4月もあと2日で終わりです。
今年もハイスピードで月日が過ぎ去っていきます。
端午の節句が間もなくですが、最近は個人の家にこいのぼりを立てる事も少なくなっているように思います。
もっとも拙宅のある周囲は農家が少なく、住宅密集地なので大きな柱を立てて立派な鯉のぼりを立て津スペースがなくなっている事もありますが、子供の数が減ってきていることもあるようです。大きな農家が多い地域でも余り見なくなりました。おそらく若い夫婦は交通の便の良い所に住んでいるのでしょう。
そのかわりに地域で鯉のぼりをたくさん集めて集団で飾る事があちこちで行われているようです。八千代でも新川の両岸に綱を張ってたくさんの鯉が泳いでいます。
鯉のぼりっていつ頃からあるのかしらと思って調べました。
以下はネットからコピーさせて頂きました。
『もともと日本では江戸時代、将軍に男の子が生まれると旗指物(家紋のついた旗)や赤・青・黄・白・黒の五色の吹き流し、または幟(のぼり)を立てて祝う風習がありました。やがてこれが武家に広がり、男の子が生まれた印として幟を立てるようになります。
その後、江戸庶民の間で鯉の滝登りで立身出世のシンボルとなった鯉を幟にするアイデアが生まれ、武家の幟に対して、町人の間で鯉幟(こいのぼり)が揚げられるようになりました。江戸時代は和紙に鯉の絵を描いたものでしたが、大正時代に破れない綿の鯉のぼりとなり、本来は真鯉(まごい:黒い鯉)だけでしたが、明治時代からは真鯉(まごい)と緋鯉(ひごい:赤い鯉)の対で揚げるようになりました。
その後、昭和30年代に入ってから家族を表すものとして子鯉(こごい:青い鯉)を添えたものが主流になり、合成繊維の鯉のぼりが登場したことで、広く親しまれるようになりました。
最近ではベランダでも揚げられるコンパクトタイプもあります。』
端午の節句は中国から伝わった厄払いの行事ですから奈良時代あたりに日本に入ってきたものですが、鯉のぼりは割合に新しいものだったのですね。
写真は鯉のぼりではなく、今盛りの鮮やかな山吹の花です。
今年もハイスピードで月日が過ぎ去っていきます。
端午の節句が間もなくですが、最近は個人の家にこいのぼりを立てる事も少なくなっているように思います。
もっとも拙宅のある周囲は農家が少なく、住宅密集地なので大きな柱を立てて立派な鯉のぼりを立て津スペースがなくなっている事もありますが、子供の数が減ってきていることもあるようです。大きな農家が多い地域でも余り見なくなりました。おそらく若い夫婦は交通の便の良い所に住んでいるのでしょう。
そのかわりに地域で鯉のぼりをたくさん集めて集団で飾る事があちこちで行われているようです。八千代でも新川の両岸に綱を張ってたくさんの鯉が泳いでいます。
鯉のぼりっていつ頃からあるのかしらと思って調べました。
以下はネットからコピーさせて頂きました。
『もともと日本では江戸時代、将軍に男の子が生まれると旗指物(家紋のついた旗)や赤・青・黄・白・黒の五色の吹き流し、または幟(のぼり)を立てて祝う風習がありました。やがてこれが武家に広がり、男の子が生まれた印として幟を立てるようになります。
その後、江戸庶民の間で鯉の滝登りで立身出世のシンボルとなった鯉を幟にするアイデアが生まれ、武家の幟に対して、町人の間で鯉幟(こいのぼり)が揚げられるようになりました。江戸時代は和紙に鯉の絵を描いたものでしたが、大正時代に破れない綿の鯉のぼりとなり、本来は真鯉(まごい:黒い鯉)だけでしたが、明治時代からは真鯉(まごい)と緋鯉(ひごい:赤い鯉)の対で揚げるようになりました。
その後、昭和30年代に入ってから家族を表すものとして子鯉(こごい:青い鯉)を添えたものが主流になり、合成繊維の鯉のぼりが登場したことで、広く親しまれるようになりました。
最近ではベランダでも揚げられるコンパクトタイプもあります。』
端午の節句は中国から伝わった厄払いの行事ですから奈良時代あたりに日本に入ってきたものですが、鯉のぼりは割合に新しいものだったのですね。
写真は鯉のぼりではなく、今盛りの鮮やかな山吹の花です。