日々是好日

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あれこれ雑記

博多湾内の無人島

2018-08-30 16:58:38 | 日記

福岡市営渡船から夜景撮影中誤って海に転落した事件がありました。男性は自力で近くの端島に泳ぎ着きました。そして無人島で二晩過ごし、第七管区海上保安本部に29日救助されました。先日の理稀ちゃん事件といい、事は人命に関する故ゆるがせに出来ない事件ですね。
最初博多湾の無人島とは、鵜来島と思いました。しかしその島は既に陸地化しています。市営渡船と言えば、志賀島航路か能古島渡船しか考えられません。はてな博多湾にも無人島があったかなと暫く考えました。今日の朝日新聞でその無人島とやらを写真で見ました。西戸崎傍の燈台ですね

祖先の話

2018-08-29 18:12:44 | 日記
祖先の話
まま寝転んで表記本を読んでいたら「堺利彦の予の自伝」という文章が面白いので発想を真似してみたくなりました。
先生は父上の残された系図をみてその辿るたどること、次のとおりです。
父は貝塚得司正隆と称し、豊前小倉小笠原家の家臣で、十五石四人扶持を下しおかれ、御小姓組格として御鷹匠に召使われていた者である。予の先祖は、小笠原君侯の先祖と同じく、信州松本の出であり、その先祖は安房の千葉常胤から出て入る事。千葉氏は平家の一族、平家から桓武天皇、桓武から神武と先祖の先祖に遡って、精細、厳密、確実なる大研究を遂げるの決意をなした。このことはしかし小笠原家に仕えた雀の餌ほどの家禄であるかと思えば興味索然たらざるを得ない次第である。
さらに血統に及べば父方と母方の先祖を合し、更に先々代、さらに先々々代の数々を累加すれば実に大変な数の先祖である。よって貝塚渋六先生先祖詮索を諦めておられるようです。この例によっても近時流行の系図作りなどには植木職人の巧みな剪定鋏が必要なようです。永年の間には枝ぶりが悪いのは伐って落とされたものも数あるようですね。

因幡の白ウサギ

2018-08-27 12:38:40 | 日記

「たべもの日本史」を捲ったら、因幡の白ウサギの物語があり、古代人の食生活にウサギを加えてありました。白い毛皮は防寒の衣服でしょう。
老輩は戦後直ぐの時期に農家の一部屋を借用していたことがありました。その頃の生活を思えば現在の贅沢はこの上もないのですが、それも思いようですが。百姓農家での生活は色々な智慧を授けて戴きました。農家でも藁屋根など見つけるのが今日困難になりました。しかも屋根の葺き替えなど見ようと思ってもその機会など余程の幸運がなければ不可能でしょう。
その日は朝から庭先は騒々しい雰囲気でした。屋根替えの作業ため近辺の人々やその家の縁者の加勢人が庭先で屯され、和気藹々の雰囲気にもなっていました。学校時間で以後外れましたが、屋根に掛けられた梯子に乗った加勢人が次々に麦藁束を天狗取りで繰り上げられていきました。
学校から戻った時分には、散髪したて髪毛のように屋根は新しく仕上がっていました。
仕事を終えた加勢人たちは食事に掛かっていました。お酒の接待もあったか知れません。その相伴でニワトリ飯に加えて戴きました。
それはそれで味もよかったのですが、日当たりの良い場所でウサギの毛皮が板に張り付けられていました。ニワトリと思いきや因幡の白ウサギでした。戦時中養兎は奨励されていました。毛皮は兵士用防寒具として供出されていたようです。飼料の雑草には現在でも事欠きませんね。

レンブラント

2018-08-25 17:29:43 | 日記
レンブラント
前回のブログの題は、レンブラントの生涯と描かれたその人生とすべきでした。映画そのものもは60年前製作されたイギリス映画ですし、老輩も主演チャールズ・ロートン以外は全く馴染みがありません。それが反ってこの映画に新鮮さを覚えたのかもしれません。そこで事後とはいえ評伝を二冊借りて来ました。
およそ彼の生涯は実に栄光と波乱に満ちています。彼の描く光と影を強調した絵画技術のように栄光と経済破綻が交互にやって来ます。しかしこの時代のオランダは国力充実し、浪費こそその源となっていた世間の風潮にあったと思えます。そして映画を通じての推測は、奢侈と放埒が芸事の根源にあるような気もします。映画では現れませんが、ガニュメデスの略奪など幼児への目線も確かだと思います。
破算裁判所とか教戒裁判所とか遺産相続等の取り決め等雑知識をも知り得ました。

空の空なれば

2018-08-23 15:21:01 | 日記

1936年製作の「描かれた人生チャールスローロトン主演」を幾度も観ています。ことに満月亭で画学生達と一杯やりながら、交わす会話のなかで、空の空なるかなと呟く最後のシーンは圧巻でした。まるで禅僧の悟道した曰くのようで、しかもどこかで見聞きしたようにも思え、本棚を探して見ました。
それは堀田善衛先生の「空の空なればこそ、」という随筆集のなかの最後の章にありました。

ダビテの子、エルサレムの王、伝道者の言葉でした。
「伝道者曰く、空の空、空の空なる哉、都て空なり。日の下に人の労して為すところ諸の動作はその身に何の益かあらん。
即ち我はわが諸の労苦によりて快楽を得たり。是はわが諸々の労苦によりて得たるところの分なり。我話が手にて為したる諸の事業、および我が労して事を為したる労苦を顧みるに、皆空にして風を捕ふるが如くなりき。
嗚呼、智者の愚者とおなじく死るは、如何なる事ぞや。
皆一の所に往く。皆塵より出で皆塵にかへるなり。然れば人はその動作により逸楽をなすに如はなし。
以下はそれぞれの人世観で然るべく解すべきでしょうから省略致します。