ミニチュアゲームとは関係無い話ですけど。
みなさんは『よつばと!』をどのように読んでいますか?
まさかよつばに感情移入している、なんていう人はいませんよね?(苦笑)
結構、風香や恵那に感情移入して読んでいる人が多いのではないでしょうか。あと読者の中にはジャンボやとーちゃんに感情移入しているアラサー世代なんかも多いと思います。
今回のエントリではそういう人達にとってのこの漫画について語ろうと思います。
・・・子供の頃、トムソーヤの冒険をあなたはどのように読んだでしょうか。
ハックやトムが好奇心と悪戯心を120%満たす姿を見て自分自身に重ね合わせて羨んだり、厭味な教師やガミガミうるさい叔母さんに叱られる姿を見て共感したり、トムと一緒になってインジャンジョーの怖さに震えあがったりしたのでしょうか。
自分が感じたのは『あるある、そういう事』みたいな子供の世界における共感でした。共感はしましたが、トムを自分に重ね合わせる事はなく、友人の一人のような感覚でトムの物語を追体験したのです。
しかし赤毛のアンに触れた時に感じたのは『保護者としての視点』でした。
とてもじゃないですがあの異常なまでに妄想に満ち溢れたアンに共感できる、感情移入できる人間は少ないのではないでしょうか、あの年代にしてはアンは妙に教養が高い娘ですからやる事やセリフもかなりハイセンスです。
そんな世間とはズレまくってる子なので彼女を友人として見るのも難しそうです。一種の変人の域にまで達している子と友達でいるのは非常に大変ですから。
故に男性には赤毛のアンがわからない、大して面白くなかった、という人は結構多いんじゃないかと思うのです。自分も最初子供の頃に読んだ時は全く意味がわかりませんでした。
『こいつにはちょっとついていけないな』という印象でした。
ところが。
高校生の頃、世界名作劇場の再放送でアニメの赤毛のアンが放送されているのをたまたま見かけたのですが、これがもう抱腹絶倒するぐらいの爆笑物語だったわけです。その時の自分はアンを引き取ったリアリストのオールドミス「マリラ・カスバート」の視点を通してアンを「同居人、もしくは自らの子供」として眺めるようになっていました。
最初に本を読んだ時にも『保護者の視点』を感じたのですが、まだ子供だった自分にはそれを微笑ましいと感じる感覚が備わっていなかったのです。ある程度人間として成長してアンのような少女を年下の子供として見る事が出来るようになると、この物語は途端に面白くなります。
実際『よつばと!』も似たようなものだと自分は考えています。
実際に『赤毛のアン』と『よつばと!』はかなり似通ったスタイルの作品となっています。
●疑似家族の形成『ある日、ちょっと変わった女の子が町にやってくる』
赤毛のアンではお互い独身のまま同居している兄妹、マリラとマシュウが孤児院にいたアンをグリーンゲイブルズにあるカスバート家に呼びます。
よつばと!では未婚(?)の翻訳家である「とーちゃん」が「拾った」よつばと一緒に風香や恵那がいる町に引っ越してきます。
●性善説に基づいた日常の物語『悪い人がいない世界』
アンの世界は時代的背景もあってか、愛や道徳に溢れています。グリーンゲイブルズは殺人鬼や怪盗が出てくるような殺伐とした世界ではありません。
よつばと!の登場人物で、よつばやとーちゃんを悪く言ったり遠ざけたりするような狭量な人間は出てきません。皆がよつばや得体の知れないとーちゃんに寛大で平等に接しています。
●メインとなるのは【しつけ】『子供にどう接するべきなのか?』
とにかくアンは口の減らない癇癪持ちの問題児でした。そんな子と親はどう接するべきなのかをマリラや周囲の大人たちの態度から学ぶ事が出来ます。とにかく理想を追求して派手な方向へと進もうとするアンに現実とはどういう事かを学ばせていくにはどうすればいいのか、どこまで口を挟んでいいのか、色々と考えさせられます。
よつばは物怖じしない好奇心の強い子です。そんな子の素朴な疑問にはどうこたえるべきなのか、そういう子と楽しく遊ぶにはどうしたらいいのか、子供をのびのびと育てるにはどうするべきか・・・そういう提案が作中ではなされていると考えられます。(理想的過ぎてご都合主義ではありますが)
●結婚はしないが子供へ愛情を注ぎたいわがままな大人の幻想物語『結婚生活への幻滅とあきらめ』
マリラとマシュウは兄妹です。どちらも結婚していません、マリラは口うるさくて厳格で可愛げがありません、マシュウは口下手で人前に出るのが嫌いです、どちらかというとお互い人づきあいが好きではありません。
2人は老いて農作業が大変になったので働き手となる男の子を引き取ろうと思って孤児院に打診しました。手違いがあって女の子のアンがやってきたのですが、なんとなくアンの境遇が可愛そうになって引き取る事に決めました。
とーちゃんは翻訳家で家にいる事が多いです。愛想は悪くないのですが、どちらかというと積極的に人とかかわろうとはしていません。どこか老成しているというか、世の中に達観しています。ジャンボと比べて色恋にがっついたところも少なく、何が彼の楽しみなのかもわかりにくく、傍から見ると考えが読めない謎めいた男性です。
よつばを溺愛している風でもないのですが、ちゃんと父親としての務めを果たそうと努力は怠っていません。なかなかに常識人です。一見何事にも無関心に見えて根はしっかりしている・・・この辺のバランス感覚が今の男性の理想とする自己像なのだと思います。
・・・とまあ色々書きましたが結局何が言いたいのかというと・・・
『よつばと!』とは現代日本漫画版の『赤毛のアン』である、そして同時に世のオタク男性の理想を具現化した漫画である。
こういう事になります。『よつばと!』は3次元の女性との恋愛や結婚に絶望しているor幻滅している今の若い男性諸氏から共感を受けているからこそ支持されているのだと思います。
結婚生活そのものや配偶者と人間関係を保つ事が煩わしいと感じながらも『子供に愛情を注ぎたい、子育てしたい』という動物の本能的欲求をも同時に感じている男性にとって「とーちゃん」のライフスタイルは理想形であると言えます。
あくせく働いたり、上司にへーこらせず、愛する娘と慎ましくもおもしろおかしく平凡な毎日を過ごす・・・とても理想的だと思います。そこには配偶者からの嫉妬はありません、変なご機嫌とりをする必要が無いのです。
外に出てもよつばとの生活に苦言を呈するような説教臭い老人はいません。それどころかジャンボという比較的暇人な友人や、娘の友達である三姉妹から暖かく受け入れられています。彼らは必要以上にはとーちゃんのライフスタイルに干渉してきません。
これは現実のぎすぎすした部分とは縁遠い幻想の世界の物語であるのかも知れません。
だからこそ、支持を受け続けているのだと思います。
ちなみに今日、ブログ主は誕生日でした。なんか肉食うか、肉。
みなさんは『よつばと!』をどのように読んでいますか?
まさかよつばに感情移入している、なんていう人はいませんよね?(苦笑)
結構、風香や恵那に感情移入して読んでいる人が多いのではないでしょうか。あと読者の中にはジャンボやとーちゃんに感情移入しているアラサー世代なんかも多いと思います。
今回のエントリではそういう人達にとってのこの漫画について語ろうと思います。
・・・子供の頃、トムソーヤの冒険をあなたはどのように読んだでしょうか。
ハックやトムが好奇心と悪戯心を120%満たす姿を見て自分自身に重ね合わせて羨んだり、厭味な教師やガミガミうるさい叔母さんに叱られる姿を見て共感したり、トムと一緒になってインジャンジョーの怖さに震えあがったりしたのでしょうか。
自分が感じたのは『あるある、そういう事』みたいな子供の世界における共感でした。共感はしましたが、トムを自分に重ね合わせる事はなく、友人の一人のような感覚でトムの物語を追体験したのです。
しかし赤毛のアンに触れた時に感じたのは『保護者としての視点』でした。
とてもじゃないですがあの異常なまでに妄想に満ち溢れたアンに共感できる、感情移入できる人間は少ないのではないでしょうか、あの年代にしてはアンは妙に教養が高い娘ですからやる事やセリフもかなりハイセンスです。
そんな世間とはズレまくってる子なので彼女を友人として見るのも難しそうです。一種の変人の域にまで達している子と友達でいるのは非常に大変ですから。
故に男性には赤毛のアンがわからない、大して面白くなかった、という人は結構多いんじゃないかと思うのです。自分も最初子供の頃に読んだ時は全く意味がわかりませんでした。
『こいつにはちょっとついていけないな』という印象でした。
ところが。
高校生の頃、世界名作劇場の再放送でアニメの赤毛のアンが放送されているのをたまたま見かけたのですが、これがもう抱腹絶倒するぐらいの爆笑物語だったわけです。その時の自分はアンを引き取ったリアリストのオールドミス「マリラ・カスバート」の視点を通してアンを「同居人、もしくは自らの子供」として眺めるようになっていました。
最初に本を読んだ時にも『保護者の視点』を感じたのですが、まだ子供だった自分にはそれを微笑ましいと感じる感覚が備わっていなかったのです。ある程度人間として成長してアンのような少女を年下の子供として見る事が出来るようになると、この物語は途端に面白くなります。
実際『よつばと!』も似たようなものだと自分は考えています。
実際に『赤毛のアン』と『よつばと!』はかなり似通ったスタイルの作品となっています。
●疑似家族の形成『ある日、ちょっと変わった女の子が町にやってくる』
赤毛のアンではお互い独身のまま同居している兄妹、マリラとマシュウが孤児院にいたアンをグリーンゲイブルズにあるカスバート家に呼びます。
よつばと!では未婚(?)の翻訳家である「とーちゃん」が「拾った」よつばと一緒に風香や恵那がいる町に引っ越してきます。
●性善説に基づいた日常の物語『悪い人がいない世界』
アンの世界は時代的背景もあってか、愛や道徳に溢れています。グリーンゲイブルズは殺人鬼や怪盗が出てくるような殺伐とした世界ではありません。
よつばと!の登場人物で、よつばやとーちゃんを悪く言ったり遠ざけたりするような狭量な人間は出てきません。皆がよつばや得体の知れないとーちゃんに寛大で平等に接しています。
●メインとなるのは【しつけ】『子供にどう接するべきなのか?』
とにかくアンは口の減らない癇癪持ちの問題児でした。そんな子と親はどう接するべきなのかをマリラや周囲の大人たちの態度から学ぶ事が出来ます。とにかく理想を追求して派手な方向へと進もうとするアンに現実とはどういう事かを学ばせていくにはどうすればいいのか、どこまで口を挟んでいいのか、色々と考えさせられます。
よつばは物怖じしない好奇心の強い子です。そんな子の素朴な疑問にはどうこたえるべきなのか、そういう子と楽しく遊ぶにはどうしたらいいのか、子供をのびのびと育てるにはどうするべきか・・・そういう提案が作中ではなされていると考えられます。(理想的過ぎてご都合主義ではありますが)
●結婚はしないが子供へ愛情を注ぎたいわがままな大人の幻想物語『結婚生活への幻滅とあきらめ』
マリラとマシュウは兄妹です。どちらも結婚していません、マリラは口うるさくて厳格で可愛げがありません、マシュウは口下手で人前に出るのが嫌いです、どちらかというとお互い人づきあいが好きではありません。
2人は老いて農作業が大変になったので働き手となる男の子を引き取ろうと思って孤児院に打診しました。手違いがあって女の子のアンがやってきたのですが、なんとなくアンの境遇が可愛そうになって引き取る事に決めました。
とーちゃんは翻訳家で家にいる事が多いです。愛想は悪くないのですが、どちらかというと積極的に人とかかわろうとはしていません。どこか老成しているというか、世の中に達観しています。ジャンボと比べて色恋にがっついたところも少なく、何が彼の楽しみなのかもわかりにくく、傍から見ると考えが読めない謎めいた男性です。
よつばを溺愛している風でもないのですが、ちゃんと父親としての務めを果たそうと努力は怠っていません。なかなかに常識人です。一見何事にも無関心に見えて根はしっかりしている・・・この辺のバランス感覚が今の男性の理想とする自己像なのだと思います。
・・・とまあ色々書きましたが結局何が言いたいのかというと・・・
『よつばと!』とは現代日本漫画版の『赤毛のアン』である、そして同時に世のオタク男性の理想を具現化した漫画である。
こういう事になります。『よつばと!』は3次元の女性との恋愛や結婚に絶望しているor幻滅している今の若い男性諸氏から共感を受けているからこそ支持されているのだと思います。
結婚生活そのものや配偶者と人間関係を保つ事が煩わしいと感じながらも『子供に愛情を注ぎたい、子育てしたい』という動物の本能的欲求をも同時に感じている男性にとって「とーちゃん」のライフスタイルは理想形であると言えます。
あくせく働いたり、上司にへーこらせず、愛する娘と慎ましくもおもしろおかしく平凡な毎日を過ごす・・・とても理想的だと思います。そこには配偶者からの嫉妬はありません、変なご機嫌とりをする必要が無いのです。
外に出てもよつばとの生活に苦言を呈するような説教臭い老人はいません。それどころかジャンボという比較的暇人な友人や、娘の友達である三姉妹から暖かく受け入れられています。彼らは必要以上にはとーちゃんのライフスタイルに干渉してきません。
これは現実のぎすぎすした部分とは縁遠い幻想の世界の物語であるのかも知れません。
だからこそ、支持を受け続けているのだと思います。
ちなみに今日、ブログ主は誕生日でした。なんか肉食うか、肉。