神々の明治維新
安丸良夫先生著の上記新書を買いました。少々難儀な本のようでしたが、廃仏毀釈という現象が未だに理解出来ない点があるので求めました。やはり難儀な書物であることには違いありません。寺社門前では軽く頭を下げる程度の信仰心はあります。しかし当地には天満宮はじめ神仏信仰が混淆して、敬虔な信者さんも多数おいでになります。小生にしてもあるときは抹香を焚き、あるときは神妙にお榊を捧げております。信仰の自由などと肩肘を張って公言する気は些かもありません。触らぬ神に祟りなし、もしも祟りがあるならば、と思うだけです。十年ほど前に、[飛び梅講社大祭」に勧めるお方があり、神前で天台宗の僧侶の方々による声明のご法要を拝見致しました。
本来仏教では、平常心を乱す原因になる歌舞音曲は戒律で退けられており、現代の上座部仏教でもこの原則は生きているそうです。大乗仏教圏では楽器演奏も含めて音楽法要は事実上認められています。既に大仏開眼法要供養には、梵音、錫杖、唄、散華の出演があったそうです。このような声明から平曲が出、それが謡曲、浄瑠璃、長唄へとつながっていったのだそうです。
法要の最後には、佛様を供養するため、声明に合わせて、撒かれる綺麗な紙製の散華も頂戴しました。このような仏僧による声明散華が 廃仏毀釈以前からの儀式であったかは、うっかり聞き漏らしてしまいました。
安丸良夫先生著の上記新書を買いました。少々難儀な本のようでしたが、廃仏毀釈という現象が未だに理解出来ない点があるので求めました。やはり難儀な書物であることには違いありません。寺社門前では軽く頭を下げる程度の信仰心はあります。しかし当地には天満宮はじめ神仏信仰が混淆して、敬虔な信者さんも多数おいでになります。小生にしてもあるときは抹香を焚き、あるときは神妙にお榊を捧げております。信仰の自由などと肩肘を張って公言する気は些かもありません。触らぬ神に祟りなし、もしも祟りがあるならば、と思うだけです。十年ほど前に、[飛び梅講社大祭」に勧めるお方があり、神前で天台宗の僧侶の方々による声明のご法要を拝見致しました。
本来仏教では、平常心を乱す原因になる歌舞音曲は戒律で退けられており、現代の上座部仏教でもこの原則は生きているそうです。大乗仏教圏では楽器演奏も含めて音楽法要は事実上認められています。既に大仏開眼法要供養には、梵音、錫杖、唄、散華の出演があったそうです。このような声明から平曲が出、それが謡曲、浄瑠璃、長唄へとつながっていったのだそうです。
法要の最後には、佛様を供養するため、声明に合わせて、撒かれる綺麗な紙製の散華も頂戴しました。このような仏僧による声明散華が 廃仏毀釈以前からの儀式であったかは、うっかり聞き漏らしてしまいました。