Garbanzo blog

政治経済と音楽のブログ。
Garbanzoってのはひよこ豆のことです。

懐古に溺れる老人

2010-10-04 21:37:14 | 音楽

文化通信でたかがレコード産業、されどレコード産業… という記事が出ている。
内容は現在のレコード産業の廃頽を嘆いたもので、
結論は「作り手のクオリティーが低いのは、やはりユーザーのクオリティーが低下したから」
なのだという。

レコード・・・ 記録メディアと言い換えた方がこの場合は都合がよい。
メディアパッケージビジネスの破綻は以前から何度も書いているように、
もはや覆すことは絶対に不可能な完全なる規定路線である。
そのビジネスモデルはwebによって完全に代替されており、
またwebによるデジタルデータは相互利用によって飽和しているので、
その価格は限界費用(=0円)にまで落ちる。

現在、数々の技術革新によって高級機だったプロ用機材のソフトウェア化を始めとする
各種音楽製作用ツールの超ローコスト化が起こっている。
それと同時に伝播/流通コストがほとんどゼロに等しい
インターネットという大革命がもたらされたおかげで音楽は世界にあふれ出し、
末端のパーソナルユーザーが保存も相互利用も可能になってしまった。

つまりマスメディアが大々的にマーケティングを打って皆がそれを消費するという
90年代以前の方が異常
であって、現在はおのおの音楽ならずとも
自分の好きな趣味を勝手に選択するという、ごくごく普通の状態へと、
webというP2Pを本質としたツールによって人々は回帰しているのだ。

はっきり言って現在、音楽制作の敷居は無いに等しい。
よって「とにかく環境が悪すぎる」とか、「音楽のクオリティーは明らかに落ちている」
などという記載は現実を鑑みない自身の妄想と過去の体験への懐古に過ぎない。

裾野が広がりマスメディアの影響力が落ちた分、メガ・ヒットの音楽の品質は下がり放題だが、
アマチュア~ハイアマチュア、あるいはプロでもクラシックやジャズといった、
かつてマスの音楽マーケットに乗れなかったような人々は、今も素晴らしい調べを奏でている。

要するに彼は音楽を聴いてきたと勝手に勘違いしているのだ。
マスが消費するだけの商業芸術を、ただ言われるがままに飲み込んでいたのだろう。
それを自ら告白している事にも気づいていないのだから、救いようがない。
彼はジャンクフードだけを食べ続け、「メシがマズイ」と怒っている老人だ。
とても愚かで、哀れである。