなり過ごしやすくなる。
 庭にアマガエルを放したので、今は暑さでじっとしているが7月中旬まで時々鳴いていた。樫の木にキジバトが巣をつく7月上旬までは卵を抱いていたようである。幼鳥になったかどうか知ることはできないが、今も隣の庭なども含めて鳴き声が聞こえるので、生息の拠点にしている可能性がある。

 暑い時の楽しみは、そのとき旬の果物を食べることだ。今旬は、モモである。去年ぐらいからメロンを食べなくなり、モモ相対的に多く食している。スイカが安くておいしいときだが、テニスを終えてから食べるのは格別においしい。わたしの家に届くのは、今は松本産だが、そのうち山形となり、北海道と移行していくので、当分は楽しめる。
 今年はトウモロコシを買ってきてはゆでて食べている。2週間ぐらい前は地元産で低価格だったが、今は群馬産が多いようだ。

 猛暑が続いているが、部屋に風が入るのでクーラーがつけずに扇風機でしのげる。夜は布団から遠いところの窓を開けて、室温を調整して十分である。布団のそばの窓は障子だけ閉めるが、時にはそれを閉め忘れて喉を痛めることがある。

 猛暑日としている35℃を超えることはめったにないが、全国的に例年にない暑さのため野菜や豚肉等が高騰して生活にも影響を及ぼしている。