絵本と児童文学

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最近のスポーツの動向から

2002-12-16 11:30:16 | テニス・他のスポーツ
[64] 最近のスポーツ動向から (2002年12月16日 (月) 11時30分)

■ 国見高校国士館大学を破る
8日(日)おこなわれた全国サッカー選手権大会(天皇杯)の2回戦で、大学サッカーの強豪国士館大学が国見高校に1対2で敗れるという波瀾が起きました。国士館大は大学選手権準優勝とJFLで中位を確保しているだけあって、すぐれた個人技と洗練された試合をしていました。ところが国見高の、チームとしての組織的プレーと途切れない集中力と運動量で、立ちあがりからの15分以外は終始試合のペースをにぎっていました。サッカーでは、こういったチーム力に歴然と差があっても、チームのコンデションと試合展開の仕方で勝敗は思わぬほうへ傾くことはあります。そしてトーナメントでは、その結果に従わなければならないのです。
国見高は全日本ユース選手権優勝チームだけあって、技術は優れていました。それにトーナメントの戦い方がチームに浸透しており、そのチャレンジ精神を称えるべきでしょう。日本のサッカーの変化を感じさせる、出来事ではないでしょうか。ついでにふれておくと、柱谷哲二(前コンサドーレ監督)が、国士館大のコーチとしてベンチに入っていました。
そして国見高は、今日ジュビロとの試合に向かいます。この番狂わせはありえませんが、ジュビロがどんな試合をするか興味がわきます。
*これを書いた後、試合を見たのです。国見高は高い集中力で戦いながらも、0-2で敗れました。カテゴリーの違う相手との試合のため、ジュビロはやりずらそうでした。とくに高校生相手ではボディコンタクトが出来ないので、ジュビロの選手は60%ぐらいしか力を出せていなかったように私には見えました。それにしても国見高はよくやっていたので、練習の質の良さとメンタルの強さを感じさせられました。(12・15)

■ プロフェソール宮崎の試合
同じ8日に、J2の新潟とJFLのプロフェソール宮崎の試合を、テレビで見ました。こんな対戦が公式戦であるのが、天皇杯のおもしろさです。1対0と負けたものの、宮崎はJFLを降格するチームとは思えないほどよく戦っていました。しかしどうみても宮崎が勝つとは思えませんでした。宮崎の選手は、若手も含めた元Jリーガーがほとんどだし、しっかりした技術のプレーも多く見られました。ところが私がJ2の新潟と格が違うと思ったことは、フジィカルの点です。宮崎の選手は体重オーバーの選手が多く、新潟に比べプレーの出だしのスピードと連続性に格段の違いがありました。
これは選手個人の日常のからだの手入れ、チームとしての練習の質を垣間見た思いがしました。プロ選手は、拘束時間が少ないのです。高いレベルの選手は、その生活の仕方、食とトレーニングなど厳しい自己管理が必要です。それは個人でおこなうとともに、チーム環境を反映することでもあります。

■ 釜石シーウェイブス全国大会進出ならず
かつて「北の鉄人」といわれた、新日鉄釜石のラグビーが解散して久しい。その後地域クラブとして再出発し、東日本リーグの下部リーグであるチャレンジリーグに所属し、今年は1位になった。そこで全国社会人大会への出場をかけて、7日(土)東日本リーグ7位のNECと対戦した。NECのようなトップリーグチームは、ほとんどプロ契約で恵まれた環境で練習に打ちこんでいる。クラブチームの環境は厳しく、力の差は歴然としている。地域型チームでトップリーグをめざしている釜石シーウェイブスの、今後に関心を持っていきたい。
地域型といえば、アイスホッケーの雪印廃部後を受け継ぎ札幌でチームづくりを試みたが実らなかったし、バスケでマツダ所沢廃部後地域型チームを作って活動したが、持続は出来なかった。
しかしJリーグのフリューゲルス後をFC横浜として再生させたし、アイスホッケーの古川電工廃部後日光アイスバックスとして何とか存続している。それにバスケットボールのスーパーリーグ(旧日本リーグ)で、企業チームの中に唯一アルビレックス新潟が地域型クラブとして活動している。J2のアルビレックス新潟とは別会社だが、地域型スポーツの発展が国民のスポーツ権普及のために重要と考えているので、これもまた注目をしている。

■ 高知国体
10月下旬にさかのぼること。例年開催県の優勝が慣例になっている国体は、高知県は開催県優勝なしで終了した。36年にわたる開催県優勝が途切れたので、高知県への注目度はむしろ高まった。もともと開催県常時優勝が異常とかねがね考えていた私は、普通のことと言えよくやってくれたという思いである。
開催県優勝のために、多額の財源を元に急場の選手強化と県外選手の移入のからくりを、橋本知事はしなかった。さすが地方分権の旗手の一人である、橋本知事である。これが普通なのだが・…。
そもそも人口81万で例年下位を位置する高知県が、優勝するには相当な無理をしなければならない。それをしなかったことは、県行政としては普通のことであり、これを今後の開催県は教訓にして欲しいものだ。しかし来年開催の静岡県は、優勝を目指して強化しているだろうな。

■ ジァイアンツの一人勝ち
巨人軍が好きってことはさァ。
お金が好きってことだよなァ。
金さえありゃなァ、強いわなァ。
巨人軍というより、巨金軍か・・…
子ども達に説明出来ないね。   『週間金曜日』439号(12/6)永六輔「無名人語録」から

■ 長嶋は、永久に不滅です
オリンピックのスリム化のため、削減種目に野球が上がっていた。11月下旬のメキシコでのIOC総会では、アメリカや日本によるロビー活動の圧力のため結論を先送りし、アテネではおこなわれることになった。ヨーロッパを中心にした世界的視野から見れば、野球は限られた地域のスポーツであることが、改めて思い知らされた。
 ところで日本は、早々と長嶋茂雄(前ジャイアンツ監督)を監督に据えることを打ち上げていた。メディアは、それを手放しで歓迎している。シドニーの堤主導に対応しなかったナベツネが、一転してオリンピック野球に熱心である。読売新聞グループのメディア企業としての戦略、国民的スポーツである野球によるウルトラナショナリズムへの手段化が見え隠れする。長嶋を据えれば、メディアと野球界はそれになびくと踏んでいる。さっそく「アテネの聖地で日の丸を上げたい」と、記者会見で長嶋は述べた。これまでオリンピックは、スポーツナショナリズムの意味を果たしていたが、さらにスポーツによる国威発揚というウルトラナショナリズムに進む気配である。教育基本法の改訂が具体化してきている情勢とともに、気になることである。
 長嶋のジャイアンツの監督として実績はともかくとして、高齢化社会における老年アイドルと思っている人は多いに違いない。しかしそれ以上の「聖地で日の丸」といった立場に置くのは、国民的アイドルでもある彼の影響は大きいし、その動向は国の方向性にもじわり浸透するだけに、無条件に歓迎は出来ないと思うが、いかがなものか。

12 クサイ付き合いは、子どもの発達を見届けること

2002-12-06 18:33:47 | 当世世間事情
[63]12 クサイ付き合いは、子どもの発達を見届けること (2002年12月06日 (金) 18時33分)

 オムツが取れることは子どもの成長の証として、親は腐心して働きかける。その過程でたびたび失敗するが、粘り強くつきあってトイレ(あるいはおまる)で出来るようになると、子どもの成長を実感できる。結果として、オムツの世話の負担が少なくなることに、ほっとするものだ。
 ところが最近の傾向として、保育園でオムツが取れている、つまり排泄の自立が進んでいるのに親は失敗されては困るので、家庭でオムツをするケースが目立ってきている。子どもに失敗すると臭うし汚いのがいやだという。それに面倒を見るのが、負担なのだ。消臭、抗菌といった過剰清潔の風潮が、この時期の子どもの成長に重要である、排泄の自立の過程に親がかかわらない現象を生み出しているのだろう。それを可能にしているのは、低額で進化した機能の紙オムツの使用がある。
 1歳半から3歳近くまでの年齢は、大人の言葉かけからたくさんの内言を蓄積している。それを「たーたん」(父さん)といった赤ちゃん言葉(ベビートーク)として、やがて「ほくえん」(保育園)といった構音がもつれながらも、外言として出せるようになっていく。 たとえば、からだをぶつけたときに「ワァー」と声を出して泣いていたのが、「いたい」という言葉を発するようになることをいう。
 こういった発語の発達は、言語の機能のひとつである感情の抑制、行為の自覚化が可能になることを意味している。この言語発達と排泄の自立がむすびつくと、子ども自分の変化にきづくことなので、発達の質が豊かになるのだ。
 さらにこの年齢の子どもが、まねを好むことに象徴されるように周囲への関心が高くなる。そのため排泄の自立は、この年齢の子どもが自分の変化に気付き、大人のように出来るという誇りが育つ機会でもある。恥ずかしい、という感覚がそれである。ただし「そんなことでは恥ずかしいよ!」といった、その感覚に突き刺さるような多用は禁物である。失敗または失敗予防に対しての言葉だから、自分を惨めに思うだろう。
 不充分であってもトイレ(おまる)でしたら、「とうさんやかあさんとおなじだね」と承認の言葉かけで、子どもに気がつかせることが大事である。子どもの行為に肯定的なので、この年齢なりの誇りにつながっていく。
 なによりも、ウンコすることは汚いということではなく、気持ちよいことなのだということを、親は押さえておきたいものである。
 子どもの排泄の自立、つまりウンコはこの年齢の能力と人格の発達にとって重要である。クサイ付き合いを避けずに、その過程に大人がかかわることを喜びとした方がよさそうだ。

02Jリーグ終わる

2002-12-02 21:52:02 | サッカー
[62] 02年Jリーグ終わる (2002年12月02日 (月) 21時52分)

30日(土)は、Jリーグの最終節だった。すでに優勝は決まっていたので、大方の関心は残留争いに向いた。
 私は、テレビでコンサドーレ札幌とサンフレッチェ広島の試合を見た。サンフレッチェは、勝利しなおかつレイソルとヴィッセルが敗れた場合に、残留できるという困難な状況におかれていた。サンフレッチェの、勝利して残留へいちるの望みかけることと、コンサドーレは札幌ドームをホームにして22000人のサポーターの後押しを受けての最終戦という、モチベーションの高いチームどうしであった。試合は延長Vゴール5対4という結果が示すように、壮絶でおもしろく感動的なものであった。コンサドーレの勝利への執念が勝敗を分けた、といった感じであった。この結果、すでに決まっていたコンサドーレとともに、サンフレッチェはJ2降格となった。
 サンフレッチェは、日本リーグ時代の名門東洋工業(マツダ)を前身としたチームであり、昨年年間9位のだったのだが、リーグの掟は容赦しない。観客動員数が少ない(ホームで1万超えることがめったにない)チームだけに、経営の困難を抱えることであろう。選手のレベルが低くないのと若手の台頭からして、今年だけのつまずきと考えたい。セレッソだってヤンマーを前身としており、まさかの降格から1年でJ1復帰したのだ。
 コンサドーレは去年11位だったものの、2年で降格である。シーズン開始当初柱谷哲二監督でつまずいた後も、善戦しながらも勝利を掴めず、最後まで監督も定まらないシーズンとなった。得点源だったウィル(Fマリノス)と藩戸(ヴィッセル)を、引き留められなかったことにも要因があろう。若手で中心選手に育った山瀬の、けがによる途中離脱も悔やまれる。若い選手も育って来ているが、なんといっても選手層が薄いので、当面エレベーターチームを脱しきれないだろう。5億円ほどの赤字を抱えているが、ホームで常に1万人を超える観客動員ができることに希望を託したい。
 ジュビロは、1st、2nd両ステージ優勝を遂げたことからしても、圧倒的に強かった。現在のジュビロのレベルは、セリアAでも中位をキープできるのではないかと考えているが、いかがなものだろう。奥、清水を放出し、大岩がベンチをあたためるほどの選手層の厚さと、現在のチーム戦術を維持できる限りジュビロの強さは当分続くであろう。高原は、日本に久しぶりに現れたワールドクラスのFWであり、プレーとしてはヨーロッパでも十分やっていけるだろう。彼がヨーロッパで成功するかどうかは、他の要因も加わるので断言できないが。
 アントラーズは、予想外にふるわなかった。昨シーズンまでビスマルクによるゲームメイクが大きかったが、彼が抜けた後のチーム戦術を創れないでいる、と私は見ている。
 今シーズンチームとして成果の大きかったのは、J2のアルビレックス新潟とヴァンフォーレ甲府ではなかろうか。新潟は昇格を逃したもの、反町監督のチームづくりが成果を上げているし、なによりホームで平均2万人という驚異的な数の観客を動員できることが、地域型スポーツとして定着している証である。
 甲府は下位の常連チームだったが中位に上昇した。さらに重要なことは、Jリーグチェアマンから経営指導されていたが、2年連続黒字になったのだ。Jリーグが示している観客3000人以上という基準をクリアーしたし、セレッソとの試合では1万人を超える快挙をなしとげた。この背景には20万都市の潜在力を掘り起こしたのだろうし、チームとしては清水エスパルスから監督の大木氏と若手選手を加入させたことである。清水との業務提携をしているか定かではないが、今後のあり方としてJ2がJ1への仮の姿ではなく、地域型スポーツクラブとしてJ2が維持されていくために、そんなことがあってもいいのではないかと考えるのである。
.経営問題では観客動員が基本財源になるが、J1ではホームで1万人を超えられないでいるのは市原、京都、神戸であり、1万人前後は東京V、広島、G大阪である。
 せめて常時J2で5000人以上、J1で2万人規模になると、日本のサッカーはW杯常連でFIFAランキング20を維持できるだろうと考えている。それは地域型スポーツとして根づくことも意味しており、現在のJリーグ2ステージ制という変則的な事をしなくともよいことになるだろう。
 こう考えている私だが、今年は1度も競技場に向かわず、もっぱらテレビ観戦に終始してしまった。私のような層が、年間10試合以上見て観客動員に役立つと、上記の動員数を作り出すことになるのだろう。それが財政基盤となり、日本のサッカー水準を上げることにつながると、改めて思うのである。