秋季特別展「-茶会記に見る茶道具-姫路藩主酒井宗雅の茶と交遊」
茶道資料館 サイト
※1 1月25日(日)まで 前期は10月28日(日)まで、後期は11月1日(木)から
「宗雅」は酒井忠以(ただざね)の号。
江戸時代の中期に松平不昧公に茶の湯を師事した姫路藩の若きお殿様。
というよりは「琳派を代表する画家、酒井抱一のお兄さん」としての存在の方が世間的に認知されている?
なぜ、今の時期に酒井宗雅展を企画するのだろう?と不思議に思った。
彼が残した茶会記『逾好日記』と日次記『玄武日の記』の資料翻刻が近年完了した恩恵を受けての企画らしい。
実は4年前の春、姫路で「酒井宗雅の夢」展を観に行った。→参照
(姫路文学館の当時の展覧会案内のサイトへのリンクもまだ残っている)
あの時は、あまりにも小まめな不昧公との往復書簡に圧倒された。
細かい手順を図入りで書いて送り、そこに不昧公が朱を入れて返信する。
炉の位置と座る位置とか点前の順番とか、現代にも通じるものも多く、
「やっぱりノートはちゃんとまとめなきゃ」と思った。
今回もあの時に見た資料を再見できた。
展示してある量が4年前とは比べ物にならないくらい多く、
しかも茶道がらみのところをバーンと広げてあるので、やはりそこは茶道資料館だなと思った。
ただ多すぎて、見る側の方が散漫になってしまったことが悔やまれる。
例えば「自在のかけはずし」について教えを乞う書簡。
4年前は内容そのものは「?」だったし、チビ(=血縁の同行者)を連れていたので
鑑賞するのも気が散って、とにかく子どもを飽きさせないようにビジュアル的に目立つ箇所を探しては、
「ほらほら、ここに殿様が頭を下げている絵が描かれているヨ
ちょんまげのところがリアルだねぇ」
と説明していた。
ところが今回は一人。
同じ書簡は確かに、見た。
だけど、手紙の主旨の自在のことを考えていて、「あれはこうやって、ああやって使って~」
と、頭の中で逡巡しながら冒頭の部分、「自在」と書いてある字の方を注目していて
内容を読解しようとした。
(結局、すぐに諦めたんだけど)
展示されてあったのも、たしか2階展示室で最後の方に見たので、疲れていた。
だから、肝心(?)の土下座している自画像をスルー
後から図録を見て「しまったぁ」
まぁ、図録を見て、4年前に見た視覚的な印象を思い出したし、当時のblogにも記述あったし。
「仕方ないよ、たくさんあったんだもの」と自分で慰める。
(前期のみの展示なんだよなぁ)
まぁ、こういうこともある。
その代わり(?)、茶道具の部分はちゃんと見た。
姫路の展覧会では遺愛の道具の展示が多かったような印象が残っているが、
こちらはゆかりのもの多し。
つまり、他の“有名”茶道具美術館から借りてきた名品も多し。
1階ではまず「夢」の画賛。
筆は宗雅、小さな蝶の画は抱一。
こういう細かくてさりげない蝶々を描いちゃうところは、さすが庇護者の兄との合作だな。
前の展覧会のタイトルでもあったので、「宗雅=夢」に印象は強い。
茶道は殿様業の合間の、自分自身に没頭できる夢の時間だったのだろう。
わずか35年間の生涯だったからこそ、余計に「夢」への憧憬の強さが伝わる、というか。
前期のみの展示だったので、これはちゃんと見ることが出来てよかった。
次に驚いたのは湯木美術館の富士山肩衝が展示されていたこと。(これも前期のみ)
もちろん、これは湯木で2回鑑賞しているし、レプリカを持っているくらいに好きな茶入。
「よく借りれたなぁ」というか、「なぜわざわざ?」と不思議だった。
これは後から図録を読もうと思って、次に進んだ。(←ここで図録購入を決めた)
ちなみに、図録の解説によれば、
不昧公が所持していた茶入で、(主催する)茶会に参会した宗雅が最後に熟覧を願い出たことがあるそうな。
(そういう記述が日記か茶会記にあったんでしょう。その資料の展示はなかったと思う)
他にも出光美術館から呉州染付の茶碗。(←生前はこれで茶を楽しんだらしい)
根津美術館の瀬戸二見手茶入「即色」(←生前に所持。没後に不昧公に譲渡されたらしい)
どちらも、たぶんそれぞれの美術館で一度は見ているハズだけど、いきなり展示されてい:るのがスゴイ。
ただ、それが資料に記載されていることに基づいての展示だったということは、
帰宅後に図録を見て知った
後期には泉屋博古館所蔵の松本舟(砂張舟形花入)や根津所蔵の瀬戸肩衝茶入「雪柳」、
野村美術館の呉州有馬筆香合も出る予定。
いずれも、見た記憶がビミョーなので、見たいなぁ。
もっとも、日記or茶会記の記述と現代に遺る茶道具とのコラボ展示という点において、
この展覧会場で印象に残ったことは1点ある。
黄瀬戸の瓢箪形水指。
宗雅が発注して、参勤交替の途上で熱田で受け取ったのだそうな。
その部分の日記の展示と併せて展示されていた。
少し離れたところにその時の参勤交代の旅程記録の展示も。
天明8年(1788年)9月に28日間かけて江戸から姫路に帰っている。
途中、府中(静岡市)と島田に何日も滞留したことがわかり、
「あ、台風でも来て安倍川と大井川が渡れなかったんだなぁ」と思う。
でも、その影でちゃっかり茶道を楽しんでいるのもうかがえる、というか。
裏千家関係では日記に出てくる四代仙叟の茶杓「釣竿」。
それから、祖父(酒井忠恭)作の竹花入、母方の伯父(叔父?)松平乗完筆の画などもあり。
宗雅自作の赤楽茶碗もあった。
後から展示リストを見れば、点数はそんなに多くなかったのだけど、
見ている最中は膨大な量に圧倒されて、やたら忙しかった(?)
今回は昼食をパスし、雨脚が激しい中を飛び込んだ茶道資料館。
珍しく先に呈茶をいただいた。
(近所の田丸弥さんの栗のお菓子で飢えをしのぐ)
4年前の図録で“予習”してから鑑賞するつもりで、引っ張り出してはいたんだけど、
結局は時間がなく、予備知識なしで見てしまったために、吸収力が今ひとつ弱かったことが悔やまれる。
幸い、前回見て印象に残った松竹の金輪寺茶器を始めとして、後期も見どころ多いので、是非行きたい。
(行く気満々)
鑑賞記としてはとりとめのない内容になってしまって、スミマセン。
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★茶道資料館バックナンバーリスト
2012年8月 「京三条せともの屋町」
2012年5月 「四季の画賛と待合のしつらえ」
2012年2月 新春展「新春の取り合わせ」
2011年10月 肥後松井家の名品「武家と茶」
2011年8月「鵬雲斎千玄室の茶」(後期)
2011年5月「鵬雲斎千玄室の茶」(前期)
2011年2月「近代茶道の先駆者 玄々斎と又日庵 」
2010年11月「東京国立博物館蔵 広田不孤斎コレクション 茶の湯の名品」
2010年9月「千家茶道の継承 裏千家十三代 圓能斎鉄中宗室」
2010年5月「茶書にみる茶の湯の歴史」
2009年11月「わび茶の誕生-珠光から利休まで-」
2009年3月「春に笑む」
2008年10月「鎌倉時代の喫茶文化」
2008年8月「涼を求めて 染付磁器の魅力」
2007年11月「千宗旦」
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※1 1月25日(日)まで 前期は10月28日(日)まで、後期は11月1日(木)から
「宗雅」は酒井忠以(ただざね)の号。
江戸時代の中期に松平不昧公に茶の湯を師事した姫路藩の若きお殿様。
というよりは「琳派を代表する画家、酒井抱一のお兄さん」としての存在の方が世間的に認知されている?
なぜ、今の時期に酒井宗雅展を企画するのだろう?と不思議に思った。
彼が残した茶会記『逾好日記』と日次記『玄武日の記』の資料翻刻が近年完了した恩恵を受けての企画らしい。
実は4年前の春、姫路で「酒井宗雅の夢」展を観に行った。→参照
(姫路文学館の当時の展覧会案内のサイトへのリンクもまだ残っている)
あの時は、あまりにも小まめな不昧公との往復書簡に圧倒された。
細かい手順を図入りで書いて送り、そこに不昧公が朱を入れて返信する。
炉の位置と座る位置とか点前の順番とか、現代にも通じるものも多く、
「やっぱりノートはちゃんとまとめなきゃ」と思った。
今回もあの時に見た資料を再見できた。
展示してある量が4年前とは比べ物にならないくらい多く、
しかも茶道がらみのところをバーンと広げてあるので、やはりそこは茶道資料館だなと思った。
ただ多すぎて、見る側の方が散漫になってしまったことが悔やまれる。
例えば「自在のかけはずし」について教えを乞う書簡。
4年前は内容そのものは「?」だったし、チビ(=血縁の同行者)を連れていたので
鑑賞するのも気が散って、とにかく子どもを飽きさせないようにビジュアル的に目立つ箇所を探しては、
「ほらほら、ここに殿様が頭を下げている絵が描かれているヨ
ちょんまげのところがリアルだねぇ」
と説明していた。
ところが今回は一人。
同じ書簡は確かに、見た。
だけど、手紙の主旨の自在のことを考えていて、「あれはこうやって、ああやって使って~」
と、頭の中で逡巡しながら冒頭の部分、「自在」と書いてある字の方を注目していて
内容を読解しようとした。
(結局、すぐに諦めたんだけど)
展示されてあったのも、たしか2階展示室で最後の方に見たので、疲れていた。
だから、肝心(?)の土下座している自画像をスルー
後から図録を見て「しまったぁ」
まぁ、図録を見て、4年前に見た視覚的な印象を思い出したし、当時のblogにも記述あったし。
「仕方ないよ、たくさんあったんだもの」と自分で慰める。
(前期のみの展示なんだよなぁ)
まぁ、こういうこともある。
その代わり(?)、茶道具の部分はちゃんと見た。
姫路の展覧会では遺愛の道具の展示が多かったような印象が残っているが、
こちらはゆかりのもの多し。
つまり、他の“有名”茶道具美術館から借りてきた名品も多し。
1階ではまず「夢」の画賛。
筆は宗雅、小さな蝶の画は抱一。
こういう細かくてさりげない蝶々を描いちゃうところは、さすが庇護者の兄との合作だな。
前の展覧会のタイトルでもあったので、「宗雅=夢」に印象は強い。
茶道は殿様業の合間の、自分自身に没頭できる夢の時間だったのだろう。
わずか35年間の生涯だったからこそ、余計に「夢」への憧憬の強さが伝わる、というか。
前期のみの展示だったので、これはちゃんと見ることが出来てよかった。
次に驚いたのは湯木美術館の富士山肩衝が展示されていたこと。(これも前期のみ)
もちろん、これは湯木で2回鑑賞しているし、レプリカを持っているくらいに好きな茶入。
「よく借りれたなぁ」というか、「なぜわざわざ?」と不思議だった。
これは後から図録を読もうと思って、次に進んだ。(←ここで図録購入を決めた)
ちなみに、図録の解説によれば、
不昧公が所持していた茶入で、(主催する)茶会に参会した宗雅が最後に熟覧を願い出たことがあるそうな。
(そういう記述が日記か茶会記にあったんでしょう。その資料の展示はなかったと思う)
他にも出光美術館から呉州染付の茶碗。(←生前はこれで茶を楽しんだらしい)
根津美術館の瀬戸二見手茶入「即色」(←生前に所持。没後に不昧公に譲渡されたらしい)
どちらも、たぶんそれぞれの美術館で一度は見ているハズだけど、いきなり展示されてい:るのがスゴイ。
ただ、それが資料に記載されていることに基づいての展示だったということは、
帰宅後に図録を見て知った
後期には泉屋博古館所蔵の松本舟(砂張舟形花入)や根津所蔵の瀬戸肩衝茶入「雪柳」、
野村美術館の呉州有馬筆香合も出る予定。
いずれも、見た記憶がビミョーなので、見たいなぁ。
もっとも、日記or茶会記の記述と現代に遺る茶道具とのコラボ展示という点において、
この展覧会場で印象に残ったことは1点ある。
黄瀬戸の瓢箪形水指。
宗雅が発注して、参勤交替の途上で熱田で受け取ったのだそうな。
その部分の日記の展示と併せて展示されていた。
少し離れたところにその時の参勤交代の旅程記録の展示も。
天明8年(1788年)9月に28日間かけて江戸から姫路に帰っている。
途中、府中(静岡市)と島田に何日も滞留したことがわかり、
「あ、台風でも来て安倍川と大井川が渡れなかったんだなぁ」と思う。
でも、その影でちゃっかり茶道を楽しんでいるのもうかがえる、というか。
裏千家関係では日記に出てくる四代仙叟の茶杓「釣竿」。
それから、祖父(酒井忠恭)作の竹花入、母方の伯父(叔父?)松平乗完筆の画などもあり。
宗雅自作の赤楽茶碗もあった。
後から展示リストを見れば、点数はそんなに多くなかったのだけど、
見ている最中は膨大な量に圧倒されて、やたら忙しかった(?)
今回は昼食をパスし、雨脚が激しい中を飛び込んだ茶道資料館。
珍しく先に呈茶をいただいた。
(近所の田丸弥さんの栗のお菓子で飢えをしのぐ)
4年前の図録で“予習”してから鑑賞するつもりで、引っ張り出してはいたんだけど、
結局は時間がなく、予備知識なしで見てしまったために、吸収力が今ひとつ弱かったことが悔やまれる。
幸い、前回見て印象に残った松竹の金輪寺茶器を始めとして、後期も見どころ多いので、是非行きたい。
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