Garbanzo blog

政治経済と音楽のブログ。
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平和賞の政治利用は避けられない定め

2010-10-08 19:13:00 | 社会

中国の反体制活動家、劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞した。
メディアの記事によると、彼は一党独裁を批判する「08憲章」を起草したことなどを理由に、
国家政権転覆扇動罪に問われ、今年2月に懲役11年の実刑が確定して服役中だ。
当然の事ながら中国政府は強く反発し、内外でのニュースは全てシャットダウンしている。
海外メディアの放送を試聴していても、このシーンになるとテレビは真っ黒になる。

批判の多い文系のノーベル賞の中でも、平和賞は格段にキナ臭い賞だ。
オバマ氏や金大中氏のみならず、受賞者には毎回必ず「何故彼が?」という疑問符がつく。

今回の受賞は少し意外だった。
平和活動家に平和賞が授与されるのはダライ・ラマやサハロフ氏など珍しい事ではないが、
それなりにインパクトがあったのは、賞の授与という形式を装うことによって
選考委員会が国際社会の代理となり、かなり直接的に中国政府を非難したことだ。
方向性で言えばアウン・サン・スーチー氏の時と同じ印象を受ける。

その意味で、今回の受賞は選考委員会の良い開き直りが見て取れた。
多分平和賞の条件は実績であって成果ではないのだろう。
個人的に平和賞の「使い方」は本年度のこの形式がもっとも良いと思う。
中国のような民主的でない国家に対し、その国を批判している
自由民主主義を志向する活動家に授与するのは、政治的効能が高い。

ある意味では「権威」しかノーベル平和賞は持っていない。
よって、この使い方は従来の授与に比べ、効率が良い平和へのコミットメントである。
世界平和に積極的に関与したいという今回の選考委員会の英断を支持したい。