8、灯りの盛んに灯る場所 その2
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)
太陽はゆっくりと峰の向こうに沈んでいった。
私は黄土の土手に座って、日を追うごとに大きく膨らんでいく山の中の街を眺めながら、雄大という感覚を少しばかり味わっていた。
この雄大という感覚とは、高度だけから生み出されるものではない。このような俯瞰の視界の中では、面の広がりも同じような感覚をもたらしてくれる。
私はそこに座っていた。
夜の帳がゆっくりと降りて来る。
そうしていると、眼下に散りばめられた建物や、縦横に走る街路に灯かりが煌めき始めた。
夜の色が街の美しいとは言えない細部を消し去って、目に入るのは、一面に広がる色とりどりの明かりだけとなり、それが絶えず瞬いている。
こそうして山の街はその名の通り、灯りの盛んに灯る場所となった。
それに比例して、背後にある寺はゆっくりと暗闇に包まれてゆき、てっぺんの瑠璃色の瓦だけが、星あかりのもと、かすかな光を放っている。
寺より下にある山には、高い場所に建てるべき二つの建物があって、その一つが気象台である。
気象台の白い建物はぼんやりとした灯りに浮びあがり、ことのほか美しく見える。
ここで山の下の小さな街の天気を予報しているのである。
小さな街の大多数の住民にとって、天気とは、それ自体の法則があってそれに則って気象台が予報するものではない。明日雨が降るかどうか、風が吹くかどうかは気象台が決めているのである。
気象台が、これから何日か晴天が続くと予報すると、人々は、いい加減にしてくれ、少しは雨を降らせてくれよ、と文句を言う。
気象台が二日間曇りが続くだろう予報した時には、この私でさえ、くそったれの気象台め、少しは太陽の姿を見せろ、と罵ったものだ。
高原の人間は曇りの日が二日以上続いたらもう我慢できない。太陽の光が明るく降り注ぐすがすがしい晴天が好きなのである。これは天気がはぐくんできた一つの習性だろう。
気象台の下の平らな場所、空に向かって高く聳えるポプラの林の中央には、てっぺんに赤いランプを載せた高い鉄塔があり、鉄塔の下には大きな皿のようなアンテナがいくつか置かれている。
テレビ局の衛星放送の地上基地である。
山の下の小さな街の家々に写し出されるテレビの信号は、すべてこの巨大な鉄塔から送られている。
テレビ局に勤めている友人の話によると、この山の上で電波中継の仕事をしていると、一般には放送できない外国の番組を見ることができるという。彼らは私を招待してくれたが、まだ行ったことはなかった。
今回、ついでに寄って見てみようかと思ったが、その友人ももうこの街にはいない。
そこで私は、山道を降り始めた。
山の下では街中に灯りがあふれているのに、私の足元の山道は夜の闇の中に埋もれている。
幸い、山道は歩き慣れているし、山の中の夜道にももう慣れているので、足どりはなんとか安定している。ただ速度が少し遅いだけだ。
この街に溢れている灯りに、実は私も関係している。
だがそれは、その灯りの下で読書し文章を書いたとか、その灯りの下で友人と語り合い、冬の暖かな炉を家族で囲んでいたということでは、勿論ない。
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)
太陽はゆっくりと峰の向こうに沈んでいった。
私は黄土の土手に座って、日を追うごとに大きく膨らんでいく山の中の街を眺めながら、雄大という感覚を少しばかり味わっていた。
この雄大という感覚とは、高度だけから生み出されるものではない。このような俯瞰の視界の中では、面の広がりも同じような感覚をもたらしてくれる。
私はそこに座っていた。
夜の帳がゆっくりと降りて来る。
そうしていると、眼下に散りばめられた建物や、縦横に走る街路に灯かりが煌めき始めた。
夜の色が街の美しいとは言えない細部を消し去って、目に入るのは、一面に広がる色とりどりの明かりだけとなり、それが絶えず瞬いている。
こそうして山の街はその名の通り、灯りの盛んに灯る場所となった。
それに比例して、背後にある寺はゆっくりと暗闇に包まれてゆき、てっぺんの瑠璃色の瓦だけが、星あかりのもと、かすかな光を放っている。
寺より下にある山には、高い場所に建てるべき二つの建物があって、その一つが気象台である。
気象台の白い建物はぼんやりとした灯りに浮びあがり、ことのほか美しく見える。
ここで山の下の小さな街の天気を予報しているのである。
小さな街の大多数の住民にとって、天気とは、それ自体の法則があってそれに則って気象台が予報するものではない。明日雨が降るかどうか、風が吹くかどうかは気象台が決めているのである。
気象台が、これから何日か晴天が続くと予報すると、人々は、いい加減にしてくれ、少しは雨を降らせてくれよ、と文句を言う。
気象台が二日間曇りが続くだろう予報した時には、この私でさえ、くそったれの気象台め、少しは太陽の姿を見せろ、と罵ったものだ。
高原の人間は曇りの日が二日以上続いたらもう我慢できない。太陽の光が明るく降り注ぐすがすがしい晴天が好きなのである。これは天気がはぐくんできた一つの習性だろう。
気象台の下の平らな場所、空に向かって高く聳えるポプラの林の中央には、てっぺんに赤いランプを載せた高い鉄塔があり、鉄塔の下には大きな皿のようなアンテナがいくつか置かれている。
テレビ局の衛星放送の地上基地である。
山の下の小さな街の家々に写し出されるテレビの信号は、すべてこの巨大な鉄塔から送られている。
テレビ局に勤めている友人の話によると、この山の上で電波中継の仕事をしていると、一般には放送できない外国の番組を見ることができるという。彼らは私を招待してくれたが、まだ行ったことはなかった。
今回、ついでに寄って見てみようかと思ったが、その友人ももうこの街にはいない。
そこで私は、山道を降り始めた。
山の下では街中に灯りがあふれているのに、私の足元の山道は夜の闇の中に埋もれている。
幸い、山道は歩き慣れているし、山の中の夜道にももう慣れているので、足どりはなんとか安定している。ただ速度が少し遅いだけだ。
この街に溢れている灯りに、実は私も関係している。
だがそれは、その灯りの下で読書し文章を書いたとか、その灯りの下で友人と語り合い、冬の暖かな炉を家族で囲んでいたということでは、勿論ない。
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)