塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来「大地の階段」 79 第5章 灯りの盛んに灯る場所

2011-07-13 15:35:22 | Weblog

11 チベット画の絵師を訪ねる その2


(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)




 この季節は、確かに、一年かけた作物が霰の被害を受けやすい時期である。

 夏、この辺りの谷間では強い熱気流が絶えず上昇し、雨を含んだ雲を絶えず上空に押し上げる。その度に、細かい雨粒が上空の冷たい風に吹きつけられて霰となり、終にはそれが降ってきて、果樹と作物をダメにしてしまう。

 霰を防止する一番の方法は、小型ロケットを霰になりそうな雲に向かって発射し、爆発の振動波で雨水を早めに落下させて、上空で上に行ったり下に行ったりと漂っている間に凍って、作物の殺人者になるのを防ぐことである。

 このような近代的な霰防止策があるのだが、この付近の村ではやはりラマを呼んで呪文を唱え、法力を施してもらっている。現代の技術と古い迷信の二つの方向から攻めていくのである。
 その結果、みんなが信じたいと願っている二つの方法は両方とも効果を上げている。時には失敗することもあるが、そのためにラマの権威が疑われるのを見たことはない。

 私たちが話している時、晴れた空から重々しい雷の音が響き始めた。まもなく、真っ黒な雨雲が天の果てから漂って来るのが見えた。これが例のいつでも霰を降らせることのできる雲だ。

 彼は言った。これは師匠が呪文を唱えた後、その村から追い払われてきたのです。
 そう言うと、彼もまた何か呪文を唱え、ハダカムギの種を掴んで雨雲に向かって力いっぱい投げた。
 すぐに、豆粒くらいの雨がぱらぱらと落ちてきた。

 私は尋ねた「シャマルジャ、君は自分に法力があると信じてるのかい」
 彼は何も答えず、私を見て微笑んだ。
 私も微笑んだ。

 私たちのいるこの小さな一角が豪雨に閉じ込められている時、広々としたズムズ河の谷間にあるもう一つの村と畑は、何時もどおり太陽が明るく輝いていた。
 
 豪雨はあっという間に通り過ぎ、薄らいで力を失った雨雲は、上空の風のままに細かくちぎれ、漂い、消えていった。
 雨あがり、太陽は輝きを増し、雨に濡れたすべてものが、日を受けてきらきらと光を発していた。

 あまり遠くない寺のあたりに、美しい虹が現れた。虹の一方は渓流の流れる村のはずれの大きな谷間に架かっている。

 それを見て、若い画家は言った。あれは龍が天から水を飲みに来ているのです。

 私は、目の前の美しい光景を味わいながら、一方で考えていた。私たちが十年に渡って行った正規の学校教育は、なぜ今彼の中にその痕跡を留めていないのだろうか、と。

 若い画家は私のリュックを取り上げ、そうしてから外出を許してくれた。
 彼は言った。こうすれば、私が夜必ずここに帰ってくるからだ、と。

 私を見送りに降りて来てこう言った。私をここに泊まらせ、絵が完成したら贈り物として捧げたい。今、自分は民間の画家であり、一枚の絵が百元から十元で売れる。しかも、みな喜んで買ってくれるのだ、と。

 彼の暮らす建物を出て、村の中へ歩いて行った。

 村の中央に小さな広場がある。
 広場の傍らの胡桃の木は枝葉を大きく伸ばし、濃い影が辺り一面を覆っていた。

 広場の反対側には、過ぎ去った時代にこの村を守っていた高い石の堡塁がある。堡塁は少なくとも、十階ほどの高さはあるだろう。
 村の中の他の石造りの建物はほとんどが二、三階である。その中にあって、この高い石造りの塔は、特別に際立って見える。

 ただ、堡塁に入る入り口は二階の高さのところにだけ開いている。その下には出入り口がない。
 堡塁に入る時は、高い梯子をかけなくてはならない。梯子を抜き取ってしまえば、下にいる人は入ることは出来ず、上にいる人は降りることが出来なくなる。

 中に入ってみたいと思った。だが、村の人の話では、そのように高い梯子を作れる良い木材は今はもうなくなってしまったという。

 梯子とは、一本の原木に一つ一つ足場を切り取ったものだ。

 堡塁の中ほどにあるその入り口を見ながら、確かにこのように長い木は見たことがない、と考えていた。

 今、戦の絶えなかった封建割拠の時代から遠く隔たってはいる。
 だが、このような石の塔があることによって、村全体が一つにまとまっている。この堡塁がごく自然に村の中心になっているのである。

 そうして、堡塁の下には小さな広場が出来た。
 広場の周りには、ひとつまたひとつと石造りの家々が並んでいる。





(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)




 

阿来「大地の階段」 78 第5章 灯りの盛んに灯る場所

2011-07-05 00:42:57 | Weblog
11 チベット画の絵師を訪ねる その1



(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)




 ふとしたきっかけから今回の故郷の旅が始まり、そして更に偶然を重ねてここまで来た。

 学校を後にし、目的地をここから遥かに眺めることの出来る白杉と呼ばれる村に決めた。
 そこで、鎮を貫く公道を離れ、トラクターの真新しい轍の刻まれた道を進んでいった。

 道の下方には河岸に沿って一段一段積み上げられた果樹園がある。
 かつて生徒をつれてこの畑でりんごの収穫の手伝いをした。
 今、その樹々は成長し、ずっしりと重そうな実をたわわに実らせている。1,2ヵ月ほどすれば、りんごの緑はゆっくりと黄色や赤に染まり、そうなれば収穫となる。

 路の上方は一区画ごとに、黄色く熟れた麦と花粉を飛ばしているトウモロコシが入り混じっている。麦とトウモロコシの間は、長い畝を持つジャガイモ畑である。ジャガイモの深い緑の葉の間に白と青の花がかさなり合って開いている。

 この広い畑を抜け、さらに山を一回りすると、私が目指す村である。

 突然、麦畑で腰をかがめて収穫していた女たちが一斉に腰を伸ばし、再びこの地を尋ねた私に目を向けた。女たちは驚きとうれしさに高い声で叫び始めた。
 こんなに大騒ぎしなくてもいいのに、と思ったその時、後ろでパタパタという足音が聞こえた。
 先程子供を抱いて恥ずかしがって逃げていった女生徒が追いかけてきたのだ。


 畑の農婦たちのはやし立てる叫び声の中、彼女はシャツの中から真っ赤な早生のりんごを私の手に押し込んで、また向きを変えて走り去って行った。
 この時、畑にいる女たちの中には鋭く口笛を吹くものまでいた。

 このように友好的で少したがの外れた女たちを前にして、私としては、相手にせずに自分の道を進むしかなかった。そうでなければこの女たちは一斉に集まって来て、面倒な状況を引き起こさないとも限らない。女性がたくさん集まると、解放的で大胆になりがちだから。

 しばらく歩いてから振り返り、女たちが追ってくる様子がないのを見て、再び速度を緩め周りの景色を眺めながら歩みを進めて行った。
 山道を回り、小さな尾根に上がればそこが今回の目的地白杉村である。

 数あるギャロンの村々と同じように、白杉村も日当たりのいい緩やかな斜面に位置している。
 石造りの集落を覆っているのは、やはり胡桃の木の涼しげな日陰である。
 
 遠くから眺めると、村の中央にある、この地方のすべての村よりも古いかもしれない高い堡塁が見える。
 そのほかには、不規則に放たれる金属の輝きが見えた。それが規模は大きくないが、かなり位の高い白杉寺だ。
 
 私がこの村へと進んで行った時、シャマルジャはすでに村の入り口で待っていてくれた。
 昔の生徒はすでにりっぱな大人になっていた。

 彼はすぐに私を建物の3階の屋上まで連れて行った。
 黄土を突き固めた屋上には黒いじゅうたんが敷かれていた。画布は画架の上に載せられ、仏画は半分くらい仕上がっていた。

 師匠はどこにいるのかと尋ねた。

 彼は、自分は師匠と一緒に住んでいるわけではなく、ある時は師匠が来て見てくれるし、ある時は絵を師匠のところへ持っていって、批評と指導をしてもらうのだ、と言った。

 彼の絵を見ると、比率と大きさは伝統的なチベット画と同じだった。
 そこで私は言った。

 「チベット画の大きさと比率はみな「度量経」にはっきりと決められているのに、こんなに長い間師匠について学ばなくてはいけないのかね」

 彼はただ笑って、茶碗いっぱいに奶茶を注ぎ、出来立ての青稞酒を私の前に置いてから、やっと座って、言った。

 師匠について学んでいるのは、実は絵を描くことではないのです。

 私は尋ねた。では何を学んでいるんだね。

 彼の答えは、二つのことを学んでいる、一つはチベット語だ、というものだった。

 彼は言った。
 先生、考えてみてください、あの頃先生たちが教えてくれたのはみな漢語です。学校に受かって幹部になる少数の人を除いて、田舎に残る私たちにとって漢語は何の役にも立ちません。

 私は彼のこの言葉に反論しようと思った。だが、しばらく考えても、一人のチベット族の農民のためにこれといった使い道を思いつくことは出来なかった。そこで、彼の話を聴き続けるしかなかった。

 彼は言った。
 先生のおっしゃることはその通りです。絵を学ぶのに師匠の説明を聞く必要はありません。「仏画度量経」に決められた大きさと色にのっとって、定規で下絵を描き色をつければいいのです。
 ただ、「度量経」はチベット語で書かれています。漢語ではないのです。そのため、絵を学ぶ第一歩は、実は師匠についてチベット語を学び、度量経の示す指導を理解できるようになることなんです。

 私は尋ねた。もう一つは?

 彼は何も言わずに、部屋から山ほどの物を持ってきた。しかも、その中に同じものは一つもなかった。様々な色のある木の根、様々な鉱石、他に、金粉、銀、真珠といったものだった。
 一目見て分かった。
 彼が言いたかったのは、絵を学ぶとは、師匠についてどのようにして鉱物の顔料を作るかを学ぶことなのだ。

 木の根と鉱物の中の顔料は我慢強く抽出しなくてはならない。
 銀と真珠は細かく研磨しなくてはならない。
 このような化学によって作られたのではない顔料がチベット画の耐久性に確かな保証を与えている。
 多くの寺の壁画はこのような顔料を使うことによって千年を越える時を経ても、その色には少しの変化もない。

 これらはすべて、特別な技術であり、師匠の丹精をこめた指導が必要なのである。

 この師匠に会おうと思った。だが、シャマルジャによると、師匠は今近くの村から頼まれて経を読みに行っていて、まだしばらく帰ってこられないという。

 何の経を読むのかと尋ねた。
 
 霰を防ぐ経だという。





(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)