元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

「南京大虐殺」はなかった。日本の政治家は正しい歴史を知り、き然と反論すべきだ。

2019-11-24 09:22:51 | 日記

日本の政治家は正しい歴史を知り、日本を愛し、中国や韓国からの非難や恫喝に屈することなく、き然と反論すべきだ。


http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi01.htm

『「南京大虐殺」はなかった

日本軍の進出は内戦の終結、平和の確立、共栄圏の建設を目的としたものであって、決して破壊や虐殺を目的としたものではありませんでした。

これは、国土の焦土化や、民衆の殺戮を平気で行なっていた中国軍とは、きわめて対照的です。

 日本には、もともとサムライの時代から、民衆の虐殺や焦土化の思想はなかったのです。

日中戦争は北京の近くで始まりましたが、北京は無傷でした。

武漢三鎮も無傷のまま。他の都市も全部無傷です。

日本軍は、都市を破壊する気も、住民を虐殺する気もさらさらなかったのです。

日本軍は、都市に近づくときには必ず自由都市(オープン・シティ)宣言をしました。降伏するなら、都市を破壊することもしないし、住民の安全を保証するということです。歴史ある都市を戦場にし破壊していけないからです。

 日本軍は圧倒的に強かったので、たいていの都市では、中国軍はたいした抵抗をすることもないまま逃げ去り、都市は明け渡されました。しかし南京で、中国軍は珍しく若干の抵抗をみせました。
 

南京防衛軍司令官の唐生智が「俺に頑張らせてくれ」と言ったので、蒋介石も「頑張れ」と言ったのです。彼が最後まで頑張れば、ある程度、中国軍の統制もとれたでしょうが、この司令官は情けないことに、途中で逃げ出してしまいました。

 司令官を失なった中国兵たちは、自分たちも逃げようとしました。けれども彼らの多くは、逃げる味方の兵隊を後ろから撃つ「督戦隊」に殺されました。また中国兵の中には、逃げれば督戦隊に殺されるし、残れば日本軍に捕まるということで、民間人を殺し、その着物をはぎ取って着る者たちもいました。

 こうした民間人に化けた中国兵は、それがばれたときに日本兵によって殺されることもありました。そのようなことはありましたが、南京で、日本軍による住民の大量虐殺というようなことは決してなかったのです。』

下の写真は中国人の子供や大人と共に正月の万歳をする日本兵達(1938年)


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