今日も、縁起がいいねえ

ベビーマッサージの資格取得。ママ、赤ちゃんが、ますます幸せになりますように。その祈りとともに日々の気づきをつづります。

どんなものにも生まれてきた価値はある

2018-06-29 22:40:56 | 日記
今日、「あん」という映画を観た。
どんな映画なのか、全く知らずに、録画してあったのでみてみた。

とても、音が
ていねいに書かれていた。
「あん」というのは、あんこのことだった(笑)
人の名前かなんかと思っていたので
思い込みって、本当におかしい。

何のために、この映画のことを書こうと思ったかというと
暗い過去のある主人公に、ハンセン氏病だった老婆が言った言葉が光った。

何かになるためではなくて
この世界を観るために、この世界を聞くために生れてきたなら
どんなものにも生まれてきた価値はある

そんな言葉だったきがする。

この言葉に
この映画の場面場面の音、映像があったんだなあって思われた。
そう、優れた何かになるためではなく
世界を観るために、聞くために、触れるために・・・・
真実の言葉だなあって思った。

いつも、自然に耳を傾け
あんこを作るときは、
小豆の声を聞き、あずきがここに来るまでの旅を聞き、
あずきと誠実に向き合う
そこが
また、良かった。

音がよく聞こえる、静かな映画だった。

今にあるとは?

2018-06-22 23:23:50 | 日記
今にあるってどういうこと?って思う人もいるかもしれない。
今日も、今にあろうと思ってご飯を食べているのに
あれ?
気が付いたら、あれはどうしようかな?
これはどうしようかな?
晩御飯のおかずは?なんて
心は、今に気ずいていてあげないとおしゃべりし続ける(笑)

ご飯を食べているんだか
おしゃべりし続ける思いを食べているんだかわからない。
優先順位を間違えているってことなんだなと、最近きずいた。

今、するべきことは何か?
ご飯をたべる。
歩く。
茶碗を洗う。
ひとつひとつの行為に徹するということでもあるのかもしれない。

なんで、そんなことしなきゃいけないのー?って思うかもしれないけれど
しなければならないことなんてないけど
疲れない
ぶれないから、中心がどんどん定まり
無駄なことを考えたり、迷わなくなる。
心が安定して、リラックスできる。
いいことづくめ

あっちこっちに飛んでいく心に振る舞わされることも多いけど
今にある練習し続けたいと思う。

義父の本心

2018-06-20 12:20:43 | 日記
昨日、義父の病院に行った。
大腸がんで、入院しているのだが
胆のう炎(?)もおさまってきたらしく
随分と回復していて、元気そうだった。
入院した時とは、全然変わって、歩けるし、ごはんも食べられるようになった。

家族は、みんな、ちょっとボケてきたとかいうのだが
私は、ボケたと見ない。
ずっと、寝ていて、寝ていた時にみていた夢と現実がごちゃまぜになって
少し、混乱しているのだろうと、そんな感じだ。
だからかどうか、私といるときは、話はしっかりしている。
嫁と一緒だから緊張しているのか?(笑)

でも、この世も夢
実態のない世界なことを思えば、混乱して当たり前な気さえする。
だから、ボケているとも思わない。
そうすると、私にはボケていると義父を観る色眼鏡がないから
義父は、ただ、そのままだ。

ボケたと思う家族の前では、ボケて見えるらしい。

私は、義父がずっと苦手だった。
生き方・考え方が違うのだ。
ただ、それだけで、
義父の本性も、私の本性も同じ

義父の本性をみたいと思った。
好きとか、嫌いとか、ああだったこうだったを超えて
現実的に、何をしてくれたとかそんなことも超えて
多分、個人の私には、計り知れないほどのお蔭様を与えてくれていたことに手をあわせ
ありがとうを伝えたいと思って
入院してからは、会うたびに
理由もなく、ありがとうと言っている。

昨日、義父が
「みんなは、うまいこといっているのか?」と、聞いてきた。
家族のことを聞いているのだと思った。
なぜか、義父が涙ぐんでいた。
義父が、涙ぐんだのを観たのは初めてだ。

「みんな。元気で大丈夫だよ」というと
「そうか」と安心したようだ。
義父の本心に、初めて触れたようだった。

一度も仕事をしたことなく、遊び暮らして生きてきた義父だが
周囲への思いがあったこと
その本心に触れられたことが、とても、嬉しかった。

義父が苦手という心を重要視せず
父の中の神に出会いたい・本心に出会いたいと願う
それが、私の本心だった。

介護

2018-06-20 11:50:41 | 日記
義父の病院に行ってきた。
1週間ぶり位かな?
熱心に看病している人からみたら、ビックリされるかもしれない。

仕事を初めて、行けないのもあるし
仕事を退職した主人が、必要に応じて行ってくれているのもあるのだが・・・

私は実の母が、10年以上寝たきりで遠方の施設に入っていた。
無理をしないというのが、私のスタンスだ。
母の施設には、1週間に1回のペースで10年以上通った。
とても、楽しかった。
義理の姉には、無理をして毎週来なくてもいいよと言ってもらっていたが
「無理はしないので、勝手に好きなように私のペースで行くから
そのことについて、気にしないで」と言ってあった。

実の娘が、もっとまめに行くべきとか、
お医者さんや看護師さん、施設の方がどう思っているかとか思わないわけではなかったが
結局のところ
自分のペースで、無理なくできたから、10年以上、何の苦も無く
そして、周囲の方に、いつも感謝しながら
母の所に、遊びに行けた。(笑)

介護で疲れ切って、悲惨な事件も多いけれど
ああするべき、こうするべきという、自分の持っている考え方は
少し横において
親達の本心は、介護なんかしてほしくないし、ましてやそのことで疲弊して
子どもに苦労してほしくないのだということ
そのことも、知った上で介護ということに向き合えたらいいなあと思う。

こちらに余裕があると、たくさん気づきも起きてくる。
いっぱいいっぱいの人もいるだろうけれど
その余裕を持てる人が、周囲にいたらいいなあ。

介護していることで、こちらが癒されたり
そのことを中心に、家族がまとまっていったり
見方しだいで、世界は変わる。


地球を大切にする

2018-06-15 22:40:59 | 日記
助産院で、お仕事をさせていただいていますが、
今月は、出産がとても多く
何か、とても大きな月なのかなあと感じています。
たくさんの魂が、地球を助けに降りてきてくれているのかもしれません。

自然と人間の身体は繋がっているということが、助産院にいると身近に感じます。
だから、自然を大切にするということは
この肉体を大切にするということでもあり
肉体の声をよく聞いてあげることが
地球を大切にすることに繋がっていく気がします。

無理をしないことは、自然を大切にすること
忙しいなかでも、どうしたら、身体が楽か?
工夫することは、自然を世界を大切にすることです。

電車に乗っていても、
どうやったら、楽かなあとか
つり革のつかまり方も、色々角度を変えたり
心地よく座れる場所を考えたり
なかなか、楽しいです。

色々、発見があったりもします。
何だか、凄いスピリチュアルなこととかじゃなくて
そんな日常の、小さな工夫こそが大切かもしれないなと思ったりします。

いま、ここを、どうやって楽しむか?
いまここで、この嫌いな人を、神とみていくか?
日常という、この与えられた素晴らしい世界を
泣いたり笑ったり、苦しんだり怒ったり、感動したり
精一杯楽しみたいなと思います。