Garbanzo blog

政治経済と音楽のブログ。
Garbanzoってのはひよこ豆のことです。

抗いがたい「無料」の魅力

2010-09-07 14:35:50 | 経済

いつも政治の文句ばかり垂れているので、今回は少し違った記事を紹介してみたい。

英国のコルチェスターという町をご存知だろうか。ロンドンから約85km離れたこの町に、
ネットでの自動車販売を行うBroadspeed.comというディーラーがある。
このディーラーは2008年に非常に思い切った値引きを行い、
革シートやエアコンを装備したクライスラー製のダッジに加え、
アベンジャー SXTの2台セットを2万ポンド(約310万円)で売りに出し、
この車種の在庫を売り尽くしたという。

これだけでは何と言う事の無い話だ。しかしその裏には非常に面白い点がある。

責任者のサイモン・エンプソン氏は英ガーディアン紙の取材にこう応えている。
「おかしなものです。1か月ほどは1台を半額で売ろうとしていたんですが、
結果はまあまあぐらいで大成功ではなかった」と述べている。
「ところが『2台で1台の値段』のキャンペーンを始めた途端、2万2000件の問い合わせが殺到した」
とその反響の大きさに驚いたという。

最初の1ヶ月間、アベンジャーSXTとダッジは双方ハーフプライスであり、
この合計価格は2ヶ月目から始めた2台セットでの2万ポンドと同じ価格である。
よってこの販売方式は実質的には変わらないものであり、ただ単に宣伝の表現を変えただけだ。
最初の1ヶ月目の半額セールでこの2台を購入しようが、
2ヶ月目からの2台セットのセールで購入しようが、
2万ポンドというコストに変化は全くない。

同じような事例は先に紹介した予想どおりに不合理にも載っている。
こちらのケースでは、まず始めに15セントの高級トリュフチョコと1セントのキスチョコ、
どちらか好きな方を購入してもらう。その後は価格を変更し、
今度は14セントのトリュフとフリーのキスチョコ、どちらが欲しいかを選んでもらうといったものだ。
どちらも減額は1セントづつなので価値の減少はまったく同じである。
よって最初の選択と2回目の選択で人数は変わらないはずなのに、
結果はフリーのキスチョコを選択する人数が最初のケースよりも圧倒的に多かった。

これらの事例は、我々が想像以上に無料の魅力に抗えないという事を如実に示している。
最初に紹介した車のケースの場合、始めのハーフプライスセールの方が
2台欲しい人のみならず1台しか欲しくないという人もターゲットなのに、
申し込みの数は2ヶ月目から始まった2台目無料セールの方が圧倒的である。

つまりマーケティングに於いて、無料という宣伝文句はスペシャルなキラーワードらしい。
そしてコンシューマーは毎回それにコロリと引っかかり続けるのである。


田中康夫氏の勝手読み

2010-06-05 17:57:20 | 経済

僕は将棋が好きなのだが、指している最中に
よくやってしまう思考の傾向として勝手読みがある。
これは自分の指した手によって相手は自分の想定通りに
指してきてくれるだろうという思い込みだ。上手な人ほど手を読む幅が広く、
例えば「歩を突いたから相手はそれを取ってくるに決まっている」という風には考えない。
プロの場合だと百パターン以上の手を考える人も珍しくないらしい。

翻って本題に入る。
田中康夫氏の「ベーシック・インカム」は東京集中を解消するという考えは
僕にとってはいわゆる将棋の勝手読みに相当するように思える。

ベーシックインカム(以下BI)は以前の記事でも書いた通り真の全世帯給付で、
簡単に言うと(日本人であれば)一切の理由を問わず、
5~8万程度の現金を直接給付するというものだ。
田中氏の主張と同様の地方の活性化に関する意見は、
BIのリンク先のwikipediaでも僅か二行だが触れられている。

だがここで実際に比較して考えてほしい。
現在物価やサービスに関するデータは確かに地方の方が平均10%程度割安だが、
各県の所得で見れば明らかに東京は頭一つ抜けていて、2位の愛知県と比較しても
その差は愛知3.588と東京4.540で30%近い開きがある。
また均一的発展という夢の終わりでも書いたが、秋田県のように企業誘致に失敗し、
その土地の産業が漁業や農業などの中央からの税の注入が必要な第1次産業のみになり、
いつまでも自立が出来ず地方債を積み上げている地域は潜在的に相当あるように思う。
(沖縄に関しては少々事情が込み入りすぎているので特殊だけれども)

そんな状況なのにBIが導入されたからといって、果たして東京に出てきた人々が
ノスタルジーに駆られて次々へ田舎に戻っていくだろうか。
僕はそれはあまりにもインセンティヴというか動機付けが弱いように思う。
現に朝日新聞の過去の記事では田舎と都市部のコストが
さして変わらないという試算を出している。

コストだけに着目すると多少都市部は割高に見えてしまうが、
地方よりも安価なサービスからマニアックなニッチ向けのサービスまで、
多種多様な選択肢が存在するのは都市部以外には存在し得ない

例えば東京の100平米あたりのレストランの数は日本の他の都市どころか
食都フランスのパリよりも遥かに高く、そのカテゴリーも極めて微細に分化しており、
中華なら代表的な4大料理どころか香港や台湾の味すら楽しめる。
考えてみれば当たり前なのだがニッチなサービスは需要が少ないのだから、
一定以上の人口が居ない地域ではそもそも存続出来ないのだ。

すこしズレてしまったが話をまとめたい。
前述の通りBIによって田舎帰りが実現されるとも思えないし、
仮にBIが導入されたとして、それによって経済的に自立出来ていない地方へと
人々が次々帰るような事態が実現されるとなると、
地元に帰った人々が稼げるような産業を次々と勃興し続けてくれない限り、
結局都市部の稼ぎ手から財産の再分配を政治というフィルターを通して
「おねだり」するという従来通りの分捕り合戦が終わらないという
大きすぎる問題点が全く改善されていないのだ。
だから田中氏の主張はその意味で酷く「片手落ち」であり、
BIによって地方経済を活性化させ、ひいては日本を元気にしたいと願うのなら、
各地域の政治的、経済的独立性を認める道州制のような分権化を
ベーシックインカムとパッケージにしない限り無意味
なのだと指摘したい。

僕はBIには巨額の財源が必要となる上に社会保障にタダ乗りする
フリーライダーを生む状況に陥りやすいので
(それでも現状よりはかなり効率的だけど)
基本的にはさらに効率的であろう負の所得税を支持したい。


介護職の賃金が上がることはない

2010-04-13 20:43:52 | 経済
よく日本では少子高齢化が進んでいると言われているがそれは間違だ。
人口比率はいわゆる
ツボ型で、このグラフは既に日本が
典型的な少子高齢社会である事を端的に示している。
ちなみに
出生率の低下はいわゆる団塊ジュニア(35歳程度)以下で顕著だ。

高齢化社会であれば一般的には介護職の需要は増える。
本来経済の理屈で言えば需要が増えているのだから賃金は上がるはずだが、
むしろ低賃金で労働環境も良くない職業の代表のように言われている。
離職率も高く、その理由のトップは
「給料が安いから」だ。
例えば平成20年度の
ホームヘルパーの平均年収は281.9万円だが、
民間の平均は434.9万円である。(今後はもっと縮まってくるだろうが)

需要のある介護職の賃金が上がらない大きな理由の一つが、
介護保険から費用が捻出されているという点にある。
市場原理が効いていないのだ。
あと数年で1000兆にも届くかというほど赤字国債が積みあがっているのだから、
これ以上保険料を増やせる原資がそもそもない。

ニュースではインドネシアからの介護職の受け入れテストで
合格者が僅か1名だったという報道がなされていたが、
この問題の裏側にある本当に解決しなければならないポイントは
需要が高まっているのに介護職の賃金を上げる事が出来ないという点と、
日本語でないと一定の品質のサービスを提供しづらいという2点にある。
機械の導入のように簡単に置き換えが出来ないのだ。
しかも2020年には老人達への介護サービスを現状の質のまま保つと仮定すると
若手の人員が現在の倍必要となる。(大貧困社会より参照)

以上のように介護職の賃金を上げようと思ったら

①市場原理を効かせるよう民間に委託
②国のプライマリーバランスの赤字分を削減する

この2つしかない。
しかし、①を徹底するとどうなるかは明白だ。
前述の通りサービス業という性質上単純労働とは言え
海外の労働者にそのまま置き換える事が出来ない。
つまり供給は絞られる上に需要は増加しているので、
現状のまま民間に全て委ねるとなると、
一定以上の貯蓄がある人しか介護は受けられなくなる。
ミもフタもない言い方をするなら貧乏人は野垂れ死にするのだ。
一定のセーフティネットが無いと社会が不要に荒れる事により
余計に管理や維持にコストがかかるので政府は何らかの措置を施すだろうが、
バラまこうにもその金自体がもうない。
本当にどうするのだろう。

②もかなり難しい。
以前から何度も経済学者達が指摘しているが、
現状のプライマリーバランスの赤字を消費税で半減させるには
税率を40%近くまで引き上げる必要がある。そんなことは政治的に不可能だ。

このように介護職の賃金を上げるためのハードルは超が付くほど高い。
今日本人が心の底から認識しなくてはならないのは、
政府が本気でアテにならない認めることだ。
その認識があると無いとでは、今後の行動がずいぶん違ってくるように思う。

増税を避けるな

2010-03-23 20:56:10 | 経済

3/21日付けの産経新聞の記事に大塚耕平内閣副大臣が消費税の増税について言及し、
税率を10%半ば(恐らく13~15%だろう)に設定したいという考えを述べた。

これが実行されると民主党は4年間消費税の増税を据え置くという
マニュフェストを反故にする事となるが、
09年度の馬鹿げたPrimary Balance(
歳入 / 歳出)が発表された時点で
このような事態になることは予想がついた人は多いだろう。

日本はかつて消費税を2%上げただけでも内閣が倒れた経験があり、
増税に対しては必要以上に国民は敏感だ。しかし、さすがに今回内閣が倒れたりはしないだろう。
せいぜい支持率が3割を切る程度で済むはずだ。

消費税の増税が意外に好意的に受け入れられている理由の一つは法人税の減税という
珍しく経済的に合理性がある志向性を示せているという点が大きい。
池田信夫氏がアゴラで指摘したように、現在のような実質40%にも達するような世界最高額の法人税率は
配当への所得税という二重課税であるばかりでなく、
世界中の租税競争という観点から見ても非合理的だ。
法人税を下げても企業が人を雇えるようになると税収は増やせる。

単純に考えればこれは当たり前で、法人税が50%時に企業が雇える人間が100人だとするなら、
これを10%まで下げれば単純に5倍にする事は無理でも
倍増程度までは雇用キャパシティを広げられる。
このことによって無収入世帯を就労させる事が出来やすくなるので相対的に見れば
減税しても税収は減らないし社会の効率を上げられる。
またベンチャー企業も法人税の削減によって運営しやすくなり、起業が容易になるだろう。

消費税は阪大の
大竹文雄教授や慶応の土井丈朗教授が指摘するように逆進性は認められない。
(低所得者に影響力が強いのは確かだが)
またとりはぐれが無い税金なので
クロヨン(トーゴーサンピン)のような
不確実で不公平な税体系にならないのも大きな利点だ。

過去の記事で何度も主張したとおり赤字国債の発行というのは
いつか払われる事を前提とした未来の増税で、その意味ではもう既に
増税というカードは自民党政権下に「何度も」切られている。

要するに、とうとう借金を返す日がきたのだ。
共産党や国民新党が言うように、永遠に棚上げしてツケまわす事ができるなら・・・
という思いは解らないでもない。
だがそれを認めるのは孫に借金を残す恥知らずな老人と同じ行為だ。
漂流するロスジェネとワーキングプアを数百万人生み出し、
3万人の自殺(ベトナム戦争の死者と同程度)が12年間続く国に、
もう何かを先送りする事は許されない。


見えない負担

2010-03-19 09:56:02 | 経済

JMMで村上龍氏が赤字国債による次世代への負担増について質問している。
彼の質問は以下のようなものだ。

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我が国の巨額の財政赤字は次世代への重い負担であるとよく言われます。
しかし、負担と言われてもなかなかイメージできません。
現在の巨額の財政赤字は次世代にとって、具体的にどのような負担となり、
どのような苦境が待っているのでしょうか。

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個人的にJMMの寄稿者は一部を除きあまり好きではないのだが、
土井丈朗氏はさすがにプロの経済学者だけあって問題の捉え方が適切で、学者の良識を感じる。

当blogでも将来世代への負担が時限爆弾となって
いつか必ず破裂するという内容はもう何度も書いたが、土井氏は寄稿した記事の中で

①.金利上昇時の負担増
②.政府債務返済に伴う増税の負担増
③.インフレ時の負担増

という(おそらく危機の順序もこの流れだろう)3項に分け、
それぞれにきちんとした具体例を上げてそれを指摘してくれている。是非読んでほしい。

土井氏の主張は「将来代にとっての負担は、純粋に債務返済負担という形だけでなく、
経済活動に悪影響が波及するという形をとっても及ぶことになります」
という一文に集約されるだろう。

このような若年層へのコスト転換は税というブラックボックスに入った瞬間から
国民からは一見しただけでは解らないようになっているので、
知識の無い人には「国会には大金庫があって金銀財宝が山ほど眠っている」といった
金がいくらでもあるという錯覚を抱かせがちだ。
これは小さな子供が母親のサイフにまるで無限にお金が入っているかのような誤解と、
だからそこからくすねても解らないだろうという共産党的な甘えた体質を招いてしまう。

ありていに言うなら赤字国債の本性とは未来に対しての増税である。
この事を指摘しているのは経済学者ばかりなのが気になる所だが・・・。

増税は死んでもイヤだけど赤字国債はOKというのは後20年程度で死んでしまう老人にはウケる。
支払いをするのは息子か孫か、とにかく自分以外の誰かだからだ。
殆どの老人は自分の孫に借金を残して死ぬのは恥ずかしい事だと思っているのに、
社会の中にクラウドアウトされた見えない誰かにコストを負担させる事は(間接的に)容認する。

市井の人間達の意識の改革が無い限り、仮に政治家や官僚がどんなに優秀だったとしても無意味だ。