日々是好日

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あれこれ雑記

エミュー戦争

2018-06-30 14:20:21 | 日記

今朝の佐賀新聞に、「二九日午前十時過ぎ、神埼市城原でオーストラリア原産の大型鳥エミューが目撃されたというニュースがありました。そこで例によってエミューについて調べてみました。
すると、一九三二年(昭和七年)オーストラリアで「エミュウ戦争」が勃発していました。約二万羽のエミュー大軍が開拓地へと侵攻し、農地が大きな被害を受けました。そこでオーストラリア陸軍砲兵隊による機関銃での掃討作戦を決定しました。しかし、エミュ―軍は小隊に分かれるゲリラ戦術により機関銃の有効性が失われ、ろくな戦果を上げられずに撤退し、エミュ―軍の勝利となりました。(ツイート「エミュー戦争により)
神埼市のエミューは、一羽のせいか、牝のせいか、「中部家畜保健衛生所」の職員さんが素手で捕らえ、ロープで縛ったそうです。雄も逃げ出してはいましたが、死んだとのことです。
以前糸島市前原で農家に飼われた二羽の駝鳥を見たことがあります。高級食材になるそうですが。

眠気

2018-06-27 20:54:35 | 日記

眠気の正体は神経細胞八〇種の蛋白質群の変化であるそうです。筑波大などのグループがマウスの実験で突き止めめ、そして科学雑誌に掲載なさつたとのことです。
老輩は殆ど毎晩10時半には床につき、翌朝九時ころに起きます。尤も老人の常として二度ばかり小用に起きます。冬どきは更に一度を加えます。自己判断では睡眠時間に不足はないと思います。しかし日中度々眠気に襲われますし、場合によっては昼寝をすることにも吝かではありません。自由の身ですから。
80種のうち69種はシナプスと呼ばれる神経細胞の接合部にあり、起きているときには、隣の神経細胞と化学物質とやりとりし、情報伝達に関わっている。情報伝達に伴って蛋白質群でリン酸化が進行し、リン酸基でいっぱいなった蛋白質群は情報を伝えづらくなる。これが眠気の正体ではあるまいか。と柳澤先生が朝日新聞で説明されています。
かように難しいことには、これ以上の説明は老輩には理解困難であります。とにかく眠いのは眠いで、八十八歳のせいにしておきましよう。


武士は喰わねど

2018-06-27 14:44:08 | 日記

やせ我慢とも矜持ともとれるこの言葉は、どうやら推測するに、武士が安穏に暮らし得た江戸時代のものではないように思えます。
明治の初めに、秩禄処分という廃藩置県に伴って、華族や士族に与えられていた禄を強制的に取り上げ、期限付きで僅かな利子しか受け取れない公債に替える改革(明治九年)がありました。華族はいざ知らず、士分でも下輩身分は手内職やら身内に助力を求めるやら、安穏とはしておれませんでした。しかし世間の目がありますから取り繕いが必要です。現在は相応の社会政策がありますから、その時代のような苦渋は減じられたようですが、何しろそれまで「然らば」と「ご免」でお城の門を潜っておれば日々が送れた時代では無くなりました。お城へも譜代は表から、裏門と決められたのは、ここ黑田藩では、島原の乱以後員数合わせに藩士となったの中途採用の連中でした。

瀛津島防人日誌

2018-06-22 17:28:29 | 日記
沖の島防人日誌とも略称されています。沖の島は宗像市に属し、本土から沖約六〇キロ離れています。此の度ユネスコにより世界遺産に登録されました。
筆者青柳種信は寛政六年三月二八日に福岡を発ち、四月九日に沖の島に着き、島には三ケ月余留まり 、同七月二九日福岡に帰着しています。防人日記はその間の紀行であります。
瀛津防人として赴任しました。ここは国境の北の海中であり、新羅に近いので、常時防人が遣わされていました。島には宗像の三柱の皇神のうち、一柱の大神におはします。そこで旅発ちには、鳥飼神社の神主をお招きして、お祓いを致します。
 沖津浪千重に立ともぬさまつり
 君しいのらは豈さはらめや
 わたの原しまのさきさき霧ただば
 きみらをおそききその風としもはむ
との歌も読み果てぬうちに船は漕ぎでして行きました。その昔、東国から遙々遣わされた防人たちもそのような切実さのこもった船出をしたことでしょう。
この日誌は三巻に亘り、詳細な地誌ともなっているようです。

大阪北部地震

2018-06-21 16:12:14 | 日記

大阪市(北区)に平成十八年六月十八日震度六弱の地震が発生し、幾多の災害をもたらしました。
偶々C.アウエハント先生の「鯰絵」買ったばかりで内容には触れていませんでした。
裏の流れ御笠川を五〇〇メートルほど下ると消防署が有ります。そのあたりの橋近くに水落ちがあり、やや深みがありますが、鯉や鯰がよく見ることが出来ます。鯰絵の副題には民俗的想像力の世界となっています。かねがね鯰の滑稽な表情には魅かれるものがありました。図1鹿島要石真図から始まって、鹿島神鯰おさえ図・ 地震御守・大鯰江戸の賑ひ・出現苦動明王等々が続いています。
決して江戸市民が無知蒙昧なことを茶化したものではないようです。
鯰については「ナマズの博覧誌 生き物文化誌選書」がありますが、趣がいくらかちがいます。読み直してみましょう。