「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

大飯再稼働差し止め判決

2014年05月21日 | 脱原発
福井地裁の判決、本当に画期的な嬉しい判決だった。
【備忘録】として

大飯原発運転差止請求事件判決要旨全文
NPJ(NEWS FOR THE PEOPLE IN JAPAN)

5/21 関西電力大飯原発3,4号機運転差し止め訴訟 福井地裁判決謄本
原子力資料情報室

要旨の中から

(主文)

 大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。

(理由)

 個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。

 原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。

原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。

 日本列島は太平洋プレート、オホーツクプレート、ユーラシアプレート及びフィリピンプレートの4つのプレートの境目に位置しており、全世界の地震の1割が狭い我が国の国土で発生する。この地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しにしかすぎない上、基準地震動に満たない地震によっても冷却機能喪失による重大な事故が生じ得るというのであれば、そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設のあり方は原子力発電所が有する前記の本質的な危険性についてあまりにも楽観的といわざるを得ない。

 国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。

 被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

 また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

写真展

2013年01月07日 | 脱原発
 昨年11月に飯舘村へ行ってきたときの写真を、このブログにも少し載せたし、facebookのアルバムにも十数枚載せたけれど、ネット環境にない方にも見ていただけたらと思って、またオフシーズンの大鹿村にも足を運んでいただけたら嬉しいので、鹿塩地区の塩の里直売所の奥にある展示室にて展示させていただくことにした。ここはせっかくスペースがあるのにほとんど活用されていなくて、昨年はご近所のカフェマヤの田村さんがグァテマラコーヒーの生産地・生産者を紹介する写真展を開催した。それを思い出して、お話をお聞きした飯舘村の方の「風化させないでほしい」と言われたことに少しでも応えられたらと思った。素人の写真だし、移動するバスの車内から撮ったぶれぶれの写真もあるけど、雰囲気だけでも伝わればいいかなと思う。今日は選んだ写真を30枚ほどA4サイズにプリントした。それをパネルにして、あとキャプションも付けなければ。『までいの力』や「広報いいたて」なども一緒に並べたい。

 何せ初めての試みなので不備な点が多々あるかと思いますが、足を運んでいただければ嬉しく思います。


飯舘村へ農産物支援

2012年11月16日 | 脱原発
 お隣の中川村で、昨年、原発事故で大きな被害を受けた飯舘村の人たちを夏祭りに招いたことをこのブログでも紹介した。その後も中川村では、秋には支援米を運び、今年の夏祭りにも飯舘村の人たちがいらっしゃるという形で、支援・交流が続いている。そして今度は、中川村の隣の飯島町の農家から提供されたネギ1万本を届けるので、一緒に行きませんかというお誘いをいただいた。昨年の報告会は大鹿村議会も共催させていただいたし、飯舘村の人たちの生の声を何度かお聞きしている中で、機会があれば、ぜひ現地の様子を自分の目で見たいと思っていたので、喜んで参加させていただくことにした。この14日~15日の一泊で、中川村、飯島町、その他近隣町村からの総勢15名で行ってきた。

 飯舘村の役場の移転先、福島市飯野の飯舘村飯野支所に到着。右側が飯舘村の方々。


 仮設住宅単位でネギを分配するということで、各仮設住宅から来られた軽トラに、米袋に詰め込んだネギを数を数えながら積み込む。ネギの品種は松本一本ネギ。


 ネギを配り終え、庁舎でお茶をいただいた後、仮設住宅を見学させていただいた。ここは松川第一応急仮設住宅という飯舘村の仮設住宅の中では一番規模が大きいところ。ここに111世帯213名が暮らしているそうだ。やはり子どものいる世帯は先に村を出たので、仮設住宅に暮らすのは高齢者が多く、平均年齢は71歳だとか。世帯人数も平均1.5人ほどで、48世帯は一人暮らしとのこと。


 入り口にはプレハブのお店が2軒。右側は直売所で、野菜も売っていた。




 ここには「あづまっぺ!」というサポートセンターがあって、交流サロンとデイサービス、介護予防教室なども行われている。また、買い物や病院に行く村のバスも出ている。この仮設住宅は、ある意味では飯舘村にいたときより便利な面もあるようだったし、管理人をされている女性もとても熱心な方で、比較的恵まれているところのようだったが、それでも、住み慣れた村を離れ、世帯分離してお年寄りだけで暮らす寂しさや無念さをこらえているストレスで、血圧が上がったり病気になる人も多いそうだ。
 この日は、飯坂温泉にある飯舘村の保養施設「いやしの宿いいたて」に泊まり、飯舘村の副村長、議員さんたちと交流会。ここは閉鎖した民間の保養施設を飯舘村で借り受け、村民は日帰り入浴が無料、仮設住宅からバスも出ている。

 翌日は村民が避難してしまった飯舘村で、そのまま存続している特別養護老人ホームにお米やネギなどを届けるとともに、除染作業の様子を見たいとお願いする。
 最初に二枚橋というところで行われていた住宅の除染現場で、お話を聞いた。屋根はふきとる、または洗浄、壁もふきとりか洗浄、あるいはブラシング、外の土ははぎ取って赤土で客土、裏山は20m落ち葉を除去、10mまでいぐね(屋敷林)を伐採とのこと。気が遠くなりそうな作業。
 田んぼはやはり表土を数センチ削り取って客土。モデル事業で除染し終わったところを案内していただいたが、飯舘村の方たちとお別れした後に通ったところでは、まさに客土の作業中だった。除染した田んぼで稲の試験栽培も行われていて、今は収穫を終えて検査中だそうだ。


 これは飯舘村役場庁舎。


 ここに線量計があり、0.65μSVと表示されている。


 この空間線量については、以前、長谷川健一さんの話などで、この周辺だけ徹底的に除染されて低くなっていると聞いていたので、少し離れた植え込みのところでエアカウンターで測ってみたところ、やはりというか、2.38μSVあった。「広報いいたて」のお知らせ版に各行政区の放射線測定値が掲載されているが、10月24日の地上1mの数字を見ても0.85~9.23μSVある。

 飯舘村では、全村避難の後も、室内の空間線量はそれほど高くないからということで、幾つかの事業所が残されていて、そこで働く人たちは避難先から通勤してきている。特養もその一つで、移動することのリスクの方が大きいという判断から残されている。入所者は90人で、職員も90人ほど。「外の玄関先の線量は1.4μSVあるけれども、中に入れば0.2μSV以下です」とおっしゃっていたが、やはり若い人は辞めて、職員が減ってしまい、募集してもなかなか集まらないそうだ。施設自体は本当に明るく広々としていて、素晴らしい施設だった。


 特養の前で案内していただいた議長さんたちと分かれ、津波の痕跡を見るべく南相馬の海岸方面へ向かう。もう1年8か月もたち、がれきなどは片付いて、何もない空間が海べりに広がっていたが、そのまましばらく南下していくと、まだ片付いていないがれきや、壊れたままの家が目に入ってきた。そして、警戒区域の通行止め。

 

さようなら原発10万人集会

2012年07月16日 | 脱原発
 今日は東京の代々木公園で行われた「さようなら原発10万人集会」に行ってきた。今回は脱原発・自然エネルギーへの転換を求める飯伊地域連絡会、飯伊民医連でバスを2台チャーターして、1台は松川インター発、しかも参加費2000円で昼食付きと格安だったので、そのバスに乗せていただいて一緒に行くことにした。車内では車長の健和会の方の司会で、自己紹介などしながら、また原発問題のビデオなども見ながら交流。10万人規模の集会の中で、これだけの集団、はぐれたら合流するのが大変だし、会場内を自由に見て歩くことはできないかなと思っていたけど、リニア市民ネットの人がアピールすることになっている第4案内カーに行くという人がいたので、私も同行して、まずはそちらに行く。第4案内カーは、メインステージから一番離れた場所で、原宿駅から来るとメインステージに向かう途中に当たる。写真はリニア市民ネットのアピール。ここでリニア新幹線を考える東京・神奈川連絡会の方と会う。


 第4案内カー周辺に集まっている、いろいろな市民グループの人たち。


 飯伊地域連絡会では、メインステージに参加、集会途中の1時半ごろから新宿コースのデモ行進に出発と聞いていたので、1時過ぎ頃そこを離れてメインステージ方面に向かう。
 途中の第3案内カー。見えづらいけど、ライブをやっていた。


 メインステージ付近は人がごったがえしていて、とても中に入れそうな感じではなかったので、デモ行進出発地点で待つことにする。ステージの声は聞こえてきて、落合恵子さんの途中ぐらいから聞いていた。新宿コースのデモ行進は労組関係が中心みたいで、のぼり旗がたくさん。デモの順番が、中央団体、北海道、東北、中国・四国、九州、東京土建、東海・北陸、近畿、関東・甲信越・・・と決まっていて、なかなか出発できず、かなり待たされることになった。結局、出発したのは3時半くらいだったろうか。ある程度のブロックごとに宣伝カーが先導して、アピール、みんなでシュプレヒコールをする普通のデモスタイル。






 参加できなかった人の思いも一緒に。大鹿村の友人たちの寄せ書き。


 知人の娘さんが描かれたとか。


 帰り道、休憩に寄ったサービスエリアで。


 バスの中で、早速twitterでニュースを確認。
坂本龍一さん「電気のため、なぜ命を」都心で脱原発デモ(朝日)

脱原発集会:17万人参加、最大規模に 東京・代々木公園(毎日)

 自分はメインステージの様子を見られなかったけど、写真を見ても本当にすごい人だった。飯伊のバスツアーを企画・統括してくださった民医連の方々、あれこれ気を配っていただき、大変お世話になり、本当にありがとうございました。

「エネルギー・環境に関する選択肢」パブリックコメント

2012年07月09日 | 脱原発
 先々週参加した首相官邸前の再稼働反対の抗議行動、先週の金曜日も雨の中、多くの人が集まって抗議行動が行われた。原発再稼働にかくも多くの人たちが反対の声を上げ続けているのは、安全対策がみんな先送りのまま、原発事故以前と何ら変わらぬ体制・体質のままの拙速な再稼働であることとともに、脱原発依存のロードマップが示されないままの再稼働で、このままなし崩し的に次々に再稼働されていくのではないかという懸念も大きい。
 そのロードマップといえる2030年を見据えた日本のエネルギー政策について、政府の「エネルギー・環境会議」が6月29日に「エネルギー・環境に関する選択肢」として三つのシナリオを提示した。2030年時点の原発の割合を「0%」「15%」「20~25%」とする三つで、これについて、この7~8月に「国民的議論」を経て決定するという。「国民的議論」の方法として、一つはホームページの整備で、「話そう“エネルギーと環境のみらい”」と題した情報提供のページが7月7日に開設された。二つ目が全国11か所で意見聴取会を開催。三つ目に7月2日~8月12日にパブリックコメントを募集。四つ目に「討論型世論調査」というものを初めて実施するそうだ。というわけで、政府が国民に広くエネルギー政策についての意見を求めている。

 この三つの選択肢には、原発の割合だけでなくて、使用済み核燃料の処理問題もセットされている。原発ゼロシナリオでは、再処理はせず、全量直接処分となっているけれども、15%、20~25%のシナリオでは再処理と直接処分の両方となっていて、非常に問題の多い再処理をやめない。また、15%シナリオというのは、40年たった原発を廃炉にしていくと大体15%くらいになるという数字で、恐らく政府はここを落としどころとしたいのだと思うけれども、このシナリオでは2030年以後の原発については何も言っていないので、その後も15%程度で維持するとすれば新設もあり得ることになってしまう。2030年なんて悠長なことは言ってられない、このまま再稼働しないで全部の原発を廃炉なんていう選択肢はないが、それはゼロシナリオを選んだ上で意見を書けばよいと思う。

 パブリックコメントは、官邸前まで出かけていかなくても、直接国民の声を届けられる機会。ホームページ上からも送信できるし、FAXや郵送でも送れる。リニアのパブコメは、反対の声がとても多かったにもかかわらず、総数も少なかったし、一応意見を聞いたという形式的なものだけで、全く無視されてしまった。期間は今月末までなので、あと3週間しかないけれども、ぜひ政府が無視できないだけの多くの声を寄せたいものだと思う。「お任せ民主主義」から脱して、一人一人が自分で考えて意見を言おう。

 パブリックコメントの案内はこちら
 政府の特設ページのほか、脱原発の立場からは「原発ゼロの未来をつくる。国民的議論の場 NO NUKES」というfacebookページが早速できているし、パブコメの書き方やみんなのパブコメが紹介されている「パブコメで未来を変えよう」というサイトもとても参考になる。自分の書いたパブコメもシェアできる。

※パブコメの期限が8月12日18時までに延長されました。

官邸前・再稼働反対・抗議行動

2012年06月30日 | 脱原発


 6.29首相官邸前で行われた大飯原発再稼働反対の抗議行動に行ってきた。3月末から毎週金曜日に行われているもの。政府の再稼働決定後、先々週1万2000人、先週4万5000人と増え続ける人たちの映像をネットで見ながら、7月1日に原子炉起動というニュースにいてもたってもいられない思いに駆られていた。利用期限が7月5日までの高速バスの回数券が1枚余っていたのも、背中を押した。仕事で動けないつれあいからも、ぜひ行ってきてくれと言われていた。
 早めに行こうと思って5時過ぎぐらいに着く。既にたくさんの人たちが歩道に3列になって並んでいて、その横を通りながら最後尾につく。すぐ後ろで「長野県から来たんですけど、官邸ってどこですか?」という男性の声。思わず「私も長野県から来ました」と言うと、前にいた紫陽花の花を持った二人組の女性が「長野県から来たの?」と言って、一人の方が私に花をくださった。ちょうど紫陽花の花をあしらったNO NUKESのプラカード用のイラストをプリントして持参してきたので、一緒に掲げ持つとぴったり。彼女たちは府中から来ているそうで、先々週から参加しているとか。iPhoneで地図を出して、地理のよく分からない私たちに今どのあたりにいるのか教えてくれる。その間にもどんどん人が増えてきて、歩道から車道に、車道も1車線、2車線と広がっていき、そのたびに前に進む。最後には車道全体にまで人がいっぱいになっていた。
 その中にいると自分の周りしか見えないので、一体どれくらいの人が集まっているのか全体の状況は分からない。後でニュースを見ると、15~18万とか、20万とか、いろいろな数字が出ていた。若い人、年配の人、子ども連れの人、車いすの人、組織の旗もあったし、右翼みたいな車も見かけたけど、多くは少人数のグループ、あるいは私のように一人で来ている人もたくさんいた。組織動員でなく、普通の市民がそれぞれの意志でこれだけたくさん集まるというのは、本当にすごいことだと思う。知り合いも何人も来ているはずだけど、これだけ大勢いるとなかなか会えるものではない。そんな中で、宮城から来ていた友人に会えたのはすごく嬉しかった。彼は私が大鹿に来る前に勤めていた野草社で、私より10年くらい後に仕事をしていた人で、今は炭焼きをしている。少し前のtwitterで、「紫陽花革命によせて」として、大倭紫陽花邑の矢追日聖さんの「地下水の如く清く流れ 紫陽花の如く美しく咲け」という紫陽花邑の理念の言葉を紹介してくれていた。
 最近読んだ『反原発の思想史』という本の中で、野草社の出していた「80年代」という雑誌について、1988年の反原発「ニューウェイブ」へと接続し、「サブカルチャー」としての反原発運動の「文化」的素地を作っていく上で大きな役割を果たしたものの一つと評価されていたが、その「80年代」の創刊号には、今は沖縄大学にいる野本三吉さんの「あじさいの花の如くに―矢追日聖さんを訪ねて」という記事が掲載されている。一つ一つの小さな花が集まって大きな花を形作っている紫陽花、この日のデモを空から撮った映像は、まさに大きな紫陽花の花みたいだった。一人一人の意思表示の花が集まった大輪の花。



 今日は大飯原発の現地で抗議行動が行われている。村の若い友人2人が今向かっているらしい。本当に原発をなくしていくためには、今後もこうした動きをもっともっと広げ、繰り返していかなくてはならないのだろう。遠方に出かけていくことは、毎回は無理だけど、動けるときにはできる限り参加したいと思う。

※写真は7時頃と7時半頃。ネット上に動画もいくつか上がっている。 
 正しい報道ヘリの会による空撮写真


 

飯田・脱原発学習講演会

2012年06月03日 | 脱原発
 大飯原発3・4号機の再稼働問題で、5月30日の夜、野田首相が「関西自治体の一定のご理解が得られつつある」として、「最終的に私の責任で判断を行いたい」と表明し、翌31日の各紙朝刊トップに「首相、大飯再稼働決断へ」といった文字が並んだ。それまで現段階での拙速な再稼働には反対の姿勢を示していた関西の首長たちが、免震重要棟やベントの整備が先送りであることなど、安全性をめぐる「暫定」的な状況は何一つ変わっていないにもかかわわらず、「限定的」としながらも、「容認」の姿勢に転じてしまった。原発ゼロで夏を乗り切ることができたら、原発不要論はますます高まるのは明らかで、それを何とか避けたい勢力の圧力がすごいのだろうと想像する。しかし、どこの世論調査でも再稼働反対は過半数を超えている。なるべく節電の努力をして、不安な原発は動かしてほしくないというのが、多くの人たちの思いだろう。各地で脱原発や再稼働反対の集会やデモが行われている。今日も福井で再稼働反対の緊急集会が開かれるというので、近所の友人が軽トラで出かけたそうだ。

 長野県内でも、サラバ原発・変えよう暮らし方の会が発足して、1月に松本で県民集会が開かれ、3月11日には長野県大行進として各地でアクションが行われた。このとき飯伊地域でも、脱原発・自然エネルギーへの転換を求める飯伊地域連絡会が発足して、飯田駅前で集会とパレードが開催された。この連絡会の主催で、来週、信毎の主筆で脱原発の論陣を張っておられる中馬清福氏を講師にお迎えして学習講演会が開催される。連絡会は、
 1.原発をなくす一点で共同の運動を広げます。
 2.原発の再稼働や原発の新規建設と輸出に反対する各地の運動と連帯します。
 3.再生可能エネルギーの拡充政策への転換を政府に迫るとともに、自ら生活のスタイル(暮らし方)を変える世論を高めます。
の3点を掲げている。いろいろな組織があり、いろいろな思いや表現を持った個人やグループがあるけれども、運動の影響力を考えるとき、やはり数の力を必要とするアクションもあり、大勢の人たちが立場を超えて連帯できる場をつくっていくことも必要だと思っている。中馬氏の講演の後、第二部として学習・討論として、参加者が自由に発言できる時間を設けるそうだ。その中で、つれあいも地震と原発について若干報告をする予定です。 

学習講演会「脱原発の道をどう築くか」

講師 中馬清福氏(信濃毎日新聞主筆)

日時 6月9日(土) 13:30~(開場13:00)

場所 飯田市鼎文化センターホール

参加費 500円

主催 脱原発・自然エネルギーへの転換を求める飯伊地域連絡会 


 
 

飯舘村の酪農家・長谷川健一さん講演会

2012年05月27日 | 脱原発
 昨日は、伊那市で開催された、福島県飯舘村の酪農家、長谷川健一さんの講演会を聞きに行った。昨年夏、お隣の中川村で飯舘村の皆さんをお祭りに招き、報告会には大鹿村・議会も共催の形で参加した。同じ「日本で最も美しい村」連合の一員であり、また、平成の大合併のときに住民投票で自立を選択し、独自の「までい」の村づくりを進めてきたところが、原発事故により本当に理不尽な状況に置かれていることに心を痛めてきた。ネット等で見ていると、いろいろ気掛かりな情報も目にし、昨年12月に長野で行われた長谷川さんの講演をまとめた冊子も読み、ぜひ生の声をお聞きしたいと思って出かけた。
 長谷川さんは飯舘村の中では原発から遠い前田という行政区の区長さんをされている。原発事故直後の早い段階から、京大の今中さんや外部のジャーナリストの人たちから飯舘村の空間線量がとんでもなく高いという情報を得ていたが、村はそうしたデータを公表してくれるなという姿勢で、逆にこの高い放射能を浴びながら暮らすすべはないのかと聞いたそうだ。御用学者がどんどん入ってきて、安全だ、マスクも要らないといった話をしていったが、そうした話の翌日に計画的避難区域に指定されることになった。人は避難することになったけれども、牛には移動制限がかかっていた。酪農組合の理事をしていた長谷川さんは、酪農家をみんな集めて話し合い、苦渋の決断で廃業を決めたり、20km圏内で餓死する牛の映像を見て、何とか牛を殺させないためにと国会議員にも働き掛けるなどして奔走されたことなど、本当に生々しいお話をたくさんお聞きした。
 飯舘村の話を聞くとき、さまざまな理不尽な話に憤りを感じるとともに、もう一つ思うのは首長の判断という問題だ。菅野村長の進めてきた「までい」の村づくりの話は本当に学ぶところが多く、去年の報告会の後も、励ますつもりが逆にこちらが励まされたという感想を聞いた。その方が、去年の原発震災以来、高い線量が検出されたことを口どめさせたり、国と一緒になって「除染」まっしぐらで、村民の声に耳を傾けようとしないという話を聞くと、一体どうして?と思ってしまう。本当に情熱を込めて独自の村づくりを進めてこられただけに、村がばらばらになってしまうことを何とか避けたいという思いも人一倍強いのだとは思うが。同じ酪農家出身の村長として応援してきたという長谷川さんは、村長の気持ちも分かるとおっしゃりつつ、しかし、「思い」だけでは駄目だ、「現実」を見なくてはとおっしゃる。
 実際、除染は自衛隊や大成建設などによってさまざま進められているけれども、あまり効果は上がっていないという。新聞等で発表される飯舘村の空間線量は0.9μSV程度。それは「いちばん館」という場所に国が設置した計測器の測定結果で、そこは徹底的に除染が行われたそうだ。しかし、そこから10メートル離れると、2.4μSVになったりするという。昨日、資料として配られた村内各地の空間線量を見ると、例えば前田字古今朝地内で、地上1mの値が2月16日2.96μSV、2月23日は3.42μSVに上がっている。さらに、最新の「広報いいたて」を見ると、5月10日で4.61μSVになっている。
 最近、飯舘村がまとめた避難指示区域の再編案によれば、帰還困難区域(年間被曝線量50mSV超)は長泥行政区だけになっているけれども、その長泥地区では5月10日9.35μSV。村の案では帰還困難区域とされていないけれども、指定を求めているという蕨平行政区も8.39μSVと高い。
 除染が思うようにできなかった、やはり帰ることは難しいとなったときのために、飯舘村を離れるという選択肢も考えて、今から移住先を探しておかなくてはいけないのではないかということは、誰もが感じるところだと思う。
 村民アンケートを取るべきだと何度も言い、そのたびに「取ります」と返答するけど、いつまでたっても取らないというお話があったが、先ほどの「広報いいたて」を見ると、「飯舘村民の避難生活実態及び帰村意向等に関するアンケート調査への協力のお願い」とあって、ようやくアンケートが発送されたようだ。
 講演の後の質疑応答では、「長谷川さんが村長になってはどうか」という質問も出たが、長谷川さんは今の村長にちゃんと村民の声を聞いてもらうようになってほしい、責任を取ってもらわなくてはと言って否定された。今秋には村長改選があるそうで、移住派と移住反対派に分かれてしまうと、また村ががたがたになってしまう、それは避けたいとおっしゃっていたのが印象に残った。
 
 

原発ゼロ

2012年05月05日 | 脱原発
 こどもの日の今日、50基ある日本の原発の中でただ1基稼働していた北海道の泊原発が定期点検に入り、稼働中の原発がゼロになった。
 昨年の福島第一原発の事故以来、原発の安全神話は崩壊し、脱原発は多くの人の願うところとなった。にもかかわらず、原発全停止を避けたい政府があまりに拙速に再稼働を急いだために、結果的にもたらされた「原発ゼロ」という感はあるけど、以前からずっと脱原発を願い続けてきた者として、まず素直にうれしい。もちろん、諸外国に比べれば少ないとはいえ、日本でも脱原発デモなどで意思表示をする人が格段に増えたことも大きな力になっていることだろう。これから夏に向けて「電力が足りない」という再稼働に向けてのキャンペーンはますます強まるだろうけど、みんなの知恵と工夫で夏を乗り切って、何とかこのまま原発を再稼働することなく廃炉にできればいいなと願う。
 原発は、苛酷事故の恐ろしさは去年誰の目にも明らかになったけれども、今すぐすべての原発を廃炉にしたとしても、既に生み出されてしまっている膨大な廃棄物の処理のめども立っていない。フィンランドでは地下に最終処分場を建設中だけれども、地震列島である日本に何万年も安全な場所はあり得ない。ウラン採掘から最終処分に至るまで、労働者や施設周辺の人々、未来世代に犠牲を押し付けることによって成り立つものだ。電気が足りるかどうかという問題ではなく、原発に依存しない社会にしていくしかない。自然エネルギーの活用だけでなく、オール電化に象徴されるような、電気でなくてもできることまで何もかも電気に頼る生活を見直すだけでも、電力需要は相当減らせるのではないかと思う。
 ちなみに、わが家で3年ほど前に屋根に載せた太陽光発電パネル、直近の3月12日~4月10日までの売電量は349kWhで、使用量は167kWh。これまでに13664kWh発電してくれている。

未来を築く人たちへ こどもの日に考える(中日新聞・東京新聞社説)

声明:わたしたちがエネルギーを選ぶ新しい時代へ(原子力資料情報室)

5月5日、「全原発運転停止」から「脱原発依存」に方向転換を(保坂展人世田谷区長のブログ)

 今夜は月が地球に接近して14%も大きく見える「スーパームーン」。原発の停止した日本列島を普段より30%以上も明るく照らしてくれているそうだ。

 

馬場利子さん講演会+エコチル調査

2012年04月01日 | 脱原発
 昨日は降りしきる雨の中、放射能測定伊那谷市民ネットワーク主催の講演会「食べものと放射能のはなし 子どもの未来を守る食べ方・暮らし方」に行ってきた。講師は静岡でチェルノブイリ後の88年に市民測定室を開設され、食べ物や環境の問題、浜岡原発の裁判などにもかかわってこられた馬場利子さん。前回の上田昌文さんは科学者の立場から、行政主催の講演会で講師をされた中村友彦さんは医者の立場からのお話だったけれど、今回の馬場さんは子どもを守る親の立場からのお話で、放射能については、上田さんのお話をみんな聞いているだろうからということで、ダイオキシンや環境ホルモンなどの化学物質も含めた幅広い観点から。年度末の忙しい時期のせいか、天候のせいか、参加人数は少なめだったけれど、とても中身の濃いお話をいただいた。

 お話の中で、環境省の「子どもの健康と環境に関する全国調査(エコチル調査)」の紹介があった。胎児期から小児期にかけての化学物質曝露が、子どもの健康に大きな影響を与えているのではないかという仮説を検証するために、10万人の子どもたちを妊娠中から12歳まで追跡調査するもので、去年の1月にスタートしたそうだ。そこで調査の対象とする環境要因としては、化学物質の暴露として残留性有機汚染物質(ダイオキシン類、PCB、有機フッ素化合物、難燃剤等)、重金属(水銀、鉛、ヒ素、カドミウム等)、内分泌撹乱物質(ビスフェノールA等)、農薬、VOC(ベンゼン等)などが挙げられているが、3月の福島の原発事故を受けて、放射線の影響についても追加される。3年間で10万人の参加者を募ることになっているけれども、現在のところ参加者数は27582人なので、妊婦さんはどんどん参加してほしいとおっしゃっていた。ただ、これは対象地域が決まっていて、長野県内では上伊那地域となっていて、それ以外の地域の人は直接参加はできないみたいだ。でも、調査の趣旨に賛同するサポーターというのがあって、「エコチル調査」の最新情報をメールマガジンで送ってもらえるようだ。多くの人が関心を寄せていることを示すためにも、(参加できなくても)ぜひサポーターになってくださいとのこと。ちょうど昨日の信毎にも、上伊那の「エコチル調査」のシンボルキャラクターの話が出ていた。