日々是好日

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あれこれ雑記

紫陽花と乳母車

2018-05-31 19:36:17 | 日記

寒いの暑いのと半端な季節のうちに、いつしか梅雨入りしかとかです。そう言えば門脇のの紫陽花も穏やかにそして夥しく数を揃えています。
母よ
淡くかなしきもののふるさとなり
紫陽花のもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり
時はたそがれ
母よ乳母車を押せ
泣きぬれた夕陽にむかって
?々と私の乳母車を押せ (以下略)
三好達治先生の詩ですが、うろ覚えで間違いもあるやと思います。その昔映画のなかで使われたのを、川筋傍の道で幼児を載せた乳母車とすれ違ったときふと思い出したのでした。

依存症

2018-05-28 17:13:34 | 日記

今朝の新聞の広告に、「アトピー性皮膚炎、実は依存症だった」とのありました。依存症とは?そこで通院日でもあるし皮膚科の先生の処へと出かけました。病状については前回の通りですし、果たして老輩の症状が酒や、パチンコに執着するのと同様の心理的誘引がなしているのか僅かばかりの不安を尋ねてみました。
いつも待合には老人や幼い患者さんが神妙に順番待ちをしています。幸い急迫の痛みを訴える患者さんがおいでで無いのが心に余裕を持たせます。
幼児らは備え付けの玩具で時間潰しに余念なく、ご老人が週刊誌の記事没頭されてます。痛痒とは言え痛でなく幸いしています。

駱 駝

2018-05-27 21:14:58 | 日記

松崎慊堂先生は、文政八年二月四日、西両国広小路に駱駝見物に出かけられました。前年文政七年からペルシャからやってきた雄八歳牝七歳の二頭の駱駝が見世物なっていました。慊堂先生の観察は次の通りです。
面は羊の如く細頸大腹。峯より地に至るまで今の度量を以てもすれば凡そ七尺ばかり。顔より地に至るまで五尺ばかり。前足は四折、後ろ足は三折。その蹄は牛に似たり. 雄は眼上に長毛あり。たちまち視れば目なきが如く就いて看れば炯然たり。牝は長毛なし。渾身ともに栗毛色等々です。
初めて見た駱駝の観察としてはなかなか詳細に到っています。この見世物の後北国へ連れて行かれ寒さのため斃死したそうです。
愚作
  らくだらくだと言うけれど
駱駝の身になりゃ楽じやない

トルコの秘宝展

2018-05-24 20:07:51 | 日記

「和氏の璧」という蘭相如の胆力と知恵で、秦から璧を奪い返し国に持ち帰ったは古事があります。完璧とはその古事からでています。もう歳月の覚えが有りませんが、幾年か前に、福岡市博物館でトルコ秘宝展がありました。
むかし靴職人が山でダイヤの原石を見つけました。彼はその石を銭にしたくて、近所の靴職人に見せました。靴職人は見つけた男の無知に乗じてほんの幾ばくかの銭で引き取りました。本当の値打ちは彼も知らなかったのです。買った靴職人が持ち込んだ宝石商は数倍の銭を払ってほくそ笑みました。ところが強欲な王様は強引に宝石商からタダで召し上げました。靴職人に与えた数千倍倍の価値あるダイヤモンド原石であります。それが秘宝展で展示なかに有ると学芸員がラジオで話ました。
近ごろピアノ・写真機・茶道具などを頻りと買い取りを勧める新聞広告を見ますが、ものは売りよう買いようと申しますね。

なかじきり

2018-05-19 12:45:43 | 日記

鴎外先生の文章に「なかじきり」、という文章が有ります。老輩は歳こそ先生を越えたとは言え、確たる自論とてなく、漫然歳月を浪費しております。ならば、何故このような表題を頭に振ったかそのわけを申しましょう。先日来ブログ欄に「記事なし」と表示され、理由不明のまま今に到っています。このまま放置しても良いのですが(別の窓口で検索すれば明瞭に記事が読めます)このまま放置するは如何と、頃合いもよしと「なかじきり」と題しました。