ブログ仙岩

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大石邦子の「少女」

2017-04-26 08:29:20 | エッセイ
 去る3月11日、私は一日中パソコンの前に座りながら一文字も書くことができなかった。6年前の津波の映像がが蘇り、2万人余りの命を奪った地獄のような波音が聞こえていた。
 愛する家族を奪われた人々、未だに遺体の見つからない子供を探し続ける親。潜水夫の資格を取り、毎日海に潜って妻の遺体を探し続けている夫。そして、親を失った子ども達。
 あの子は小学1年生だったと思う。津波で両親を亡くし、仙台の祖父母の家に引き取られた。学校でも明るく祖父母を困らせることはなかった。
 近所に犬を飼っている家があった。その犬が死んだ。それを知った少女は、もう誰が止めてもダメだった。泣いて、泣いて、体を支えきれないほどに泣き崩れた。
 その犬の死に重ねていたのが、今まで耐えに耐えてきた。泣くことの出来なかったお母さんの死であり、お父さんの死だったのだと、私は思った。いい子であるために我慢に我慢を重ねてきた絶望的悲しみが、堰を切って溢れだしたのだと・・・。
 私はこの少女のことを思い出すたびに涙がでる。パソコンを打ちながら、今も涙をぬぐっている。私もまた、この少女に自分の無念さを重ねているのかもしれない。
 あの少女は今、どうしているだろう。中学生になっているはずである。
 今年の桜を見ただろうか。

 私も、このような文章に出会ったり、毎月の日めくり過去帳の11日の姪の名前を見ては涙する。未だにゴウという音を聞くと我が町の津波を思い出す。


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