ブログ仙岩

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ブラタモリ水戸偕楽園へ

2017-02-01 09:46:46 | エッセイ
ブラタモリ、茨城県の水戸へ、梅の名所・偕楽園に水戸納豆、早速水戸黄門一行がブラタモリを水戸駅前に迎えた。

テーマは「なぜ水戸黄門は人気があったのか」しかし黄門様こと徳川光圀公の人気を探りにわざわざ水戸までくる必要があるかとタモリさんが水戸の町をブラブラしながら解き明かすもの。

水戸城は名古屋、和歌山とならぶ徳川御三家のお城のはずなのに、天守もなければ石垣もないのは江戸詰めの二竈で3億円も借金していた。堀の跡が水郡線に、安土桃山の質素な作りの薬医門、あるものを有効活用の水戸藩の精神が河岸段丘の水戸の町づくりのために笠原水源から湿地帯に凝灰泥岩を切り出し暗渠水路を作って水を潤したのが光圀であった。

黄門様の偉業は250年かけて、全402巻の「大日本史」編纂で各地に人材を派遣していた。さらに日本三名園の一つ偕楽園は実は教育施設で弘道館(光圀が亡くなって140年後の1841年9代藩主斉昭が光圀の精神を受けて作ったもの)、一ノ木戸をくぐり、中は竹林の陰の世界、さらに進むと梅林の陽の世界が一張一弛、梅林の端に出ると南に千波湖が見える。自然の湖を偕楽園に取り込む藩校の教育施設であった。


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