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森林の中の空洞

 いまから11500年前にアブ・フレイラに住みついた人々は、それまで何万年も続いた狩猟時代の移動生活から、このとき初めて特定の場所に定住する生活を始めたのです。彼らは密集した集落に、数世代にわたって、たがいに触れ合わんばかりの状態で暮らすようになり、こうした状況は、500年間続きました。温暖な気候と食料に恵まれたアブ・フレイラの「春」を謳歌していた彼らは、たとえ移動したいと思っても、もうそこから離れられなくなっていたのです。そしてその間に、家族同士の関係も、親族同士、若者と年寄りの関係もかぎりなく複雑なものになっていった*01のです。
 
500年のあいだ主に野生動物の狩猟、魚や野生植物の採取が中心だった彼らですが、11,050年前のライムギの耕作・栽培の証拠がこの遺跡から検出されています。この時期は、最終氷期が終わり温暖化に向かっていた気候が再び急激な寒冷化を迎えたヤンガー・ドライアスという寒冷期の始まりにあたり、この地域も気候の乾燥化によって野生動物や野生のムギ類が減少し、採集に依存していたこの地の人々は食糧確保のために農耕を始めた、と考えられるのです。
 
厳寒の雪と氷の世界から解放された人類は、その後も続いた気候変動に翻弄されながらも、植物の栽培(農耕)を始め、野生動物の家畜化なども始めていきます。それにともない人々の集落はさらに大きくなっていきました。多数の構成員による複雑な社会関係の構築とコミュニケーション・ネットワークの高密度化が急激に進行していったのです。それは人類、そしておそらくは人類だけが遭遇しなければならなかった生物学的な試練となったのです。高密度な社会関係を生き抜くために人類は、他の人間の行動を理解し、反応し、さらにその理解を他者と共有するだけにとどまらず、その理解を“操作”するという対処を余儀なくされていったのです。
 
〈理解〉を操作するとは、あることがらを〈理解〉させるために仲間に向かって発せられる〈かたち〉=“言葉”を使って、自らの意図する方向へ仲間の〈理解〉を導くことです。環境との相互作用の中で生まれた〈意味〉を、心的イメージの再現として〈理解〉し、それを仲間と共有するために、その〈理解〉に〈かたち〉が与えられます。その〈かたち〉は、情報伝達などの精神行動の働きを助ける媒体として働き、その〈かたち〉を意図したように操作することで、仲間に共通の〈理解〉を起こさせることを可能としたのです。そしてここにこの〈かたち〉を使って考える「自己」意識が生まれ、発達していきました。この〈理解〉の〈かたち〉は、音声として発せられる“言葉”だけではありません。身振りや手ぶり、岩壁に描かれた絵画や記号なども同じ役割を果たしていました。密集して暮らさざるを得なくなった人々にとって〈理解〉を操作する必然性はますます高まり、それを伝える〈かたち〉も発達していったのです。
 
初期のアブ・フレイラでは、集落は少数の円形の竪穴式住居で構成され、それらは家族単位の“巣”的な内なる空間でした。家族以外の仲間と共有していたのは、彼らが移住する場所として森林内を共同で切り開いてつくった間伐地で、植物が繁茂する中に人為的につくりだされた、いわば空洞だったのです。それはいみじくもドイツ語の「空間」を意味するRaum(英語のroomと同根)の語源*02と同一のものだったのです。


*01:古代文明と気候大変動-人類の運命を変えた二万年史/ブライアン・フェイガン/河出書房新社 東郷えりか訳 2005.06.20
*02:人間と空間/オットー・フリードリッヒ・ボルノウ/1978.03.03 大塚恵一・池上健司・中村浩平訳 せりか書房

 

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