市内を歩き回る日々。
高校時代の同級生宅を訪れる。
同級生は市外に住んでいるが、お母さんがいる。かつては珠洲原発に賛成していた方だが、珠洲原発も終わって8年。同級生の縁もあり顔を出したがなんと昔のまま、というかそれ以上の見事な対応で参った、参った。
玄関先で挨拶をするやいなや、
「原発なくして珠洲ようなったか!言うてみ!」
いきなりのカウンターパンチに一瞬たじろぐ。
すかさず、
「そりゃみ、答えられんやろ。」
「内浦からきて珠洲の邪魔して、息子と同級生やけど絶対に応援できん!」
向こう三軒両隣に聞こえそうな金きり声を浴びせられる。
冷静に会話できそうもないので早々に退散する。
ここ数ヶ月、市内各地で、努めてかつて立場をことにしていた人とも話すようにしている。
(こちらも参照)
少々嫌味を言われることはあっても、このような応対をされたのは初めてである。
先日も、かつて推進派だったあるお宅にお邪魔したら、「ちょっと上がってお茶でも」と声をかけてもらった。
コーヒーをいただきながら、若い頃の話やら息子さんの話やらいろいろ聞かせてもらう。
「息子が金沢におってね、原発できればこっちで働けるかと思って賛成してきたんだけどねぇ」
「これはこれで時代の流れ、市民の選択でもあるししょうがないね」
「これからは若い人にがんばってもらわにゃね」
推進・反対を問わず、多くの市民の人生を左右した原発計画である。
計画がなくなって「もう8年」という人もいれば、「まだ8年」という人もいる。原発計画をつぶした一人として、もっともっと多くの人から「いまの思い」を聴きたい。
高校時代の同級生宅を訪れる。
同級生は市外に住んでいるが、お母さんがいる。かつては珠洲原発に賛成していた方だが、珠洲原発も終わって8年。同級生の縁もあり顔を出したがなんと昔のまま、というかそれ以上の見事な対応で参った、参った。
玄関先で挨拶をするやいなや、
「原発なくして珠洲ようなったか!言うてみ!」
いきなりのカウンターパンチに一瞬たじろぐ。
すかさず、
「そりゃみ、答えられんやろ。」
「内浦からきて珠洲の邪魔して、息子と同級生やけど絶対に応援できん!」
向こう三軒両隣に聞こえそうな金きり声を浴びせられる。
冷静に会話できそうもないので早々に退散する。
ここ数ヶ月、市内各地で、努めてかつて立場をことにしていた人とも話すようにしている。
(こちらも参照)
少々嫌味を言われることはあっても、このような応対をされたのは初めてである。
先日も、かつて推進派だったあるお宅にお邪魔したら、「ちょっと上がってお茶でも」と声をかけてもらった。
コーヒーをいただきながら、若い頃の話やら息子さんの話やらいろいろ聞かせてもらう。
「息子が金沢におってね、原発できればこっちで働けるかと思って賛成してきたんだけどねぇ」
「これはこれで時代の流れ、市民の選択でもあるししょうがないね」
「これからは若い人にがんばってもらわにゃね」
推進・反対を問わず、多くの市民の人生を左右した原発計画である。
計画がなくなって「もう8年」という人もいれば、「まだ8年」という人もいる。原発計画をつぶした一人として、もっともっと多くの人から「いまの思い」を聴きたい。
原発は北野さんたちが潰したとも言えるし、市民が許さなかったとも言える、あるいは推進側が自滅したせいだとも言えます。
いずれにせよ、珠洲の今日の姿を見るかぎり、原発ができていれば珠洲はずっと良くなっていたはずだと頑なに主張する人たちの空想力のたくましさに、僕はある意味敬服します。
私が投稿したつもりの文章が、なぜか一部消えていたので追加します。
参った、参った(>_<)の後です。
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玄関先で挨拶をするやいなや、
「原発なくして珠洲ようなったか!言うてみ!」
いきなりのカウンターパンチに一瞬たじろぐ。
すかさず、
「そりゃみ、答えられんやろ。」
「内浦からきて珠洲の邪魔して、息子と同級生やけど絶対に応援できん!」
向こう三軒両隣に聞こえそうな金きり声を浴びせられる。
冷静に会話できそうもないので早々に退散する。
ここ数ヶ月、市内各地で、努めてかつて立場をことにしていた人とも話すようにしている。
~~~~ こちらも参照に続く。
お粗末なミスですいません。
いずれにしても、かつてはこのように怒鳴られることもしばしばでした。もっともその逆もそれ以上にあったのかもしれませんが・・・
いずれにしても、かつてはこのように怒鳴られたこともしばしば。そしてそれ以上にこちらも声を張り上げていたのかもしれませんが・・・