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あれこれ雑記

神々の明治維新

2017-03-31 16:30:25 | 日記
神々の明治維新
安丸良夫先生著の上記新書を買いました。少々難儀な本のようでしたが、廃仏毀釈という現象が未だに理解出来ない点があるので求めました。やはり難儀な書物であることには違いありません。寺社門前では軽く頭を下げる程度の信仰心はあります。しかし当地には天満宮はじめ神仏信仰が混淆して、敬虔な信者さんも多数おいでになります。小生にしてもあるときは抹香を焚き、あるときは神妙にお榊を捧げております。信仰の自由などと肩肘を張って公言する気は些かもありません。触らぬ神に祟りなし、もしも祟りがあるならば、と思うだけです。十年ほど前に、[飛び梅講社大祭」に勧めるお方があり、神前で天台宗の僧侶の方々による声明のご法要を拝見致しました。
本来仏教では、平常心を乱す原因になる歌舞音曲は戒律で退けられており、現代の上座部仏教でもこの原則は生きているそうです。大乗仏教圏では楽器演奏も含めて音楽法要は事実上認められています。既に大仏開眼法要供養には、梵音、錫杖、唄、散華の出演があったそうです。このような声明から平曲が出、それが謡曲、浄瑠璃、長唄へとつながっていったのだそうです。
法要の最後には、佛様を供養するため、声明に合わせて、撒かれる綺麗な紙製の散華も頂戴しました。このような仏僧による声明散華が 廃仏毀釈以前からの儀式であったかは、うっかり聞き漏らしてしまいました。

二階の女が木に懸かる

2017-03-28 14:23:41 | 日記
図書館に[国字]字典が新入荷していました。序文は笹原広之先生です。笹原先生には[日本人と漢字」という良書があります。図書館を出ますとベンチが有り、水の流れる音を聞きながら、ひなたぼっこしました。桜花はまだですが、近々蕾も膨らむことでしょう。庭の杏はすでに満開を過ぎ、源平桃も盛りです。桜の枝振り眺め、漢字の覚えに気を使っていたころのつまらないことを思い出しました。
サクラといふ字はヤッコラサノサ、分析すればノウチヨサン、二階の女が気に懸かる。
確かに貝・貝の下には女、そして片側には木偏があります。
国字とは・・・ことばだけでなく、その雰囲気までも伝えるものとなっているのです。日本人のものの見方、価値観さえもうかがえます。日本人や日本の自然や産物が巧みに織り込まれています―[序文より]
確かに梅とは違った雰囲気があります。桜霞の醸す雰囲気は、酒なくばなんの己が桜かな ですね。
この字典は何と言ってもビジュアルであること、それが座右に置きたい意欲を起こさせます。

ウナギ・テボ

2017-03-26 21:37:08 | 日記

今朝の新聞に「ウナギの生態、探る旅、居場所、遊泳パターンからの推定」という記事がありました。随分昔の話になりますが、現在は唐津市に組み入れられた玉島村に住んでおりました。村には神功皇后が鮎をお釣りになったということで名高い玉島川が流れております。万葉集にも幾つもの歌が載せられています。
松浦なる玉島瀬光り鮎釣ると立たせる子らが家路知らずも
それより上流に住まいしておりましたが、同年配の従兄弟らが毎晩のようにウナギテボを仕掛けていました。ニラやミミズを叩き潰し、竹製の尺半位のテボに入れ、飛び石垣蔭あたりに沈めております。そして明くる早朝、引き揚げるのです。ウナギ・テボより大きな蟹用の仕掛けもありました。なにしろ昔々の話ですから、記憶はおぼろげです。
新聞の記事には、ニホンウナギはマリアナ諸島沖で生まれ、幼生は北赤道海域で西へ流され、黒潮に乗り換えてニホンなどの沿岸に向かいます。そしてシラスウナギと呼ばれる稚魚になり、川を上って成長します。成長したウナギは産卵のため川を下り、マリアナ諸島沖に向かいます。どんなルートで行くのか今のところ判っていないそうです。
従弟らが仕掛ていた場所は、海岸よりかなりの距離があります。現在は筑後川支流御笠川傍に住んでいます。夕暮れ流れに沈んだ護岸のコンクリートの暗みを眺めていると、玉島川にウナギテボを沈め、翌朝の獲物を期待していたその頃の愉しみは、今どうなっているか、と思うことがあります。そばの御笠川でも少し下流には、鯉もいれば、鯰もいますが、マリアナ諸島沖生まれのシラスウナギたちは登り上がってくることは無理でしょう。

ハーディング大統領

2017-03-23 14:58:19 | 日記

昨日は日和もよろしかったので、蔵書整理をしました。雑本類ばかりですが、その中から週刊[二〇世紀の歴史」がでてきました。幾分の紛失はありすが、内容(絵画・写真等)貴重なものがあり、埃を払ってぼちぼち読み直してみようか、と思いました。買った当時の値段は二五〇円でした。その48号に、共和党で第29代大統領ハーディングの事績がありました。同誌の評価は幾分辛目でした。そこで、ウイクペジアも覗いて見ました。
ときは第一次世界大戦の余波の中で行われた大統領選挙です。キヤンペーンは、[アメリカが第一」であり、外国の影響から独立した工業化と強い経済を促進することでした。セドア・ルーズベルト大統領以来議会を支配していた進歩主義から離脱しました。友人や政治上の貢献者に対して財政的に大いに報いてやりました。彼の閣僚の一名は刑務所に送られることとなります。しかし何名かの有能な人物も閣僚として任命します。外交政策では、国際連盟に加入せず、また在任中には失業率が半減しました。議会にはあまり介入せず、職務も閣僚に丸投げすることもあり、また任期中にいくつかのスキャンダルがあったため、死後[アメリカ史上最も成功しなかった大統領」と評されたが、近年は評価が見直されているようです。一九二三年八月、アラスカ旅行からの帰路、病床に伏し、死亡しました。
以下は週刊[二〇世紀の歴史」の記事によって加えました。八月三日、 ハーディング大統領はあっけなく死去しました。愛される大統領、街頭人の偶像、平凡人の偶像、はては「リンカーン以来、かれほど素朴で、心の温かく、人間的な、文字どおり、国民の大統領」と言われた男でありました。死因は最初、アラスカ旅行で食べたカニ料理に当つたからだと診断でした。これは旧友で侍医の判断でした。かれはポーカー仲間の、ひどい藪医者で、大統領のお気に入りであったに過ぎなかったのです。大統領には女性関係があり、嫉妬に狂った妻がその疑惑をもたれています。

アメリカの歴史

2017-03-22 16:02:48 | 日記

このこの表題には、「世界の流れがよくわかる」と注がつけてあります(島崎普先生著)。新大統領が決まったころ、予測が外れたことを残念がる風潮がありました。そのころに「岩倉使節団」というブログを書きました。
敗戦後進駐軍の放出物資と同じように[リーダース・ダイジェスト]や[漫画ブロンデイ]なども飢えを忘れさせる材料となりました。今度ブロンデイのことが不確かなので、調べて見ました。ダグウッド・バムステッドの実家は百万長者で、相続権を放棄し、ブロンデイと結婚します。食べることと寝ることが趣味―そう言えば、よく厚いサンドイッチを長椅子で 食べていましたね。いまでも眺めて見たいものです。[リーダース・ダイジェスト]判型はこぶりで、印刷インキはアメリカ風な匂いが していました。物不足は幾分饑餓に近いといえば近かったのですが、アメリカに対する印象は、当時は私にとって悪くありませんでした。
ところが、だんだん風向きが変わって、アメリカの実体が解らなくなりました。その上アメリカ人の日常生活の実態がぼやけてくるようになりました。大麻の問題にしても、州によって法律上の扱いが違うなど、そんな刑法上の差違がまかり通っているなども不審です。州分離地図や全米五〇州の成立経緯を眺めていますと、米国情について全く不知に近かったことを思い知らされました。更には独立以来の歴史の経緯を読むにつれ、アメリカという国が如何に敵味方を分別し、その場その場の修羅場を強引に切り開いてきたか、国情の違いとは言え、わが陣営も太刀筋鋭く応戦せねばならない瀬戸際のようです。